ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

1日目④ 天冠埴輪 のある 資料館

2017年07月19日 12時38分46秒 | 2017・7月福島 親子旅

ここの前を 通ったことがある。なん年前 ?

大怪我をしたのが 2010年、そして 大津波の あと、だ。

白水阿弥陀堂を見て 少し時間があったので、

ハワイアンセンターに 行こうとした。

ここへも 行きたい、と 思ったが、時間が たりなかった。

壁の 埴 輪 2体をみて 寄りたい、と 思ったのに、

ハワイアンセンターを とってしまった。

すぐに後悔した。。

足 の 先 みただけ になった。 さて

 ここ とは 「いわき市考古資料館」である。

展示室に この埴輪の レプリカが あった。

男子胡坐像(天冠埴輪)となっている。

どっちが 男子 ?

平の神谷作(かみやさく)101号群で 発掘された ?

国指定重要文化財 天 冠 埴輪(てんかん はにわ)

展示室は 写真 禁止だった 、と 思う。

ゾウさんに 「撮ってだめ だって」と 言った記憶がある。

cccccccc

 本物は  磐城高等学校・埴輪収蔵室 にあるそうな 

昭和23年度、磐高の史学研究会が 8体分の人物埴輪・馬埴輪の破片を発掘した。

この発掘は、自宅の庭に考古遺物が埋まっている可能性を知った磐高の卒業生が

自宅改築の際に庭先を掘ってみたことがきっかけとなった。

後に、破片をもとに復元された 天冠埴輪と 女子像は、

重要文化財に指定され、ここに 保管されている。……

と 磐城高等学校のサイトに 書いてあった。

 資料館は 20年前の 開館。

いわき市で発掘された 古墳時代や 

旧石器時代~江戸時代の 遺構や遺物の

常設展示を行っている。

 入口にある

さらに 企画展。

 資料 いただいてきた。

「湯長谷藩御陣屋配置図」も 見つけた。

先の「湯長谷城址」見学のときに これがあったら

もっと 勉強できたのに。

まあ、なんでも 遅い ということは ない、でしょう。

とは 思うが 気力がなくなっているから、どうでしょうか。  


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1日目③ これは 参勤交代ではない?

2017年07月14日 17時38分17秒 | 2017・7月福島 親子旅

宿へ向かう前の 予定地は

いわき市 湯長谷城址。 3時ころ着く。

城跡は 磐崎中学校になっている。

長女・次女が 私が 調べておいた 石碑の写真と メモを持って

「入ってもよいでしょうか」と聞きに 行ってくれた。

教頭先生 裏手の 記念碑がある ところへ 降りてきてくださった。

その前に、 ゾウさん 校庭に 入っていた。 もう~~~。

グランドへ 入る。

そこに 看板・ ことわけ が かいてある。

 左手方向 にある 文章を おこす。

湯長谷藩は 立藩以来 明治4年の 廃藩置県まで

199年間 転封がなく 一貫して ? 内藤氏が 統治したが

歴代藩主の半数以上が 養子で 

その治世の 短いことが 特徴として挙げられる。

     常磐地区 まちづくり 懇談会 

 と 書いてあった。

   玄関は 段上 右手。    → → → ⤴

↑  この校庭も 城の址。ずいぶんと広い 城跡 です。

この 城跡に 興味をもった のは 

昨年、映画 「超高速!参勤交代」リターンズ が

テレビで 宣伝されていた、から。

面白そうな 映画だと 思ったが、前編を 知らない。

DVD そして、本も 買った。それから映画館へ行った。

xxxxxxxxxx

貧乏小藩の 湯長谷が 幕府から 突然の参勤交代を命じられ、

その ドタバタな(と 言っては 悪いが)奮闘 ぶりが

面白かった。 本当にこんなこと あったのだろうか。

ーーー 調べたことは 最後に ----

道端の モミジ イチゴ  久しぶりに食べた 

xxxxxxx  湯長谷 藩

内藤忠興(江戸時代前期の 大名。 陸奥磐城平藩の第2代)

が 隠居した際、次男・遠山政亮を 分家して1万石を与えた。

…… 略 ……

廃藩置県により 湯長谷に 湯長谷県庁が置かれ、

翌年には競売され 幕を閉じた。……

1976年 (昭和5111) 

湯長谷藩館址建碑協賛会 によって石碑が 建立された、とあるが

先に だした 写真の 石碑が それだろうか。 

違う ような。

xxxxxx さて、 「突然の参勤交代」なんて ある ? 

