Bo-Bo-Rock

このページは、時間が前後しますが f-o-q の 備忘録 です。
昨日のことより、云十年前の方が鮮明だったりします。

世界津波の日(11月5日)

2022-11-05 04:00:00 | 現在過去日記
テイタムの誕生日

2011年3月11日の東日本大震災を受けて同年6月に制定された「津波対策の推進に関する法律」にて「津波防災の日」として制定。
2015年12月国連総会決議により「世界津波の日」となった。
当初は東日本大震災が発生した3月11日を記念日とする案であったが、震災が起きて間もないことから、被害を受けた方々の心情を考慮して違う日附にされた。
1854年11月5日、安政南海地震が発生し、南海道・東海道を大津波が襲った。このとき、紀伊国広村で濱口梧陵が、稲藁に火をつけて津波の襲来を知らせ村人を避難させたという実話を元に、小泉八雲が『稲むらの火』という物語を執筆し、後に小学校の教科書にも掲載された。
素人の f-o-q は、この物語については無知であった。たまたま参加した講演会で知った。
日本各地にはそういった災害伝承が数多く残されているが、絶やすことなく伝えていくことが重要だと思う。凄惨な記憶も何時しか希釈され、根拠のない安心に包まれてしまうかもしれない。
この時の講演は、阪本真由美(現、兵庫県立大学大学院 減災復興政策研究科 教授)先生でしたが、先生の京都大学大学院での博士論文の研究テーマは、2004年のインド洋大津波で壊滅的被害を受けたインドネシア・スマトラ島のアチェ州、2006年に起きた同国のジャワ島中部地震の被災者の生活再建であり、住民の8割が津波で亡くなったアチェ州のウレレ地区では、国連機関が建てた簡素な復興住宅が並んで殺風景だったが、徐々に樹木が増えて植生が整い、コミュニティが再生されていく様子が見て取れたとのこと。

東北への支援活動を精力的に行っていた先生も、復興始めの頃の東北沿岸部の造成地も、いつしか時間が経てば少しずつ表情を取り戻していくのかも知れないと思ったということで、悲惨な経験を乗り越えた明るい笑顔が明日への希望をつないでいくものだと、やっぱり思う。

インドネシア・アチェ州の大津波被災地の調査に訪れた阪本先生と子どもたち=2007年8月
ちなみに講演会の後の懇親会では、相当飲まれてましたが、「明日からインドネシアでーす」と元気はつらつモードでした。底なしパワーを感じましたがいるんですね。こういった方も。

11月5日の出来事「 稲むらの火 」
1854年:安政東海地震の32時間後に安政南海地震が発生。大津波で8万戸が流出。死者3千人以上。

11月5日生まれ「 コンテ千本切り、さすらいのコンテマン 」
1941年:富野由悠季(アニメ監督)
1979年:自身の代表作といえる『機動戦士ガンダム』の総監督・原作・脚本・演出・絵コンテ・作詞を務める。それまでの巨大ロボットものとは一線を画し、「リアルロボットもの」と呼ばれるジャンルを確立したエポックメイキングな作品。ロボットものでありながら、人間ドラマを主軸とした物語は初回放送時に一部に熱狂的な支持者を獲得した。
ファーストの時、 f-o-q は、ほぼTV見れない生活であったため、Zがリアル見はじめであった。そこから後追いして、ハサウェイあたりまで小説にも嵌まっていた。
馬鹿にしちゃいけませんぜ。よく考えて創作されてるんですよ。
富野は、将来アニメ業界に就きたいと思っている若者たちに対して、「文芸、演劇、物語を見ないで映画、アニメが作れると思うな」「アニメ以外のことにも奮闘しろ」「修身・道徳、格言を学べ」「映画産業全般に就きたいのなら学生時代から広くものを見なさい」「45歳までは君たちも挽回できる。人間の基本は9歳までの、当時は解決方法が見えなかった欲求で、それからは逃れられない。それが何だったか思いだせ」とアドバイスをしている。

11月5日の誕生花「 松葉牡丹:心の扉、可愛らしさ、無邪気、可憐 」
和名:松葉牡丹(マツバボタン)
別名:爪切草(ツメキリソウ)、日照草(ヒデリソウ)、不亡草(ホロビンソウ)
英名: Rose moss, Moss-rose purslane
松葉牡丹は、線状の葉が松葉に、花がボタンに似ていることにちなむ。
爪切草は、繁殖力が強く茎を爪で切って挿せば簡単に増やせることに由来。
日照草は、夏の日差しや乾燥に強いため。
花言葉の「無邪気」「可憐」は、
色鮮やかでボタンを小さくしたようなかわいらしい花姿にちなむ。
また、短気な青年がささいなことでケンカをして、ピストルを抜こうとしたとき、
ふと足下に「無邪気」に咲くマツバボタンを見て、我に返ったという話もある。
何やら物騒でんな。

では f-o-q