エテポンゲの独り言

残したい瑣末な話し

もうすぐ2月14日

2006年02月11日 | 社会

 言わずと知れたバレンタインデイですね。私が初めてチョコを貰ったのは大学生の頃でした。元来あまりもてなかったのか時代がそうだったのかは不明ですが高校生の頃はまだ聞かなかったように思います。いずれにせよ日本中の男女の思惑が交錯するこの風習はいつから始まったんでしょうか?

ことの発端は、神戸のモロゾフでした。昭和11(1936)年、英字新聞
のジャパン・アドバタイザ-紙(昭和15年、ジャパンタイムスが吸収)に、
モロゾフが載せた広告「バレンタインデーには、ファンシーケース入りのチョ
コレートを贈りましょう」が、日本におけるバレンタインデーの嚆矢とされて
います。その辺のことや、バレンタインデーの言われについては、モロゾフが
自社のホームページで誇らしげに語っていますので、興味のある方はどうぞ!

●モロゾフ⇒http://www.morozoff.co.jp/valentine/2006/topics.html

 この広告は、日本在住の外国人向けでしたので、全く話題にもなりませんで
した。次に動いたのが、元モロゾフの社員が、東京で興したメリーチョコレー
ト。モロゾフの広告から22年が経った昭和33(1958)年、当時のアル
バイト学生(とは言っても、創業者の息子さん。今の社長)が、欧州の知人か
ら仕入れたバレンタインの話を元に、新宿伊勢丹とタイアップしてキャンペー
ンセールを仕掛けます。が、その時売れたチョコレートは、3日間でたったの
3個。惨憺たる結果でした。普通の人間なら、大方ここで諦めてしまいますが、
この学生は器が違った。これを機に、「バレンタインデーを、絶対に日本に定着
してみせる」が、彼の新たな生きる目標となり、果てしない営業活動が始まり
ました。
 
 彼の、執念ともいうべき営業活動は、次第に森永などの他メーカーをも追随
させ、さらに、業界団体であるチョコレート・ココア協会が、2月14日を「チ
ョコレートの日」と強引に設定するに至り、業界全体が挙って「バレンタイン
デー・キャンペーン」を始めるのでした。が、当時の大人は、そんな甘ったる
い、みえみえのセールス・キャンペーンには一瞥もくれず、黙々と働いて高度
成長を支えていたのです。
                            (まぼろし通信より)

 始まりは昭和33年、仕掛け人は菓子屋の倅だそうです。迷惑な執念を持った奴でした。まぼろし通信にはこの続きがあり、この風習が定着したのは団塊の世代が社会人になった頃らしい。やはり昭和40年代後半でしょうか。

 初めて貰ったのはチョコとウィスキーのミニチュアボトルがセットになったものでした。当時はウィスキーが高価でそちらの方がすごく有り難かった。彼女も私の好みをよく理解してくれて嬉しかった憶えがあります。付き合ってれば分かるか・・・

 就職してからは義理チョコもありすっかり定着した風習でした。一度はセクシーな下着を頂いたこともありました。ちょっとサイズがきつかったのを憶えています。もうその頃は送る方も貰う方も年間の行事に認定してましたね。

 それに付随するようにお返しのホワイトデイも盛んになってました。最初の頃は女性に下着をお返しするなんて聞きました。何を送れば良いのか分からないから照れ隠しも兼ねてたのかもしれません。このお返しにはよく悩んだものです。人様に何かを送るのは難しいもんです。

 最近は家内とたまに娘から貰うくらいです。家内は自分の好きなチョコを買ってきます。私が甘党じゃないのを知ってますから、どうせ自分に回って来る予定で選びます。まあ自分の欲しいものを人にあげるのがプレゼントの基本ですからそれも間違いじゃないんですが・・・