定期船当番日 船がドック入りのため1時間遅れでやって来ました。
こんな可愛い花が
ハマボウフウ 新芽の天ぷらはほろ苦く美味です。
母の日に香りのプレゼントを 疲れを癒やして下さいとありました。
母の日は過ぎた。
定期船の来るまで浜を歩きながら浜辺に咲く植物を撮りながら母を想っていた。
実母にカーネーションの花1本も贈ること無く その母が逝って秋が来れば早いモノで23年を迎える。
自分たちのために使いなさいと何時も言っていた。其れでも義母には欠かすことなくプレゼントをしていた。
今にして思えば母の日にありがとうの気持ちを伝えてあげたかったと反省している。
92まで父の厚生年金と恩給で一人で暮らすには不自由なかったが
困った人がいれば黙って居られない母だった。
TVで流れていた「母に贈る歌」を聴きながら涙をこぼしている。
6人の子供を育て 84の兄を筆頭に誰も欠けること無く皆元気でいる。
心に蓋をしたまま逝ってしまった母の最期が理解できずにいる。
今母として母の日に「ありがとう」と言って貰える立場になって改めて
「ありがとう」の言葉を母に言いたかった。
遅いけど今一杯言うね「ありがとう」って。
お母様とお義母様を看取られて
誰にも真似の出来ない事かと思いました。
釣志さんの優しさが言葉の端々から読み取れて~
何もかも一手に引き受けられ上手く消化されておられます事
大変なご苦労がお有りだったと思います。
釣志さんの背中をお孫さんがしっかり見ていることでしょう。
順繰りなのですね。
釣りに来られる方が新芽を採っていました。
その時初めて食べられると知った次第です。
カラリと揚がったハマボウフ美味しいですよね。
ご立派なお母さまだったのですね 私なんかは生計に無頓着な年代 村内も麦ごはんで、大根の時期は何日も大鍋で煮返しそれが当たり前と思ってました
今の家になり、腰の手術以後に階段が酷で一階に寝るようになります 数年後、朝マズメの小アジ釣りに行くようになります
そっと着替えを初めると途を開けて母が「行くん?」
母もサビキ釣りが好きで行ってました
「行こうか」母を助手席に乗せ、特売で買ってた缶コーヒーを開けてあげ、、
行きは暗い内 車のライトで照らしながら、仕掛けを海に落として小アジのつつきが出るまで車内待機
最初の当たりがあってから釣りを開始です
朝の通勤の、ラッシュが大嫌いだから6時になると帰り支度
7時前には家に帰ってました
亡くなってから知る親心、、
ワタシも懐かしい思いにさせて頂きましたよ
ハマボウフの天ぷら
美味しいですよね。
我が家も毎年GW中に採りにいきます。
今年はいけなかったので実家から頂きました。
目頭熱くしています。
足らないのが嫌で余るほど何でも作っていました。
小豆を大鍋で炊いて大きなぼた餅作ってくれました。
大きなぼた餅私受け継いでいます。
涙脆いところまで母に似てきました。
母とはなんと偉大なものでしょう。
ガーベラさんよく思い出して、そして偲んでも泣いてください、それが孝行だと思います。
戦前戦後をサラリーマンの妻として生きて来た母ですから
父が戦地に出向いた折は上2人抱え大変だったろうと思います。
けいこさんのお母様もご苦労されたでしょうね。
私達の育った戦後復興期似たり寄ったりの生活だったでしょうから
苦労も知らずに育ちました。
母は強しです。
愛情一杯注いでくれて
教育熱心な母でした。
可笑しなもので食べ物の好き嫌いまで似てしまって。
叶うモノならもう一度お母さんと呼んでみたいです。
素晴しいお母さまですね。
私 小さな頃から母子家庭だったので母は相当苦労しました(今の時代より生きにくい世の中でしたから)
親孝行は、そう出来なかったけど、、私の夫と母はとっても仲良くて 夫と結婚したことは親孝行の一つかも(笑)
嫁にはやってもらいたいもの、娘にはやってやりたいものだと、教えてくれた先輩の言葉を時々思い出します。
母親って本当にありがたいものですね。無限の愛をそそいでくれますものね。
ガーベラさんお母さんはみんなが元気でいられることを泉下でよろこんでいらっしゃいますよ。
そんな母親でありたいと思っています。