狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

平成の旅情を求めて 9章 老兵たち

2013年01月31日 21時39分02秒 | 私鉄・地方交通 北海道/東北

念願の津鉄に30年振りにたどり着いたのだが、

残念なことにストーブ列車を牽引するロッド式機関車DD352が不具合があって動かず。

気動車津軽21型(走れメロス号)の牽引でストーブ列車は運行されていたのだった。



庫から顔をのぞかせていたDD352。
雪の着き具合から数日前まで動いていたようなだけに、とても残念。
動かなくなってしまったものは仕方がない。
そして、もうひとつ此処で会いたかったのは・・・



既に引退してしまっているが、駅の脇の側線に圧倒的な存在感で鎮座していたキ101。
学生時代にはまだ現役で、友人が金木の築堤で雪煙りを上げながらラッセルしている姿をカメラに収めていて、
とても羨ましかった。



鉄道省時代の大宮生まれでちょうど80歳!

津軽の老兵たちを前に感無量だった。



2013年1月19日 津軽鉄道津軽五所川原 DD352/キ101
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平成の旅情を求めて 8章 津軽五所川原駅

2013年01月30日 22時42分46秒 | 私鉄・地方交通 北海道/東北

19日の午後、ようやく津軽五所川原駅に到着。



駅周辺の街の様子は随分と変わったけれど、

駅舎の佇まいは初めて訪れた32年前と殆ど変りないように思えた。



昔は何処の駅にも有ったプラスチック製の青い椅子が妙に懐かしい待合室。

でも、この後32年の時の流れを痛感せざるをいない辛い出来事が待っていたのであった。

2013年1月19日 津軽鉄道津軽五所川原駅
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平成の旅情を求めて 7章 海岸線を縫って

2013年01月29日 07時19分00秒 | 国鉄・JR 東北

今日は夜会合があるので朝あげで・・・。

今回の五能線内での撮影が唯一できたリゾートしらかみ号。

広戸駅の前後の五能線らしい海岸線に沿ってトレースする線形を遠くから望遠で追う。



波間に現れたリゾートしらかみは嬉しいことにキハ48系のくまげら編成。
各駅停車こそ撮れなかったせめてもの救いの40系が近づいてくる。



シャッターを切っている間、並走する道路にクルマが現れずラッキーだった。
五能線=荒々しい冬の日本海沿いという方程式は唯一回のみであったがなんとか成立。



納得のカットがようやく撮れて次の撮影地を目指すことに。

8章へ。

2013年1月19日 五能線広戸駅付近
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平成の旅情を求めて 6章 駅の夜明け 岩館

2013年01月28日 20時40分04秒 | 国鉄・JR 東北

現地2日目。

朝、宿を出て向かうのはやはり有人駅。

昨日に比べると風雪は格段に収まっているかに思える。



東能代にむかっってラッセルも走ったというので、今日は期待が持てる。



夜が明け始めた岩館駅に放送が流れて、
代行バスの到着時間を告げた。



それでも、駅を守る職員は何時列車が来ても良いように黙々とホームの除雪を続ける。



2013年1月19日 五能線岩館駅
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けいはんでんしゃ

2013年01月27日 19時55分10秒 | 私鉄・地方交通 東海/中部/近畿

ついにこの3月いっぱいをもって京阪の旧3000系がリタイア。

昨年の2月電関人は早々と京阪の名車旧3000系とお別れをしてきております。

なので此処では敢えて3000系には細々触れる事はしません。

京阪区間といえば戦前から私鉄各社と国鉄が激しくサービス合戦をしてきた激戦区であることは言うまでも有りません。

そんな京阪電鉄の通勤型名車を電関人が知っている限り順を追って・・・。

先ずは何と言っても韋駄天の加速力をして「スーパーカー」の異名を持った名車2000系。
あっちなみに昔の写真はすべてミノルタの16㎜フィルムカメラ 16QTでの撮影です。



おそらく1972年だと思いますが詳細は不明。
平等院に行った帰りに中書島で撮影した各停 淀屋橋行。
トレードマークのおおきな電球式前哨灯とガイコツと呼ばれた標識灯。
このスーパーカーを昇圧前提に改造してできたのが2600系ですね。
子供ながらに地元西鉄の新600系と比べてもその加速の良さに驚きました。



シールドビーム改造されていますが、前哨灯のケーシングは電球時代のままでさらにガイコツ標識灯もそのままが嬉しい2605F。
幌も付いた厳めしい顔つきが精悍に見えます。

そして、何といっても関西の私鉄で最初に冷房車を導入したのも京阪でしたね。
特急3000系のテレビカーという名の通りテレビを見せてくれたり冷房を入れたり複々線にしたりと沿線乗客第一主義で、
流石関西私鉄の雄です。



3Cなんて言葉がありましたが、まさに電車版が京阪2400系。
屋根の上の大きな箱が8つも並ぶのが特徴でした。
顔もスーパーカー2000系に比べるとシールドビームになって標識灯もガイコツから四角いタイプに。
随分と顔がすっきりしたものでした。さらに横から生えたワイパーにも何とも洗練さを感じたものです。
この2400系も年月が経ち現在ではその出で立ちが変わりました。



貫通扉の窓が表示幕と一体になったこの顔、どこかで見覚えが・・・。
そうです、阪神の名車で喫茶店の異名の851系形をちょっと彷彿とさせるところです。
何!?、斜めの手摺が無いと・・・。詳細の突っ込みはナシということで・・・。

そして京阪通勤車の真打はやはり5000系。



当時の京阪が運行上抱えていた様々な問題を解決すべく巨額の開発建造費を投じて
ロールアウトされた5扉通勤型。しかもデータイムには3扉のみ仕様で残りの扉にところには
座席が下りてくるそのシステムに子供ながらに驚愕したものでした。


最後に、旧3000系テレビカーに万歳!

1972年頃 京阪中書島にて 2006、2464、5651/2010年9月2日 枚方市にて2605/2012年2月18日 大和田駅にて2463

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