歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

世俗の中の福音ー松本馨さんの「小さき声」20号と、療友のための実践活動

2008-03-26 |  宗教 Religion
松本馨さんの「小さき声」第20号(1964年4月)と、多磨誌に寄稿された最後の一人のために(1968年11月)を復刻した。

「小さき声」第20号から、関根正雄先生との交流が詳しく書かれている。とくに、松本さんが、自己の無信仰の徹底的自覺から、二回目の回心を体験された経緯が語られる。

松本さんが聴いた関根正雄の講義では、「神の義が講じられイエスの十字架がさし示めされ信仰がもとめられるかわりに、信仰がとりさられることが求められた」。その講義には多くの人が躓いたが、松本さんにとっては、それこそが救いをもたらすものであったという逆説的な、しかし厳然たる事実が語られている。

先生は次のようなことを言われました。「様々な試みをへて、最後に残るのは信仰であるが、それをもっている限りはだめである。それを取り去られて十字架のイエスの足もとに身を投げ出すときが来る。否、そうせねばならない。自己自身に絶望して彼に死ぬことである。このことがなされて、はじめて魂に十字架を刻印されるのである」と。

先生の口より出ずる十字架の言は、火よりも熱く私の魂に焼きつけられ、きざみつけられました。そして、このとき私の目からウロコが落ちたのです。私は一瞬にしてすべてを理解しました。死のベッドの妻に、なぜ罪を告白することができなかったか、霊安所の妻の遺体に、なぜ罪を告白することができなかったのか、このことがなされなかったために、私の目に神は隠れ、私は失明し、地獄の苦しみをうけたのですが、それは罪に沈んでいる私の上に、神の義があらわれるためでした。神は私のために、あらかじめ時をそなえておいて下さったのです。時とは何か、時いたって、魂に十字架を刻印されることであります。


関根正雄のいう「無信仰」の徹底的な自覺ということ、自己が信仰であると思っていたものを捨て去ったときに、始めてキリストの信仰が与えられ、「魂に十字架を刻印された」ということ-それが、松本さん自身の如実なる体験として語られている。

「小さき声」の20号以降の部分は、このように松本さんのキリスト教信仰の原点を伺わせるものである。そして、この原点が定位された後、松本さんは、自己の問題だけでなく、療友のための活動に邁進するようになる。強制隔離に対する補償要求、生活と医療の改善を求め、自治会活動に精魂を傾ける。それは、松本さんにとって、世俗に於ける福音の実践であったのだろう。彼は、既成のキリスト教の枠組みを超えて、共産党系の活動家を含む全患協のメンバー達と連帯して、独自の視点から自治会の再建を呼びかける。

評論「最後の一人のために」は、いまから、37年前に書かれたもので、当時の全患協の運動に呼応して、再建されるべき自治会の活動の基本について述べたものである。

冒頭に明記されているように、松本さんは

一、強制隔離政策による損失補償。
二、身体障害者-老令者をも含む-に、拠出年金に替る特別措置を考慮してもらうことと日用品費の増額。
三、作業賃の増額。
四、居住様式の改善。
五、治療棟と病棟の改築

という全患協多磨支部の主張を引用・支援しつつ、独自の論陣を張っている。
とくに注目すべきは、1の強制隔離政策による損失補償の項目。松本さんは、損失補償に消極的な意見を

「強制隔離収容によって、私も家族も損失を受けたおぼえは無い、かえって助かったのだ。もし、隔離収容所が無かったならば、家族は私の一生の面倒を見なければならず、それによって受ける家族の犠牲は、金銭で量ることはできない。もし又、私の病気が世間に知れれば私は家を出て、生命の尽きるまで、あてもなく地をさ迷わなければならなかったであろう。強制隔離は、私にとって救いだったのである。」

