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菩提山城

2014-03-22 13:18:03 | 岐阜県
 菩提山城

2014/3/15

岐阜県垂井町のお城めぐり

 軍師竹中半兵衛重治の父重元が築いた竹中氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 菩提山城
よみ: ボダイヤマ
別称: 菩提城・岩手城・菩提寺城
所在地: 岐阜県不破郡垂井町岩手
現状: 山
築城年代: 永禄二年(1559)
築城者: 竹中重元
形式: 山城
遺構: 本曲輪・二の曲輪・三の曲輪・西の曲輪・台所曲輪・大手曲輪・出曲輪・腰曲輪・竪堀・堀切・土塁
規模: 216m×36m、標高402m、比高約300m
文化財:
訪城日: 2011/5/15・2014/3/15


≪ 訪城記 ≫

竹中陣屋から菩提山城へ徒歩で向かう。

岩手公民館南側の菁莪記念館角を曲がり、岩手小学校前を通って西へ約700mでJR東海道本線の踏切を渡り、すぐに山裾の三叉路に突き当り、右へ約200m登っていくと白山神社の碑と菩提山城跡ハイキングコース案内板のある右側の階段を登っていくと約10分で白山神社に着く。白山神社社殿の左側が登城口です。ハイキングコースを登ること約15分で鉄塔のある分かれ道に着き、左側の菩提山城跡方向に約10分登ると堀切が見られ、堀切を越えてすぐに大手曲輪に出る。さらにアップダウンの道を登ると分かれ道に出る。左側が三の曲輪で奥に深い堀切があり、その西に出曲輪、帯曲輪、堀切がある。分かれ道に戻り、右側へ行くと虎口があり、進むと台所曲輪、奥に西の曲輪、竪堀、土塁が見られ、特に西の曲輪は起伏のある複雑な形をしている。虎口へ戻り、一段上へ進むと空堀で分断された広い削平地があり、南側に二の曲輪と空堀で区切られた馬出、北側に本曲輪があり、縄張図付の説明板が建てられている。本曲輪東側下に腰曲輪、竪堀があり、本曲輪から眺める景色は絶景です。
帰りは鉄塔の分かれ道で禅幢寺の方向で下山、麓の八幡神社へ出る。八幡神社の南に禅幢寺があり、竹中半兵衛重治公の墓がある。


≪ 歴 史 ≫

永禄元年 (1558) 竹中重元が岩手氏を滅ぼし、翌永禄二年(1559)、菩提山城を築くが、翌年病没し、竹中重治が十六歳で跡を継ぐ。
永禄七年 (1565) 竹中半兵衛重治が斎藤竜興の稲葉山城を奪取するが、返却している。その後、織田信長、羽柴秀吉に仕え軍師として活躍する。
天正七年六月 (1579) 播磨三木城攻めの陣中で病没、重治の死後は従弟竹中源助重利が城を守り、重治の子重門は幼少のため秀吉のもとで養育された。
天正十六年 (1588) 岩手に帰り、菩提山城主となるが、山城の不便さから山麓に竹中陣屋を構え、菩提山城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


菩提山城


菩提山城本曲輪


本曲輪と二の曲輪の間の空堀


二の曲輪


馬出と空堀


本曲輪東側下の腰曲輪


西の曲輪


西の曲輪西側斜面の竪堀


西の曲輪北側の竪堀


台所曲輪


台所曲輪へ入る虎口


三の曲輪


三の曲輪と出曲輪の間の堀切


堀切の奥の腰曲輪


出曲輪


出曲輪奥の竪堀


出曲輪奥の堀切と土塁


出曲輪奥の2本目の堀切


大手曲輪


大手曲輪手前の堀切


堀切


鉄塔附近の分かれ道


登城口の白山神社


白山神社の碑のある登り口


踏切を渡った三叉路


八幡神社入口


禅幢寺


竹中半兵衛重治公の墓


現地菩提山城縄張図(リンク付サムネイル)


現地菩提山城跡ハイキングコース案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線垂井駅からバスで岩手公民館前下車、徒歩約25分で白山神社の登城口、ここから本曲輪まで約1時間。
<車>
名神高速関ヶ原ICを降りて国道365号を北上、関ヶ原西町交差点信号を右折、国道21号中山道を東進、関ヶ原駅前を通り過ぎ一ッ軒交差点信号を左折、JR東海道本線高架下をくぐり大高交差点信号を右折、国道21号関ヶ原バイパスを東進、野上北三叉路信号を左折、県道53号を北進、道が右に曲がった先の農産物直売所「半兵衛の里」のある長畑交差点信号を左折、県道257号を北上、岩手小学校角を通り過ぎた岩手公民館北側の櫓門前の道を挟んだ東側の観光駐車場に駐車すると良い。竹中陣屋から徒歩約25分で白山神社の登城口、ここから本曲輪まで約1時間。


≪ 位置図 ≫

菩提山城


白山神社の碑のある登城口


竹中半兵衛重治の墓のある禅幢寺


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