歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

Whitehead's conception of Buddhism as a methaphysic generating a religion

2016-09-15 | Essays in English 英文記事

Whitehead characterizes Christianity as a religion seeking a metaphysic in contrast to Buddhism which is a mataphysic as seeking a religion (RM 40, 1927). What is the source of the system of the Buddhist metaphysic which Whitehead mentions?

   As the primitive Buddhism which we know from Pali texts  rejects metaphysics as a fruitless and empty speculation, we must specify the source of Whitehea's conception of Buddhism as "the most colossal example in history of applied metaphysics"(RM39).
One of the probable source is Th. Stcherbatsky's The Central Conception of Buddhism (1922)  which introduced a Buddhist ontology of Sarvastivadins (the school which discusses all things, temporal or eternal, as beings).  This book contains  English translations of Vasbandhu's Abidharma-kosa as an appendix,  which treats the problematic of time concerning the reality of past, present and future. Sarvastivadins accepted the reality of time including past and future as well as preset, and tried to lay the foundation of the dependent-arising (pratityasamtpada) in terms of temporal atomism.
  The metapysical system of Sarvastivadins was criticized by Nagarjuna,  who did not consider the ground of beings as an eternal being, but "emptiness(sunyata)" equated with "depending-arising". He identified nirvana(which was thougt by Salvastivadins as an  absolute eternity) with samsara (relative temporality).
    Nagarjuna was traditionally thought as one of the founders of Pure-land Buddhism in Japan. Pure-land Buddhism has been  characterised by many scholars as a Buddhism most akin to protestant Christianity because of its conception of "Shin(faith as a gift of Amidha-Buddha)" and of sinners and evil ones as the very object of Amida's Vows of universal salvation.
  So I think Whitehead's conception of "Buddhism as a metaphysic generationg a religion" may find a justification  if we reflect the historical development of Budhism from Nagarjuna to Pure-Land Buddhism.
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絶対無の創造性と矛盾的自己同一

2016-09-02 | 哲学 Philosophy

 

絶対無の創造性と矛盾的自己同一 

田中裕

はじめに

 西田幾多郎の最晩年の思索の焦点は、鈴木大拙が(般若)即非の論理とよび西田自身が(絶対無の場所の)矛盾的自己同一と呼んだ論理から、歴史と人を語るということであった。そこで云う「歴史」は、当時の哲学思想の領域での中心的なテーマでもあった。一方に於て、辯證法的唯物論という無神論の立場があり、他方に於て辯證法的神学という有神論の立場があった。どちらも「辯證法」という名前を冠してはいるが、西田は両者を真に徹底した辯證法とはみなさず、それに代わるべき辯證法を、場所的辯證法として構想し、その論理によって時間性と歴史性を解明することを目指していたのである。

絶筆となった「私の論理について」によれば、場所的辯證法は「歴史的行為的自己の立場からの思惟の形」、すなわち「歴史的形成作用の論理」を明らかにする論理であると同時に、「自然科学の根本問題及び道徳宗教の根本的問題」も、その論理から考えられるべきものであった。

本稿は、東西宗教交流学会の発表と討議のための資料として作成した。如上の如き西田哲学の根本問題を語ることが東西宗教交流という本学会の目的にどこまで資することができるだろうか。東洋と西洋といってもそれは地理的区分と必ずしも対応しているわけではない。私が念頭に置いているのは、たとえば井筒俊彦が『意識と本質』の副題に附けた「精神的東洋」の意味であり、久松真一が『東洋的無』で表詮した「無」の類比的象徴表現にしめされた東アジアの大乗仏教の伝統である。しかし、私が最終的に目指しているのは、単に「東洋思想の共時的構造化」に留まるものではなく、「精神的な西洋」と真に対話することによって、「東洋」思想の限界をも突破することである。つまり、東西の区別が保存されつつも揚棄される如き真の意味での「カトリック的なるもの(普遍)」を志向することが私の目指す目標である。

たとえば、井筒氏が『意識の形而上学』として注釈された大乗起信論の著者は、大乗の「大」を小乗に対する大乗という如き「相対的大」の意味で使わず、体相用における「絶対的大(三大)」という意味で使っている。そこで云われる「一心即衆生心」なる「心」の形而上学に、洋の東西の区別など本来あってはならぬ者であろう。

井筒氏に倣って「精神的東洋を索める」という場合、私はその一つの試みとして、キリスト教の伝統の中に内在している「精神的東洋」の探求を今回行ってみたい。それと同時に、私は、東洋の霊性的伝統のなかに内在する「精神的西洋」の探求も同様に価値あることと信じる者である。

具體的に云えば、西田の云う「自覚」「無」「矛盾的自己同一」などの根源語によって表現される哲学は、たしかに「精神的東洋の共時的構造化」に資するものであることはまちがいないが、それはキリスト教と決して無縁のものではないという事である。 キリスト教の長き霊性の伝統に中にあって、「西の内なる東」ともいうべき精神性の実例を、西田が最も評価した西欧思想家達、就中、キリスト教的プラトン主義の系譜に属する思想家達、それもとくにこの論文では、ヨハンネス・エリューゲナに焦点を絞って論じてみたい。

そして、このように「西のなかの東」にある霊性的伝統を解明することは、同時に西田哲学が内在化し血肉化した「精神的西洋」の貴重な遺産の何であるかをも明らかにするであろう。それは、たとえば「實在の根柢は人格的である」という個的人格のもつ根源性、相互人格的なる交わりを重視する人格主義、そして、文明開化の明治時代に生まれた若き日の西田の「頂天立地自由人」の旗幟に要約された「自主独立の精神」、「数理の学」への強い関心、国家や団体への帰属意識よりも個人のもつ「創造性」の重視、これらは言うなれば西田哲学に於ける「東のなかの西」ともいうべきエレメントである。

私の発表のタイトルにある「絶対無」については、従来は臨済禅の系譜に属する『無門関』の「趙州無字の公案」と関係づけられ、有無の相対的区別を絶する絶対無というアイデアを西田がそこから得たというごとき解説が多かったように思う。それに異議を唱えるわけではないが 私は、この西田の云う「絶対無」の哲学的起源の一つを、東方キリスト教の霊性的伝統を西方キリスト教にもたらしたエリューゲナの『自然について(ペリ・フュセオン)』にもとめたい。 そしてエリューゲナの議論を東西に通底する深き霊性の表現として受け止めた西田が、その精神のダイナミズムをさらに徹底化して自家薬籠中のものとしたことを指摘したい。そして、禅と浄土真宗に典型的に表現された東洋的・日本的霊性と西洋のキリスト教的プラトン主義の霊性との間で内的対話を行うことによって、西田の絶対無の場所の哲学が如何にして誕生していったか、その精神の遍歴を、彼の云う「悪戦苦闘のドキュメント」の思索の背後にあるものが何であったのかを探求してみたいのである。

