「死ぬ瞬間」
それは、私が一番最初に知りたかったことでした。
彼女がこの世を去る瞬間、その時はまだ、スピリチュアルに関する書籍を読んだ
ことがなかった私でしたが、神仏を礼拝していたからか、天国や地獄という言葉
が脳裏にあったためか、それは分かりませんが、少なくとも、
「彼女は、この世を去る瞬間、どのような想いで、どのように去っていったのか。
2人は全てが終わってしまったのか。彼女は、本当は言いたいことがいっぱいあ
ったはず。彼女はケガの痛みや虚ろいで行く中で、辛くて悲しくて・・・そんな思い
だけしながら亡くなったのか。彼女のやさしい心も無になるのか。」と考えてい
たと思います。
天井、病室のドア、病室の窓
彼女の脈打つ鼓動が止まった瞬間、私は見渡してしまった。
「あぁ、逝ってしまった。」と。
私は、「スピリチュアルメッセージⅡ 死することの真理」に目を通したとき、
涙がぽろぽろと止まらなく出ました。
それは、彼女が死の壁を越えていった、彼女が独りで迎え受け入れた最後の瞬間
が目に浮んだからでした。
亡き彼女は・・・知らない街でも私がそばにいると怖くないと言っていました。
名古屋の栄にあるテレビ塔の付近で、夜でも人通りの多い交差点に止まったとき、
車のなかで。
しかし、この世を去る瞬間だけは、彼女を独りで行かせるしかなかった。
今、このように記事を書いていると、、、、また思い出してしまった。
・・・
江原氏の主護霊が語る「死ぬ瞬間」ご紹介します。
わたしは、3種類ある「スピリチュアルメッセージ」の書籍の中でも、「死する
ことの真理」が、彼女のこの世を去る瞬間や、亡き彼女はその後どこでどうして
いるのかという私の思いに答えてくれた書籍です。
■死の直前の昏睡状態にあるとき
「昏睡は、死に向かう道程として、必要なことがらじゃ。」
「たましいにどのようなことが起きているのかといえば、昏睡のままに
肉体から幽体が浮いてゆくのじゃ。」
「そして、一つ一つの『たましいの緒』を切ってゆく。」
「肉体と幽体には、目に見えぬ、いわば『つなぎ目』があるのじゃ。それが
『たましいの緒』じゃ。」
「そのつなぎ目を一つ一つほどいていく作業があり、そのすべてが切れたとき
『死』を迎えるのじゃ。」
■たましいの緒について
「死するときというのは、いわば、のりづけされた紙をはがしてゆくような
もの。」
「はがすときに、痛みはまるでない。」
「しかし、『もがき』は必要となる。」
「ぬしらが手を使わず衣服を脱ぐときに、どうするか。身をゆすり、じたばた
するであろう。それと同じこと。」
「死を迎える者、死が近づいている者などは、ぬしらの目には見えぬやもしれ
ぬが、肉体より幽体はしっかり浮き離れている。あとは繋がっている緒を
切るだけなのじゃ。」
「肉体と幽体がかけ離れたとき、『たましいの緒』を切りたいがためなのじゃ。」
「肉体から幽体が浮き出たときには、まるで苦しみはなくなる。」
私は、この「スピリチュアルメッセージⅡ 死することの真理」を読んだとき、
「しまった!」と思いました。
それは、峠と言われた夜を越し、熱も下がり、脈は安定、下がり不安定であった
血圧は少しずつ上がっていたので、彼女が亡くなる当日、身体をもぞもぞと動か
し、足や腕、腰などが「良い方向へ向っている。」ように見えるくらい、動かし
だしたのでした。
そこで、長丁場になるけど、よし!きっと彼女は助かる!と思い、たばこの一服
も増えて、気(気合い)を入れていました。
・・・
葬儀から帰ってきて、この書籍を読んだ瞬間、「あぁ、いのちの緒というものを
振りほどいていたのだったか・・・さようならが近づいていたのに気づけなかっ
た。」と大変落胆しました。
知っていれば、もっともっと彼女にあの世に行くな、など話しかけれていたもの
を。。。
亡くなる数分前、すべての機器の数値が正常になりました。
看護師さんは、よく身体を動かすね、うんうん、と言っていました。
