序
或る短歌結社の歌会に出た作品を一つ引用しよう。
頑張れと口にはしないが頑張れという話はするカウンセラー
この歌について感想を求められたので、私は、次のようなコメントを書いた。
挫折し心理的に落ち込んでいる人間に「頑張れ」と言うことは、全く励ましにならぬ場合がある。そういうことはカウンセラーは熟知しているのであろうが、結局の所、カウンセラーの話も「頑張れ」ということを間接的に言っているだけだったということに気付いて、作者は何とも救われない気持ちになった――こういうのが歌の主意であろう。「頑張れ」という言葉が空転し、すこしも生きてこない状況というのは確かにある。そういう言葉が、意気消沈し気力を失った人の魂に届かないこと、あるいは、その人自身のためではなくて、誰かよその人間ないし組織のために、その人を叱咤激励しているに過ぎないことに起因するのであろう。一体どういう言葉が、空転せずに、人を救うことができるのであろうか。そこで、短歌ではなく俳句であるが
頑張るわなんて言うなよ草の花 坪内稔典
という作品を例にとって考えてみたい。実は、かなり以前のことではあるが、この句によって勇気づけられ「救われた」という感想を寄せられた女性のことを思いだしたからである。彼女は、「頑張るわなんて言うなよ」のあとに「切れ」をいれて読んだという。「頑張るわ」というところは、人為の世界の話である。そして、それとの対比において「草の花」というものそのものが登場する、その「草の花」の現前に撃たれたというのである。
頑張るわなんて言うなよ/草の花
「頑張れよ」とか、「頑張らなくても良い」、とか言うのはあくまでも人間の世界の話なのであって、「草の花」は、かかることに関係なしに、自然体で眼前にある、「その草の花を見よ」、というのがこの句の生命だろう。カウンセラーの歌に欠けていて、草の花の句にあるもの、そして、読者を癒やす力のあるものは、このような人為を越える自然への眼差しなのではないだろうか。
ところで「人為を越える自然」ということを私は述べたが、これは更に説明を要するかも知れない。「自然」という語は多義的であって、それと対比されるものが何であるかによって、意味が変化するからである。哲学的な論議は後回しにして、もうひとつ、そういう意味での「自然」があたかも啓示の如く登場する俳句を例にとって考察したい。それは、加賀の千代尼の俳句である。
朝顔や釣瓶とられて貰ひ水
この句については、鈴木大拙が『禅と日本文化』のなかで、芭蕉の「古池や」の句とならんで、禅の心、「真如」のなんたるかを俳句によって表現したものとして詳論している。
大拙は、明治以後の俳人の間では、この句があまり高く評価されていないことを知って大いに失望したと言われている。 実際、正岡子規以後、近代俳句の作者達は、江戸時代にすでに人口に膾炙していた千代尼の掲句を「通俗的である」とか「偽善的な自然愛好」の句であると言って、酷評してきたのである。この評価の違いはどこに由来するのか。明治以後の近代の文学者が、宗教性と文学性を峻別し、俳句を文学として独立させようとしたことにその理由の一半を求めることもできるが、それよりも、大拙が引用し、英訳した千代尼の句が、
1.朝顔に釣瓶とられて貰ひ水 (一般に流布しているかたち)ではなく、
2.朝顔や釣瓶とられて貰ひ水 (千代尼自身による晩年の改作)
という句姿であったことに注意したい。
(大拙はOh the morning glory ! The bucket made captive, I beg for water.という英訳で論じた)
この句が、1の「朝顔に」の形で人々に記憶されたのは理由があると思う。 江戸時代に女性の俳人は例外的存在であった。朝顔に釣瓶を採られて 貰水をするという趣向は、男性俳人には思いつかない。 そういう女性らしい心遣い、優しさを詠んだ句は、それまでにあまりなかったのではないだろうか。 「朝顔に」の句姿のほうが分かりやすいのは、句に物語を感じるからである。 そして、この物語性の故に、また、「とられて」と「貰い」のコントラスト、朝顔の「蔓」と、「釣瓶」との掛詞のような面白さの故に、この句は人々に愛唱された。 しかし、千代尼は、後にこの句を自ら添削し、2の「朝顔や」の形に句を改めたのである-それは なぜだろうか。
