Bo-Bo-Rock

このページは、時間が前後しますが f-o-q の 備忘録 です。
昨日のことより、云十年前の方が鮮明だったりします。

ジオパークで思い出した山歩き

2014-06-23 02:30:00 | とほほ体験

f-o-q の地方紙サンデー版の今週の特集は、ジオパークでした。​

ジオパークっつーと「ちょっとだけよ」って感じで見えてしまった

地球の​あられもないお姿ってのは言い過ぎでしょうか

f-o-q の住む町付近をぶったぎってるのは中央構造線​ですんで

身近なところ​といえば南アルプス(中央構造線エリア)ジオパークでしょう。

で南アルプスといえば西が中央構造線、東をフォッサ・マグナに挟まれ

世界でもヒマラヤに匹敵する驚異的​​なスピード(っていっても年数ミリ?)で

隆起しているらしいですが、となると1万年もすると​北岳(現在3193m)は

富士山抜くか?・・・。まっそれよりも先に

富士山が次の噴火で高くなるのか、はてさて吹っ飛んで低くなるのかは

何とも言えませんが(神のみぞ知るってとこでしょうか?)。さて

南アルプス含む山域はフォッサ・マグナ西縁の断層帯で新生代中新世以降の

グリーンタフ造山運動等の結果生まれたといわれております。ハイ

そういった経緯からか東・西面に岩場が露出する特徴を持っているようです。

​で思い出したのが北岳です。

富士山に次ぐ、そして火山でない山としては日本一となる標高の山です。

北岳①.JPG

​前述のとおり、山の東側はバットレスと呼ばれる岩壁となっています。

北岳B.JPG

山歩きが好きで、一番最初に歩いたのが白根三山(北岳・間ノ岳・農鳥岳)

だったこともあり、気にしてるんです。

昨今も崩壊を続け、気が付くとルートも変わってるようですね。

下はアラサー年ほど前の f-o-q パーティーです。

余裕こいてカメラマンやってます。

(このあと写真中央部ハング横の垂直凹角で泣く f-o-q ですが)

ピラミッドフェース.bmp

この日は朝6時に広河原を出発、時折雨がバラつく中7時半頃大樺沢二俣に、

バットレスを見上げるとこんなですね。

北岳B4P.JPG

C下沢をつめ、トラバースしてピラミッドフェース取付きに到着。9時に開始。

先生がトップで f-o-q がセカンド、以後つるべで​入替りながら進みました。​

3ピッチ目のスラブで雨がパラパラと、さらに別方向からは落石が唸りを​あげて

頭上通過。ハラハラ。心臓によくねぇ。

途中7ピッチ目と10ピッチ目のⅤ級の垂直クラックと凹角をなんとか越えて終了。

4尾根の1ピッチ目登ったあたりに合流し、以後主稜を進む。

北岳B城塞.JPG

で、上写真の最下列、左2番目が城塞ハングのチムニーといいます。

(いいました。というべきでしょうか)

