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笑ってみよっか ~B面~

権田藁エリザベス麻呂子と申しますが

2回目の転機

2015-07-09 | わが子の吃音 ムスメと私と時々ブログ
【小学1年生の秋】

もう一度A面で弱音を吐いた私。
1回目に書いたとき気付いたたことは
「ありのままの娘を愛すること」だった。

2回目に書いたことで気付いたこと。
それは大きな大きな教えとなった。

1回目の時のように、書きながら自分の頭の中を整理していく。
コメントで、今でも宝物のように大事にしている
心強くて、優しくて、大きな言葉をもらう。
時間がたって少しずつ消化して、できた私の進むべき方向。


方向転換のきっかけをくれた
A面の方々へのコメントに返した以下の言葉が
私の出した答えでした。



感じたことが一つ。
今、
いわゆるターニングポイントな時期なのかもしれない。

小学校という一つの社会に属し始めた娘の世界、
私との関係だけが、もう要因の全てではなくなったのだろう。

『吃音』の原因と
『吃音』を治す方法。

こればかり考えてたこれまで。


この記事を書いたことで、
ためらってたものが、
少し吹っ切れた気がする。

これからは、


『吃音』と付き合う方法


これと向き合ってみようかと、
少しずつ思い始めています。




良い意味での一方通行に
進めたのよね。

言葉の教室

2015-07-08 | わが子の吃音 ムスメと私と時々ブログ
【小学1年生前半】


どうやら友達にも指摘されていた、このころ。
初めて桜子に聞いた。

「言葉がなかなか出ないときあるよね?
 言葉の教室ってとこがあって、そこに行けば
 少しマシになるかもしれないんだって。
 行く?
 ただ、週1回、午後の授業を早退して通うことになるんやけど。
 どうする?」


この時の桜子の答えは、珍しくはっきりとNO!だった。

「なんでそんなん行かんなあかんの?」
「なんか特別な人みたいやん」
「え、早退なんてして行くの嫌や」


こればかりは、私と桜子は全く同意見だった。
私も言葉の教室だけは、どうも通う気にはならなかった。

頭の片隅で、やっぱり「小児心身症」がひっかかり
娘は治療が必要なぐらい病気なんだ、と
認めることになるような気もして。。。

そしてようやく、やっと
私は旦那に相談するのであった。

どうです?今まで父親である旦那の存在、なかったでしょ(笑)
いや、別に夫婦不仲ってわけじゃなかったけど
旦那の仕事もこのころ激務だったし
やっぱり吃音は私が原因だという思いをぬぐいきれなくて
吃音の話はすれども、桜子についての相談はしたことなかったのよね~

今思うと、抱え込みすぎね、若かりし頃の私。
今は随分図太くなったものだわ(笑)

まぁ旦那の答えはというと、
「桜子のこと、もっとちゃんと見てあげたら」という当時は納得したが、
今思うと、全然旦那わかってねーじゃんってな内容でした。
悩みを言わんかった私も悪いんだけどね。


どもりがピークの娘
姑のブロー
旦那のアッパー
心身症という名のパンチ



もう一度
私は
A面にすがった。

どもりのピーク

2015-07-08 | わが子の吃音 ムスメと私と時々ブログ
【小学校入学~半年】


A面でさらけ出して楽になった私は
自分で書いたように、
「ありのままの娘を愛すること」を心がけた。

確かに入学したことで、
朝は泣いて登校し、吃音も再発した。
でも「まぁしょうがないか」と思うようにした。

そんな前向き思考に反比例するかのように
娘の吃音はひどくなっていき、
1年生の2学期にはピークにどもって話すようになっていた。

「なんで?なんで?」

娘を愛すること。

そんな本能的な母親としてあたりまえのことが、
私はできてないのでしょうか?

自分を責めず、
「娘」を愛するのではなく、
「吃音もある娘」を愛すること。

自分ではできていたつもりだったけど
できてなかったのかな・・・
「自信」と「おごり」の隣り合わせを感じた。


同じ吃音でも、原因は幼児期と児童期では違うらしい。
小学校という社会に出る前の吃音なら
自然に治る率も高いのだが。

この子の吃音は、一生治らないのか。
私があの時怒鳴りさえしなければ・・・

考えなくてもいいことも考えてしまって。
そしてどうしてもやっぱり
「母親の愛情不足」が原因という概念が離れなくて。

またある日、ネットで吃音について調べてた私は
衝撃的な内容を読んでしまった。
「吃音は小児心身症である」

ショックだった。
娘は、桜子の心は、悲鳴をあげてるの??

