今回は、「伊万里 染付松竹梅文鉢」の紹介です。
この鉢は、昭和54年に、田舎の骨董屋から手に入れたものです。
見込みの周辺部分の、松や竹や梅を描いた部分がメチャメチャに割れていて陶片状態でしたが、私が、接着剤で貼り付け、辛うじて器の形にしたものです。
さすがに値段も安かったですが、タダではなく、1,500円を支払っています(-_-;)
当時、「元禄・享保」くらいまでの伊万里しか「古伊万里」の仲間入りをさせてもらえなかったわけで、それ以後の伊万里は、十把ひとからげで「幕末物」とされてはいましたが、それでも、さすがに、本当の幕末近くのものよりは、「元禄・享保」を少し下ったもののほうが古格もあり、値段も高かったのも事実です。
古伊万里を勉強中だった私としては、当時の本当の「古伊万里」と言われたものを買って勉強しようとしても、「元禄・享保」以前のものは高くて買えないものですから、今度は、「元禄・享保」を少し下ったもの、しかも疵物を買って勉強しようと思ったわけですね。
涙ぐましい努力のサマが伺われます(^^;
そうした奮闘・努力の甲斐あってか、この鉢は、「元禄・享保」(1688~1735)までには達しませんが、「元禄・享保」に近い「宝暦」(1751~1763)くらいはあるのではないかと思っています。
内側面
見込みの周辺部には松、竹、梅が描かれています。
見込みの周辺部に松が描かれている部分
見込みの周辺部に竹が描かれている部分
見込みの周辺部に梅が描かれている部分
側面
底面
高台内の銘「富貴長春」
製作年代: 江戸時代中期(宝暦年間頃)
サ イ ズ : 口径;15.2cm 高台径;8.9cm 高さ:4.9cm
見込みではなく、外周に松竹梅をダイナミックに描くのも、中期の意気込みでしょうか。
納得のN0.19です(^.^)
今ではやる気が起きません(-_-;)
そのせいか、今でも、疵物にはそれほど抵抗がありません。
でも、最近では、自分で修復する気力がなくなりましたので、修復済みのものを買ってきます。
このようなものを引っ張り出してきて眺めていますと、若い頃の情熱が伝わってきますね(^-^;
ホント見事に直されておりますよ。これは良い絵柄の皿です。もちろん江戸前期にはかないません。でもこの時代が食器として確立された時代ではと思います。
所で私はこの時代の物も好きなのですが。残念ながら届かない。ですから波佐見になり、志田となったのです。有難うございます。
でも、接着剤などは、時間が経つと変色してくるようですね(-_-;)
伊万里も、江戸も中期の終わり頃の宝暦くらいまでがピークで、その後は転落の一途をたどるように思いますね。
でも、工芸品としてはピークに達しても面白味がありませんね。
その点、やはり、前期はいいです(^-^;
波佐見、志田も、これまでよく知られていなかった分野ですから、まだ、名品が眠っているでしょうね。そこが狙い目かもしれませんね。
私は、志田は、本が出されていましたから、少しは知っていましたが、波佐見など、最近までほとんど知りませんでした(><)
今、気付いたのですが。極端な言い方をしますと。江戸前期の品物は限りなく美術品に近く。この宝暦あたりに工芸品として確立されたのかも知れませんね。怒られるかも知れませんがそんな気がします。有難うございます。
きれいに修理された品にドクターさんの情熱が感じられます。
裏面の唐草が実に丁寧な書き込みであることを見ると、「享保あたりか?」と思われますが
蛇の目高台であることを考慮すると、やはりドクターさんの見立て通り「宝暦」なのは間違いなさそうです。
ワタシの場合、ドクターさんのHPで伊万里のことを随分と勉強させていただいたことで今がある、というのが本当のところです。
伊万里は、江戸前期は美術品、中期は工芸品、そして後期は日用品かと、、、(-_-;)
無疵完品は高くて買えなかったものですから、疵物を買ってきて勉強していたんですが、やはり、疵は目障りですものね(-_-;)
私も、この鉢は、「享保」辺りまで遡るかなとは思ったんですが、蛇の目高台になっていますものね。それで、やはり、もう少し時代が下がり、江戸中期末頃の「宝暦」としたわけです。
私のHPで伊万里を勉強されましたか。そう言っていただけると嬉しいです(^-^;
でも、間違っているかもしれません(-_-;)
参考としていただけるだけでも嬉しいです(^-^;