ドンヨリとして
砂地に黄色の花が
野路菊が咲き
西日本豪雨で道路を塞いだ岩は海の中にあります。
ピッピッ カタンカタン ピッピッピッ カタンカタン
聞き覚えの無い鳴き声の主を探して山道を辿る。
一人という不安も過るけれど木々の合間から差し込んでくる光に後押しされて
坂道を上る 主は見えない。
広葉樹が色づき始めているが其処までの寒さが此所には届いていない。
北国では麓に下りた紅葉で賑わっているが南国は始まったばかりだ。
歩を稼ぎながら 誰にも会わなければ車も通らない山道。
自然落下か鳥たちの悪戯か木の実の落ちる音に驚いている。
うり坊なら何とか成るのではと思っていたけれど
巷でイノシシの人的被害が報じられて うり坊といえど侮れないと知った。
雲間から差し込む光に心細さは遠のき道端の植物を眺めながら
華やかさは無いけれど人知れず咲く花の生命力に自身を重ねて。
あすなろの木も檜になろうと頑張ったけれどあすなろはあすなろだったんだ
でも努力は無駄で無いことも教えてくれた。
光景が目に浮かぶ文章ですね。
さだまさしの「明日檜」は聴いたことがありますか。
今、あの歌が、頭の中を巡っています。
華やかさは、他人が見ないと成り立たない相対的なもの。
湧く生命力は、自分の内なる絶対的なもの。
だと思います。
同じ時代を生きてきたからかあの世代の歌は良く歌いました 情景がわかり合えるとでも言うのでしょうか。
いつまで経っても明日檜の私ですがそんな明日檜が可愛くもあります。
切なくて切なくて切なくてそんな時に気持ちを代弁して呉れました。
詩の持つ力は素晴らしいと思っております。
僕は台湾台中の森を一人を探索していた。
外国の島で道なる山中を歩くのは
いささか怖さもあるが興奮する。
登り道で前方から、黄色の揺らめきが現れる。
接近すると、女の子だ。
彼女は立ち止まり僕を見下ろす。
大柄で黄色の大きな傘のようなスカート姿。
原住民であると分かった。
彫の深い顔立ち
見詰める切れ長の瞳は怪しげに光る。
僕は 咄嗟に
日本人(ルーベン)叫んだ。
彼女は、沈黙したまま下った。
僕は後ろ姿を眺めた。
彼女は振りかえらない。
台湾では、山の子と差別用語で呼ばれる。
森で、ガーベラと出会ったら
太陽の女の子であったか?
太陽の子で思い出すのは灰谷健次郎でしょうか 記憶は薄れていますがどの本も子供達が生き生きとしていたのに救われました。
単独行の楽しさは と言っても伊吹山(1377m)と比良山系に登ったくらいでその様に言えるものではありませんが「こんにちは~」の挨拶が心地よかったです。
臆病者ですから同行者と行く方がズッと楽しいですね。
山道で一心さんとの遭遇うつむき加減にすれ違い
一目散に走り出すかもです 太陽の女の子には・・。