「朝顔や」の句では、句の物語性は背景に退き、朝顔の咲いている景が前面に出る。 千代尼の出逢った朝顔の美そのものが前よりも強調される。 それが、切れ字「や」の働きなのであろう。朝顔との一期一会の出逢い、 その束の間の輝きを千代尼は掛け替えのないものとして、そのまま詠みたかった。 千代尼が貰い水をしようとどうしようと、そのこととは独立に朝顔はそこにある。 朝顔は、いうなれば「聖なるもの」の顕現である。千代尼のほうは、朝の日常の仕事も 続けなければならない。だから「貰い水」に行く。しかし、自分のそういう心遣いを むしろ背景に斥けて、ただ朝顔の咲いている朝の情景を前景に出すために、彼女は「朝顔に」を「朝顔や」に改めたのではないだろうか。「に」を「や」に改めただけであるとはいえ、俳句の伝えるメッセージの質には大きな違いが生じているように思う。その違いは、
1.「朝顔に」の句では、句の主題は、朝顔の自然なる佇まいに撃たれた作者の動きの方に向けられている。作者の自然にたいする心遣い、ないし優しさのほうに力点が置かれている。
2.「朝顔や」の句では、作者の心に生じた事柄は背景に退き、人間の思いや煩いを越えた自然そのものが、切れ字「や」によって直指されている。爽やかな早朝の叙景、作者と朝顔との一期一会の出逢いが句の主題である。
「朝顔や」という詠嘆に込められたもの、その純一なる感動から俳句が生まれたわけであるが、
このような朝顔のあり方、その自然なる佇まいの意味するところは何か。
千代尼にとって朝顔との一期一会の出会いは、人為的なるものを超越する自然であって、それ自体が、宗教的な啓示の如く彼女の心を撃つものであった。鈴木大拙は、この朝顔の自然なる佇まいを仏教的な言い方で「真如」と言い表したが、このような経験は決して仏教徒だけに限定されるわけではない。西田幾多郎は福音書の「汝等のうちたれか思ひ煩ひて身の丈一尺を加え得んや」という一節を読み感動したと伝えられるが、その先には、さらに次のような言葉もある。
そこには、キリスト教と仏教の間の差異をこえて、「自然」なるもののあり方が、「恩寵」の如く人々を救済するという事実が確かにある。そのような「恩寵」と通底する「自然」というものに、哲学的な根拠を与えることが出来るであろうか。以下は、そういう問題をめぐって為される一考察である。
或る短歌結社の歌会に出た作品を一つ引用しよう。
頑張れと口にはしないが頑張れという話はするカウンセラー
この歌について感想を求められたので、私は、次のようなコメントを書いた。
挫折し心理的に落ち込んでいる人間に「頑張れ」と言うことは、全く励ましにならぬ場合がある。そういうことはカウンセラーは熟知しているのであろうが、結局の所、カウンセラーの話も「頑張れ」ということを間接的に言っているだけだったということに気付いて、作者は何とも救われない気持ちになった――こういうのが歌の主意であろう。「頑張れ」という言葉が空転し、すこしも生きてこない状況というのは確かにある。そういう言葉が、意気消沈し気力を失った人の魂に届かないこと、あるいは、その人自身のためではなくて、誰かよその人間ないし組織のために、その人を叱咤激励しているに過ぎないことに起因するのであろう。一体どういう言葉が、空転せずに、人を救うことができるのであろうか。そこで、短歌ではなく俳句であるが
頑張るわなんて言うなよ草の花 坪内稔典
という作品を例にとって考えてみたい。実は、かなり以前のことではあるが、この句によって勇気づけられ「救われた」という感想を寄せられた女性のことを思いだしたからである。彼女は、「頑張るわなんて言うなよ」のあとに「切れ」をいれて読んだという。「頑張るわ」というところは、人為の世界の話である。そして、それとの対比において「草の花」というものそのものが登場する、その「草の花」の現前に撃たれたというのである。
頑張るわなんて言うなよ/草の花
「頑張れよ」とか、「頑張らなくても良い」、とか言うのはあくまでも人間の世界の話なのであって、「草の花」は、かかることに関係なしに、自然体で眼前にある、「その草の花を見よ」、というのがこの句の生命だろう。カウンセラーの歌に欠けていて、草の花の句にあるもの、そして、読者を癒やす力のあるものは、このような人為を越える自然への眼差しなのではないだろうか。
ところで「人為を越える自然」ということを私は述べたが、これは更に説明を要するかも知れない。「自然」という語は多義的であって、それと対比されるものが何であるかによって、意味が変化するからである。哲学的な論議は後回しにして、もうひとつ、そういう意味での「自然」があたかも啓示の如く登場する俳句を例にとって考察したい。それは、加賀の千代尼の俳句である。
朝顔や釣瓶とられて貰ひ水
この句については、鈴木大拙が『禅と日本文化』のなかで、芭蕉の「古池や」の句とならんで、禅の心、「真如」のなんたるかを俳句によって表現したものとして詳論している。
