今回は、「伊万里 染付 蛸唐草文そば猪口(5客組)」の紹介です。
こう書き出しただけで、皆さんは、「なんだ蛸唐草のそば猪口か! そんな陳腐でありふれたものは見たくもないな」と思われるかもしれませんね(-_-;) 「今じゃ、コレクターさんによっては断捨離の対象になるものではないの」とも思われることでしょう(-_-;)
でも、ちょっと待ってください。ここで、このそば猪口を紹介しようとするからには、それなりの理由があるからなんです(^-^; このそば猪口には資料的価値があるんですよ(^-^;
ただ、このそば猪口については、今では閉鎖してしまっている拙ホームページの「古伊万里への誘い」で既に紹介済ですので、ここでは、その紹介文を再度掲載することで、このそば猪口の紹介に代えさせていただきます。
<古伊万里への誘い>
*古伊万里バカ日誌20 古伊万里との対話(そば猪口)
(平成16年7月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
伊助兄弟 (古伊万里様式染付蛸唐草文そば猪口)
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口径:9.0cm;高さ:6.0cm |
真ん中が成化年製銘(周りの4個は文化年製銘) |
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、前回、「安政年製」と、年号の入った「火入れ」をアップしたところ、意外にも好評を博したので(?)、柳の下の二匹目のどじょうを狙って、また年号入りのものをアップすることにしたようである。
「確か、まだ年号入りのものがあったはず!」と思い、押入の中をガサゴソとさせて引っ張り出してきた。
主人:前回は、年号入りの「火入れ」が好評だったので、今回も年号の入ったものをと思ってお前達に出てもらった。
伊助兄弟:私達のうち四人は「文化年製」ですが、一人は「成化年製」となっていますよ。どちらも年号は年号なのでしょうが、どうなっているんですか?
主人:知ってのとおり、「文化」は日本の年号だ。1804~1817年のものだから、江戸時代の後期に属するね。それに対して「成化」は中国の明の時代の中頃の年号で、1465~1487年のものだから、両者との間には、実に、300年以上もの開きがあるよ。
伊助兄弟:私達は日本生まれの「伊万里」と思いますので、「文化年製」とあるのは作った時の年号を入れたのかなーと理解できるんですけれど・・・。でも、「成化年製」の方は、作った時の年号を入れたのではないと思えるんですが・・・・・。
主人:そうだ。お前達は全員日本生まれの「伊万里」にまちがいない。だいたい、「伊万里」の誕生は1610年代だから、1465~1487年頃に作られるわけがない。だから、全員、作られた時代も1804~1817年頃に違いない。したがって、四人に描かれている「文化年製」は、作った時代の年号を入れたものに違いはないだろう。
伊助兄弟:それなら何故、五人のうちの一人に「成化年製」と描いてあるのですか?
主人:「伊万里」ではよくやるんだよ! 結論を先に書くと、「成化年製」は文様として描いたんだね。年号の意識はないね。
中国・明の成化の時代には良い物が作られているんだ。伊万里の陶工は、それをそっくり写しているケースが伺えるんだよ。その際、高台内に描かれた「成化年製」の年号までそっくり写すことがあるんだよね。
お前達のオリジナルが中国・明の成化の時代に作られた物の中にあって、それをそっくり写したというわけではないんだが、「伊万里」では、よく、中国の年号を文様として描くことがあるわけなんだ。
伊助兄弟:よ~くわかりました。
でも、私達の一人の「成化年製」と描かれたものが、どうして1804~1817年の文化時代に作られたものだとわかるんですか?