のように、要約し、それにたいして次のように反論する。

もし隔離収容所がなかったらと云う前提のもとに、強制隔離を肯定することは、強制隔離の是非とは無関係である。現実の悲惨を、それよりも更に重い悲惨を過去に想像して、美化することもありうるからである。私が問題にしているのは、半世紀の歴史を持つ隔離収容所で、何が行なわれ何が起つたかと云うことである。

そして、次に、米国のキング牧師の例を挙げ、

黒人指導者キングは兇弾に斃れて既にこの世には居ないが、黒人の抗議デモは今後も継続されるであろう。それの止む時は死か、白人と平等の自由を獲得した時である。キングは私達にもまた、如何にして人間を回復するか、国民と平等の自由を確保するか、を教えている。それは諸要求に対する運動を通してのみ受取らされるのである。損失補償要求が出来るか出来ないかは、その人が人間性を回復しているか、回復していないか位、私にとっては重要なことに思われる。

と云っている。また、戦前から引き続いて行われていた軽症患者による重症患者の介護という制度を、患者自身の「相愛互助」の精神によるものと美化してきた考え方が、如何に実情とかけ離れたものであったか、その背後に患者が労働しなければ生活できない現実があり、患者の労働に頼らなければ運営できなかった療養所の実態があったことを指摘している。

松本さんは、また、医療センターという独自の構想についても言及し、

一万人の内の二十分の一、三十分の一、或いは最後の一人のために医療センターは設立しておかねばならない。生活の諸要求の声に消されてしまっている病棟の奥深くに、医療センターの設立を望む人達が居るのである。死と斗っている人達である。この人達のためにも、医療センターは設立させなければならないし、その責任が療養所に関係する総ての人にある。その声は弱く細く、小さければ小さいほど、関係者は謙虚に耳を傾けなければならない。私達もまた謙虚に病友の細き声に聞かなければならない。人の生命は世界よりも重い、それはキリストの教えなのである。

と結んでいる。「小さき声」とは、御自身の伝道文書のタイトルであるだけでなく、病苦に悩む療友の「細き声」に聴こうという松本さんの願いでもあったようだ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いのちの歌

2008-03-21 |  宗教 Religion
松本馨は、ルカ伝の「放蕩息子の譬」の核心が「永遠の生命」の問題であると述べていた。
永遠の生命をぬきにしては政治活動も平和運動も無意味であります。私は小学校五年生のとき、二階で首を縊っている兄を発見しました。そのとき以来、「人生とは何か、何のために自分は生きているのか」という一生のテーマを与えられました。癩の宣告を受けたときより、観念ではなく現実の問題として、一日としてこの問題から離れて生きることが許されませんでした。それほどに私にとっては切実な問題であります。」(「小さき声86号」より)
「永遠」という言葉を我々はどのように理解すべきであろうか。内村鑑三は、「聖書の研究」93号(明治40年11月10日)の「花巻座談」のなかで、聖書で云う永遠の生命とは、果たして「永い生命であるか?」という根本的な問を出している。もし、「永遠の生命」が、死することなくして無限に永く生きるということ意味であるならば、そのような「永生」を説く教えは、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」と云った中国の道徳家にも劣るであろう、と明言して、次のように云っている。
私一個人の経験に於きましても、私が神より新たの真理に接したときに、此真理に接したれば今此時に死んでしまってもよいと思ふた事があります。神の真理に一分時間接すれば人生の苦痛はすべて償はれるのであります、真理とはかくも貴いものであります。必ずしも生命の永きを要求しません。(内村鑑三全集15巻、259頁、旅人さんの「晴読雨読」にもこの文書の復刻版があります。)
つまり、永生などは、決してキリスト教本来の教えではない。量的に「永い生命」ではなく、「一分時間(瞬間)」の内にも体験される「いのち」の根源こそが、聖書のいう「永遠のいのち」である。「永生」を願うことの中には、死すべき定めにある人間的現実の拒否がある。そういう「永生」ではなく、生死の現実の根源にあって、ひとを真に活かしている「いのち」に目覚めることこそ、内村が理解している永遠の生命であるようだ。

