カシ紀行を二週連続で狙う。
未だこの機関車が牽く8009レをカメラに収めておらず、18日の土曜日カメラの砲列が居並ぶ中に三脚を据えた。
同じ狙うなら機関車の最大の特徴であるサイドレタリングを目立たせるサイド気味にとゆうことでやや窮屈なこのポイントを選択。
願わくは雲の一片でも欲しかったのではあったのだが梅雨の中の日本晴となった中、日の丸機関車がやってきた。
2016年6月18日 8009レ カシオペア紀行
カシ紀行を二週連続で狙う。
未だこの機関車が牽く8009レをカメラに収めておらず、18日の土曜日カメラの砲列が居並ぶ中に三脚を据えた。
同じ狙うなら機関車の最大の特徴であるサイドレタリングを目立たせるサイド気味にとゆうことでやや窮屈なこのポイントを選択。
願わくは雲の一片でも欲しかったのではあったのだが梅雨の中の日本晴となった中、日の丸機関車がやってきた。
2016年6月18日 8009レ カシオペア紀行
改正以降、関東運用がガクンと落ちてしまったロクヨンセン。
関東運用はおろか全体の存続すら危ぶまれ始めているとか。
思い起こせば上越国境で新製直後の姿を撮影して以来、電関人には寧ろロクヨンでは
こちらの1000番代の方が馴染みがあった。
かつての我が聖地で斜陽に赤く照らし出される1006号機。
最後の重連運用の中央西線にその力強い走りを撮りに行きたいと・・・。
2007年1月 武蔵野線
最近鉄道写真撮影回数もやや減り気味。
ブログも今年の秋で7年目に入ろうとしている。
そこでもう一度自身の写真の原点回帰ということで、何を撮ろうとしてそして何をとってきたかを
昭和の約20年間振り返ってみようかと思った次第で、それはこれからの趣味人生の指針になるかもと。
もちろん鉄道とはタイトルに謳っていないので非鉄写真も取り混ぜていくこととする。
あくまでも「超私的」ということで出てくる写真の巧拙は不問でご笑覧を。
「踏切」。
電関人は、中学校の行き帰りにベース通りという大通りの踏切を渡っていた。
それがゆくゆくの鉄道写真趣味に繋がったともいえる。
踏切が鳴り出すと、何が来るのか楽しみに胸が高鳴る。
そんな楽しみな場所、踏切を敢えて主題に寝台列車の通過を撮ってみた。
一昼夜を通して始発から終点まで1000キロ超の距離を結んでいた汽車旅の代名詞、
それが寝台特急列車だった。
1976年 ヴェリクロームパン ブロニー
返しはこの後の都合によりやや余裕をもって1回のみ撮影。
ここ濁川橋梁は、喜多方を出た列車が慶徳峠めがけて助走する区間である。
煙突から上がる煙は、ファインダー内で機関車が大きくなるにつけ濃度が上がりゆく。
かつてのC57牽引の臨時急行の凛々しい姿が今目の前に展開しているような美しい走りである。
やや景色こそ違えども日豊本線の田野の辺りを行くまさにそれとオーバーラップさせて・・・(おわり)
2016年6月 磐越西線
あんまり煙分過多だと本来の電関人じゃなくなってしまうので蒸機臨急の話の途中で別ネタを。
すでに旬を過ぎてしまったが、紫陽花の話。
紫陽花山としても知られる飛鳥山にて国鉄型と戯れた画をいくつかアップすることに。
一番身近だった専用線の北王子貨物も今は昔。
コンテナと紫陽花の色をコーディネイト!
こちらも国鉄型の211系。
すっかり首都圏から撤退してしまった。
そして真打はやはり・・・
お気に入りの庇付き133号機持ちの2レ。
藪蚊と格闘しながらの紫陽花ナメの撮影を終了して・・・
こちらもレアになりつつある駅近の飲み屋横丁「さくら新道」、この画だとあじさい新道か。
もうかなり前になるけど火事でその半分以上を失い貴重な昭和の風景が消えつつある。いや消えたかも。
こういう飲み屋街をドキドキしながらイチゲンさんで探検するのも面白い。
2010年梅雨