今日で2月も終わりです。
いよいよ明日から3月でダイヤ改正を1週間後と2週間後に控えています。
先日、久々にEF63が検査点検のために高崎まで回送されたニュースを知り、
昔の横軽の記憶が蘇りました。
1978年夏に懐浪漫人さんと行った軽井沢。
まだ貨物も、客車も走っていたのでもっぱらEF63+63+62の3重連になる上りの列車を
主に狙っていました。
夕方近くになると、横軽の峠道は白く霧に覆われてしまいました。
そよかぜかあさまの臨時か忘れましたが、夏の想い出を乗せて碓氷峠を下って行く
14系ハザを牽く3重連が印象的でした。
1978年8月
大宮構内での試運転に盛り上がっているC6120号機。
早く本線走行を見たいものです。
このハドソン機との想い出は、遠く熊本界隈で・・・
母親の知合い宅が宇土駅傍の線路沿いにあって、そこへ小学低学年頃(S40年代)に
急行(確かDC急行)で熊本まで出て、乗り換えた各駅停車の牽引はC60だったと
記憶しており、翌日朝早起きして線路端で見た特急あかつきを牽いてきたのがC61。
熊本以南が非電化だった頃、各駅停車がC60、優等列車がC61だったと思います。
その後、写真を撮るようになった頃には九州のSLは筑豊地区の9600ぐらいになっており、
このハドソン機を見たさに遥々梅小路まで行きました。
初めて訪れた梅小路機関車館では、南九州で活躍したC612号機とともに、
スワローエンゼルが付いたC622号機も有火状態で良かったです。
その後、北海道で復活運転をしたC623号機は電関人の鐡休眠時期でしたので、
このC6120号機復活は、現役から数えて約45年ぶり梅小路での再会から35年の
歳月が経っています。
1976年8月4日 梅小路機関車館
2月も終わろうとしています。
来月には、時刻改正が有りJR西日本、九州管内から485系特急車両が撤退します。
特に、ボンネット型先頭車の後を継いで生まれた貫通型先頭車両である、
クハ481 200番代は電関人が撮影始めた頃からの付き合いで、
その“ゲンコツ”型と呼ばれる先頭形状は、国鉄型特急電車における
先頭車両のスタンダードスタイルとなるパイオニアです。
今日は来月改正でJR西日本・九州から撤退する485系に敬意を表して、
電関人の鉄道原点路線『鹿児島本線』での200番代の想い出のシーンを
数カットアップいたします。
冬の柔らかい光線を受け、シンボルマークが誇らしげに輝く。
きっと沢山の別れを見守って来たのだろう・・・。
発車ベルが鳴り終わり、ドアが閉まると前方確認して出発進行!
九州鉄道時代の遺構である煉瓦橋を通過する、かもめ・みどり号
夏の日、タチアオイを揺らして通過する。
クハ481 200番代は残念ながら本来の性能である貫通機能を発揮することは
遂に無かったのでした。
1977年12月 博多駅、1978年7月 水城駅付近にて
今日、長野電鉄2000系D編成が定期運用から外れます。
2000系との出会いは、かなり古く電関人が大学生の時ゼミ合宿の帰りに湯田中から
長野まで乗車したのが最初ですが、写真を撮ったのはちょうど4年前の昨日でした。
2007年2月24日、雪がちらつく中を塗装変更前のD編成がやってきました。
この写真が、電関人が撮った最初の2000系です。
それからちょうど4年と1日、お疲れ様2000系D編成。
今日は、185系特急草津号に乗って新前橋まで出張に行って来ました。
行きは12時ちょうど上野16番線発の草津・水上5号で駅弁を買って乗車。
こんな風に上野駅から駅弁を買って特急列車に乗車するのって何年振りでしょうか!?
平日の正午発ということもあってか、自由席はガラガラでした。
まあ、こんな乗車率なので水上号は季節列車になってのでしょう。
新幹線併走区間ということもあるのでしょうが、優等列車停車駅の雰囲気は
昔と比べて随分と様変わりしてしまいました。
本日も通った、途中の熊谷駅の33年前の姿です。
上り急行佐渡と下り各駅停車が止まっているところで、ホームには駅弁売りがいます。
黄色い停車位置表示が沢山ぶら下がり、当時の優等列車の多さを物語っています。
この旅行の際にも食べた醤油醤油した汁の立ち食いそばも懐かしいです。
今では、そのそばやがある駅も減り、ホームに売店も無かったりして寂しい限りです。
1978年8月撮影