エリューゲナの『自然について(ペリ・フュセオン)』を本論では、西田哲学に於ける汎神論ないし萬有在神論の問題と関連させて論じる。それは一切を超越神の「所作物」ではなく内在神の表現とみる初期西田哲学の汎神論的思想が、神的表現を神的創造に結びつけるエリューゲナ「神現」の思想の批判的摂取を経て、西田哲学において「汎神論」から「萬有在神論」への轉換が如何にもたらされたかを追跡すること、さらに所謂「萬有在神論」が、矛盾的自己同一の論理と結びつくことによって、辯證法的神学の超越的内在の論理をも包越する場所的辯證法の論理を提示したことを明らかにしたい。

紙幅の都合上、今回の発表では充分に論じる余裕はないが、このような萬有在神論の徹底化は、神が「顕現しない」世界における「神現」という問題、キリスト教の言葉を使うならば「世俗の中の福音」の原事実に由来する論理、仏教の言葉を使うならば、無量寿・無礙光如来の名号のもつ不思議なる救済の原事実に由来する論理こそが、西田哲学の場所的辯證法を現代に於いて継承するものが引き続き問題とすべき事柄であろう。

サブタイトルにある「歴程神学」とは、筆者自身の神学的立場である。これについては今回の発表の紙幅の都合上、詳論することは出来ないが、大まかに云ってA.N. ホワイトヘッドの哲学、それを「有機体の哲学」や「プロセス哲学」ではなく「創造性の哲学」とよぶのが正しいとらえ方であるという考え方をもととしている。ここでいう「創造性の哲学」とは、形ある者を生み出す根源を対象化しうる存在者ではなく決して対象化できぬ「創造性」に求める点で、存在論の「存在」の脱底化の方向に一歩踏み出した哲学である。それは、第二次世界大戦以後の米国に於て、一時的な影響を及ぼした後に死に絶えた「神の死の神学」の後の世代において誕生した「プロセス神学」に大きな影響を与えた。ただし私が「歴程神学」と呼ぶものは、「プロセス神学」とは別物であり、ホワイトヘッド哲学の解釈に於いても根本的な違いが数多くある。たとえば、存在論の脱底化(De-ontologizing)は、ホワイトヘッド自身がそうした以上に徹底させるべきであると私は考えている。そして、彼の「過程の哲学」でいう「過程」は、神を「活動的存在の一つ」として捉える「存在論的原理」によっては把捉できないという批判的立場をとるものである。

「過程の弁証法」は過程によっては基礎づけられないという西田の批判は、ヘーゲル哲学に向けられた批判であるが、この批判は、ヘーゲル哲学の現代版という側面を持つホワイトヘッドの「過程の哲学」にも当て嵌まるであろう。また、私が「プロセス神学」ではなく「歴程神学」という場合は、予定調和的な進歩史観を前提としないという点で、プロセス神学の多くの流れとは異なっている。ただし、ホワイトヘッドの哲学を積極的に評価するのは、後期西田哲学よりも更にラジカルに、人間的歴史だけでなく、宇宙万物全体をも含めた意味での歴史的世界を主題とする点である。

ホワイトヘッド哲学について論じる場合もまた、「自然神学」という側面を持つこの哲学を、英国とアイルランドに於けるキリスト教的プラトン主義の霊性的伝統の流れの中で位置づける必要があるだろう。ホワイトヘッドの云う「原初的自然」、「帰結的自然」という着想は、「神が始源にして帰結」であるがゆえに自然の第一区分と第四区分が同一の神であるというエリューゲナの自然区分論と類似したものである。さらにホワイトヘッドは、「神の創造は神の自己創造であること」を明確に言う点に於いてもエリューゲナと同様の観点をとっているのである。

ただし、当然のことながら、二〇世紀のプラトン主義者を自認していたホワイトヘッドの哲学的神学と九世紀のカロリング・ルネッサンスの時代に生きたエリューゲナとのあいだには違いもある。たとえばホワイトヘッドはエリューゲナが詳細に論じた「天使論」などは全く語らないし、「自然の四区分」さえも超越する究極の範疇を「創造性」とし、二つの本性を持つ神よりも高次の究極的な範疇としている。そして「創られて創るもの」という規定は、エリューゲナの「自然の四区分」の中の一つ、すなわち「根本的諸原因」(ポイエーシス的理性)に限定されるものではなく、活動的性格を持つ万物の根本規定となる。 それゆえに、エリューゲナの云う「創られて創る事なき」死せる自然というものはホワイトヘッドの宇宙論には存在しない。仏教的に云えば「衆生世間」だけでなく「器世間(環境世界)」もまた生命活動の主体であり、近代哲学で前提とされた主客の二元的関係は人間相互だけではなく万物の間で成立すべき交互的かつ力動的な主-主関係、即ち相互主体性の中において基礎づけられるのである。

このように、エリューゲナを介して西田哲学とホワイトヘッド哲学は両者に共通の根本的問題、すなわち形ある有を存在せしめている根源的な活動としての創造性を何處に於て如何に語るかという根本問題に結びつくのである。

 

第一章   初期西田哲学における「汎神論」の問題

 1-1『善の研究』(1911)の根本的立場は、「意識現象(直接経験の事実)が唯一の実在である」という純粋経験論である。この立場は、ジェームズの根源的経験論、ベルクソンの純粋持続の直観主義、フッサールの純粋意識の現象学など欧米の同時代の思想家達と共通する根源的に経験論的な思惟の課題を担っていた。それは意識に超越的な存在をすべて「排除」ないし「括弧にいれ」、疑うにも疑うことの出来ぬ直接的経験の事実から出発し、意識に超越的な存在のもつ意味を、あくまでも意識に内在的な場に於て解明していくという課題である。そのような哲学的な立場に限界があるかどうか、その限界はどこにあるかということは、実際に根源的経験論、あるいは純粋経験論の立場を徹底した哲学的思惟を遂行した後でなければ自覚されないであろう。とくに、諸々の超越者中の超越者とも言うべき有神論の「神」を意識内在的な立場に還元し、神経験と呼ばれてきたものの真の意味をそこにおいてあくまでも意識内在的に解明できるのかという問題が生じる。

1-2 フッサールは、彼の純粋現象学の構想を立てたとき、神学的な問題を彼の課題から排除していたようにみえる。純粋意識を絶対的存在(Absolutes Sein)とする彼の現象学では、キリスト教のような超越神論の神は、他の諸々の超越者と同じく現象学的還元を施されなければならぬ対象的存在のひとつであるから、「神という超越的存在は遮断される」(IdeenⅠ―58)のは當然であった。フッサールは、純粋意識の現象学の課題から神を排除すべき理由について次のように述べている。

「神的」存在は単に世界を超越するだけではなく、絶対的意識をもあきらかに超越すべきものである。それは、意識の絶対性とは全く異なった意味で「絶対的」であるであろうし、また他方において世界の意味における超越とも全く異なった意味で超越的なものであるだろう。我々の研究領域が純粋意識の領域である限りは、そのような絶対者=超越者はあくまでも遮断されているべきである。(傍点筆者)

