地元の信心な人が描いてくれました
祭壇の隅にこの様なものが 昔の人は意味を理解していたのだろうか
プラムが色づいて来ました
四国はお大師様信仰が根強く未だに信仰心が生活の中にある。
小さな集落ごとに大師堂があり海辺の町も弘法大師を祀っている
事あるごとに願を掛け見守って貰ってきたお大師様
世代交代と共にお大師様の存在意義が薄れつつある現在
400年前この地に移り住んだ先人達の拠り所として存在してきた。
嫁いできた頃は大師堂にお婆さんが住み込んでお守りしていたが
何時しかお婆さんも年をとり子供達の住む都会へ移り住み
以来お婆さんの代わりを地区の女性達が交代して守ってきた。
今5人の女性が大師堂を守っている。
人の住まなくなった影響は此所にも出て蛇やイノシシとの遭遇が心配で
中々いけなかった 街から畑作業に来ていた人の後を追いかけるようにして
大師堂まで行ってきた 遅れたことを詫びて月末には来ようと。
岩に砕かれる波が高さを増し湿気を含んだ南風が肌に纏わり付いてくる。
胸につかえていたものが落ちるように ゆったりと下った大師堂。
じつは、辰野和男の「四国遍路」を昼間読んでいたからです。
以前は、大師堂にもおうめ婆さんのような人がいたんですね。
住み込んで大師堂を守っていた人がいなくなると、周りが荒れるでしょう。
人口減少は、このようなところにも出ているんですね。
大師堂まで行って、胸のつかえが落ちるような気持ちがしましたか。
私にもわかるような気がします。
最後の2行は、とても深くていい文章ですね。
奇遇です「四国遍路」ですか~ 四国遍路をされる方は何かしらの思いを秘めて歩かれる方が多いような気がします。
高知周りのお遍路さんが足を引きずり歩いている姿に出会うと仏木寺までたどり着けるだろうかとか・・。
思いが強ければ強いほど過酷な遍路に(歩き遍路や季節を問わない遍路)挑まれているように思います。炎天下此方はクーラーの効いた車寝袋を背負ったお遍路さんに国道ですれ違いますが
道中の無事を祈らずにはおられません。
阿弥陀堂だよりを読みながら昔は大師堂でも守するお婆さんが居られたわと思いながら読んでいました。
病気で手術をされる人があれば大師堂に籠もって念仏を申します 女性総出でしたが今ではお経を唱える人もなくなりました。地域の繋がりが強かったように思います。
時代の流れでは済まされない落とし物をしているようです。
季節外な真夏日の中を、本当にご苦労さまでした
過疎化、都会に近い所が生活の拠点になり、、ガーベラさん達のお陰様を感じます
海辺の生活はお孫さんには興味津々な部分もあり、優しいおばあちゃんの信仰心も次第に心の糧として育まれてゆくのかと思われます
公私にわたり、無くてはならない世代のガーベラさん
信仰のある所の美化は野良仕事よりも神々しい気持ちになられたでしょう
聞かされた私も良かったなァと感じています
信仰心のない私でも心に迷いが生じたり
平穏な日常が続くようにと願ったり
大師堂を訪ねる度に願い事ばかりしております。
お大師様が心の拠り所として存在している気がします せめてものお礼の積もりで通わせて呉れているのかもしれません。
思いが孫達世代にも受け継がれて行く事を願っております。
「孫達世代にも受け継がれて行く事を・・・」↑
ガーベラ様のお心は必ずや継承されます事と確信いたします。
いつもお訪ね頂きましてありがとうございます。
隔絶された地区にあって悲しいかな人口減少を指をくわえながら見ております。
其れ其れに生活がありますし迷惑は掛けられないと故郷を離れていきます。
交通の便の悪さが追い打ちをかけて・・。
豊かさとは何なのだろうかと思うときがあります お大師様に見守られて来ましたので。
此方こそ有り難うございます。
今、私は複雑な気持ちです。
沖縄県民4人に1人が犠牲になりましたが国民の75%もの人が「沖縄慰霊の日」を知らないという現実
沖縄の子供達に平和の大切さを繋げる為に作られた歌が「月桃の歌」です。
何度聞いても胸が熱くなります。
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押せないのです。
辛い思い出を思い出させてしまいましたね
拒否反応してしまう言葉って誰にでもあるのかもしれませんね。
十分理解しております一心さん。