歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

法華経の統合思想ー上宮王私集 法華義疏を読む

2018-06-12 |  宗教 Religion

 

 法華経の統合思想ー上宮王私集「法華義疏」を読む
 
「法華義疏」は、上宮王(かむつみやのみこ=聖徳太子)の真蹟が皇室の宝物としてほぼ完全な形で伝承されている。この書の成立は古事記や日本書紀よりも古い。おおよそ1400年も前に書かれたこの太子真筆の書を現在の我々が閲覧できることは奇蹟的であり、日本文化の貴重な遺産と言って良いであろう。(書かれた時期からすれば「勝鬘経義疏」のほうが古いが、現在は古写本のみが残存している)「法華義疏」は、「勝鬘経義疏」とおなじく、同時代の三韓と中国の代表的な注解(本義)、様々な対立する諸解釈を適宜に取捨選択したうえで、太子自身の主体的な意見(私見)を随所に記した簡潔ながらも優れた注解書である。
 
 法華義疏には後世の伝承者の但し書きが付記されていて、そこには「此は是、大委国上宮王(やまとのくにかむつみやのみこ)の私集(わたくしにあつむるところ)、海彼(わたのあなた)の本にはあらず」とある。「私集」という位置づけは、内容的に見て非常に剴切だと思った。
 
 推古天皇を始とする皇族達に講義するための覚え書きが義疏の原型であろう。様々に異なる注解の伝承をふまえ、適切な配列によって簡潔に要約したうえで、自己の主体的な解釈を述べるというのが太子の著作の作法(エクリチュール)である。太子以後の日本人がこの書を伝承するに際して、この「私集」が、海の向こうの本ではないと言ったとき、その心はやはり、「ここはこれまで次のように解釈されてきた。しかし私は・・・と考える」というこの義疏の独特の主体的なエクリチュールに感銘を受けたからに外ならない。
 
この自信に満ちたスタイルは、遣隋使を派遣するときに、朝貢国としての臣下の礼をとらず、隋と日本の「天子」を対等に見る国書をもたせたのと同じ精神の所産であり、世俗の皇帝に優先する普遍的な「仏法」を重んじた太子の思想からすれば、中国大陸を治める唯一無二の皇帝である煬帝も、日出る国の天子も、統治者としては対等でなければならない。このあたりが普遍的な世界宗教の立場に立つ仏法の力なのである。
 
それと同事に聖徳太子の時代にシルクロードを経由して中国と日本に伝えられた大乗仏教そのものが、すでに当時の諸宗教を統合する世界性をもっていたことにも注意すべきであろう。アレキサンダー大王のインド遠征は紀元前三二七年のことであったが、それ以降数百年に及ぶインドとギリシャとの交流は、貨幣の流通のような経済面のみならず、文化的宗教的な相互影響をもたらした。紀元前二世紀後半に成立した『弥蘭王問経』はギリシャ人の弥蘭王(メナンドロス)と仏僧那先比丘(ナーガセーナ)との間でなされたプラトンの対話篇を想起させる経典であり、おそらくこの経典の原典はギリシャ語で書かれ、それがパーリ語に訳されたものらしい。漢訳された「那先比丘經」は日本にも伝えられている。
 
上智大学哲学科で長らく仏教思想を担当していただいた河波昌教授の『形相と空』によれば、大乗仏教は、どこまでも釈尊以来の伝統的な『仏教の基盤にたちながらも、他方において全面的にギリシャ文化、あるいはペルシャを含むヘレニズム文化の交流を通じて発展していったのである。ギリシャの形相主義はキリスト教のうちに統合されて「キリスト教的プラトン主義」を生み出したが、おなじ形相主義が、インド仏教と接触することによって「高次の形相主義」とも言うべき大乗仏教を生み出したのである。
 