1-3 ベルグソンは『道徳と宗教の二源泉』で社会学的見地から、ジェームズは『宗教的経験の種々相』で心理学的な見地から、それぞれ神について積極的に語ったが、それは厳密な意味で哲学的な立場から、すなわち純粋経験ないし純粋持続に内在的な立場から神を語ったわけではない。これに対してフッサールは、上の引用にあるように、純粋現象学という「厳密な学知」の立場からは、神を語ることを排除(ausschalten)しなければならないと言ったが、それは、「現象学の研究領域が純粋意識の領域にのみ限定されるかぎり」という条件のもとにであった。(現象学がこの限定を突破する可能性については後で議論しよう)。

1-4  西田の『善の研究』は、宗教すなわち「神と人との関係」を考察することを「哲学の終結」とする意図をもって書かれた著作である。このように宗教をもって哲学の終結とする考え方は、後期に至るまでの西田哲学の根本的特徴であったが、『善の研究』の場合は、純粋経験論を基盤としつつ、神を哲学の究極の主題とする点において、フッサールの言う純粋な意識の現象学において排除された神の考察をまさに純粋経験論の究極の主題とするものであった。

1-5 「意識現象を唯一の実在とする」『善の研究』の宗教論には、これまでの多くの解釈者が指摘してきたように、哲学的汎神論の一つに分類されてもやむをえぬようなテキストが数多く存在する。たとえば、「神を宇宙の外に超越せる造物者とはみずして、直ちにこの実在の根柢と考え」「宇宙は神の所作物ではなく、神の表現 manifestationとみる」ことから、西田は「宇宙と神との関係は芸術家とその作品との如き関係ではなく、本体と現象との関係である」と述べる。西田自身も、自分の立場が汎神論的であることを充分に自覚しており、汎神論に対して向けられる二つの批判を取り上げ、純粋経験論の立場からそれに答えようとしている。そのふたつの批判とは、一つは「神の人格性」の問題であり、もう一つは「悪の存在」をいかに解釈するかという問題である。

1-6スピノザの哲学的かつ決定論的な汎神論とは異なり、「実在の根柢は人格的である」ということを認める点で、西田は自分の立場が人格主義的汎神論ともいうべきものであることを明言している。このような実在の根柢としての神は「無限の愛なるがゆえに、すべての人格を包含すると共に凡ての人格の独立を認める」(全集Ⅰ-194)立場でもあった。この汎神論は、各個人の人格の独立性と自由を承認する意味で、スピノザの如き必然論ではなく、人間の独立と自由を認める相互人格的契機を内に含んでいる。また善なる神を根柢とする実在は即ち善であるという性善説的立場から「絶対悪」の存在が否定され、悪は「体系の矛盾衝突から起きる」ものであり、矛盾衝突を契機として発展する実在の一契機として位置づけている。そこにはヘーゲルの汎神論的な「合一哲学(Vereinigungsphilosophie)」と同じく、主客未分の一なる實在が、二元的な分裂を経て再統合されるところに実在の動的展開を見る弁証法的論理がある。もっとも西田の場合は、論理学を無前提なる学の始源としたヘーゲルとは異なり、純粋経験を根源的であるとする点に違いがあとしても、その主客未分の即自的な純粋経験が、主客二元の意識の對自的な分裂を経て、再び即且つ對自的な合一を回復するという意味での「合一哲学」の論理を内在させていると言って良かろう。このようにドイツ理想主義に通底する哲学的思惟は、『善の研究』の純粋経験論のうちに内在する論理であり、「意識経験を能動的と考える点で、純粋経験論はフィヒテ以後の超越哲学とも調和する」(全集Ⅰ-4)と西田に言わしめたものでもあった。

1-7 しかしながら、『善の研究』執筆時の西田の人格主義的汎神論の哲学的基礎は、あくまでも「意識現象を唯一の実在とする」純粋経験論である。それは、ヘーゲルのような高度に思弁的な論理の辯證法的体系によって根據づけられてはいない。ベルグソンのごとく随所に宗教の根源に関わる直観的な洞察を秘めているとはいえ、純理論的な哲学的議論だけに制限してみるならば、純粋経験論とは、要するに「神と世界の関係は意識統一とその内容との関係である」という公理(根本命題)から出発する哲学的な汎神論という性格を併せ持つものでもあった。しかし、まさにその哲学的汎神論のアプリオリな前提をなす公理自体は、一切の独断を排すべき純粋経験論のなかにあって、なおも独断的な一つの仮定として残存していたと言わざるをえないのではないか。

1-8問題は、『善の研究』執筆時の西田の人格的汎神論の根本命題、自発自展する純粋経験論の基本前提そのものが、あらゆる先入主を遮断して疑うベからざる確固とした「心霊上の事実」を如実に表現するものであったかどうかという点である。すなわち、このような公理を前提として考えられた神が、はたしてキリスト教の伝統の中で、キリスト者が経験した神、旧新約聖書において啓示された神の経験を如実に表現できていたかということである。フッサールとは違って有神論の神的「存在」を純粋な現象学という哲学知の中から排除するのではなく、あくまでも哲学の終結としての神を、我々の直接経験に基づいて語ることを志向する西田にとっては、神を論ずること自体が根本的な哲学の課題であった。キリスト教的経験を、他人事ではなく自己自身の在り方に深く関わるものとして取り上げた西田にとって、キリスト教の核心に触れる宗教哲学を構築するためには、『純粋経験』の意識内在の立場の限界を突破することが必要であった。しかし、その突破は、あくまでも純粋経験とは異なる立場を独断的に前提することによってではなく、純粋経験論をその根柢へと徹底することによって、そのなかになおも含まれていた汎神論的な独断を突破し、意識に内在的な経験の立場では語り得ないものを根柢から自覚することによって、意識の立場の限界を超出することこそが求められなければなかった。

1-9 『善の研究』以後、『無の自覺的限定』にいたるまでの西田哲学とキリスト教との関わりを考える場合、単なるプラトン主義ではなく「キリスト教的」プラトン主義の系譜に属する思想家達が意味を持ってくるのは、まさに意識経験に内在的な人格的汎神論の立場をさらに超えてゆく論理を彼らが示している点にあった。

1-10 すなわち、プロチヌスやプロクロスに代表される根源的一者からの発出と還帰によって万象を説明する理性主義の極北ともいうべき哲学的な汎神論と、ユダヤ教に由来する聖書的伝統のなかで「神の言葉」として語られてきた超越神に由来する宗教的経験との緊張対立の中で、プラトン主義の立場そのものを、さらに内在的に超越していったキリスト教的プラトン主義の伝統が、西田にとって重要な意味を持つようになった理由がそこにあると言わなければならない。