私も、内村と同じく、無限に永い生命を望むと云うことのうちには、神々の如くなろうとする不死への願望が潜む点に於いて、非キリスト教的なものがあると思う。

アッシジの聖フランシスの「平和の祈り」には、
我等は、与えるが故に受け、ゆるすが故にゆるされ、おのが身を捨てて死するが故に、永遠の生命を得る
という言葉がある。これは、カトリック教会、とくにフランシスコ会の教会ではミサの後でよく唱える祈りであるが、「死するが故に永遠の生命を得る」とは、ヨハネ伝の「一粒の麥」の譬えとおなじく、新約聖書の核心にあるメッセージである。それは、無限に永く生きようとする人間的な願望を否定している点で、むしろ、「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」という言葉と共鳴している。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「小さき声」を聴くこと

2008-03-20 |  宗教 Religion
「聖書は読むものではなくて聴くものなのだ」ということを、私はあるベルギー人の神父から云われたことがある。読むことと書くことも大事ではあるが、生きた言葉というものは、聴く言葉、語る言葉なのだというのである。日本の信徒が、「言葉の典礼」の時に、紙に書かれた聖書の文字を追いながら朗読を聴いているのが彼にとっては不思議でならなかったらしい。彼にとっては「活字」はすこしも活きていない言葉、言ってみれば記憶のための補助に過ぎないのであった。活きた言葉とは、聴く言葉であり、書物に頼らずに、自らが語る言葉なのであった。

松本馨さんの「小さき声」を復刻しながら、私はこの神父のことを思い出した。松本さんにとって聖書とは、何よりも聴くものであり、また、それについて語るものであり、そして何度も暗誦する内に、それを記憶し、いつでも必要に応じて、書物からではなく、自らの記憶の中からとりだして語ることのできるものだったのではなかったろうか。

松本さんの場合、聖書を朗読してくれる人がおり、また、自分のメッセージを口述筆記する人が常にいた。これは非常なハンディキャップであったように思う人が多いが、けっしてマイナスばかりであったとは言い切れない。松本さんと聖書との対話は、完全な孤独の中でおこなわれたのではなく、常に「汝」と呼びかけることの出来る隣人を前にして行われたのである。たしかに、自分自身で誤植をチェックしたり、資料にあたって正確を期すということはできなかったから、細々とした事実関係に関しては、思い違いや誤解が時々見受けられる。そのことを否定するつもりはない。しかし、松本さんのいっていることは、たとえどれほど極端に見えたとしても、大筋に於いて事柄の本質を突いていたという印象を与える。それは、彼の言葉が常に聖書に基づいた活きた「声」であったからだろう。

「小さき声」を復刻するに際しても、私はもとのテキストが持っていた対話性というものを見失わないようにしたいと思っている。復刻本を作るというプロセスの中で、松本さんの活きた言葉に触れることを大切にしていきたい。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沈黙の声