智慧の完成行(般若波羅蜜)の智慧とは、自己自身を知る覚知にほかならないが、それはまさにソクラテス以来、ギリシャ哲学が目指していたものに外ならない。また小乗仏教の説一切有部の存在論は、涅槃を永遠なる有(無為法)として対象化して捉える点で二世界説をとり、生死輪廻の世界から永遠なる世界の覚知によって解脱することをめざして修行する点で、プラトンのイデア説と同じ二世界説の世界観を採用していた。このような考え方が、後期プラトンの対話篇「パルメニデス」やアリストテレスによって批判され、それが新プラトン主義を経由してキリスト教に大きく影響したことは西洋哲学史ではよく知られている事実であるが、仏教の発達史を見ると、それと並行的な現象がプラトン主義の批判的摂取というかたちで大乗仏教の「高次の形相主義」に現れている。すなわち、身心の実体的分離の教説や二世界説は、龍樹以後の大乗仏教のなかでは絶対否定され、「般若波羅蜜」の智慧は、「色即是空、空即是色」の「即」に要約される身心一如を根本とするようになった。矛盾的相即 すなわち対立者の一致こそがクザーヌスのキリスト教的プラトン主義においても法華経と龍樹の思想に立脚する天台教学においても、普遍的な世界宗教としてキリスト教と仏教の核心を表す思想なのである。
 
般若心経の「色即是空。空即是色」はサンスクリット語では、rūpam śūnyatā śūnyatāiva rūpam であるが、それはrūpa=śūnyatāの等式の単なる倒置的反復ではなく、後半部分は「空なればこそ色なれ」と訳すのが剴切であり、そこには空の場において積極的に色を生かす「高次の形相主義」の主張が表明されている。仏舎利を礼拝する仏塔の建造は原始仏教以来行われていたが、大乗仏教はその礼拝をさらに推し進めて、仏像の製作と礼拝に意義を見いだすようになるが、そこには、有限な像を通じて無限なる法身である仏陀の現前を体験するという経験があった。この見仏(観仏)の経験(初期大乗経典では般舟三昧とよばれる)が、「空」(かたちなきもの)の場において色(かたちあるもの)を生かす大乗仏教へと発展していったのである。
 
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法華義疏第一 (影印の和訳)
 
姚秦の三蔵法師鳩摩羅什詔を奉じて訳す
 
此は是、大委国上宮王(やまとのくにかむつみやのみこ)の私集(わたくしにあつむるところ)、
海彼(わたのあなた)の本にはあらず
 
【総序】夫れ妙法蓮華経とは、蓋し是れ總じて萬善を取りて、合して一因と為るの豊田、七百(年)の近壽(『首楞嚴經』の説)轉じて長遠と成るの神薬なり。若し釈迦如来の此土に応現(機に応じて身を示現)したまえるの大意を論ずれば、将に宜く比経の教を演べて、同歸(万善同じく一如に帰す)の妙因を修し莫二(一乗平等)の大果を得せしめんと欲してなり。但し衆生の宿殖の善(前世からの善の種子)は微かにして神(精神)は闇く根は鈍く、五濁(劫濁・見濁・煩悩濁・衆生濁・命濁)は大機(大乗の機根)を障へ六弊(慳貪・破戒・瞋恚・懈怠・散乱・愚癡)は其の慧眼掩うを以て、卒かに一乗因果の大理(大乗の真理)を聞べからず。所以に如来は時の宜きに随ひ、初は鹿(野)苑(ムリガダーバ。今のベナレスの北方のサルナ―ト)に就いて三乗の別疏(声聞・独覚・菩薩の三乗の別々の道)を開いて各趣の近果(手近な悟り)を感ぜしめたまえり。此従り以来、復た平しく無相(空)を説いて同く(三乗の人が)修することを勧め、或は中道を明して褒貶(大乗を褒めて小乗を貶す)したまえり雖ども、猶を三因別果(三乗の因も、果も、各別なりと)の相を明かして物(衆生)の機(機根)を養育したまえり。是に於て衆生は年を歷て月を累て教を蒙り修行して漸漸に解を益し王城(王舎城、すなわち法華経説法の場所)に於て始て一(同一)の大乗の機(機根)を發すに至り、如来出世の大意にかなえり。是を以て如来は即ち萬徳の厳軀を動して眞金の妙口を開き、廣く萬善同歸の理の明かして莫二の大果(同一の大果)を得せしめたまえり。
 