1-10 『善の研究』の宗教論の第四章「神と世界」の冒頭箇所に、哲学的な汎神論では決して語り得ぬものへ言及したテキストがある。それは西田がキリスト教的プラトン主義の神論に言及する箇所でもあるという点で、単なる自然主義的な汎神論を超え出る契機を内包している点において興味深いものである。西田はまず、「純粋経験の事実が唯一の實在であって神はその統一であるとすれば、神の性質及世界との関係もすべて我々の純粋経験の統一即ち意識統一の性質および其内容との関係より知ることができる。」と述べる。これを便宜上「神の性質及世界との関係の可知性のテーゼ」(テーゼA)と呼んでおこう。それは、「超越的神があって外から世界を支配するといふ如き考は啻に我々の理性と衝突するばかりでなく、かかる宗教は宗教の最深なる者とはいはれない様に思ふ。我々が神意として知るべき者自然の理法あるのみである、この外に天啓といふべきものはない」という超自然否定の理神論ともとられかねない自然主義のテーゼでもある。しかしながら、テーゼAのなかに含意されている自然的態度を根柢から轉換するテーゼが、まさにこの直後に語られていることに着目したい。それは、「我々の意識統一は見ることも出来ず、聞くことも出来ぬ、全く意識の対象となることは出来ぬ。一切は之に由りて成立するが故に能く一切を超絶している。」という文である。これを「我々の意識統一(神)の不可知性のテーゼ」(テーゼB)としよう。西田の汎神論の神の可知性(テーゼA)を支えているものは、實は「神の不可知性」(テーゼB)なのである。

テーゼBは、意識現象に内在的な純粋経験論の内部にあって、それを可能ならしめている根源的な作用(意識統一)であるが、それ自身は純粋経験の内部では語れない特異点として、内在的超越への道を指し示していることに注意したい。そして、西田がこのあとで列挙しているキリスト教的プラトン主義の系譜に属する思想家として、西田はまずディオニシュースの「消極的神学」が神を論ずるに否定をもってしたことを挙げ、次に、「ニコラウス・クザーヌスの如きは、神は有無をも超越し、神は有にしてまた無なりと言っている」とのべ、否定神学と對立の一致を説くキリスト教プラトン主義の神学的伝統に言及している。

1-11 もっとも、クザーヌスの引用が、「隠れたる神」に依拠しているのだとすれば、そこでのクザーヌスは確かに「神は有無を超越している」と述べてはいるが、「神は有にして無である」というごとき矛盾対立の合致を決して「一つのテーゼ」として立ててはいないことはここで指摘しておかなければならぬであろう。クザーヌスが「隠れたる神」で神を賛美礼拝しつつ示した否定神学は、「神は有(aliquid =something)でなく、また無(nihil=nothing)でもなく、有にして無であるのでもなく、有でもなく無でもないのでもない」というテトラレンマ(四句分別)であって、およそ分別的理性が取り得る凡ての言説をすべて網羅した後で、そのような分別そのものの解体・脱構築することを特徴としている。それは正反合という統合によって、正命題と反対命題の部分的な真理性を保存しつつ高次の命題においてそれを共に否定する如き過程的辯證法とは異質な論理である。それは、まさに「智ある無知」(docta igorantia)を示す否定神学であって、そこにおいては有無の二元對立の彼方の「隠れたる神」は、無知を通じて知られるのである。

1-12 西田の『善の研究』の宗教論は、宗教的経験の事実そのものにねざす逆説的な言葉が随所に語られており、それはある意味でその後の西田哲学の論理を直観的に先取りする印象を与えるものが多いが、とくにキリスト教的プラトン主義者としてのクザーヌスの言う「智ある無知」を彷彿とさせるものは、最終章の付論として追加された「智と愛」の末尾の言葉であろう。

「神は分析や推論によりて知り得べき者ではない。實在の本質が人格的の者であるとすれば、神は最人格的なる者である。我々が神を知るのは唯愛又は神の直覺に由りて知り得るのである。故に我は神を知らず我唯神を愛す又は之を信ずという者は、最も能く神を知り居る者である。」

『善の研究』の翻訳者の一人であるVigliermo は『智と愛』という付章を「驚嘆すべき文学作品であり、東西を問わず最も偉大なる宗教詩に比肩する一種の散文詩」として賛嘆を惜しまなかったが、この結びの言葉ひとつとってみても、「善の研究」の哲学的汎神論の「論理」には同意できない読者であっても、その心を撃つ洞察が秘められているように思われる。

哲学的論理としてみる限り、後年の西田自身が認めたように『善の研究』は不十分なものであった。まず「神を意識経験の統一である」という前提ひとつをとってみても、そこでいう「統一」とは、心理学的な意味での経験的統覚であるのか、それともカント哲学で言う意味での「超越論的統覚」なのか、あるいはそのような意識の立場で語られる「統覚」を突き抜けたより根源的なる場所に於ける統一作用を意味するのか、その点は明確ではない。主客合一という立場自体も後年の西田自身によって放棄されるようになるし、人間の根源罪悪と自由意志の問題も、『善の研究』においてはまだ突き詰められて考えられていたとは言えない。

しかしながら、『善の研究』宗教論本論の最後に引用されたオスカーワイルドの獄中記 De Profundis の言葉を引用した結びの言葉もまた、既成の如何なる宗教によっても倫理道徳によっても救済を見いだすことが出来なかった世紀末の詩人、社会から倫理的に糾弾され疎外されたワイルドの「深き淵」より語る聲への西田の共感を示すものであった。

「希臘人は人は己が過去を變ずることのできないものと考へた、神も過去を變ずる能はずといふ語もあった。併し基督は最も普通の罪人も之を能くし得ることを示した。例の放蕩息子が跪いて泣いたとき、かれはその過去の罪悪及び苦悩をば生涯に於いて最も美しく神聖なる時となしたのであるといって居る。ワイルドは罪の人であった、故に能く罪の本質を知ったのである。」

この言葉もまた、決定された過去が懺悔回心の瞬間に於いて、非因果的、非過程的に瞬時に変貌するという、時間論の根本的な問題を提起しているように思われる。しかしそういう哲学的問題は、『善の研究』では「實在はすなわち善であり」、「實在体系の矛盾衝突」より起こる悪は「實在発展の一要件である」という性善説的な立場によって片付けられており、その点に於いて「悪」の問題、魂の底からの懺悔が同時に賛美であるという宗教的経験のパラドックスが、さらに立ち入って論ぜられてはいないのである。

 

第二章 『自覚における直観と反省』―キリスト教的プラトン主義との内的対話の深化
―神現論(テオファニア)と創造論― 

2-1 宗教的経験の原事実に関する西田の鋭利なる直観が、それにふさわしい哲学的な反省と統合された自覚、ないしは内的生命のロゴスを求めていったプロセスとして、『自覚における直観と反省』以後の哲学的思惟を位置づけることができるであろう。その始まりを告げる『自覚における直観と反省』という書は、場所的ロゴスの誕生以前の西田の「悪戦苦闘のドキュメント」であり、そのかぎりではまだ中後期の西田独自の哲学を構築するには至らぬ過渡的な段階のものであった。

