揖斐城
2014/3/15
岐阜県揖斐川町のお城めぐり
斎藤道三に攻め滅ぼされた名族土岐氏の一族揖斐氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 揖斐城
よみ: イビ
別称:
所在地: 岐阜県揖斐川町大光寺・三輪・極楽寺・上南方
現状: 山
築城年代: 康永二年(1343)
築城者: 揖斐出羽守頼雄
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・出丸(太鼓曲輪)・北の丸・南の丸・搦手曲輪・曲輪・桝形虎口・竪堀・堀切・切通し・井戸
規模: 標高220m、比高180m
文化財: 町指定史跡
訪城日: 2011/5/15・2014/3/15
≪ 訪城記 ≫
竹中陣屋から揖斐城へ向かう。
岩手公民館駐車場を出て県道257号を南下、長畑交差点信号を左折、県道53号を東進、府中小学校南交差点信号を左折、県道53号を北上、JR東海道本線踏切を越え、梅谷片山トンネルを通り、池田温泉前を通り、東へ道が曲り東進、下八幡広海橋交差点信号を左折、国道417号を北上、粕川に架かる脛永橋を渡り、揖斐川に架かる岡島橋を渡り、上新町交差点信号を左折、国道303号を西進、次の昭和町信号を左折、約100m南下した道の西側に揖斐川町役場があり、役場の駐車場に車を駐車させてもらう。
役場駐車場から徒歩で昭和町信号を右折、東進して上新町信号を左折、約90m北進した突き当りT字路を右折、すぐ次のT字路を左折すると三輪神社の参道で、道の角の地図付の案内板がある。約100m北上して東側に揖斐小学校、西側に三輪神社があり、神社の北側池前の道を西へ入ると階段の城台山公園登り口がある。ここまで約20分。階段を登っていくと城台観世音菩薩前を通り、約10分で播隆院一心寺へ着く。一心寺の左側からが登城口で遊歩道を登ること約15分で井戸へ行く分かれ道に着く。左側に白山神社があり、裏側に出曲輪、まっすぐ登ると段々の曲輪があり、南の丸に出る。南の丸の左側から登ると本丸に出る。本丸には揖斐城趾碑があり、北側入口に桝形虎口が残っている。桝形虎口の北側に竪堀を挟んで平面図付の説明板、曲輪、二の丸、東へ折れ曲がり曲輪、三の丸、一段高い出丸(太鼓曲輪)、出丸左側に切通し、堀切を挟んで北の丸、堀切、搦手曲輪、堀切、説明板がある。ここから三の丸まで戻り、井戸へ降りる。位置的には二の丸の下ぐらいに今も岩肌から水が染み出ている井戸跡がある。
≪ 歴 史 ≫
康永二年 (1343) 美濃・尾張・伊勢三国守護土岐頼康の弟揖斐出羽守頼雄が揖斐城を築き、揖斐氏を称する。
康暦二年 (1380) 揖斐頼雄が揖斐城で没する。その後、詮頼、友雄、基春、基信と続くが、基信に子がなく宗家土岐政房の子光親を養子とする。
天文十六年 (1547) 斎藤道三に攻められ落城、揖斐氏が滅び、道三の被官堀池氏が城主となる。
天正十一年 (1583) 稲葉一鉄の急襲を受けて落城、廃城となる。
≪ 写 真 ≫
揖斐城
揖斐城趾碑
本丸
本丸北側桝形虎口
本丸と二の丸の間の竪堀跡
二の丸
大手門跡付近
三の丸
出丸(太鼓曲輪)
出丸左側の切通し
出丸の切岸
北の丸
北の丸と搦手曲輪の間の堀切
搦手曲輪
搦手曲輪北側の堀切
井戸
南の丸
本丸登り口
白山神社
井戸への分かれ道
播隆院一心寺左側の登城口
播隆院一心寺
城台観世音菩薩
三輪神社北側奥の城台山公園登り口
三輪神社
現地揖斐城址平面図(リンク付サムネイル)
現地案内地図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
養老鉄道揖斐駅から揖斐川町コミュニティバスで揖斐川町バス停下車、徒歩約5分で三輪神社北側の登城口に着く。ここから約30分で本丸。
<車>
東海環状道大垣西ICで降りて国道21号中山道を東進、道が大きく北へ曲がり、すぐに東へ大きく曲り東進、河間交差点信号を左折、国道417号を北上、粕川に架かる脛永橋を渡り、揖斐川に架かる岡島橋を渡り、上新町交差点信号を左折、国道303号を西進、次の昭和町信号を左折、約100m南下した道の西側に揖斐川町役場があり、役場の駐車場を利用すると良い。ここから徒歩で昭和町信号を右折、東進して上新町信号を左折、約90m北進した突き当りT字路を右折、すぐ次のT字路を左折すると三輪神社の参道で、道の角の地図付の案内板がある。約100m北上して東側に揖斐小学校、西側に三輪神社があり、神社の北側池前の道を西へ入ると階段の城台山公園登り口がある。ここまで約20分。ここから約30分で本丸。
≪ 位置図 ≫
揖斐城
三輪神社北側登城口
紹介したお城の数 193城
2014/3/15
