盛岡城
2014/9/19
岩手県盛岡市のお城めぐり
四十一年かけて完成した総石垣造の南部氏の居城
日本100名城
≪ お城の概要 ≫
城名: 盛岡城
よみ: モリオカ
別称: 不来方城
所在地: 岩手県盛岡市内丸
現状: 盛岡城跡公園
築城年代: 着手・文禄二年(1593)、完成・寛永十年(1633)
築城者: 南部信直・利直・重直
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・淡路丸・榊山稲荷曲輪・腰曲輪・下曲輪・御三階櫓跡・石垣・水堀・彦御蔵・桝形虎口・井戸跡
規模: 本丸70m×55m、二の丸90m×60m、三の丸100m×40m、標高143m、比高15m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/12/15・2014/9/19
≪ 訪城記 ≫
ホテルを出て盛岡城に向かう。
ホテルを出て北上川沿いの道を南下、盛岡駅前の交差点信号を左折、開運橋を渡り、開運橋東複合交差点信号を斜め右折、東進した突き当りが盛岡城跡で、岩手公園下三叉路信号を左折、盛岡城の高石垣を右手に見ながら次の交差点信号左側の岩手県産業会館有料駐車場に車を駐車する。
岩手県産業会館前の道を渡り、水堀跡の亀ヶ池沿いの道を入って行き、櫻山神社手前を南に進むと三の丸入口横に盛岡城趾碑があり、桝形虎口を入った東側が三の丸跡で烏帽子岩がある。
三の丸から南に進むと二の丸入口の桝形虎口があり、庭園が広がる。南詰の石垣空堀に架かる赤い渡雲橋を渡った広場が本丸で中央に南部中尉銅像のあった台座が残されている。本丸南東隅が御三階櫓跡です。
東側の桝形虎口を降りていくと本丸廻りの淡路丸、腰曲輪、榊山稲荷曲輪と時計回りに本丸の見事な高石垣を見ながら回り、渡雲橋下の空堀を歩き、今度は淡路丸、腰曲輪、榊山稲荷曲輪下の見事な高石垣を同じように見て感動しましたが、二の丸下と三の丸下の高石垣も素晴らしいのですが、かなり孕んできているようで少し気になりました。
その後、櫻山神社北側の商店街がある下曲輪廻りの水堀、もりおか歴史文化館の間にある庭園風になった水堀跡の鶴池が美しいです。
盛岡城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
天正十八年 (1590) 二十六代南部直信が小田原の陣への参陣により、豊臣秀吉から所領を安堵される。
天正十九年 (1591) 九戸政実の乱が終り、豊臣秀吉から派遣された軍監浅野長政の勧めで岩手郡不来方に築城することとなる。
文禄二年 (1593) 築城工事に着手する。
慶長四年 (1599) 南部信直が福岡城で没し、嫡子利直が築城工事を引き継ぐ。
元和年間 (1615-24) 不来方城を盛岡城と改め、利直が福岡城より移る。
寛永十年 (1633) 四十一年かけて二十八代南部重直のときに完成する。以後、明治維新まで南部氏代々の居城となる。
延宝元年 (1673) 火災で焼失した三層の天守閣が再建される。
明治六年 (1873) 石垣、水堀を残し破却される。
≪ 写 真 ≫
盛岡城南西隅高石垣
榊山稲荷曲輪高石垣
二の丸高石垣
三の丸西面高石垣
二の丸高石垣側面
三の丸北面高石垣
腰曲輪南面高石垣
淡路丸南東隅高石垣
本丸西側高石垣
二の丸東側二段石垣
本丸と二の丸の間の空堀
本丸北東隅高石垣
本丸御三階櫓跡
南部中尉銅像台座
本丸
本丸南西隅櫓跡
二の丸
二の丸桝形虎口
三の丸
三の丸桝形虎口
盛岡城趾碑
水堀跡の亀ヶ池
彦御蔵
吹上坂付近
烏帽子岩
南部稲荷神社
櫻山神社
下曲輪水堀跡
水堀跡の鶴池
現地盛岡城跡公園案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東北本線・東北新幹線盛岡駅からバスで約10分。盛岡城跡公園バス停下車すぐ。
<車>
東北道盛岡ICで降りて国道46号秋田街道を東進、稲荷町三叉路信号を斜め左折、東北新幹線高架下をくぐり、館坂交差点信号を右折、北上川沿いの県道220号を南下、盛岡駅前の交差点信号を左折、開運橋を渡り、開運橋東複合交差点信号を斜め右折、東進した突き当りが盛岡城跡の盛岡城跡公園で付近に有料駐車場がある。
≪ 位置図 ≫
盛岡城(盛岡城跡公園)
紹介したお城の数 287城