2-2 しかしながら、西田とキリスト教的プラトン主義との内的対話の進展という見地からすると、近代のドイツ理想主義の哲学の思想史的背景として地下水脈のごとく活きていたキリスト教的プラトン主義の伝統を、西田が『善の研究』のときよりも遙かに深いレベルで自己自身の哲学的思惟のうちに深く摂取しつつ、さらにそれを乗り越える論理を模索していた文書としてこのドキュメントを読み返すことができる。

2-3 とくにこの時期の西田にとって重要な意味を持つ思想家は、ディオニシュース・アレオパギテースとヨハンネス・エリューゲナである。前者は後者によって西方キリスト教会に知られるようになったわけであるから、ディオニシュースはアウグスチヌスと並んで、中世のキリスト教的プラトン主義の形成に多大の影響を与えた思想家と言っても良いであろう。とくに、エリューゲナについての西田の評価は極めて高く、彼からの引用は、アウグスチヌスについて多く、前期中期にとどまらず後期西田哲学においても繰り返し反復されている。

2-3 西田は『善の研究』では、前述したように「宇宙は神の所作物ではなく、神の表現 manifestationとみる」ことから「宇宙と神との関係は芸術家とその作品との如き関係ではなく、本体と現象との関係である」という汎神論の立場をとっていたが、「創造」というユダヤ・キリスト教的概念と「発出」というプロチヌスに由来するギリシャ的概念を「神現(テオファニア)」というキリスト教的プラトン主義の概念に統合したエリューゲナの影響のもとに、西田は「創造」ないし「創造作用」を自己の哲学の根源語の一つとして積極的に語るようになるのである。

2-4 『自覚における直観と反省』において、エリューゲナの『自然について』を参照しつつ西田は、「多くの紆余曲折の後」「知識以前の或者」に到達したと述べ、「カント学徒と共に知識の限界を認めざるを得ない」ことを認めた後で、ベルクソンの創造的進化の基礎に或る純粋持続の考え方をも批判しつつ、ディオニシュースとエリューゲナを引用して次のように言う。

ベルクソンの純粋持続の如きも、之を持続といふ時、既に相対の世界に堕して居る、繰り返すことができないといふのは、既に繰り返し得る可能性を含んでいる。真に創造的なる實在はディオニシュースやエリューゲナの考えのように一切であると共に、一切でないものでなければならぬ。ベルクソンも緊張の裏面に弛緩があると言って居るが、真の持続はエリューゲナの云った如く、動静の合一、即ち止まれる運動、動ける静止でなければならぬ(Ipse est motus et status, motus stabilis et status mobilis)。之を絶対の意志と云ふも、既にその當を失して居る、所謂説似一物即不中である。(全集Ⅱ-278)

『自覚における直観と反省』はフィヒテ的な自覚の立場を基礎とするものであったが、西田はこの立場にも限界を見いだし、エリュ―ゲナを引用しつつ「説きて一物に似たれども即ちあたらず」という南嶽懐譲禅師の禅語で結んでいる。いまだこの限界を突破する哲学のロゴスを発見するには至らず「刀折れ矢竭きて降を神秘の軍門に請うたという譏り」を甘受しつつも、神秘主義をさらに脱底する道を西田は模索していた。そして、新たなる哲学的な論理で、それを積極的に語る道を西田が歩み始めるためには、キリスト教的プラトニズムの霊性との内的対話こそが重要な契機となっていたと言えよう。

2-5 西田は、エリューゲナの『定命論(予定論)』を重要視し、認識の根柢に意志があるという立場から、「神に於いては何らの必然も何らの定命もない、定命 Praedestinatioは神の意志の決定に過ぎぬ」という彼の言葉に深い意味があることを認め、意志は「創造的無から来たって創造的無に還り去る」と云う考えに共感しつつ「斯く無より有を生ずる創造作用の點、絶対に直接にして何らの思議を入れない所、そこに絶対自由の意志がある、我々は此処において無限の實在に接することができる、即ち神の意志に接続することができるのである」と述べる。(全集Ⅱ-281)

2-6 エリューゲナを介して西田は「無からの創造」というキリスト教の根源的な考え方に賛同するようになるが、そこで云う「創造」とは工作者が、外部から事物を、素材なしに制作するというが如き擬工態的モデルにもとづくものではなく、我々の自由なる意志作用の根源に於いて働く「最も直接的なる創造作用」である。

2.7 エリューゲナの『自然について』における神現論は、後期哲学の哲学論文集でも繰り返し引用されるが、それもすべてエーグレッスス(egressus)すなわち「神から出る」ことと、レグレッスス(regressus)すなわち「神に還ること」という「神から神への往還運動」において創造を捉える文脈である。西田がこのように後期の著作に至るまで繰り返しエリューゲナのテキストを引用した理由の一つは、『自然について』における「無」にかんする独自の辯證法にあると言えよう。   

2-7 『自然について(ペリ・フュセオン)』第二部で、エリューゲナは、神は「無」であると断言すると同時に「神は一切である」ことを肯定しつつ、次の如く云う。

弟子:聖なる神学が無という言葉で(nomine quod est nihilum =無の名号で)表現しているものがなんであるか、先生に説明して頂きたいのです。

教師:その言葉で表現されているのは、人間の知性であれ、どのような知性にも知られない、神の善性の言い表しがたく、捉えがたく、近づき難い明るさだと私は思うのだが。というのも、それは超存在的(superessentialis)で超自然本性的(supernaturalis) であるから。それは、それ自体に於いて考えられる場合には存在していないし、存在しなかったし、存在しないであろう。というのもそれは、すべてのものを超越しているので、いかなるものにおいても考えられないからである。しかし、存在するものどもへのある言い表しがたい下降を通じて(per condescensionem) 、それが精神の目で見られる場合、ただそれだけが万物に於いて存在しているのが見出され、事実存在しているし、存在したし、存在するであろう。それゆえに、その卓越性の故に、それが捉えられないと理解されるかぎりに於いては、それは無と呼ばれるとしても當然のことであるが、しかし、それがその神現に現れ始める場合にはいわば、それは無からあるものに発出すると言われ、本来全ての存在を越えて居ると考えられているものが、すべての存在に於いてもまた独特な仕方で認識されるのである。[1]

ここで言う「無」は決して欠如としての無ではなく、単なる否定的な無でもない。それは、「すべての存在するものを超越している卓越性」と「超存在的で超自然的な本性に従って」「無」と呼ばれているのである。さらに、この「無」から「存在するもの」への神現の運動を、エリューゲナは「下降」と呼んでいるが、それは感性によっても理性によっても見ることの出来ぬ「無」が見ることのできる「有」へと現れることを意味しているのである。まさに「見えるもの」は「見えないものの形」なのである。そして、西洋の有-神論的な哲学や神学の伝統では例外的であろうが、エリューゲナは神を「絶対的な無」という名でも言い表している。

