松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

里帰りと櫨の紅葉

2013-10-05 07:58:23 | 櫨伝導への道
私の知り合いのおじさんは、太平洋戦争で南方へ行きました。
戦争ではとても大変な思いをしたらしく、終戦後は周囲に詳しく語ろうとはしませんでした。

しかし、少ないながらも彼が残した言葉を、私は伝え聞くことができました。

敗戦後にやっとの思いで日本の港に着き、焼け野原になっていた都市部を過ぎて、故郷の田舎に帰ってきた時のことです。

目の前に広がっていたのは櫨の紅葉でした。

紅い、紅い櫨並木。

幼い時に、友達と櫨の木でちゃんばらごっこをしては櫨マケし、大根おろしと油あげで介抱してくれた母親。走馬燈のように懐かしい思い出が蘇り、涙が止まらなくなったといいます。

自分は故郷に戻ってきたんだ。ここが自分の故郷なんだと。

今では戦争を経験した人も少なくなりました。

帰還兵が櫨の紅葉を見て、どのような思いで涙が止まらなかったのか、私には想像することしかできません。

でも時々、年配の方から「良い活動をしているね」と言われると、私自身の胸が詰まるような思いをすることがあります。

櫨は日本の木であり、日本人の思い出がいっぱい詰まった身近な故郷の木です。

平和な世の中とはいえ、人は人生で苦労したり悲しいことを経験するし、心も傷つくことがあります。

でもそういった人々の心を癒す力が、故郷の風景にはあると私は信じています。



押してくださると励みになります。

人気ブログランキングへ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。