今回は、「染付 椿に鳥文 蓋付小壺」の紹介です。
正面(仮定)
正面の裏側
蓋を外したところ
本体の口縁に2箇所の傷直しがあります(2時と8時の方角)。
本体を伏せ、蓋を裏返したところ
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代中期
サ イ ズ : 口径;7.0cm 胴径;9.0cm 底径;6.0cm 高さ(蓋共);7.1cm
なお、この「染付 椿に鳥文 蓋付小壺」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
つきましては、この「染付 椿に鳥文 蓋付小壺」の紹介につきましても、次に、その時の紹介文を再度掲載することをもちまして紹介に代えさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー190 伊万里染付椿に鳥文蓋付小壺 (平成26年2月1日登載)
小壺の本体には胴いっぱいに大きく椿の木と椿の花一輪を描いている。その反対側には尾長鳥を一羽を描いている。鳥は目を細め、嘴を開き、なにやら嬉しそうにさえずっている。春の到来を喜んでいるかのようだ。
小壺の蓋にも、これまた達者な筆致で椿の木と椿の花一輪が描かれている。本体と蓋の椿の木は連続した1本の木となっていて不自然さが見られない。
この種の小壺は、蓋が失われている例が多いが、この小壺は蓋を伴っており、珍しい。
また、当時は、このような蓋を伴っていたのかという実例ともなり、貴重な史料でもある。
江戸時代中期 口径:7.0cm 胴径:9.0cm 高台径:6.0cm 高さ(蓋共):7.1cm
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*古伊万里バカ日誌120 古伊万里との対話(椿文の小壺)(平成26年2月1日登載)(平成26年1月筆)
登場人物
主人 (田舎の平凡なサラリーマン)
椿 (伊万里染付椿に鳥文蓋付子壺)
・・・・・プロローグ・・・・・
連日の厳しい寒さの続く中にも、時折り、暖かさを感じさせる日がやってくる今日この頃である。「三寒四温」というものだろう。
そうしたなか、主人は、少しも春を感じさせてくれる古伊万里と対話をしたくなったようで、何やら「押入れ」から引っ張り出してきて対話を始めた。
主人: 寒さも峠を越えたようで、時折り暖かい日がやってくるようになった(*^_^*)
椿: そうですね。大寒も過ぎ、節分も間近になりましたものね。
主人: 伊豆大島恒例の「椿まつり」(平成26年1月26日~3月23日)も開幕したようで、なんとなく春の兆しを感じるね。
椿: 私達椿は、種類によっては、冬から咲き出しますものね。春を一番早く運んでくるのではないでしょうか。
主人: そうだね。春を一番早く運んできてくれるかな。
我が家の庭にも椿の木が2~3本あるが、庭木の中では一番早く春を感じさせてくれるね。でも、今年はいつになく寒かったのかな~。早咲きのものも、せっかく咲き出したのに、寒さでやられてしまったものも多く、残った蕾も固く閉じてしまっているよ。
椿: それは残念ですね。でも、もっと暖かくなれば咲いてくれますよ。
主人: うん。椿は、冬の寒さの中でも健気に咲くし、咲いた花は華麗だしで、日本人には昔から愛されてきているね。
椿は、日本原産ということもあって、万葉の昔から、日本人には愛されてきているものな~。特に、江戸時代になると、二代将軍徳川秀忠が椿を好んだため、権力者の庇護をうけるようになり、武士のみならず町人にまで愛されるようになったようだね。また、将軍のみならず、加賀、肥後といった大名や京都の公家などまでもが好んだため、庶民の間でも大流行し、沢山の品種が作られたようだ。とりわけ、近世には茶花として好まれたこともあって、多くの園芸品種が作られるようになったらしい。
椿: でも、椿の花は、花びらが個々に落ちないで丸ごと落ちるので、特に武士は首が落ちる様に似ているということで椿を嫌ったということを聞いたことがありますが、どうなんでしょうか・・・・・。
主人: 私もそのように聞いているね。しかし、それは、自分の庭に庭木として植えるもんじゃないということなんじゃないのかな・・・・・。彼岸花も、お墓には植えても庭には植えるもんじゃないというのと同じじゃないかな。もっとも、最近では、そんなことにはおかまいなく、「綺麗なものは綺麗!」ということで、平気で庭に彼岸花を植えているようだけどね・・・・・。
椿: でもね~、ずいぶんと古い椿の木が庭に植えられているのを見かけますよ! 十分に江戸時代から生き続けていると思われるような古い太い椿の木が庭木として植えられているのをよく見かけますよ!
主人: う~ん。そう言われればそうだね。これまで深く考えなかったな(~_~;)
そうだ、ちょっとインターネットで調べてみよう! 今では、インターネットというような便利なものがあるので助かるよ。いちいち図書館などに行って調べなくともわかるからね。
(インターネットで検索)
あった、あった。インターネットにはこんなことが書いてあったぞ。
「武士はその首が落ちる様子に似ているというのを理由にツバキを嫌ったという話もあるが、それは、幕末から明治時代以降の流言であり、江戸時代に忌み花とされた記述はない。」
と書いてあった。
椿: そうでしたか。幕末から明治時代以降の流言でしたか。
主人: そうらしいね。私も、これでスッキリした感じだね。でも、インターネットにはガセネタもあるから、それを鵜呑みにして100パーセント信じることには危険があるけど、これは、信じてもよさそうだな。
だって、古伊万里には椿の文様が多いんだものね。当然、武士階級にも愛され、武士階級からの椿の文様の需要も多かったから、多く作られたんだろうね。この事実だけでもインターネットの情報が正しいことを示していると思うね。
椿: それを聞いて安心しました。ありがとうございます。
主人: 古伊万里は貴重品だったから、当時、一般庶民が買えるようなものではなかったと思うよ。たぶん、お前だって、武士の屋敷なり、富裕な町人の屋敷の中で大事にされていたと思うんだ。でも、大事にされてはきていても、所詮は日用品だから、長い間には疵も付いてしまうよね。特に、物を出し入れする口の所は欠け易い。お前にも、本体の口縁部には随分と欠損があるものな。しかし、そんなに疵が出来ても捨てられず、しかも蓋まで残っているというのは珍しいね。捨てるには忍びなかったんだろうね。よほど愛され、大切にされてきたんだろうね。
椿: 私を捨てずに残してくれた前の所有者に感謝しなければなりませんね。
主人: そうだよね。私も、お前を、大切に後世に伝えていかなければね。
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陶工が楽しんで絵付けをしているかのようです。
全体の大きさに比して、蓋が大きく立派ですね。この壷には何をいれたのでしょうか。武士に聞いてみたいです。
相当に描き慣れていますよね。
本体に比し、蓋が大きいですよね(^_^)
何を入れたのでしょうか、、?
我が家なら、梅干しでも入れて食卓に登場させるところですが、、、。
もっとも、江戸期は、梅干しは貴重品だったと聞いたことがありますので、武士も、これに梅干しを入れて食卓に登場させたのかもしれませんね(^_^;