Bo-Bo-Rock

このページは、時間が前後しますが f-o-q の 備忘録 です。
昨日のことより、云十年前の方が鮮明だったりします。

換気の日(11月9日)

2022-11-09 02:40:00 | 現在過去日記
いよいよハンドメイドPA90が出発のようです。生まれ変わって戻ってくるのでしょうか。楽しみです。

いい(11)くう(9)き=いい空気の語呂合わせで、良い空気にするには、換気が大切ということから、1987年に一般社団法人日本電機工業会の換気扇専門委員会の申請によって認定登録された記念日。
最近の住宅はアルミサッシの普及等で気密性が高く十分な換気が行われないので、室内の換気を見直してもらうことが目的である。

新型コロナウイルス感染拡大を受け、屋内の「換気」の重要性が広く知られるようになった。
特に冬は、コロナ対策に加え、風邪やインフルエンザ、アレルギー対策としても、「換気」がより重要となる季節。
冷たい空気を吸気、暖まった部屋の空気を排気するだけではエネルギーロスが多いからね。

11月9日の出来事「 この初演が成功したら、私は死んでもいい 」
1967年:武満徹作曲『ノヴェンバー・ステップス』がニューヨークで初演。
1967年11月9日、作曲家の武満徹(当時37歳)による琵琶、尺八とオーケストラのための作品「ノヴェンバー・ステップス」が、米ニューヨークで初演された。これはニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の創立125周年の記念作品として、武満に委嘱されたもの。

初演は、小澤征爾が指揮するニューヨーク・フィルと、鶴田錦史の琵琶、横山勝也の尺八により、同楽団の本拠地であるフィルハーモニック・ホール(現デイヴィッド・ゲフィン・ホール)で催された。
リハーサルの段階では、武満たちに対しオーケストラの楽員から反発もあった。しかし小澤征爾は、琵琶と尺八だけが演奏するパートを楽員たちに集中して聴かせることで、反発を解消する。結果、初演は大成功に終わり、カーテンコールが何度も続いた。その夜、武満はウエストサイドを一人で歩きながら、琵琶と尺八を採り入れたことは間違いではなかったと確信したという。「ノヴェンバー・ステップス」はその後、各国で演奏され、武満の名は世界に知られるようになる。

11月9日生まれ「 古今を通じて最大の細菌学者の1人 」
1876年:野口英世(細菌学者)
清作(せいさく)と名付けられる(後に借金問題の影響もあり英世と改名)

1928年5月13日、黄熱病と診断され、アクラのリッジ病院に入院する。
見舞いに来たヤング博士に「君は大丈夫か?」と尋ねた後に、野口は(終生免疫が続くはずの黄熱病に再度罹患したのを不可思議に思いながら)「どうも私には分からない」と発言。この言葉が最後の言葉とされている。
5月16日、一旦回復し、空腹を訴える程食欲も戻る。
5月18日、病状が再度悪化。
5月21日、昼頃、病室で死去。
野口の死後、その血液をヤング博士がサルに接種したところ黄熱病を発症し、野口の死因が黄熱病であることが確認された(ヤング博士自身も29日に黄熱病で死亡)。
6月15日 - アメリカのニューヨークのウッドローン墓地に埋葬。
ロックフェラー研究所は、野口を「古今を通じて最大の細菌学者の1人」と称賛して、哀悼の意を表した。
野口英世が没したガーナでは、英世は尊敬の対象となっており切手にもなっている。

この野口英世との縁で、1979年に日本の援助のもとガーナ大学医学部附属「野口記念医学研究所が設立され、現在でもガーナの医療研究の中心的機関として活躍している。


11月9日の誕生花「 ミルラの花:真実 」
英名:Myrrh
別名: モツヤク(没薬)
人から頼まれると断わりきれない。
好きな人を友達に紹介しては、とられてしまうお人好し。
喜びは向うからやってきません。もっとたくましく!
幸福は、ちょっとくらいずるく立ち回っても、つかみとるようにしましょう。
そのくらいの気持ちをもっても、あなたにはちょうどいい。
ということを書かれるくらいこの花には何かがあるのでしょうか?

では f-o-q