そんな時、さらに私の泣きっ面にハチがやってきた。
桜子命なお姑さんが、娘の吃音のひどさが心配になり
本屋で立ち読みしてきた情報を教えてくれた。

「麻呂ちゃん、どもるのって両親が原因らしいね」

・・・
お~~~神よ(笑)
ワタシ、ソレ、イチバンキキタクナイアルヨ!
よりによってお姑さん言われるという、
このなんとも言えない、もっていき場のない気持ち。

A面に書いたときから
ずっと自分のせいじゃないって思うように
私、私、、私、、、
頑張ってたのにぃ~~~!!!!!!
なんかまた・・・



もう、ぺったんこになってしまいました。


WARM WORDS

2015-07-07 | わが子の吃音 ムスメと私と時々ブログ

母娘ともに落ち着いていた卒園前でした。
私はA面に、当時の気持ちを綴りました。

記事のタイトルは

「母親の愛情不足」という名のプレッシャー

これまで誰かにちゃんと相談したことは
ありませんでした。
だって、吃音は母である私が原因だからと
信じきっていたからです。
私が原因だから、私が治さないと・・・

でももうそれは違うかな?と
少し感じはじめたからこそ
その迷う心を聞いてほしかったのかもしれません。

その記事の中で、8年前の私は以下のように、締めくくっています。




今は大丈夫ですが、娘がまたどもりだしたら。。。
そう思うと母親としての器量を問われている気がします。
心のどこかで、「母親の愛情不足」と言われる事に対して
プレッシャーを感じてしまいます。
まだまだヒヨッコですわ~私・・・

ひとっこ一人育てる事は、試行錯誤の繰り返しなんですね。
改めて自分のおかんへの感謝がわきでます。

この春入学する娘は、もしかしたらまたどもりだすかもしれない。
でも今度こそは、今度こそは、偽りのない心で包んであげたいと思う。
なんといっても娘の笑顔は最高なんです(親ばか・笑)
どもりがでてもいい。
ありのままの娘を受け止めよう・・・
そして私もありのままの愛情を注いであげようと思います。




ブログを書くと、不思議と前向きになれたんだよね~
書きながら、自分で自分の答えに導かれるような感覚。
そしてそんな私をまるごと支えて励ましてアドバイスしてくれた
A面のやさしい人たち。


KOBUKURO

2015-07-06 | わが子の吃音 ムスメと私と時々ブログ

引っ越したこと
娘のこと
自分の体調のこと

悶々としていたとき
コブクロに出会いました。

コブクロ自体はね、デビュー前から知ってたんだけどね。
こういうのって、結婚と一緒で
出会いはタイミングってやつかな?(笑)


がんじがらめになった胸の中のぐっちゃぐちゃが
するする~ってひっぱられたみたいに
ほどけていった気がした。

そっからかな、色んなことプラスに動いていったの。

体調も治り
自然と娘のどもりも落ち着き
コブクロのしゃべりのおもしろさに元気をもらい

なんだか一日が始まるのが、
嫌じゃなくなってきたのを覚ている。

笑ってすごそう!って心から思い始めたんよね、確か。

そして今でいうコブクロのサイト内SNSでブログを始め
ネット知り合いができ
そこでのやり取りが楽しすぎて
自然と娘の吃音の悩みを書こうかな~って思った。


たった一つのあの記事を書いたという事実が
その後の私を救ってくれたといっても
過言じゃないよ。

支えられなかった後悔

2015-07-06 | わが子の吃音 ムスメと私と時々ブログ
【転園後の半年】



年長で福岡の幼稚園に転園した娘は
やはり再度どもりはじめました。

娘の性格を考えると、
年長での転入は、試練だったことでしょう。
幼稚園での表情を見れば、母はわかります。
彼女がひとりぼっちの寂しさと共にいることぐらい。

毎朝、登園時にはずいぶん泣きました。
お腹が痛い、と朝になると訴えてきました。
でも幼稚園を休んではいけない、と真面目な娘は
頑張って幼稚園まで歩いて登園していました。

あー、あの時はツラかった~(笑)