神の知恵は、自分が形成するために自分より上位の形相に向かうことがないので、無形といわれるのが正しいことである。実際それはすべての形相の無限の範型であり、それがさまざまな目に見えるものや目に見えないものの形相に下降するとき、それはあたかも自分の形成を振り返るように自分自身を振り返るのである。それゆえ万物を越えて居ると考えられる神の善性は、非存在、絶対的な無と言われるが、しかしそれは全宇宙の存在であり、実体であり、類であり、種であり、量であり、質であり、すべての被造物において、すべての被造物について、どんな種類の知性によっても考えられるすべてのものであるのだから、万物に於て存在するし、存在すると言われるのである。[2]

2-8 実体、類、種、量などアリストテレスなどアリストテレスが範疇としてあげたものは、帰するところは有のカテゴリーである。それらの概念枠を突破している究極の超越論的(transcendental)一般者を、エリューゲナは「絶対的無」という名号で示したのであるが、それは、「下降」即「上昇」という「神現」の運動に於て[3]、人間が感覚や知性でとらえることのできる「万物に於て存在するし、存在すると云われる」のである。

2-9 この考え方に西田が深く共感したのは、それが、彼が若き時より親炙していた東アジアの霊性的伝統、とくに「形あるものは、形なきもの形」であり、「色(形あるもの)と、それを形あるものたらしめている「空」が、そのまま「逆対応的に同一」であるという大乗仏教の根本思想、すなわち色即是空、空即是色というごとき交差配列語法(chiasmus)によって表現されるダイナミズムに通底するものであったからであろう。[4]

2.8 西田は、場所論的轉換を経た後の彼の中期の代表作である『一般者の自覺的体系』と『無の自覺的限定』のなかで「絶対無」を根源語とする哲学的な思索を展開するようになるが、それは下降の道即上昇の道というキリスト教的プラトン主義の考え方に沿ったものであった。[5]とくに、『無の自覺的限定』は、「絶対無」を神の名号とするエリューゲナのキリスト教的プラトン主義を手引きとしつつ、さらにアウグスチヌス、エックハルトのような他のキリスト教的プラトン主義の系譜に属する思想家、キルケゴールや西田と同時代のドイツの辯證法的神学者、およびマルチン・ブーバーのようなユダヤ教思想とも深く関わる議論を展開している。

 

第三章 『一般者の自覺的体系』と『無の自覺的限定』におけるキリスト教

 3.1 フランス現象学の現代的な傾向として、フッサールとハイデッガーの現象学の方法を徹底させることによって、それを更に一歩超え出て、キリスト教神学の根本的な問題を、現象学によって論じる一群の現象学者がいる。所謂「現象学の神学的転回」とよばれるものである。そのなかでも、とくにJ.L.マリオンは、フッサールの現象学的還元の「還元」を徹底させ、ハイデッガーの「存在」(Sein)への問いを更に根元化するものとして「贈与」の現象学を提唱している。それは、「存在は贈与として与えられる」という表現に含意される「贈与のはたらき」に注目した現象学である。[6] 彼の初期の主著のタイトルである「存在なき神(Dieu sans L’être)」とはまさしく、「存在をさえ超越した神」であって、ハイデッガーではまだ主題化されていた「存在」を更に「還元」し、贈与作用によって「存在」そのものが「与えられる」ことを現象学的に解明しようとしたものである。彼には「聖像と偶像」の違いを述べる興味深い論述もあり、活ける神に導く聖像によって無限なる神を礼拝する代わりに、死せる偶像を神の代わりに礼拝する偶像崇拝を批判している。この聖像と偶像との根本的な区別と共に、人間の理性によって捏造された神概念を立てる有・神論(Onto-theologie)の「神」を、まさしく思索に於ける偶像崇拝と断定し、そのような「形而上学」の神概念を脱存在化する興味深い議論を提供している。

3.2 ここでは、紙幅の都合上、現在も旺盛に現象学と神学との境界領域で思索しているマリオンについてこれ以上論じることは出来ないが、彼に半世紀以上もさきがけて、フッサールが『イデーン』を公刊し現象学の構想と理念を確立した時点で、現象学を根源的な宗教哲学へと転回させた西田の中期哲学の先駆性を指摘しておきたい。

3.3  西田によって宗教哲学へと転換された現象学は、さしあたっては「本来的自己の現象学」ないしは「己事究明の現象学」と言って良いであろう。現象学の方法の基本は、意識現象の志向的内在、ノエシスとノエマの区別、本質直観ならびに範疇的直観に基づく非感性的直観と、根源的な意識の意味付与作用にある。西田はこのような現象学の考え方とその方法を、彼の宗教哲学において場所論として転換したわけであるが、その基本は、意識の根柢に意志と内的生命を見る西田自身の根本的な考え方にある。

3.4 意識の現象学を、知情意の全てを統合する身体性に立脚した人格的存在と、そのような活きた個人の本来的自己がどこに立脚しているのかを、哲学的場所論によって究明すること、すなわち現象学で言う「超越論的自我」に身体性と事実性にもとづく具體性を恢復させ、いわば生活世界の「大地」にしっかりと立たせることが西田の方法の根本にあった。「意識一般」という普遍的立場は、西田にとっては生命を持たぬ抽象的な自我に過ぎないのであって、形相的なるものだけでなく質料的なるものをも含んだ「不合理性」を孕む原事実、そのような事実性に徹した個人が、そこにおいて生死している場所を究明する現象学が要求されたのである。

3.5 『一般者の自覺的体系』では、意識論が行為論(意志論)によって基礎づけられ、行為論が「内的生命論」によって基礎づけられるが、この内的生命が宗教的生命として位置づけられる。西田の第一義的関心は、概念によって探求される形而上学的「存在」をめぐる抽象論ではなく、また意識を絶対的存在としてそこにすべてを還元するフッサールの現象学の知性的立場に留まらずに、「存在」と「行為」以前の「内的生命」に宗教的生命を見る立場であった。

3.6 ここでいう内的生命とは、決して主観的なる思想感情に活きるということではない。西田は、真に内に生きるということは、「外を内となす」ことであると注意した後で、西次の如く内的生命を彼の哲学の中で位置づけている。

内的生命といふのは上に言った如く客観を離れて空虚なる主観に生きることではない。真の内的生命とは自己自身の底に深い非合理的なるものを見ることである客観の底に横たわる深い非合理的なるものを自己自身の内容となすことである。….

