今日は時間が無くなってしまい、安易に紳士録で。(大汗)
浜松の60号機はお召予備機でしたが、事故に遭い正面窓をHゴム化され、
またお召予備機の任も解かれてしまいました。
しかしながら、品川に居てめったに西エリアに顔を出しくくれない61号機に比べ、
頻繁に荷物列車の運用で下関まで足を延ばしてくれていた60号機の方が、
電関人にとっては、茶罐としての親しみが有りました。
77年3月、晴れて県立高校に合格し大手を振って卒業旅行に四国のDF50や
山陰本線などを撮影してまわった時の岡山での一齣。
もうもうとスチームを上げて岡山駅に入線の下り荷物列車です。
60号機をカラーで撮ったのはこれが最初で最後でした。
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確かに150号機整備を受けた後、どうしたのでしょうか???
今日のようにネットが無かった時代、何番がやって来るか楽しみでした。
77年当時、荷物列車の編成も、旧客改造が多く組まれて、割合い整っていましたね~。
茶罐と言えば、西の150号機、どうしちゃったのでしょうね?