しかし、看護師さんは異変に気づいたのか。あれ?あれ?と言い、
先生を呼んできます言って、出て行きました。
お父さんは「何か医学では分からない、不思議なことが起こっているようだ。」
とおっしゃっておられました。
私が気になったのは、身体全体をもぞもぞと動かす彼女の左手でした。
指を人差し指から薬指までパラパラパラっと動かすのです。
ベッドに寝かしている左腕はどちらかというと置かれているという状態なのに。
そのような状態でありながら、手首をぐっと立ち上げ(掌と腕はL字のように)
そして、パラパラパラっと動かしていたのです。
これについては後に、仮称:田中さんと話したなかで、わかりました。
田中さんから、「手を見てませんでしたか。」と聞かれました。
私は、「そうそう、手をこのように(上記に書いたように)動かしていました。」
そうしましたら、「えっ!」「それは『手鏡』じゃないかな。」
と田中さんに言われ、どういうことか聞きましたら、人は亡くなる前に手を鏡に
して自分を見るというような内容の話でした。
「時すでに遅し」は、色々な場面であることと思いますが、霊的真理を知らなか
った私は、あぁ、彼女の伝えていたことをこのような本を以前から読んでいたら
もっと多くの彼女が伝えようとしていた知らせを知ることが出来たのではないか
と思いました。
しかし、亡き彼女が枕元に残してくれていた、たった1冊、それもたった1冊し
か彼女は持っていなかったスピリチュアルな書籍「幸運を引寄せるためのスピリ
チュアルブック」によって、彼女が独りで迎えた死の瞬間を知ることができたよ
うに思います。
スピリチュアルな視点で言いますと、
書籍1冊の出会いも、偶然ではなく「必然」と言われています。
すべては、亡き彼女がこの世へ残す私への彼女なりの配慮だと思い、毎日線香を
立て、私はあの世での彼女の旅を祈っています。
それは、私が一番最初に知りたかったことでした。
彼女がこの世を去る瞬間、その時はまだ、スピリチュアルに関する書籍を読んだ
ことがなかった私でしたが、神仏を礼拝していたからか、天国や地獄という言葉
が脳裏にあったためか、それは分かりませんが、少なくとも、
「彼女は、この世を去る瞬間、どのような想いで、どのように去っていったのか。
2人は全てが終わってしまったのか。彼女は、本当は言いたいことがいっぱいあ
ったはず。彼女はケガの痛みや虚ろいで行く中で、辛くて悲しくて・・・そんな思い
だけしながら亡くなったのか。彼女のやさしい心も無になるのか。」と考えてい
たと思います。
天井、病室のドア、病室の窓
彼女の脈打つ鼓動が止まった瞬間、私は見渡してしまった。
「あぁ、逝ってしまった。」と。
私は、「スピリチュアルメッセージⅡ 死することの真理」に目を通したとき、
涙がぽろぽろと止まらなく出ました。
それは、彼女が死の壁を越えていった、彼女が独りで迎え受け入れた最後の瞬間
が目に浮んだからでした。
亡き彼女は・・・知らない街でも私がそばにいると怖くないと言っていました。
名古屋の栄にあるテレビ塔の付近で、夜でも人通りの多い交差点に止まったとき、
車のなかで。
しかし、この世を去る瞬間だけは、彼女を独りで行かせるしかなかった。
今、このように記事を書いていると、、、、また思い出してしまった。
・・・
江原氏の主護霊が語る「死ぬ瞬間」ご紹介します。
わたしは、3種類ある「スピリチュアルメッセージ」の書籍の中でも、「死する
ことの真理」が、彼女のこの世を去る瞬間や、亡き彼女はその後どこでどうして
いるのかという私の思いに答えてくれた書籍です。
■死の直前の昏睡状態にあるとき
「昏睡は、死に向かう道程として、必要なことがらじゃ。」
「たましいにどのようなことが起きているのかといえば、昏睡のままに
肉体から幽体が浮いてゆくのじゃ。」
「そして、一つ一つの『たましいの緒』を切ってゆく。」