2008-03-20 |  宗教 Religion
今から25年ほど前のことであるが、今井館で、関根正雄の旧約聖書講義を聴いたことがある。その時の主題は旧約聖書に於ける「沈黙の声」というものであった。旧約聖書では、言葉だけでなく沈黙も又主題となるが、関根正雄の講義で特に印象深かったのは、旧約聖書列王記19:11-13の釈義であった。
「見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震が起こった。しかし、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火が起こった。しかし、火の中にも主はおられなかった。火の後に、静かにささやく声が聞こえた。それを聞くと、エリヤは外套で顔を覆い、出て来て、洞穴の入り口に立った。そのとき、声はエリヤにこう告げた。「エリヤよ、ここで何をしているのか。」
 新共同訳聖書で、「静かにささやく声」と訳されているヘブライ語を、関根正雄は「火の後で、かすかな沈黙の声があった」と訳していた。私は、この旧約聖書講義を聞いて、はじめて目を開かれる思いがしたのを記憶している。のちに、このときの講義は、講談社から「古代イスラエルの思想家達」として出版されたが、その本のなかで関根正雄は、上の該当箇所を次のように釈義している。
「神の不在の確認の後の「声」は、テリエン(旧約學者)の考えるような神の現在の自覺の準備云々という程度のリアリティではなく、すでにそれ自身神の霊的現実であったと我々は解する。だからこそ、この声ならざる声を聞いてエリヤはその顔をマントで覆い、出て行って洞窟の口に立ったのではないか。(中略)沈黙の声すら霊的に聞けないものに、神はどのようにして語り得たであろう。肉の耳をもってではなく、霊の耳をもって神の声を聞いた経験のない人が、「神は語られる」といってもそれはテキストをなぞっているにすぎない。(中略)エリヤの聴いた「沈黙の声」についてデイヴィッドソンが1970年の論文で記していることは我々には示唆的である。風や地震や火を通してという今まで受け入れられてきた信仰のカテゴリーが死に絶えるときに、神は新しく見出される、という意味のことをデイヴィッドソンは言っているのである。」
「沈黙の声」という表現は私にとっては自然である。聖書自体がそのような声に満ちているようにさえ思われる。たとえば、神の創造された世界は「沈黙の声」を語ります。「話すこと」なく、「語ること」なく、その「声」も聞こえないのに、「天は神の栄光を語り、大空は御手の業を示し、昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る」(詩編19)このような栄光に満ちた沈黙だけでなく、試練のなかでの沈黙もある。沈黙を破る言葉があるだけでなく、言葉を破る沈黙というものもある。聖書の中で示される「沈黙」を理解することによって、はじめて我々は聖書の言葉を理解できるということがあるだろう。やかましく響き渡る声よりもはるかに我々の心に響く沈黙というものがある。そして聖書自体、様々な箇所でそういう「沈黙の声」を主題としている。そういう「沈黙の声」を旧約聖書の様々なコンテキストの中で聴くということを私は関根正雄の旧約講義から教えられた。そして、それは決して関根正雄だけのことでなく、現代に生きるユダヤ教徒の(旧約)聖書釈義のなかにも見られるものである。たとえば、アンドレ・ネエルは『言葉の捕囚-聖書の沈黙からアウシュビッツの沈黙へ』(西村俊昭訳 創文社 昭和59年)のなかで、問題になっている列王記の箇所について次のように言っている。
「神は嵐の中にも、つむじ風のなかにも、火の中にも(カルメルの火)おられない。かれは<ささやくような小さき声>コル デママー ダッカー(19-12)のなかにおられるのだ。この表現もまた、きわめて皮肉な表現である。というのはそれは、神の唯一の声は「その沈黙」であることを、人間に教えているからである。こうして、二度の逆転がカルメルとホレブの継続場面の結合の中で同時に行われる。言葉の観念は価値を失い、沈黙の観念は積極的な価値に達する。神の言葉は自動的ではない。それは無価値であることを表明しうるし、失敗をももたらしうるのである。また、沈黙はもはや神の怒りないし神の拒否のしるしではない。それは言葉と同様、またそれ以上に、神の「現在」を表現する。この二枚織りの絵を通して、神の沈黙は象徴を変える。不活動の水準から、生命の水準に達する。カルメルの場面の夕べ、民は声を揃えて、「言葉」と「応答」の神こそ、生ける神と叫んでいた。そして今、ホレブの場面の夕べ、預言者エリヤは孤独のなかで理解する。生ける神とは「沈黙」と「引退」の神であることを。(中略)聖書は、たといそれがか細くとも、「沈黙の声」を語るとき、聖書自身が我々に聴くように招いているのではないだろうか」
かつては「言葉」と「応答」という雄弁なる対話の(政治的)世界にいた預言者も、孤独の中で、生ける神の「沈黙の声」に耳を澄ませますー「沈黙」と「引退」のただなかで、彼も又、自らの沈黙の言葉を語るであろう。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする