善きサマリア人化計画 I wanna be Anpanman.

救命処置普及や災害救援活動、バス釣り、バイクツーリングや日々の徒然などの日記で~す。(@満州ぎょうざ)

2011年北海道ツーリング4日目(網走刑務所)

2011年09月02日 21時25分05秒 | 北海道・九州ツーリング
8月10日、北海道4日目です。

この日は朝から雨模様。こんな日はバイクで移動しても、疲労がたまるだけで、大して距離が走れない。
大した距離じゃないしBS北見に向かおうとも思ったけど、その日以降天気予報は毎日傘マーク。
そんな時は思い切ってバイクに乗らないで、観光を楽しむ日としました。

よってBS北見に3日間宿泊するはずだった予定をキャンセルし、あと2泊を網走に留まり天気の様子を覗うこととしました。

で、市内観光ってことでこの日向かったのは、網走監獄博物館。明治時代に作られた網走刑務所を移築して復元した、刑務所の博物館です。

自分も行刑機関に携わる者として、是非とも見学したい施設でした。今回の北海道ツーリングの主題の一つでもあります。

網走駅前よりタクシーで10分ほど。入場料を払って門をくぐると、無料の見学ガイドのツアーが始まっており、係員さんが飛び入りでもどうぞ~と言ってくれたので、後をついて行きました。


驚いたことに、これらの施設は昭和59年まで使用されていたそうで、今では重要な文化財として保存展示されております。


監獄というと鉄格子のイメージが強いですが、ここは全部木製の仕切り格子となっています。


また展示してある人形が妙にリアルで驚きます。


私も最新設備を誇る某行刑収容施設には、仕事柄?良く行きますが、現在の収容施設との違いに驚かされます。

ちなみに今の網走刑務所は最新式の施設ですので快適に?過ごせるそうですが~(^^ゞ

お昼ご飯は博物館の中の食堂で「監獄食」を食べました。

「もっそう」に盛られた麦飯、ホッケにふきのとうの煮物、とろろいもと味噌汁です。麦飯は美味しくないですね~。
現在の行刑施設で何度か麦飯を試食したことがありますが、ここまでひどくなかったような気が?ホッケは美味しかったけど(^ω^)。

同じ食堂の別テーブルでは、被収容者の皆さんがお食事中でした(^ω^)。


別棟の資料館には、現在の刑事施設の舎房が再現されておりました。


つい先日も、某施設へ行きましたが、なかなか良く再現されていますね。



網走刑務所というと、暗くて怖いイメージが付きまといますが、網走監獄が恐れられた本当の理由、それは刑務所開設当時の、明治初頭にまでさかのぼります。

当時、北海道入植を本格化させた明治政府は、ロシア帝国から侵略の脅威にさらされていました。

それまで網走と内陸部を結ぶ道路は整備されておらず、オホーツク側の防衛力を強化するために、早急に道路整備を行う必要が生じました。

そこで白羽に矢が立ったが、釧路の刑務所に収容されている囚人たちでした。


釧路の刑務所から、網走に作ったばかりの刑務所に移動させ、そこを拠点に道路建設に従事させようというもの。

まだ残雪の多く残る網走刑務所から、前人未到の荒野や山岳地帯に道路を造るために、大勢の囚人たちが駆り出されました。

どうせ極悪人なのだから、工事中に死んでも税金の無駄がなくてちょうどいいという考えのもと、建設機械など全くない時代に、手作業で重労働の道路工事に従事させられました。

道路の開墾が進むにつれて、日帰りの作業は出来なくなり、そのために刑務所から離れた場所に山小屋を作り、そこを拠点に道路を作りながら拠点を移動するという、いわゆる「タコ部屋」方式を採用して、強硬に工事を進めました。

(再現されたタコ部屋です。すぐに移築できるように、まさに掘っ建て小屋です。)


(その内部。枕代わりの丸太に頭を乗せて寝ます。この丸太を叩くことによって、全員が一斉に起きれるようにとの効率化からそうなったそうです。)

(「叩き起す」の語源にもなったそうです。)

その結果、建設作業に従事した5人に1人が死亡するという過酷な状況の中、着工からわずか8カ月で160キロの全工程の工事を終えることになりました。

これは昼夜を惜しんで作業をさせ、さらに夜間は松明の明かりを頼りに強制労働を課し、多くの犠牲者を顧みずに作業を強行させた結果であるのです。

しかも作業中に死んだ囚人は、埋葬に費やす時間も惜しまれて、その場に土をかぶせられるだけで、やがて忘れ去られていきました。

近年、この囚人道路と呼ばれる国道39号線沿いを発掘した結果、多くの盛土から鉄球の足かせが付いたままの人骨が多数出土したそうです。

現在、これらの盛土は鎖塚と呼ばれ、地元の人々により手厚く祀られております。


この工事に従事して命を落としたのは囚人だけではなく、多くの看守達も工事中に亡くなっていました。

これは囚人と大して変わらぬ劣悪な食事と、過酷な自然環境による殉職者が多かったようです。

しかしながら、この当時に網走刑務所に送られた囚人の多くは、政治犯や思想犯といった、今では極刑に値しないような犯罪を犯した者も含まれていたそうです。

実際に私も囚人道路と呼ばれている行動をバイクで走ってきました。
道から少し外れた場所は木が生い茂り、まさに前人未到のジャングルであります。このような場所に手作業で道路を作らせるなんて、まともな人間の考えることではないと感じました。

確かに罪を犯した人間であれば、罪を償わせるのは当然のことです。

しかしながらハブラビ法典じゃないんだから、微罪に対して死んで償えとはね…

今回の網走監獄見学は、色んな意味で勉強になりました。

多くの犠牲のうえで、現在こうしてバイクで北海道を走り回れるありがたさ。今回の北海道ツーリングでは、いろいろなことを考えるきっかけにもなりました。

「水を飲むときは、井戸を掘った人の苦労を忘れない」まさにそんな心境です。



あまりにも気分が重くなりすぎたので、その日も東横インのカレーを食べて、そそくさと寝てしまいました。

そーいえば、この日は一度も自分のバイクを見なかったな。(ノ∀`)アチャー



5日目に続く~
コメント (3)
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