松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

久留米商人塾

2010-06-20 22:43:19 | 販売奮闘日記
4日間、久留米商工会議所に通った久留米商人塾が終わりました。

先月行った創業塾は今から考えると、いわゆるアマチュア商人って感じ。しかし今回は歴然としたプロ商人が集まっていました。私はアマチュアというには少しトウが立ったような商人ですが、プロというにはあまりにも素人っぽい商人なので、ただただ他の方の新商品開発のレベルの高い話や講師からの難しい商売の話を聞いては驚くばかりの4日間でした。

画像は22人のトリを飾ったケア・アンドリハ訪問介護ステーションKouさんのプレゼンです。講師の心をワシづかみにした素晴らしいプレゼンでした。

一方、私の場合、田主丸で櫨の商売ということで、立石講師から「久留米商人の原型は『手津屋』から」というありがたい話を聞きました。

『手津屋』とは田主丸に生まれた江戸時代の商人林田正助が始めた商売の屋号で、幼くして村々へ油桶を担いで行商をし、15歳のときには、卵750個(50㌔)を担って小倉まで出かけたといいます。小倉へは八丁峠(秋月-嘉麻市)を越えて行ったそうですが、同業者が急坂を嘆くとき、彼は「もっと険しかったらいいのに」と答えたエピソードがあります。

その『手津屋』は久留米藩御用達商人となり、主に米や菜種を筑後川を下って大阪まで運んだそうです。米を運んだのだから、当然ハゼも運んだでありましょう。

その『手津屋』を見習うべく

「ちゃんとビジネスにするようにね。」

ぐっ。

久留米商人への道も険しそうです。

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木蝋の里みやまキャンドルナイト

2010-06-20 06:48:07 | 復活奮闘日記
夏至に時期に合わせて、みやま市の保健医療経営大学で「木蝋の里みやまキャンドルナイト」が開かれました。

ちょうど晴れていたこともあるし、親子連れなど多くの方が参加されてました。

ここは荒木製蝋の地元なので全て櫨蝋(木蝋)でキャンドルを灯しています。特に今回は100号和ろうそくを竹筒に入れて使っていました。


やっぱり100号の和ろうそくは炎の大きさが違います。迫力がありますね。こういう炎は滅多にお目にかかることができないので、とても貴重な機会でした。

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