ここで崩壊の話ですが​、2010年10月10日未明、突如バットレス上部にて

大崩落が発生し、チムニー右側が完全に無くなり奈落の底に。


そういえばこの前日は大雨でF1鈴鹿予選が延期になってしまった

その日でした。ちょうどF1観戦のため小僧君と鈴鹿のホテルにいました。

フェラーリクルーの宿泊ホテルに偶然宿泊し舞い上がっていた f-o-q たちです。

さらに焼肉屋へ行くと、マクラーレンやフェラーリクルーたちがわんさかいました。

テーブル両側に彼らがいて挟まった状態で小僧君と二人で食べることに。

日本人が近くにおらず小僧君緊張ぎみで笑えました。

ザウバー​可夢偉選手​も5度のヘアピンオーバーテイクで非常に盛り上がった

2010年グランプリでした。


で、話は昔に戻りますが、今はもうないチムニーでザックをハーネスに吊るし

バックアンドフットでずり上がり最後はブリッジ体勢で抜けて終了。

ガスのたちこめる中、とにかく寒くてガクガクブルブルでした。

山頂には14時半ごろ到着。

休憩後とっとと下山し、17時半ごろ広河原到着。

​そのまま先生のジェミニZZに同乗して帰宅。

夜行日帰りでえらくハードな山歩きだったと記憶してます

その頃はばかみたいに体力だけはあった f-o-q でした。


今はもうそのかけらも残ってない疲れたオヤジなんですが。

f-o-q​​​



深夜のBBR(22)『Moon In June』

2014-06-13 02:30:00 | 深夜のBBR

​​超久しぶりの深夜のBBRです。 

「わが人生に杭あり。深く刻まれた数々の鉄槌を気ままに語る」
これぞ惚ける前の(趣味の備忘録)Bo-Bo-Rockだ。
というなんちゃってシリーズも第22回。

今日はいい月夜でしたね。ですが実は満月が怖い f-o-q です。

満月.JPG

ワタクシめを怖がらせたかったら・・・満月の阿闍梨餅。これ鉄板です。

​これでもかってくらい送りつけていただいて怖がらせてほしいものです。​

さて満月。冗談抜きで巡ってくるたびドキドキです。

引力強くて何起こるかわかったもんじゃないですから。

​望もこわいけど朔もな。っていうかたももちろんおいででしょう。

追い打ちで台風とかゲリラ豪雨とか来た日には、沿岸部の街は

ヒヤヒヤものです。もちのろん地震もです。​

さてさて前置きが長過ぎでもうこれで終わっていいじゃん。

さよなら、さよなら。って気分に自分でなってますが

気を取り直して

softmachine.JPG

第22回目は英国の
[ Soft Machine ]さんの 『 Moon In June​ 』 ですよ。

                     ↑ とりあえず右click新しいタブ でいかがでしょう

​​​​若かりりし頃の robert wyatt​​ ​さんの生活の一端、その​​​​艶めかしさが

窺えたりしてしてドキドキしてたガキンチョのころの f-o-q です。

なのに30年後の robert wyatt​​ さんったら 『 ​​The Duchess​ 』 では

「どうしてそうなるの?」って言いたくもなる変わりようです。

完全に尻にしかれておりますよ。

まぁ我が家もそんなものかと、人生の悲哀を感ぜずにはいられません。


話はガラッ変わりますが、世界の何歩か先を歩む日本の

趣味的突出技術「女性型アンドロイド」。すばらしい!​

好きでなきゃできませんよ。

因みに「Soft Machine​」って「女性型アンドロイド」のことだと

嘘のような本当のような。命名のお話です。

で、volume two​​ のジャケット! ​

softmachinev2.JPG​​​

​​日本じゃありえねぇ、きもさ。 ​でも待てよ、どっかで見たような?

むむむ、ジュリアナのお立ち台だ!ジュリ扇振り回して踊っとる。

1969年から20年後の日本を予言しちゃってますよ!

的中ですよ、こりゃ。・・・勝手なこじつけですが。

なんか踊り狂うアンドロイドがムラムラと​欲しくなってきましたよ。

どなたかよろしくです。きっと誰かがやるに違いない。日本だから。


横道それすぎで訳わかんなくなってきてます。さて、

​『 Moon In June 』って日本じゃ梅雨真っ只中のはずですが

見れるときは見れるもんですね。

数十年に一度のハニームーン、くわえて13日の金曜日​ってどうよ​​、くわばらくわばら

f-o-q



ブタ目チェイサーでイザ!国立競技場

2014-06-02 02:30:00 | とほほ体験

SAYONARA 国立競技場 に因みまして、昔のことです。

アラフォー年程前、運よく国立に行くことができた f-o-q でした。
今の体型はブタさんなみですが、そのころはカモシカさんのようでした。
自分で言うのもなんなんですが

4m超の棒を使う競技だったので、電車で運ぶのは無理ってことで
顧問の先生の新車のルーフに積んでってもらうことになりました。

KE40スプリンターからX30いわゆるブタ目のチェイサーに
買い替えされて間もなくのことでした。
ブタ目チェイサー2.JPG
アメ車と見紛うようなデザインでしたね。
その頃ヨタ8好きだった f-o-q の趣味にはほど遠いものでしたが。

トラック組は全中通信陸上のリレーで日本新だしてましたが
この時のジュニアオリンピックには競技がなく、
残念ながら参加はフィールド組の3人のみでした。(でも多いか?)
先生運転で、計4人がS県から出発したのです。
長旅でしたがとても快適だったと記憶してるですよ。

ただお間抜けな f-o-q はヘルニアと肉離れで松葉づえ状態という
取敢えず参加するだけ。的なある意味力の抜けた、さらに​
生まれて初めての東京で物見遊山的な、
かつ期待もされてない状況でした。

さて棒高跳びピットはバックスタンド側、​風を考慮して南向きでした。
国立競技場.JPG
参加標準記録3m80ギリギリでの参加に加え、予選通過ラインは
参加標準記録より10cm上で、はっきり言ってお手上げ
未知の領域でした。

肉離れによる激痛に耐えかね、アイシングで局部麻酔を施して
ようやく走れるようなトホホでしたが、アイシングが
効き過ぎて接地感まるでなしの恐ろしい状態でした。

なんとか自己ベストタイをだしたものの、これでジ・エンドかと
あきらめました。が、予選当日は悪天候で、皆さんバーを
落としまくりこれでは決勝ができんというわけで通過ラインが
下がったため、徳俵にかかった状態で決勝に進みました。

迎えた決勝では、あろうことか自己新を記録。
思わず我を忘れて恥ずかしげもなくガッツポーズしてました。
スタンドで電光掲示板結果表示を待つこと数十分。
ギリ入賞となった、悪運強し。

その後の2か月は松葉づえ生活でした。
それが理由というわけではないですが、競技のない学校に進んだ
f-o-q でした。実質半年強の競技生活でここまで来れたのは
顧問の先生あればこそと今でも思っています。
因みに一緒に競技を始めた後輩は翌年全中優勝でした。すげ~よ。

今回はボケる前の備忘録ということで長々とスミマセン。
f-o-q​