Bo-Bo-Rock

このページは、時間が前後しますが f-o-q の 備忘録 です。
昨日のことより、云十年前の方が鮮明だったりします。

うるしの日(11月13日)

2022-11-13 19:15:00 | 現在過去日記
平安時代のこの日、第55代文徳天皇の第一皇子・惟喬(これたか)親王が京都・嵐山の法輪寺に参詣した際に
・うるしの製法
・漆器の製法
などを虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)から伝授されたという伝承があり、その日付けが11月13日だったことにちなんで日本漆工芸協会が記念日に制定。
また、記念日制定以前から11月13日は、漆関係者の祭日となっており、親方が漆職人に酒や菓子などを振る舞い、労をねぎらうなどの慣習が地域によっては現在も残っている。
せっかくなので、ちょっと横道
中世ヨーロッパでは陶器のことをボーンチャイナなど「china」という言葉を含めて呼ぶ。14世紀に明の陶磁器がヨーロッパに多く輸出された際に、産地を示すために使われたのが由来。
同様に、蒔絵や螺鈿を表面に敷き詰めて文様を描いた漆器は「南蛮漆器」と呼ばれ、ヨーロッパ人に人気を博す。輸出が始まった頃から、日本の漆器が英語で「japan」と呼ばれるようになったと言われている。
江戸幕府によって日本が鎖国していた時代も、オランダを通じてヨーロッパとの交易は続き、この頃に海外へ輸出されていた漆器は「紅毛漆器」と呼ばれ、螺鈿の使用が減り、黒地に金や銀で模様を描く蒔絵が多用されるようになっていた。

オーストリア女王である母マリア=テレジアから、多くを受け継いだマリー=アントワネットの漆器コレクションから漆器そのものが好きであるだけでなく、日本の漆器が好きであったことが窺い知ることが出来る。
この小物入れ、ワンだふる。置いておきたいので複製品ないかな?
確実にヨーロッパからの特注品、もしくは、ヨーロッパに輸出することを想定して作られた漆器が多い。

11月13日の出来事「 関東大震災で被災 」
1925年:東京帝大に地震研究所を設置
1923年発生の関東大震災以降、地震研究統一の世論が高まり、1925年に文部省(現:文部科学省)により設立された地震・火山現象のみならず、その根源としての地球内部ダイナミクスまでも包括的に研究している。
東大も被災、蔵書7万冊?以上を焼失
1923年(大正12年)9月1日、午前11時58分。あまりにも有名なこの数字は、後に「関東大震災」と名付けられた大揺れの瞬間の時間。
関東の1府6県におよんだ被害は、死者・行方不明者10万4600人、家屋の全半壊戸数17万5000、焼失戸数は38万1000。日本の地震観測史上、最大かつ最悪の災害である。

11月13日生まれ「 人生、山あり谷あり、しかも繰り返す 」
1972年:木村拓哉(歌手)
都市伝説!:キムタクはサーフィンをするためだけに豊橋にマンションを購入
TOKYO FMにて、以下のように明快に否定
「豊橋の赤羽でサーフィンをしたことが…ないです!マンションっていうのも、持ってません(笑)。『マックス***』っていうスーパーマーケットで10年以上前から目撃情報があるってことなんですけど、『マックス***』さんにはお邪魔したことがないですね。日本で2番目に美味しいかき氷屋さん…なんで2番目にしたんだろう?むしろそれが気になる!
これ、全部本当にしてくれないかなぁ。島根に別荘があって、愛知の豊橋にマンション持ってるってすごいよね。不動産王じゃねぇかよ!」
豊橋市民の心の拠り所を打ち砕くキ6タ9でした。
 その当時出回った画像。うん、似てる。
ヤマトのロケで伊良湖に来てたときも、ワーワーだったなぁ。

11月13日の誕生花「 七竈: 慎重、賢明、私はあなたを見守る 」
和名:七竈(ナナカマド)
英名:Japanese rowan、Mountain ash
慎重は、ナナカマドの木が燃えにくいことにちなむ。
私はあなたを見守るは、この木でつくった十字架や船の言い伝えに由来
ナナカマドの十字架
ヨーロッパの各地ではナナカマドの枝で十字架をつくり、
魔よけとして家畜小屋の戸口にかけたり、
特定の日に教会の墓地のナナカマドの枝でつくった十字架を身につける風習があった。
ナナカマドと北欧神話
雷神トールが大洪水で溺れそうなったとき、ナナカマドの木にとまって助かった。
その後、船をつくるときにこの木の板を一枚用いると、
水難にあわないといわれるようになった。

では f-o-q