Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 竹垣に鳥文 中皿

2021年09月23日 11時13分19秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 竹垣に鳥文 中皿」の紹介です。

 

表面

 

 

外周文様の一部の拡大

矢羽根文と雲文との境目には墨はじきが施されています。

また、見た目では分からないのですが、矢羽根文と雲文の境目を指でなぞってみますと、

雲文の部分がかすかに高くなっていることが分かります。

 

 

裏面

 

生産地: 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サイズ: 口径;19.9cm 高さ(最大);3.5cm   底径;13.4cm

 

 

 

 ところで、この「染付 竹垣に鳥文 中皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 そこで、その際の紹介文を再度次に掲載することをもちまして、この「染付 竹垣に鳥文 中皿」の紹介とさせていただきます。

 

 

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         <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー185  伊万里染付竹垣に鳥文中皿       (平成25年9月1日登載)

 

 

 どこにでもありそうな極く普通の庭先の1シーンを写し取ったような見込み図である。

 ところで、この鳥には目が描かれていない。眠っているにしては不自然な体勢である。温かな陽射しを浴び、しばし、まどろんでいるのであろうか。なんとなくほほえましく、心和らぐものがある。

 しかし、鳥がとまっている竹はピーンと一直線に上に伸び、画面に緊張感をみなぎらせる。

 外周には、矢羽根文を雲文で挟んだ文様をぐるっと一周させ、それが、あたかも額縁のような働きをし、口縁の口紅とともに、見込みの画面を引き締めている。

 また、矢羽根文と雲文との境目には墨はじきを施すことにより、矢羽根文と雲文のそれぞれを際立たせ、外周部を単なる額縁の役目に終わらせず、外周部そのものをも見所の一つとしている。

 

 江戸時代中期    口径:19.9cm   高台径:13.4cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌115  古伊万里との対話(竹垣に鳥文の中皿)(平成25年9月1日登載)(平成25年8月筆) 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  鳥   (伊万里染付竹垣に鳥文中皿) 

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今回も、例によって、「押入れ帳」をめくって対話の相手を探していたが、なんとか見つけ出し、押入れから引っ張り出してきて対話をはじめた。
 最近では、そもそも主人のところの全体の所蔵品が少ないのに加え、そのあらかたを既に登場させてしまっていて残りも少なくなってきたために選択の幅が狭くなってしまったうえに、いざ対話をしようと思って対象をしぼっても対話が続きそうもないものもあり、苦慮しているようである。ようするに、行き詰まってきているようである。

 

 


 

 

主人: どの古伊万里と対話をしようかと思っても、所蔵品の残りの数が少なくなって選択の幅が狭くなり、選び出すのが困難になってきた。登場させるタイミングとか季節も考えなければならないとなると尚更だね・・・・・。

鳥: ご主人は、登場させる季節なども考えるようになったんですか。進歩したんですね~。以前はそんなことは考えなかったんでしょう。

主人: まあな。長いことやっていると、そんなことも考えるようになるよ。でもね、そんなことをしていると、登場させる古伊万里を捜し出すのが大変なことがわかるんだ。所蔵品も残り少なくなってきたからね~。

鳥: 私なら今の時分に登場してもいいんですか。

主人: 「花」と「鳥」なら、冬以外ならば何時でもいいんじゃないの・・・・・?
 だいたい、「花」と「鳥」の文様のものを今の時分に登場させてはならないなんていう「法」はないだろう。「花」と「鳥」の文様のものを今の時分に登場させると犯罪にでもなるのか。今話題の「はだしのゲン」のように、「花」と「鳥」の文様のものを今の時分に登場させるとネット社会から排除されるとでもいうのか・・・・・。

鳥: まぁまぁ、そうムキにならなくとも・・・・・。
 ともかく、そんな程度の理由で今回私を登場させたんですね。

主人: まあ、そんなところだ。
 ところで、お前を見つけたのは、冬の寒い寒い、北風の吹き抜ける野外の骨董市でだった。
 そんな状況だったものだから、お前を見た瞬間、何か温かいものを感じ、ついつい手を出してしまった。真冬に我が家にやって来たお前を、真夏に近い今時分に登場させるというのも何か因縁めいた話ではないか!

鳥: それはどうですかね? たまたま順番でそうなっただけでしょう・・・・・。

主人: バレタか! まっ、ともかく、今回登場させた理由はそんなところからだ。
 いつまでも、登場の話ばかりしていてもつまらないので、話題を転じよう。
 よくみると、というか、よく見なくともわかるが、お前には「目」が描かれていないことがわかるよね。だいたいにおいて、古い伊万里の場合は、「目」は鋭く描かれ、表情には厳しいものが見られるんだが、お前にはそれが無い。それはそうだよね。「目」が描かれていないんだから・・・・・。

鳥: それでは、私は、新しい伊万里なんですか?

主人: いや、そんなことはない。私の経験からして、お前は十分に古い伊万里だよ。ただ、表情が見えないという所が通常の古い伊万里とは違うので気に入らなかったんだが、春の和らかな陽射しを受けてしばし「まどろんでいる」ところを描いたんだろうと解釈して買うことにしたんだ。
 見込み部全体では、極く普通の、なにげない、どこにでもあるような庭先の一光景を切り取ったような図になっている。一幅の絵を見ているようで見事だ!
 それに、口縁には口紅を塗り、外周には矢羽根文を雲文で挟んだ文様を一周させ、重厚な額縁の役割を果たさせている。
 こうなると、食器というよりは飾り皿だね。現代なら、食器にしておくにはもったいないので飾り皿に昇格だろう。
 しかもね、よく見ると、というか、今度は、見ただけでは、いくらよく見てもらからないんだが、ぐるりと一周して外周に描かれた、矢羽根文を雲文で挟んだ文様の部分なんだけど、そこには細かな細工がしてあるんだよ。
 矢羽根文と雲文の境目を指でなぞってみると、かすかに雲文の部分が高くなっているんだ。どのようにすればこのような段差をつけることが出来るのか、私は製作者じゃないのではっきりしたことはわからないが、私の推理したところはこうだ。ロクロでひいてまだ生乾きのうちに、雲に挟まれる矢羽根の部分を極く薄く平らに削ったのではないかと・・・・・。
 とにかく技が細かいんだよ。今なら、型に入れて作れば作れないこともないだろうけど、その方法では、こんなに微妙に薄い段差はつけられないんじゃないかと思うんだよね。そんな、見えないような所に手間をかけたり、金をかけたりするところが「江戸の粋」みたいなものにつながるのかな。そんなところが現代の我々の心に響くのかね。

鳥: 大変おほめにあずかり恐縮です。

主人: ホント、昔の人はいい仕事しているよ!

 

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2 コメント

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Dr.kさんへ (遅生)
2021-09-23 11:47:55
細かい所まで気配りされた皿ですね。
竹の直線と草花の曲線の対比も見事です。
矢羽側を一段低くしたのは、雲紋の輪郭をくっきりとさせるためだったのでしょうか。
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遅生さんへ (Dr.K)
2021-09-23 12:05:20
ごくつまらない皿かと思って買ってきたのですが、買ってきてから、良く見ますと、構図取りといい、外周の処理といい、かなり細かなところに気を配っている皿であることに気付きました。

私も、「矢羽側を一段低くしたのは、雲紋の輪郭をくっきりとさせるためだった」のだろうと思います。
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