主人:まず、基準となるものを理解することだね。
以前は、お前達のようなものを「幕末物」といっていた。そして、時代は、ひとまとめで「文化・文政」といっていた。日本史でも「化・政時代」といわれるように、語呂がいいので使われたのだろう。実際には文化・文政より多少古かろうが新しかろうが、皆、「文化・文政」にされちゃった。ちょうど、中国物で、明時代の終わり頃から清時代の初め頃にかけて作られた物が、ひとまとめで「明末清初」といわれるようにね・・・・・。
最近では研究も進んできたので、そんな大雑把なことはいわないようだが、これらの呼称(?)は、便利といえば便利だね。その頃の時代の特長をピタリと表現しているように思えるものね。骨董の場合は、そんなに細かい時代区分をする必要はないのかもしれないな~・・・・・。
おっと、ちょっと脱線してしまった。話を「基準」に戻そう。
「基準」といえば、お前達のうちの四人の「文化年製」と描いてあるものなど、当時の「幕末物」の「文化・文政」ものの典型だよね! 「文化」と描いてあるんだもの!! こんな明確な基準はないよ!!!
伊助兄弟:私達のうちの四人は、典型的な基準ですか! 嬉しいです!! (「豚もおだてりゃ木に登るか!」と、主人が独白。)
今まで、ごくありふれは蛸唐草のそば猪口で、何のとりえもないと思っていましたが、自信がつきました。
主人:そうさ。「幕末物」伊万里の典型だ! しかも、こんなにはっきりしたものはない!!
最近では蛸唐草が人気で、さかんに写されてデパートの陶器コーナーなんかで売られているが、お前達のような迫力がない。お前達だって、骨董の世界ではイマイチだが、現代の写しに比べたら、ズーット上だね。
伊助兄弟:ありがとうございます。そうまで言われると舞い上がってしまいます。
主人:舞い上がれ! 舞い上がれ!! 骨董万歳だ!!! (でも、どうして急に「骨董万歳」がでてくるんだ、との陰の声あり。)
よく、「どうして骨董なんか好きなんですか?」と聞かれるな。たぶん、その人は、「どうしてこの人は、こんなつまらない、汚らしいものを好きなんだろう。」と、軽蔑とも哀れみともつかない気持で言ってるんだろうね。でも、いいさ。言いたい人には言わせておけばいいのさ。
こちらとしては、「どうして骨董が好きになれないんですか?」と言い返したい思いだよ。その時代に一世を風びしたものは強い。存在感を堂々と主張している。一面の美しさを強調している。大袈裟に言うと、芸術性さえ主張している。
お前達のように、骨董の世界では低レベルかもしれないものだって、現代の写しに比べたら段違いだ。その人に、「そういう差を感じられませんか?」と聞き返してやりたいね。
伊助兄弟:あの~~~、私達は「低レベル」なのでしょうか?
それに、「私達の一人の「成化年製」と描かれたものが、どうして文化時代に作られたものだとわかるんですか?」との質問に、まだ答えてくれてないんですが・・・・・。
主人:悪い、悪い。ついつい話しが脱線した。(「どうも今回は脱線ばかりだ!」との陰の声あり。)
「成化年製」と描かれていても、実は、それは「文化」年製であることは、これまでの話でわかると思う。整理すれば、
お前達のうちの四人は、文化年製の典型
↓
伊万里の場合、「成化年製」は文様にすぎない
↓
「成化年製」銘の一人の外観は、「文化年製」銘の四人と全く同じ
↓
「成化年製」の一人は、文化年製
ということになるね。
ところで、お前達の骨董の世界でのレベルのことだが、まあ、その、骨董の世界では好みもいろいろとあって、あの、その・・・・・
ということで、今回は、暑いし、疲れてもきたので、この辺で終わりにしよう(大汗)。
*古伊万里ギャラリー78 古伊万里様式染付蛸唐草文そば猪口
(平成16年8月1日登載)
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立面 | (5客組) |
見込み面(5客組)
底面(5客組)
真ん中が「成化年製」銘、周りの4個が「文化年製」銘
立面(1個の代表)
見込み面(1個の代表)
底面(1個の代表)
「文化年製」銘
5個の内の「文化年製」と描かれた4個は昭和55年に買ったものである。四では縁起が悪い(?)し、日本の場合は5個で1組なので、あと1個を是非ほしいと思った。