「肉体と幽体には、目に見えぬ、いわば『つなぎ目』があるのじゃ。それが
『たましいの緒』じゃ。」
「そのつなぎ目を一つ一つほどいていく作業があり、そのすべてが切れたとき
『死』を迎えるのじゃ。」
■たましいの緒について
「死するときというのは、いわば、のりづけされた紙をはがしてゆくような
もの。」
「はがすときに、痛みはまるでない。」
「しかし、『もがき』は必要となる。」
「ぬしらが手を使わず衣服を脱ぐときに、どうするか。身をゆすり、じたばた
するであろう。それと同じこと。」
「死を迎える者、死が近づいている者などは、ぬしらの目には見えぬやもしれ
ぬが、肉体より幽体はしっかり浮き離れている。あとは繋がっている緒を
切るだけなのじゃ。」
「肉体と幽体がかけ離れたとき、『たましいの緒』を切りたいがためなのじゃ。」
「肉体から幽体が浮き出たときには、まるで苦しみはなくなる。」
私は、この「スピリチュアルメッセージⅡ 死することの真理」を読んだとき、
「しまった!」と思いました。
それは、峠と言われた夜を越し、熱も下がり、脈は安定、下がり不安定であった
血圧は少しずつ上がっていたので、彼女が亡くなる当日、身体をもぞもぞと動か
し、足や腕、腰などが「良い方向へ向っている。」ように見えるくらい、動かし
だしたのでした。
そこで、長丁場になるけど、よし!きっと彼女は助かる!と思い、たばこの一服
も増えて、気(気合い)を入れていました。
・・・
葬儀から帰ってきて、この書籍を読んだ瞬間、「あぁ、いのちの緒というものを
振りほどいていたのだったか・・・さようならが近づいていたのに気づけなかっ
た。」と大変落胆しました。
知っていれば、もっともっと彼女にあの世に行くな、など話しかけれていたもの
を。。。
亡くなる数分前、すべての機器の数値が正常になりました。
看護師さんは、よく身体を動かすね、うんうん、と言っていました。
しかし、看護師さんは異変に気づいたのか。あれ?あれ?と言い、
先生を呼んできます言って、出て行きました。
お父さんは「何か医学では分からない、不思議なことが起こっているようだ。」
とおっしゃっておられました。
私が気になったのは、身体全体をもぞもぞと動かす彼女の左手でした。
指を人差し指から薬指までパラパラパラっと動かすのです。
ベッドに寝かしている左腕はどちらかというと置かれているという状態なのに。
そのような状態でありながら、手首をぐっと立ち上げ(掌と腕はL字のように)
そして、パラパラパラっと動かしていたのです。
これについては後に、仮称:田中さんと話したなかで、わかりました。
田中さんから、「手を見てませんでしたか。」と聞かれました。
私は、「そうそう、手をこのように(上記に書いたように)動かしていました。」
そうしましたら、「えっ!」「それは『手鏡』じゃないかな。」
と田中さんに言われ、どういうことか聞きましたら、人は亡くなる前に手を鏡に
して自分を見るというような内容の話でした。
「時すでに遅し」は、色々な場面であることと思いますが、霊的真理を知らなか
った私は、あぁ、彼女の伝えていたことをこのような本を以前から読んでいたら
もっと多くの彼女が伝えようとしていた知らせを知ることが出来たのではないか
と思いました。
しかし、亡き彼女が枕元に残してくれていた、たった1冊、それもたった1冊し
か彼女は持っていなかったスピリチュアルな書籍「幸運を引寄せるためのスピリ
チュアルブック」によって、彼女が独りで迎えた死の瞬間を知ることができたよ
うに思います。
スピリチュアルな視点で言いますと、
書籍1冊の出会いも、偶然ではなく「必然」と言われています。
すべては、亡き彼女がこの世へ残す私への彼女なりの配慮だと思い、毎日線香を
立て、私はあの世での彼女の旅を祈っています。
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