【經題釈】<妙法>とは、外国には薩達摩(サッダルマ)といふ。然るに「妙」とは是れ麤(粗雑)を絶するの號(となえ)にして、法とは即ち此の経の中に説く所の一因一果(因も一乗、果も一乗)の法なり。言うこころは、此の経のなかに説くところの一乗因果の法は、超然として昔日の三乗因果の麤を絶するがゆえに、妙と称するなり、と。蓮華とは外国には分陀利華(プンダリーカ)という。この物の性たるや、花と実と倶に成(有)る。此の経は、因と果とならべて明かすこと、義は彼の花に同じ。故にもって譬えとなすなり。経とはこれ聖教の通名にして、仏語の美(別)号なり。
 
(花山信勝校訳 岩波文庫による)

 

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勝鬘経義疏と聖徳太子ー菩薩の大いなる願い

2018-06-08 |  宗教 Religion
勝鬘経義疏と聖徳太子ー菩薩の大いなる願い
 
 古書店で花山信勝校訳の勝鬘経義疏を入手。聖徳太子千三百六十年御忌、花山聖徳堂建立二十周年記念の栞があり、著者の自筆の献本署名が入っていた。はしがきに「終戦の詔勅によって、明治以来の武の日本が崩壊した。新しい日本の基盤は文でなければならぬと考える。そこで終戦の翌日から、わたくしはわが国最初の著書である勝鬘経義疏の校訳に微力を傾倒し始めた」とあった。
 吉川弘文館から昭和52年に刊行された花山先生の校訳本の優れたところは、敦煌本『勝鬘経義疏本義』慧遠撰『勝鬘経義記』、吉藏撰『勝鬘宝崫』などの当時の大陸の釈義との綿密な比較作業を経たのちに、上宮王、聖徳太子の自筆と推定される文章を選び出しているところにある。和訳は、現代語訳ではなく、漢文を大和言葉に読み換える伝統に沿った独特の書き下し文で非常に格調の高いものであった。勝鬘経義疏の素晴らしさは、日本書記や古事記よりも前の著作だという古さだけにあるのではなく、時代を超えて現在の我々の状況を照明する古典であることによる。
 内戦と海外出兵に起因する万民の苦しみ、百済の滅亡に伴う大量の難民の渡来、大国の隋と唐による帝国支配に抗して如何に自主的な対等外交を展開すべきかーこういう課題は太子の時代と現在に共通するのではないか。四天王寺に設置された悲田院を始めとする太子の社会福祉の理念は叡尊や忍性によって受け継がれた。仏教的な社会奉仕の原点は菩薩行であるが、そこにも「自分行」と「他分行」がある。菩薩の十の段階のうち八番目以上の段階は、自力でできるものではないので、仏の行としての慈悲行と即ち他分行と位置付けられている。浄土真宗の絶対的な本願他力の思想はまだないとはいえ、エゴイズムの克服を目指す菩薩行が、自然な人間の本性を超えるものから来るという思想は既に現れていると思った。17条憲法の精神も勝鬘経の十大受章、三大願章を抜きにしては十分に理解できないのではないだろうか。
 勝鬘経は、女人成仏を明確に説いている点で、大乗経典の平等思想を男女差別を超えて徹底させた経典として読むことができる。勝鬘夫人は将来、仏となって全ての人を救済する仏国土を建立するだろうということが釈尊によって保証される。仏教用語で受記とよばれるこの保証は、法華経でも重要な意味を持つ思想であるが、全ての衆生を仏としたいと言う心底からの願いが根底にあるに相違ない。これを本覚思想とか如来蔵思想などと言う後世の註釈家の用語でまとめる前に、テキストそれ自身をよく読む必要があるだろう。勝鬘経で「物」と言う語は「衆生」を意味していることに注意したい。したがって万人を救済することは万物を救済することにつながるのである。そこには、被造物の全てを救済しようとする新約聖書と東方キリスト教の教えに通底する救済観がある。如来が胎児のように我々のうちにあるという教えは、わたしには受胎告知と同じく、男性優位の社会で成立した宗教では奇跡としか言いようがない福音だったのではないだろうか。世俗の煩悩にまみれた身体の中の種子のごとき如来が、泥池の白い蓮のように花を咲かせ身を結ぶと言う教えは、世俗の只中に福音を見る教えでなくてなんであったのだろうか。
 勝鬘経の「一体三宝論」は、仏法僧の三宝のどれにも他の二つが内在するが故に一つのものであるという論であって、それはキリスト教の初代教父たちの論じた三位一体論に照応する仏教的な三一論として、非常に興味ふかい議論であった。
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