大拙は、明治以後の俳人の間では、この句があまり高く評価されていないことを知って大いに失望したと言われている。 実際、正岡子規以後、近代俳句の作者達は、江戸時代にすでに人口に膾炙していた千代尼の掲句を「通俗的である」とか「偽善的な自然愛好」の句であると言って、酷評してきたのである。この評価の違いはどこに由来するのか。明治以後の近代の文学者が、宗教性と文学性を峻別し、俳句を文学として独立させようとしたことにその理由の一半を求めることもできるが、それよりも、大拙が引用し、英訳した千代尼の句が、
1.朝顔に釣瓶とられて貰ひ水 (一般に流布しているかたち)ではなく、
2.朝顔や釣瓶とられて貰ひ水 (千代尼自身による晩年の改作)
という句姿であったことに注意したい。
(大拙はOh the morning glory ! The bucket made captive, I beg for water.という英訳で論じた)
この句が、1の「朝顔に」の形で人々に記憶されたのは理由があると思う。 江戸時代に女性の俳人は例外的存在であった。朝顔に釣瓶を採られて 貰水をするという趣向は、男性俳人には思いつかない。 そういう女性らしい心遣い、優しさを詠んだ句は、それまでにあまりなかったのではないだろうか。 「朝顔に」の句姿のほうが分かりやすいのは、句に物語を感じるからである。 そして、この物語性の故に、また、「とられて」と「貰い」のコントラスト、朝顔の「蔓」と、「釣瓶」との掛詞のような面白さの故に、この句は人々に愛唱された。 しかし、千代尼は、後にこの句を自ら添削し、2の「朝顔や」の形に句を改めたのである-それは なぜだろうか。
「朝顔や」の句では、句の物語性は背景に退き、朝顔の咲いている景が前面に出る。 千代尼の出逢った朝顔の美そのものが前よりも強調される。 それが、切れ字「や」の働きなのであろう。朝顔との一期一会の出逢い、 その束の間の輝きを千代尼は掛け替えのないものとして、そのまま詠みたかった。 千代尼が貰い水をしようとどうしようと、そのこととは独立に朝顔はそこにある。 朝顔は、いうなれば「聖なるもの」の顕現である。千代尼のほうは、朝の日常の仕事も 続けなければならない。だから「貰い水」に行く。しかし、自分のそういう心遣いを むしろ背景に斥けて、ただ朝顔の咲いている朝の情景を前景に出すために、彼女は「朝顔に」を「朝顔や」に改めたのではないだろうか。「に」を「や」に改めただけであるとはいえ、俳句の伝えるメッセージの質には大きな違いが生じているように思う。その違いは、
1.「朝顔に」の句では、句の主題は、朝顔の自然なる佇まいに撃たれた作者の動きの方に向けられている。作者の自然にたいする心遣い、ないし優しさのほうに力点が置かれている。
2.「朝顔や」の句では、作者の心に生じた事柄は背景に退き、人間の思いや煩いを越えた自然そのものが、切れ字「や」によって直指されている。爽やかな早朝の叙景、作者と朝顔との一期一会の出逢いが句の主題である。
「朝顔や」という詠嘆に込められたもの、その純一なる感動から俳句が生まれたわけであるが、
このような朝顔のあり方、その自然なる佇まいの意味するところは何か。
千代尼にとって朝顔との一期一会の出会いは、人為的なるものを超越する自然であって、それ自体が、宗教的な啓示の如く彼女の心を撃つものであった。鈴木大拙は、この朝顔の自然なる佇まいを仏教的な言い方で「真如」と言い表したが、このような経験は決して仏教徒だけに限定されるわけではない。西田幾多郎は福音書の「汝等のうちたれか思ひ煩ひて身の丈一尺を加え得んや」という一節を読み感動したと伝えられるが、その先には、さらに次のような言葉もある。
「野の百合は如何にして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり。されど我、汝等に告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その装ひ、この花の一つにもしかざりき。今日ありて明日、炉にに投げ入れらるる野の草をも、神はかく装ひ給はば、まして汝等をや。(マタイ伝第六章)」
そこには、キリスト教と仏教の間の差異をこえて、「自然」なるもののあり方が、「恩寵」の如く人々を救済するという事実が確かにある。そのような「恩寵」と通底する「自然」というものに、哲学的な根拠を与えることが出来るであろうか。以下は、そういう問題をめぐって為される一考察である。