この手のものはよくある手なので、すぐ見つかると思ったものである。確かに、この手のものはよく見かける。ところが、「文化年製」と描かれたものは、なかなか無い。高台内に何も描かれていないものや「成化年製」等と描かれたものばかりである。また、「成化年製」と描かれていても、5個組になっていて、1個だけをバラにして売らない等と、難航した。
2年後の昭和57年に至り、やっと「成化年製」と描かれた1個を入手したものである。
その後は、ほとんど気にも留めなくなり、捜すこともしなくなったので、はっきりしたことは言えないが、この手のものに「文化年製」と描かれたものは少ないのではないかと思っている。
この手のものは、今でもよく見かけるので、珍しくもなんともないのではあるが、今、これを書いていて、是非、「文化年製」銘のものだけで5個1組にしてみたいな~と思い始めている。
製作年代: 江戸時代後期(文化・文政期)
サ イ ズ : 口径;9.0cm 高さ;6.0cm
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付記(令和2年9月4日)
「文化年製」銘のそば猪口につきましては、この「古伊万里ギャラリー78 古伊万里様式染付蛸唐草文そば猪口」(平成16年8月1日登載)の記事を紹介した少し後、ネット上で1~2個売られていることを発見しましたが、あまりにも高額だったので買うのを見送りました(-_-;)
その後、骨董市等に行った際には、その都度、この手のそば猪口を見かけた場合、高台部を調べていますが、今までのところ、全部、何も描かれていないか「成化年製」と描かれたものばかりで、「文化年製」と描かれたものには出会っておりません。この「文化年製」銘というものがいかに貴重なものであったかを思い知らされています。
数の少ない物は、コレクター魂をくすぐりますね。
先日も、養老年製銘の養老の瀧図皿がネトオクに出てました。しかも、美濃の地方窯の一つ、養老焼だったので、ぐっと触手がのびましたが、あまりにも高額になったので諦めました(^^;
探すとなると、案外少ないと思います。
我が家には、年号が入ったものでは、この「そば猪口」と先日紹介した安政年製銘の入った「火入れ」と文化三年銘の入った「地図皿」の3点しかありません(もっとあるかもしれませんが、ちょっと記憶にありません)。
見つけたら買うべきですね(^-^;
「養老年製」の銘は、あまりにも古過ぎて、現実の年号を入れたものとは思えませんよね。
それに、養老焼で、養老の瀧図が描いてあるところの養老年製銘では、あまりにも出来過ぎというか、揃い過ぎていて、年号としての「養老」の意味を込められて作られたとは到底思えませんよね。
手を出さなかったのは正解だったような気がします(^-^;
以前に文化年製の小皿を見かけたことがありますが、特に魅力的ではなかったのでパスした記憶がありますが
やはりこういった特徴を持つ品は購入しておくべきと、あらためて思った次第です。
蛸唐草、気が滅入りそうなほど細かい作業のプライドが
中国年代の表記にしたのでしょうね。
中国の焼き物は憧れだったのですね。
単なる文様としてではなく、製作年代を示す年号が入っているものというのは、探すとなると、なかなかないんですよね。
以前、文化年製銘の小皿を見かけた時があるんですか。
そのようなものは、美術的には特に魅力的ではなくとも、資料的な価値は高いですから、パスしないほうがいいかもしれませんね(^-^;
蛸唐草文は、以前は高かったんです。絵付けの作業が大変だろうなと思うでしょうから、人件費を考えると、高くてもしょうがないと思われたのかもしれませんね。
でも、そのうち、実力以上に高くなり過ぎ、今度は飽きられて、没落しました(-_-;)
伊万里は、常に中国を意識し、追いつけ、追い越せと頑張ってきました。
それで、昔の中国の年号を、年号としてではなく、単なる文様として入れることが多くなりました。
陶磁器では、やはり、当時は、中国は先進国でしたものね。
戦後、日本でも、工業製品については、アメリカに憧れ、追いつき、追い越せで頑張りましたものね(^-^;