非合理なるものの底に神の霊光を見るのである。斯く行為の底に行為を超えたノエシス的限定というものが、私の所謂内的生命と考へるものである。(全集Ⅴ-414)

 

3.7 存在論よりも行為論を、そして行為論よりも生命論のほうをより根源的とみるのが西田の立場であるが、ここで「外を内となす」内的生命は、「自己に外的なるものを自己自身の運命として自己自身の深い内容と考へる」ものでもあった。このような立場からは「感覚的なるものも内的生命の質料として宗教的ならざるものはない」のである。

3.8 西田の宗教哲学はこのように「感覚的なるものにも内的生命の質料として宗教的なものを見いだす」ところにあり、単に「形相的なるもの」すなわち「理性的なるもの」だけに宗教的なるものを見るのではない。そしてこのような内的生命の底は非合理性を孕んで無限に暗いが、しかしそれは単なる暗黒ではなく「ディオニシュースの云ふ輝く暗黒」である。

3.6 このように外にある非合理なる事実を内へと転換する内的生命は、非合理的なるものの底に「神の霊光」を見るのであるが、ここでは、単なる理性の限界では語り得ない根源悪の問題、また感覚的世界に於て引き受けねばならぬ非合理な運命、その運命を引き受ける内的生命、その内的生命自体の暗い根柢、その根柢から「輝く闇」にとして顕現する「神現」というモチーフに注目したい。「宿業」ないし「宿命」というほかない非合理を自ら肯定的に引き受けて、それを「運命」として肯定することによって逆説的に宿命から自由となる根據は、西田の哲学的場所論では、「絶対無のノエシス的限定としての絶対愛」および「絶対無のノエマ的限定としての永遠の今」として位置づけられる。(『無の自覺的限定』序、全集Ⅵ-10)

3.7 「我々の行為を限定するものは単なる理性ではなく、イデアの底にはイデア的に自己自身を限定すると共に、イデア的限定をも否定するものがある」というのが西田哲学の生命論であり、それはやがて、西田がギリシャ哲学の主知主義の限界を超えて旧約聖書の世界と内的対話をする『場所的論理と宗教的世界観』の議論を先取りするものでもあった。非合理的なる歴史的事実を含みつつも、その「外なる非合理を内へ」と転換し、内的生命の底に神の霊光すなわち神現を見た新旧約聖書の記録された宗教的経験に哲学の側から肉薄すること、それが最晩年の西田哲学の主題の一つになるのである。

 

第4章 場所的辯證法の徹底―矛盾的自己同一の論理

 4.1エリューゲナは、西方教会に東方教会の霊性を導入した人であり、その意味でギリシャ正教とローマン・カトリックの霊性的伝統の大胆なる統合者であるが、ルター以後のプロテスタント、およびキルケゴールにはじまりバルトによって先鋭な形で表現された自然神学(哲学的な神学)否定のキリスト教とは、人間本性の堕落(原罪)以後の神認識の可能性については次の点で異なる観点をとっている。

 聖アウグスチヌスはこうのべている。「私たちがそれによって父自身を理解する精神と、私たちがそれを通して父を理解する真理の間には如何なる被造物も介在していない。」[7] 最も聖なる教父の言葉において私たちは、人間本性は原罪の後もその栄位を全くうしなったわけではなく、依然としてそれを保持していると理解すべきことを教えられる。…だから私たちの精神と神との間にはいかなる被造物も介在していないとすれば、私たちは無力さにあっても、神をまったく捨て去ったのではないし、神に見捨てられてしまったのでもないのである。魂や身體の宿痾の病のために、それによって私たちが神を理解するところの、またそこにおいて創造者の像が優れた形で造られたところの、精神の眼を失ってはいないのである。(P-Ⅱ-5-531)

エウリゲナはディオニシュース文書の翻訳以前に、当時問題とされていた神学的な二重予定説に反対する著作を書いている。その議論は高度に思弁的であり、かつ真の哲学は真の宗教であるという立場で書かれていたために、同時代の神学者には理解されなかった。時代に先駆けた彼の見解は、基本的には、人間の自由意志の「存在」は神の贈与として、決して無に帰するものではなく、ただその能力のみが毀損されているという立場である。そして悪というものは第一義的には存在しないのであるから、予知は虚無には関わらず(虚無を知ることはナンセンスである)、永劫処罰も予定されてはいない。神の選びと予定は救済の決定であって、罪を犯すものはそのこと自体が罰なのであって、神はさらに永劫の罰などは予定しない。悪人・罪人の未来における救済は未決定のまま据え置かれるのである。

万物が神に由来し神へ還るというコスモロジーをとる限り、救済されぬ例外的存在があると云うことは論理的に首尾一貫せず、そのかぎりで、悪行と永劫処罰への予定というものはありえないという立場(普遍的・宇宙論的救済)を説くことが、首尾一貫した帰結と云うべきであろう。

4.2人間本性は、如何に堕落したとしても、神を識別する人間の精神の目は毀損されずに存在するという考え方は、哲学とキリスト教との関係にかんするエウリゲナの考え方と深く結びついている。この目を持つとき、哲学は真の哲学となり、哲学を啓示された真理にむけて開眼させる力となるというエリューゲナの考えは、神の恩寵に基づく神人協働(シュネルギア)と神化(テオーシス)を重視する東方教会の正統的な考えとは全く齟齬をもたらさぬものであったが、西方教会では、その考え方は受容されなかった。アウグスチヌスの晩年の教えから、滅びへの予定をも強調する二重予定説を導出する考え方は、宗教改革の時代の神学者たち、とくに二重予定説を復活に対して、周知のようにバルトはブルンナーとの論争において、堕落後の人間が恩寵なしで神を認識する能力があることを否定し、自然神学を汎神論として全面的に切り捨てた。[8]バルトの自然神学批判は、徹底した超越的内在の立場であり、人間から神に至る道を否定し、神から人間に来る道のみを一方的に認めるものであった。

バルトの「超越的内在」の神学の議論は、その徹底性に於て、自由主義神学のみならず、彼に追随した辯證法的神学者をぬきんでていたラジカルなものであるということは西田は充分に認めていたに違いない。しかし、西田が言う「内在的超越」の立場は、バルトの如きキリスト論的集中にもとづく「超越的内在」の立場をも含んで成立するものとして構想されていたのではないか。

4.3 私は、そのような意味での萬有在神論の徹底こそが、西田の萬有在神論の特徴であると考える。それは、単に万物が神に於いてあるという考え方、世界を神の場所と考えるのではなく神を世界の場所と考える思想だけを指すのではない。そういう意味での萬有在神論といえども、が神と世界の区別を明確にした上で両者を関係づける点に於て優れた思想であり、無神論か、さもなくば無世界論になる傾向性をもつ汎神論を更に一歩進めた神学的立場であることは確かであるし、伝統的なユダヤ・キリスト教の有神論とも調和する思想として西田以外の多くの神学者・哲学者にも見られる思想であろう。

しかし、後期西田哲学の萬有在神論は、「矛盾的自己同一の論理」をもつことで、バルトの如き徹底した超越的内在の立場を超える方向性を示している点に於て独自のものであり、エリューゲナの如き萬有在神論をさらに徹底させた思想でもある。

4.4 バルトは『教会教義学』の救済論のもっとも重要な箇所、十字架上での贖罪死を選んだ「神の子の従順(Der Gehorsam des Sohnes Gottes)」を語るときに、イエス・キリストを「我々に代わって審かれたもうた者としての審判者(Der Richter als der an unserer Stelle Gerichtete)」と言表する。審判者が同時に審かれた者であるということは対象論理によって理解できる言説とは言えない。これは自己が自己自身を審くなどという道徳レベルの話ではない。十字架の死に至るまで従順であった神の子を審き、贖罪の子羊として犠牲に供させた父なる神が、子なる神と同一の神であるというのが正統信仰の基本である。このような同一性こそ、まさに矛盾的自己同一そのものではないか。