岐阜県揖斐川町のお城めぐり
斎藤道三に攻め滅ぼされた名族土岐氏の一族揖斐氏の居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 揖斐城
よみ: イビ
別称:
所在地: 岐阜県揖斐川町大光寺・三輪・極楽寺・上南方
現状: 山
築城年代: 康永二年(1343)
築城者: 揖斐出羽守頼雄
形式: 山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・出丸(太鼓曲輪)・北の丸・南の丸・搦手曲輪・曲輪・桝形虎口・竪堀・堀切・切通し・井戸
規模: 標高220m、比高180m
文化財: 町指定史跡
訪城日: 2011/5/15・2014/3/15
≪ 訪城記 ≫
竹中陣屋から揖斐城へ向かう。
岩手公民館駐車場を出て県道257号を南下、長畑交差点信号を左折、県道53号を東進、府中小学校南交差点信号を左折、県道53号を北上、JR東海道本線踏切を越え、梅谷片山トンネルを通り、池田温泉前を通り、東へ道が曲り東進、下八幡広海橋交差点信号を左折、国道417号を北上、粕川に架かる脛永橋を渡り、揖斐川に架かる岡島橋を渡り、上新町交差点信号を左折、国道303号を西進、次の昭和町信号を左折、約100m南下した道の西側に揖斐川町役場があり、役場の駐車場に車を駐車させてもらう。
役場駐車場から徒歩で昭和町信号を右折、東進して上新町信号を左折、約90m北進した突き当りT字路を右折、すぐ次のT字路を左折すると三輪神社の参道で、道の角の地図付の案内板がある。約100m北上して東側に揖斐小学校、西側に三輪神社があり、神社の北側池前の道を西へ入ると階段の城台山公園登り口がある。ここまで約20分。階段を登っていくと城台観世音菩薩前を通り、約10分で播隆院一心寺へ着く。一心寺の左側からが登城口で遊歩道を登ること約15分で井戸へ行く分かれ道に着く。左側に白山神社があり、裏側に出曲輪、まっすぐ登ると段々の曲輪があり、南の丸に出る。南の丸の左側から登ると本丸に出る。本丸には揖斐城趾碑があり、北側入口に桝形虎口が残っている。桝形虎口の北側に竪堀を挟んで平面図付の説明板、曲輪、二の丸、東へ折れ曲がり曲輪、三の丸、一段高い出丸(太鼓曲輪)、出丸左側に切通し、堀切を挟んで北の丸、堀切、搦手曲輪、堀切、説明板がある。ここから三の丸まで戻り、井戸へ降りる。位置的には二の丸の下ぐらいに今も岩肌から水が染み出ている井戸跡がある。
≪ 歴 史 ≫
康永二年 (1343) 美濃・尾張・伊勢三国守護土岐頼康の弟揖斐出羽守頼雄が揖斐城を築き、揖斐氏を称する。
康暦二年 (1380) 揖斐頼雄が揖斐城で没する。その後、詮頼、友雄、基春、基信と続くが、基信に子がなく宗家土岐政房の子光親を養子とする。
天文十六年 (1547) 斎藤道三に攻められ落城、揖斐氏が滅び、道三の被官堀池氏が城主となる。
天正十一年 (1583) 稲葉一鉄の急襲を受けて落城、廃城となる。
≪ 写 真 ≫
揖斐城
揖斐城趾碑
本丸
本丸北側桝形虎口
本丸と二の丸の間の竪堀跡
二の丸
大手門跡付近
三の丸
出丸(太鼓曲輪)
出丸左側の切通し
出丸の切岸
北の丸
北の丸と搦手曲輪の間の堀切
搦手曲輪
搦手曲輪北側の堀切
井戸
南の丸
本丸登り口
白山神社
井戸への分かれ道
播隆院一心寺左側の登城口
播隆院一心寺
城台観世音菩薩
三輪神社北側奥の城台山公園登り口
三輪神社
現地揖斐城址平面図(リンク付サムネイル)
現地案内地図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
養老鉄道揖斐駅から揖斐川町コミュニティバスで揖斐川町バス停下車、徒歩約5分で三輪神社北側の登城口に着く。ここから約30分で本丸。
<車>
東海環状道大垣西ICで降りて国道21号中山道を東進、道が大きく北へ曲がり、すぐに東へ大きく曲り東進、河間交差点信号を左折、国道417号を北上、粕川に架かる脛永橋を渡り、揖斐川に架かる岡島橋を渡り、上新町交差点信号を左折、国道303号を西進、次の昭和町信号を左折、約100m南下した道の西側に揖斐川町役場があり、役場の駐車場を利用すると良い。ここから徒歩で昭和町信号を右折、東進して上新町信号を左折、約90m北進した突き当りT字路を右折、すぐ次のT字路を左折すると三輪神社の参道で、道の角の地図付の案内板がある。約100m北上して東側に揖斐小学校、西側に三輪神社があり、神社の北側池前の道を西へ入ると階段の城台山公園登り口がある。ここまで約20分。ここから約30分で本丸。
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