母としてはさ、ちょっとでも明るくなれるよう
テンションあげてお話しをして
励まして笑顔作って。

ちょうどその時期、私も体調悪かったのよね~
なんだか咳がとまらなくて。
夜も咳き込むから熟睡できないし、
咳しすぎてオエ~ってなるぐらいでね。

あと私が勝手に命名してた「嘔吐スイッチ」が
一日中喉にあってさ。
なんか喉にあるねん。んで、そのスイッチが
しょっちゅう入りよるねん。
そしたらオエ~ってなるねん。
なんか一日中嘔吐感が消えなかった。

病院行っても全然治らなくて。
結局2,3か月で自然と治ったから
まぁ引っ越しストレスやったんだろうけど
そんな状態での娘へのフォロー。
はい、ほんましんどかったですな(笑)

だからちゃんとフォローしてあげられてなかったんだろうね。
どもりはどんどん悪化してったわけよ。

もう毎朝泣くし、どもりはひどなるし、常に吐きそうやし
余裕が全くなくなってた私。
ついにはどもる娘に対して、心のなかで腹を立てることもあった。

「もうなんでどもるの!?」
「そんなにどもるのはママを責めているの?」
「ママを苦しめたいからどもるの?」

娘に対してかべを作ってたってよりも
もう背を向けたかった。

今でもあまり思い出したくない、半年間だな。
ちょうど3歳だった正夫の手を握って
繁華街の天神の交差点で
立ちつくしていた瞬間、光景は今でも忘れられない。


誰もが育児に悩み、我を失うことって
必ずあるのだね。
ちょっとしたことで
心がクラッシュ。

ただ引っ越しのせいだとはいえ、
娘を十分守って、包み込んで、支えてあげられなかった自分が


情けなかった。

落ち着くはずが・・・

2015-07-04 | わが子の吃音 ムスメと私と時々ブログ
【幼稚園年中】


「吃音」の原因はまだはっきりとは確立されていません。
ただ母親の愛情不足が原因という説も確かにあります。
繊細なタイプの子がなりやすいとも言われてます。


娘の性格は一言で言うと、おとなしい子です。
自分から輪に入っていったり、声をかけることは皆無です(笑)
人見知りで、心配性で、ちょっと臆病な性格です。

もちろん入園時には、泣いて泣いて登園してました。
その後も、春は毎年泣いてましたね。
登園、登校しぶりってやつかな。
新しい環境に慣れるのに、時間がかかるタイプなのかな。


ただ幸いなことに、幼稚園ではお友達にも恵まれ
娘も楽しく通っていました。
そして年中さんの3学期には、吃音もかなり治りました。

幼児の吃音は自然と治ることが多いっていうし
環境も落ち着いたから
このまま吃音もなくなるかな?と少しほっとしたのを覚えています。

私自身も心許せる友人に恵まれ
3年目にして広島生活をやっと楽しんでいました。
でももうすぐ年長さんという時に、転勤の辞令が出ました。

すべてがまた振り出しに戻った気分でした。



突然始まった吃音

2015-07-02 | わが子の吃音 ムスメと私と時々ブログ
【2歳~入園】

桜子がどもり始めたときのことは、今でもはっきり覚えています。
2歳半のときでした。

桜子の弟・正夫を出産して1ヶ月ちょっとで
私たち家族は広島に転勤しました。
2人の育児に対する心配や、
初めて地元である大阪を離れた不安、
誰ひとり知り合いがいない孤独。
家にこもる日々。
毎日深夜帰宅の主人。

もっと大変な思いをしながら育児をしている人は大勢いるのに
弱い私はついに娘をそのはけ口にしてしまいました。
ある日、ものすごい剣幕で怒鳴ってしまったのです。

自分で言うのもなんですが、普段あまり怒りません。
しつけ的なことで叱る事はあっても、
感情まかせに怒鳴る事はしないよう心掛けていました。

私の理不尽なあまりの怒鳴りように
娘は完全に縮こまってしまいました。
次の瞬間、私も我にかえり娘を抱きしめてあやまりました。
でもその次の日からでした。
娘がどもりだしたのは・・・

当時「吃音」に対して全く知識がなかった私は
「ちゃんとしゃべりなさい」
「ゆっくりしゃべりなさい」
と、吃音の禁句ともいえる事をしょっちゅう言っていました。

どんどん吃音はひどくなり、
ついには自分の名前の一文字目の言葉さえ
なかなか言えなくなってしまいました。
さすがにヤバイと思い、小児科医や保健師さんに相談したところ、
「時期的なものだろうから気にせずに・・・」
ということで、できるだけ気にしないよう心がけました。