4-5 「我々に代わって」とは文字通りに訳せば「我々の場所に於いて」である。それは、十字架に附けられたイエスが、われわれ各人が今此処で生きている「場所」に於いて、隠れたる神として「神現」することではないか。

4-6 対象論理的にいえば、2000年という時の隔たりをもち、空間的にも遠く隔てられたゴルゴダの丘で、十字架の刑に処せられたイエスは、多くの異邦の民にとっては目立たぬローカルな年代記的な事件に過ぎぬであろう。しかし、イエスをキリストと信じて信仰告白をする者にとっては、その事件は、一人一人が今此処で死の深き淵より活かされて生きる実存の「場所」において生起する出来事となるのである。 そのとき、この出来事は、各人の場所に於ける「原始歴史」として、まさに新しき時の始まりとなる。そのとき、贖罪死の出来事は、まさに自己自身の事柄となるのである。

4.7 我々はキリスト者の信仰告白の中で、時に「キリストは私一人のために十字架で死んでくださった」という如き言葉を耳にする。これも対象論理的に考えれば理解不能な発言であり、人によっては傲慢な発言と思うであろうが、実際は全くその正反対である。

なぜかといえば、語り手は、「私の場所」に於いてキリストの贖罪死を受け入れたのであり、自己自身を地獄の業火に焼かれること必定の反逆者に他ならなかったことを心の底から自覚したのである。そうであればこそ、「義人」のためではなく、極悪非道の罪を現に犯した私、キリストを誹謗しキリストに反逆した私のためにこそ、キリストは死んでくださったという意味がそこになければならないであろう。

4.8 「キリストと共に十字架上で死に、キリストと共に復活する」という贖罪死の古き教義における「共に」を「キリストに於いて」という場所論的な言語で言い換えるならば、キリストは「私の場所において(私に代わって)死に」「私はキリスト於いて復活する」ということが可能であろう。この逆対応的な場所の論理は、キリストや私を実体的な人格として捉える限りでは、法的な贖罪論―そこでは身代わりとなった人と、助けられた人は、あくまでも別人で有る―の域を出ることはなく、キリストと共に死に、キリストと共に甦るというパウロのような言葉は出てこないであろう。

4.6 バルト自身も教義学の「救済論」のなかで「イエスキリストに於ける人間の存在(Das Sein des Menschen in Jesus Christus)」を語る。「人間の存在の場所」であるキリストに於て語ることは、新約聖書の多数のテキストが証しすることである。

4.7 このような場所論に基づく神学的思惟をもっとも端的に表現しているものは、時代は中世と近代の境界にまで遡るが、エウリゲナと同じく東方教会の霊性の影響を強く受けたニコラス・クザーヌスの萬有在神論において先取りされていたと言っても良かろう。クザーヌスは、かつて公現節の説教で「イエスは今どこに居ますか(Ubi est Jesus?)」という問いかけに対して、「イエスこそが場所である(Ubi est Jesus.)」と答えたが、これこそが対象論理的な「場所」への問にたいして、場所的論理の「場所」をもって答えたと言えるのではないか[9]

 



[1] Johannis Scoti Eriugenae Periphyseon, edited with English translation by P. Scheldon-Williams, Ⅲ Dublin 1981;pp.681-182

[2] 邦訳は、中世思想原典集成第6巻、カロリング・ルネッサンス(上智大学中世思想研究所編)平凡社、2002 所収、ペリフュセオンの今義博訳(同書第19章573頁参照)に基本的にしたがったが、今氏が言葉と訳されたnomen を私は「名号」と訳したい。

[3] エリューゲナが新プラトン主義の元来の用語である「発出」と「帰還」という表現ではなく下降と上昇という表現を用いた理由は、「絶対無」が「欠如的な無(質料)」とはちがう卓越性による「無」であることを示すためであろう。この往還の運動は、時間的な因果的プロセスを必要とする物質の運動ではなく、往還同時的なる魂の運動であることに注意したい。

[4] 実際、西田は「一般者の自覺的限定」の總説において、彼の云う「絶対無の自覚」を仏教的な用語で、「色即是空、空即是色の宗教的体験」と説明している。(全集Ⅴ-451)

[5] エリューゲナは、神現でいう神の下降を基督の謙遜に結びつけて次のように云う。

神現は神以外のものから惹きおこされるのではなく、神の御言葉、つまり父の知恵である独り子が、いわば下の方へ、御言葉によって造られ浄められた人間本性のほうへと謙遜すること、上の方へは先に語り出されている御言葉の方へ、神の愛を通して人間本性が向上することから生じるのである。ここで私が謙遜と云っているのは、すでに受肉によって成されたことではなく、被造物のテオーシス、つまり神化によって起こることである。つまり恩恵による人間本性への神の知恵のそういう謙遜と、選びによる神の知恵へのその同じ本性の向上から神現は生じるのである。(P-Ⅰ-9-449)

[6] ここでは詳論する余裕がないが、エリューゲナは贈与(dationes)と恵与(donationes)を区別して次のように云っている。

贈与というのは、本来それによってすべての自然本性が存在するところの分配であり、またそのようにいわれている。他方、恵与というのは、それによって存在しているすべての自然本性が引き立てられるところの恩恵の分配である。このことから、すべての存在は贈り物(datum)と呼ばれ、すべての力が賜物(donum)と呼ばれることとなる。それゆえ神学は、「善い贈り物と完全な賜物とは、皆、上から、光の父から下ってくる」(ヤコブ1-17)というのである。(P-Ⅲ-3-632)

[7] Augustinus, De vera religione 55,113

[8] 「自己が自己において自己を見る」自覚を深めていく『一般者の自覺的体系』は「本来の自己の現象学」で有り、仏教的な用語を使うならば聖道門の竪出ないし竪超の立場と言って良かろう。これに対し、『無の自覺的限定』において「絶対の他」を語る文脈は、弁証法神学の他者論を西田の立場から論じたものであり、仏教的な用語を使えば本願他力による横超の立場の哲学的解明に繋がるものである。西田はこの二つの道を共に「場所の論理」で論じるのであるが、その具体的な展開は、辯證法的なる歴史的世界を主題とする哲学論文集の創造作用論を挟んで、最晩年の「場所的論理と宗教的世界観」において再び取り上げられたと見て良い。

 

[9] Josef Koch, Cusanus Texte: I, Predigten 2/5, In die Epiphaniae, Brixinac, 1456, pp.84-117

[10] Karl Barth, Die Kirchliche Dogmatik, Die Lehre von Gott, II,2 §§32-33, Gottes Gnadenwahl, I, 1942, Theologische Verlag Zürich, Teilband 10, 1988, S.101

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