参勤交代の制度は、将軍や幕府の恣意で 突然 

出府を命じたり、依怙贔屓で江戸詰めの期間を増減したり、

免除したり は しない 。

石高や 江戸からの距離に応じて 期間や人数も決める。 

つまり 大名達は 一応 公平に 扱うことになっていた。

何らかの嫌疑で、国許への帰国を許されない、こと。

役職に 就いていて 江戸定府の大名がいた、としても

それは「参勤交代」では ない。

xxxxxxxxxx つまり

この話は 史実 ではない、と いうことになる が

近い無理難題を 言われることは あったのだろう。

権力というものを 一度も持ったことが ないものには 

わからないこと、だな

xxxxxxxxx

さて 次は 予定外の「いわき市考古資料館」。

湯長谷城址 へ 向かうときに 施設を みていた。

予定外だから、無理だろう、と 思って、黙っていた。

長女が 忖度してくれて「寄る」ことに なった。

     ソンタク は こんな ときに 使いましょう !!

ありがたい ことだ。 では 次回に。→ 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1日目② 美術館の レストランで 

2017年07月10日 19時04分47秒 | 2017・7月福島 親子旅

1日目(7月1日・土)午前 

親戚まわり。道に迷って 時間が かかった。

昼食は 一番近いところにある 郡山美術館へ。

   そこしか しらないので

駐車場につく頃には 雨は 小降り。

レストラン 混んでいた。

昼食をとるためだけに 美術館の レストランを

利用する人 いるのかもしれない。

注文をして おしゃべり

2日間の 6人の 予定について、

前の日は 私たちに 時間を もらっていた。

田村町の「大安場古墳」へ行き

その次が 宿にしていた ハワイアンの

その 近くにある 「湯長谷城跡」の 予定だった。

明日の予定は ? と 聞いたら 「ない」と いう。

それなら 雨で 道が 滑るかも、しれないから

古墳は 明日にしよう。 それで いわき市へむかう。

今日は 湯長谷城址にだけで 宿に行くことにした。

xxxxxx ここで きょうは 〆る

次回は

いわき市 湯長谷城址 → 

(予定外)「いわき市考古資料館」。

長女が 「寄ろう」という。 望むところだ → 

宿 → 

2日め 郡山市田村町「大安場古墳」に なった。

今日は ここまで 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1日目① ゾウさんの郷里 涙 雨

2017年07月06日 09時37分37秒 | 2017・7月福島 親子旅

ゾウさんが 俺の 生まれたところ 

みんな(子ども4人)に みてもらいたい、といったのは

2年前の「結婚50周年」の祝いの会が

済んでから、だった。

xxxxxxx

そういえば、行っていない。

もっと 早く 言い出せばよかったのに。

私も 気づくべきだった。 反省。

こうして ゾウさんの郷里・郡山市の 在所 訪問が決まった。

以下は ゾウさんから 聞いていたこと。

義母・義父は 同じ地域うまれ。(だから 親戚が ワンサと固まっている)

そして 小・中学校の 同級生。

妻になった 母の方が 成績良好。誕生日 すこし早い。

父親にとって 憧れの人だった、とか。

xxxxxxxxxxx

子どもたち4人 全員 関東に住む。よって 南から 郡山駅へ 

岩手に住む 私たちは 北から 郡山駅へ

日本地図に 物差しを 当てたら 

郡山は 岩手と 関東の ほぼ中間部分にあった。

郡山は 雨。 レンタカー屋集合になっていた が

改札口で うろうろしていたら 4人が 集まってきた。それで

長男一人 レンタカーを借り 駅東口まで きてくれた。

  

