狂電関人の写真庫

狂電関人本人のこれまでの写真のストックを思うまま徒然に表現。お立ち寄りの際には一言コメントをいただけると幸いです。

屋敷森とヨ

2016年02月28日 11時09分43秒 | 徒然鉄ネタ

貨物列車の最後尾から緩急車が無くなって久しい。
最初のうちはなんだか締まりがないなと思っていたけどそのうちに慣れてしまったもの。
ただ、今でも最後尾の形状として標識灯は良くても反射板はいただけないと思っている。
平成の世でもたまにお目に掛れる緩急車がある。



大物車シキの伴走役に使われているヨ。
その姿をたまに8592レで拝めることがあり、
そんなチャンスに巡り合えるとちょっと懐かしい。

2011年2月 EF641045+ヨ+ヨ+コキ 8592レ@ヒガハス

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スポーク車輪のタキ

2016年02月26日 09時01分49秒 | 昔の写真

シルエット写真が撮りたくて練習を始めた頃の一枚。
プロの撮った写真を見よう見まねで夕方の傾いた太陽を背に超ローアングルに構える。
その一コマに写っていたスポーク車輪のタキ。



いつ頃まで残っていたか知らないけど、
気が付いたらプレートタイプのものばかりになっていた。
重量感たっぷりなタキ車に華奢なスポーク車輪が妙にノスタルジーを感じさせてくれる。

1977年5月 鹿児島本線 南福岡付近

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大宮駅今昔

2016年02月24日 17時31分54秒 | 国鉄・JR 関東

大宮駅は車両工場を抱え今も昔も変わらぬ一大鉄道クロスポイントである。
そして、様々な鉄道車両が行き交う当駅は格好の撮影ポイントであることも今も昔も変わりない。
つい先日、その大宮駅で鉄友に誘われてうん十年振りの撮影。
その大宮駅撮りの今昔写真を写真庫から蔵出しで。
先ずは1978年の夏の1枚。



長岡区EF15牽引の貨物なのでおそらく高崎線上りかと。
銀塩カメラ流し撮りで、1/15sec.では徐行の機関車をきっちりと止められず・・・。
古豪が一大ターミナルを通過していく懐かしいシーン。
そして今の大宮駅の一コマは・・・



本年2月7日、2080レの先頭に立つEH500ファーストナンバー。
同じ徐行通過の貨物をインフレISO感度で高速シャッターにて仕留める。
EF15の写真を撮った頃にはゆめゆめこんな時代が来るとは思いもよらなかった。
同じ高崎線上りなので撮った番線や位置はほぼ同じではと思う38年のタイムトラベル。

二枚とも大宮駅構内にて。

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落日のヨンパーゴ

2016年02月22日 17時16分13秒 | 徒然鉄ネタ

今度の改正にて一つの形式が終焉を迎えようとしている。
485系、481系に端を発し交直流区間を昼行特急として縦横に駆け巡って来た形式が定期運用から引退する。
半世紀近く特急電車形式の代表格として慣れ親しんできたヨンパーゴが形式消滅するのは寂しい限りである。



写真は485系の元祖版481系として走り始めて間もないころのかもめ。
ボンネットクハが当たり前の時代にこのゲンコツスタイルは当初違和感があった。

新幹線網が広がっていく中、この分散・併合運転用に開発された200番代車の前面構造は、
はや時代遅れのものとなり殆ど活用されずに終わった。

1976年8月撮影 鹿児島本線 竹下~南福岡

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原田(はるだ)で撮る5 折返しのオハフ33

2016年02月21日 15時47分41秒 | 国鉄・JR 九州

筑豊本線から蒸機が姿を消して間もない原田駅。
其処彼処に蒸機時代の面影が残る構内に佇むオハフ33。
到着後の機回しも済んで静まり返ったホームで古豪の顔と対峙する。



俺は筑豊の栄枯盛衰をすべて見てきたと言っているような風格。



筑豊のヤマに入る人を運んだのも今は昔。
筑豊からマチで働く人や学生を運ぶ今。



折返して筑豊へ向かう列車に人影はほとんど無く。
静かに発車を待つオハフ33。

1977年10月 筑豊本線 原田駅にて

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