しかし一向にマシにならず、入園でさらにひどくなりました。
幼稚園の先生に「言葉の教室」を勧められもしました。

そしてその時期に、本格的に「吃音」について調べた私はショックをうけました。
調べれば調べるほど、辛い言葉を目にすることになりました。
「吃音」の原因のひとつは
「母親の愛情不足」だと・・・

私の娘への愛情が足りないから、どもるの?
愛情を注いでいるつもりだけで、その愛情が伝わってないの?
じゃあ娘は私にもっと愛してほしいと寂しく思っているの?

その時からでしょうか。
私は娘に対して壁をつくってしまいました。

愛情を注がないと!可愛がらないと!話を聞いてやらないと!と
「優しい母親」を演じていたのでしょう。
どもればどもるほど
娘を義務的に愛する気持ちになっていった時期でした。



『わが子の吃音 ~ムスメと私と、時々、ブログ~』

2015-07-01 | わが子の吃音 ムスメと私と時々ブログ
【プロローグ】

いや~ついに書くときがきましたよ!!

え?何を書くのかって?
そりゃあーた。
私のすべらない話ですよ♪


とまぁ自分でも意外な軽いタッチで始まりましたが、、、

これから長い長い記事を書いていこうと思います。
内容は、今中学3年生である、私の娘についてです。

私の娘、桜子には吃音があります。
吃音って言葉、読めますか?
私は正直、桜子が吃音(きつおん)になるまで、その言葉の存在も知りませんでした。
ただ、同じ意味である、
「どもり」は知っていました。

桜子は2歳の時にどもり始めました。
それに伴う私のもがきや
どんな気持ちで育児をしていたのかを
ここに記しておこうと思います。


どうして記事にして残しておきたいと思ったのか。
理由は二つ。

私と同じように、子どもの吃音に悩んでいる方が読んで
少しでも何かの参考、意識改革のきっかけになれば、と思ったことが一つ。

そして二つ目は、当時会ったこともない私のために
強い強いエールをくれたA面のみんなへのお礼も含めて、
ちゃんとその後を報告したかったからです。

この私のブログタイトルは「笑ってみよっか ~B面~」ですが
実はA面があります。
それは私が大好きな大好きなコブクロの、コミュニティサイトにあります。
私はコブクロに出会って、大きく変わりました。
人生がってよりは、人として。
今でも私の中では、なくてはならない存在です。

コブクロのサイトでブログを書いていた私は、
あるとき娘の吃音によって、育児に悩んでいる心境を綴りました。
もう8年以上も前の話です。

あの時、あの記事を書いたことで
私の娘への関わり方が、大きく、大きく変わりました。
あの時書いていなかったら、、、
今頃どうなってたかな?
そう思えるぐらい、A面の方々に私は暖かく深く有難い言葉を
たくさん戴いたのです。

そうね、ちょうど『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』の
ドラマが放送されていたときだな。
主題歌は『蕾』だったもんね。

あの時、A面に書いて本当によかった。

コメントをくれたみんなの言葉は
どんな育児書よりも確かな道しるべでした。
本当にありがとう。

あぁ、もう早くも泣きそう(笑)
どうしても、どうしても、残したくてね。

現在の桜子はどうかというと、
まぁやはりというか吃音と付き合っています。
会話が困難とまではいかないけれど、
でるときはでるみたい。
でも有難いことに、どもろうとも、
娘はステキな女の子に育ちました。
娘が持つ強さにも、母として感謝してます。

さぁ、エピローグからこんだけ長いとなれば、
これからどんだけロングになるのでしょうか(笑)
書きだすと・・・とまりましぇ~ん

もし時間があって、お付き合いくだされば
うれしゅーございます。

A面の方には、とりあえず感謝の気持ちを伝えたかったので
この後の本編はご自由にどうぞ(笑)

そして吃音でたまたまたどり着いたお母様がいればようこそ(笑)
ただ、わが子の吃音を治したい、という思いがあるのであれば
これからの記事を参考にすることは、あまりオススメしません。
だって、娘は今も吃音とお付き合いしてますからね



さぁっ書くぞ~!!!