トイレ入口の 雨に濡れる クチナシの花。この日 郡山では これ 1枚。

さて 出発。  ところが ……

昨夜 布団に入ってから 思いついて

ゾウさんの 父方・母方の 住所をメモした、

その 紙を 忘れたことに 気が付いた。

が「前は ゾウさんの運転で行った」んだ。

大丈夫だろう、とは 思った。 

まずは ゾウさんの 父の生家。

助手席の ゾウさん わからない ようだ。

あ、お弔いにきた 叔母さんの家~~。

と 言った が 違うらしい。(当たっていたのかも)

行ったり来たり させる。

中学までいた。その時は高速道なんか なかった。

ゾウさん 訳が分からん、と しても 責められない、

しかし、そのあと 弔事で 何度 来ただろう。

(忘れた)メモが あったとしても 無理だった、のかな。

この辺は 数えるぐらいしか 来ていない し、

すべて 弔事。楽しい思い出はない。言い訳になるが、

後半は 葬儀場に 直接 うかがうように なっていたから

ますます 記憶できなかった、のだ。

細道を 登った中腹で

あそこは、弔事で来た 母方の親戚(義母の弟)の家だ、と。

そこの 前を 通ったということは 父・生家はもうすぐ だ。

そのうち、見覚えの 道・家屋の 配置。

全員 あがらせてもらって ご挨拶。

ゾウさんの 父の家の 家督(父の兄)だった人の奥様。

その娘と 婿さん。 庭先に住んでいる 孫 2人。

お茶・カステラ・きゅうり漬けを いただく。

岩手のお土産を渡して、

玄関先で 全員集合の写真を撮って、退出。

突然の訪問だったが、話なんとか つないで

まあ、まあ 良かった。

いつ行くか 知らせた方がよいか

知らせないほうが よいか、自分に てらして 試行錯誤したのだ。

私「お客が来る」と わかったら

間際まで 片付けをするだろう。

突然 だったら 「こんなところへ来た あなたが悪いのよ」と

開き直ることができる。 それで いこう。それでも

賀状には「〇〇が 郡山に 行きたい」と 言いはじめたことを

ふんわりと 書いておいた。

いままで こんなことは 伝えたことがない のだから

異常を 感じてもらえる、かも、と。 淡い期待をして。

サッキ みた ゾウさんの母の 弟の 子ども

 ( ゾウさんより 若い )の家方向へ向かう。 

ゾウさん 一人 みやげを 持って 玄関先で 話して、

(このとき、従弟に 母の生家 聞くべきだったのだ)

次は 母の生家さがし。

ゾウさんの母の 弟の 子ども (ゾウさん 幼馴染)

一人暮らしをしている。そこの 次男、時々 訪ねている、と

弔事で 郡山へ行ったとき 私、誰か、から 聞いていた。

( お弔い参加は いつも 次男ばかり。ご長男は どうした のかな。)

ここは さらに 難解。

父方と そんなに 離れていないはず だが

見当がつかない、ゾウさん。

ここ 遊び場だったんでしょう に。

高速道の 近くの家の前に 同年代の女性が出ているので 私

庭に入り込んで はなしかけた。

私の次男が 脇にいる。心強い。

「ああ △△さんチ。わかりにくいんだよね」

ありがたかったので、(車に戻って)岩手のみやげを 

「とっても おいしい、です」と 渡す。

跨道橋を くぐって、右。 すぐ 左。 次 右。

お墓があって、 竹藪が見えたら △△さんチ。

野中の 住所には 3軒 だけ。

…… これは あとで わかったこと。

またまた ぐるぐる 回って わからず。

さっきの 跨道橋 脇の 家へ 戻る。

そしたら 「教える」と 車に 乗ってくださった。

「おみやげ もらって……。間違っていたら、と

いま 調べていた」んだそうな。 田舎の方は 律儀です。

       ありがとうございました。

運転手の 長男、 車で お宅へ お送りする。

母の弟は 一人暮らしでは あるし、

以前 ゾウさんが 写真を 撮りに 来たとき の

外観から 予測しても 中の様子は 知れる。

私、はじめて 土間へ 入る。  6人 挨拶。

早々に 退散した。

そして 雨のなか。 ゾウさん 疎開で、ここに住んでいた 

と 小屋があった付近を 示す。

こんな 日は 雨が 似合う のだろうか。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする