2つ上の先輩に誘われて一度だけ訪れた立川機関区。
茶色いオールドタイマーで埋め尽くされた華奢な私鉄クラスの庫がなんとも渋い味を出す。
既に古巣高崎第二機関区を追われたF級機の進出が始まった頃で庫の奥で主然と幅をきかせていた。
学生当時、吉祥寺に在住した電関人にとって青梅線系統は余りにも身近過ぎた結果この愛くるしいD級機の活躍シーンは殆ど手元に無い。
1981年 西国立(立川機関区)ED16 9号機ほか
磐越西線の非電化区間には、二つの急行があった。
沿線を流れる大河からとったあがのとやはり沿線から見える連峰のいいで。
いかにも美しい沿線景観を持つ磐西らしく、その景観にディーゼル急行のツートンカラーが馴染んでいた。
平瀬から壁のように迫るこの山の景観が好きだ。
※一連のアップしている磐越西線の急行列車名について、編成や前後のコマ関係からみていいでとあがのが
入れ違っているかもしれませんのでご了承ください。
1982年2月 急行いいで(?)磐越西線 鹿瀬~日出谷
当時、磐西日出谷でマイブームになった撮影ポイント平瀬集落。
かつての藁葺家屋が寄り添うように数軒建つ中を大きく弧を描いて通り抜ける鉄路。
この日始終降り続く吹雪の中を力強く急行あがのが駆け抜けていく。
1982年2月 磐越西線 日出谷~鹿瀬 急行あがの
電関人が初めて訪れた頃の磐越西線には、どの駅にも立派な駅舎があって有人であった。
とりわけ鹿瀬には昭和電工の工場があって駅も大きく、周辺には民家が立ち並ぶ。
訪れた日は休日だったのか工場は稼働していなかった覚えがある。
初めて訪れたので周囲を歩きながら撮影場所を探していた時の一枚。
下りの急行あがのがやってきた。
辺りは雪が緩み春に向かう気配を見せており、そんな冬眠から目覚めそうな山を背景にカメラに収めた。
1981年早春 磐越西線 日出谷~鹿瀬 急行あがの
駅も車両も変わってしまったけど、
この駅で列車が交換するしきたりは今も継承されている。
キハ22タイプと元西武の電車改造の客車だけで編成された列車の交換風景。
1983年2月 津軽鉄道 金木駅