歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

「世界難民移住移動者の日」に寄せて

2018-09-24 |  宗教 Religion

 9月の第4日曜(今年は9月23日)を、カトリック教会は、「世界難民移住移動者(Migrants, Refugees, and People on the Move)」の日としている(1970年以降)が、「聖書と典礼(教会暦)」の「年間第25主日」が「世界の難民のために捧げられた日」となったのは、「国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全世界の人々と『共に生きる』決意を新たにすること」を重んじたパウロ6世教皇の考えに基づくものであった。それは第二バチカン公会議の精神に沿うものであり、宗教間対話の原則を確立した「我々の時代に(nostra aetate)」の宣言とともにカトリック教会の刷新を意味している。
 ユダヤの民は何度も亡国の危機に遭遇し、その民は世界各地に離散した。詩編には、そのような難民となったイスラエルの民の祈りの歌ともいうべきものがたくさん収録されている。バビロン捕囚以後、祖国に帰還したユダヤ人達は、エルサレムの神殿を再建し、音楽の伴奏をつけた詩編を歌った。詩編の前書きには、音楽上の指示と思われる言葉が数多く残されている。ユダヤ民族の難民としての苦しい経験から生まれた詩編と、亡国をもたらした為政者を呵責なく批判する預言書、さらに「ソロモンの智慧」のようなギリシャ語で書かれた智慧書が、新約聖書とそれにもとづくキリスト教の典礼に大きな影響を与えたことはいうまでもない。
 たとえば、9月23日の典礼で、入祭唱(introitus)、憐みの賛歌(Kyrie)、栄光の賛歌(Gloria) のあとで朗読される旧約聖書は「ソロモンの智慧(智慧の書)」の「義人の苦難」の預言であるが、それはあきらかに福音書の受難物語に呼応するものである。「ソロモンの智慧」は(原文がヘブライ語ではなくギリシャ語で書かれているため)ユダヤとプロテスタントでは残念ながら正典に数えられていないので、その朗読箇所を引用しておこう。そこでは、「主に逆らう者達」の言葉として、
「本当に彼が神の子なら助けてもらえるはずだ。敵の手から救い出されるはずだ。暴力と責め苦を加えて彼を試してみよう。その寛容ぶりを知るために、悪への忍耐ぶりを試みるために、彼を不名誉な死に追いやろう。」
(智慧2:17-19)
  キリストの受難・死・復活の物語を基軸とする典礼のなかで、このようにそれを預言する旧約の「智慧書」の一節が朗読されること、そしてそれに続いて、「上から出た智慧」の「純真・温和・優雅・従順」の心にもとづく「正義の果実」は、「平和を実現する人によって平和の内に蒔かれる」と述べる使徒ヤコブの手紙、「人の子は引き渡される。いちばん先になりたいものは全ての人の後となり、すべての人に使える者となりなさい」というマルコ福音書のイエスの言葉が朗読される。
  この日の典礼では、「智慧書」朗読の後の昇階唱Graduale では、「まことをもって主を呼ぶすべての人の近くに主はいます」と答唱詩編がうたわれる。各人の「自己よりも近くにいます主」に呼びかける歌である。「すべてのひと」が異邦人を排除しないことに注意しなければなるまい。
 現在のフランシス教皇もまた、この「世界の難民と教会との連帯」を強く訴えている。たとえば、2015年の「すべての人の母である国境のない教会は、受容と連帯の文化を世界樹に広める」というメッセージ、2018年の「移住者と難民に対する受け入れ、保護、促進、共生」への呼びかけが記憶に新しい。 

おりしも9月23日の「世界難民移住移動者の日」に朝日新聞は朝刊に昨年度日本における難民申請者二万人に対して認定されたのはわずかに20名にすぎなかったこと。それとともに長期にわたる「不法滞在者」が急増し、彼らは劣悪な環境に置かれているために自殺者も出ているといういう記事を掲載していた。記事には「不法滞在者」とあったが、これは差別語ではないだろうか。カトリック教会では「非正規滞在者」と呼ぶが、そこには、やむを得ぬ事情で「移住移動」してきた異邦人を隣人とみなす視点がある。2018年の教皇フランシスのメッセージでは「共生(integration)」を同化(assimilation)と明確に区別して、異邦人を日本人に同化するのではなく「他者」の多様性を尊重しつつ共に生きる道が勧められている。

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