2014/9/19
岩手県盛岡市のお城めぐり
四十一年かけて完成した総石垣造の南部氏の居城
日本100名城
≪ お城の概要 ≫
城名: 盛岡城
よみ: モリオカ
別称: 不来方城
所在地: 岩手県盛岡市内丸
現状: 盛岡城跡公園
築城年代: 着手・文禄二年(1593)、完成・寛永十年(1633)
築城者: 南部信直・利直・重直
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・淡路丸・榊山稲荷曲輪・腰曲輪・下曲輪・御三階櫓跡・石垣・水堀・彦御蔵・桝形虎口・井戸跡
規模: 本丸70m×55m、二の丸90m×60m、三の丸100m×40m、標高143m、比高15m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/12/15・2014/9/19
≪ 訪城記 ≫
ホテルを出て盛岡城に向かう。
ホテルを出て北上川沿いの道を南下、盛岡駅前の交差点信号を左折、開運橋を渡り、開運橋東複合交差点信号を斜め右折、東進した突き当りが盛岡城跡で、岩手公園下三叉路信号を左折、盛岡城の高石垣を右手に見ながら次の交差点信号左側の岩手県産業会館有料駐車場に車を駐車する。
岩手県産業会館前の道を渡り、水堀跡の亀ヶ池沿いの道を入って行き、櫻山神社手前を南に進むと三の丸入口横に盛岡城趾碑があり、桝形虎口を入った東側が三の丸跡で烏帽子岩がある。
三の丸から南に進むと二の丸入口の桝形虎口があり、庭園が広がる。南詰の石垣空堀に架かる赤い渡雲橋を渡った広場が本丸で中央に南部中尉銅像のあった台座が残されている。本丸南東隅が御三階櫓跡です。
東側の桝形虎口を降りていくと本丸廻りの淡路丸、腰曲輪、榊山稲荷曲輪と時計回りに本丸の見事な高石垣を見ながら回り、渡雲橋下の空堀を歩き、今度は淡路丸、腰曲輪、榊山稲荷曲輪下の見事な高石垣を同じように見て感動しましたが、二の丸下と三の丸下の高石垣も素晴らしいのですが、かなり孕んできているようで少し気になりました。
その後、櫻山神社北側の商店街がある下曲輪廻りの水堀、もりおか歴史文化館の間にある庭園風になった水堀跡の鶴池が美しいです。
盛岡城の詳細は ……… ここをクリック
≪ 歴 史 ≫
天正十八年 (1590) 二十六代南部直信が小田原の陣への参陣により、豊臣秀吉から所領を安堵される。
天正十九年 (1591) 九戸政実の乱が終り、豊臣秀吉から派遣された軍監浅野長政の勧めで岩手郡不来方に築城することとなる。
文禄二年 (1593) 築城工事に着手する。
慶長四年 (1599) 南部信直が福岡城で没し、嫡子利直が築城工事を引き継ぐ。
元和年間 (1615-24) 不来方城を盛岡城と改め、利直が福岡城より移る。
寛永十年 (1633) 四十一年かけて二十八代南部重直のときに完成する。以後、明治維新まで南部氏代々の居城となる。
延宝元年 (1673) 火災で焼失した三層の天守閣が再建される。
明治六年 (1873) 石垣、水堀を残し破却される。
≪ 写 真 ≫
盛岡城南西隅高石垣
榊山稲荷曲輪高石垣
二の丸高石垣
三の丸西面高石垣
二の丸高石垣側面
三の丸北面高石垣
腰曲輪南面高石垣
淡路丸南東隅高石垣
本丸西側高石垣
二の丸東側二段石垣
本丸と二の丸の間の空堀
本丸北東隅高石垣
本丸御三階櫓跡
南部中尉銅像台座
本丸
本丸南西隅櫓跡
二の丸
二の丸桝形虎口
三の丸
三の丸桝形虎口
盛岡城趾碑
水堀跡の亀ヶ池
彦御蔵
吹上坂付近
烏帽子岩
南部稲荷神社
櫻山神社
下曲輪水堀跡
水堀跡の鶴池
現地盛岡城跡公園案内図(リンク付サムネイル)
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR東北本線・東北新幹線盛岡駅からバスで約10分。盛岡城跡公園バス停下車すぐ。
<車>
東北道盛岡ICで降りて国道46号秋田街道を東進、稲荷町三叉路信号を斜め左折、東北新幹線高架下をくぐり、館坂交差点信号を右折、北上川沿いの県道220号を南下、盛岡駅前の交差点信号を左折、開運橋を渡り、開運橋東複合交差点信号を斜め右折、東進した突き当りが盛岡城跡の盛岡城跡公園で付近に有料駐車場がある。
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