久々の本シリーズです。
何せ、銀塩スキャンのライブラリー本体がクラッシュで全滅。
少しずつ銀塩ライブラリーを再構築中ですのであちこちにネタが飛びます(大汗)
と云う訳で、今日の西鉄昔日は西鉄ファンの中でも玄人受けしそうな渋い20形ネタです。
この形式は、西鉄の木造車モ1形(ク50形)を鋼体化するために川崎車輛で電関人が生まれる前に製造されたグループ。
電動車には元の番号+20、制御車はそのままの15m車となり、23-24-58、27-28-55、29-30-56の3編成が落成。
その後、21-22-61、25-26-57と16m車で落成した。これらは元の1形から台車と電気製品を受け継いだ改造車だったが、
その後1965年~67年にかけてこれらの部品も新製品に交換されてまったくの新形式となる。
このグループに属するもうひと編成の31-32-59のみは、新性能車の試験のために100形(103・106)に使われた
カルダン駆動方式をそのまま移植されてほかの仲間が吊り掛け駆動のMc+M+Tcなのに対して、
カルダン駆動のM’c+M+Tc亜種な20形として存在し続けた。
この20形グループはは電関人が高校登校の際に100形と共に毎朝のように世話になった想い出深い車両で、たまに31Fが来ると
ちょっとリッチな(?)気分になったものでした。
同社の初代ロマンスカーである1000形と同じ湘南フェイスのため、たまに混同されている記事を見かけます。
さて次回は100形ネタでも書こうかな・・・。
1977年2月17日 西鉄大牟田線 白木原~春日原 31F(31-32-59)
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郷愁を感じる写真ですね。
昔の電車の線路脇。
凸凹道があって、何の境界も無くいきなり砂利盛りされて、
線路がある。そして華奢な鉄製の架線柱。
何もかもが昭和時代を物語っていますよね!
実物誌の「前面下部が下がっているのは連結器が低いためで、西鉄の特徴」という記述を今も憶えています。
言われてみると、ホント西鉄の連結器の位置は
かなり低いですね!!
さすがにモデル派の方の眼は鋭いです!!