今回は、「染付 菊文 台付変形小皿(一対)」の紹介です。
小皿(A)を斜め上から見た面 小皿(B)を斜め上から見た面
小皿(A)の裏面 小皿(B)の裏面
小皿(A)の表面
小皿(A)の側面
小皿(A)の裏面
小皿(B)の表面
小皿(B)の側面
小皿(B)の裏面
生 産 地 : 肥前・有田 中国
製作年代: 江戸時代前期 清朝・光緒年代頃
サ イ ズ : 小皿(A)・・・長径:15.0cm 台長径:9.0cm 高さ:2.4cm
小皿(B)・・・長径:14.9cm 台長径:8.8cm 高さ:2.5cm
これにつきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介済みですので、その紹介文を再度次に転載することで、この小皿の紹介に代えさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー142 初期伊万里様式染付菊文台付変形小皿 (平成21年12月1日登載)
小皿(A) 小皿(B)
初期の荒々しさはないが、その素朴な面影を残す、味わい深い小皿である。どことなく、清潔な気高ささえたたえている。
小皿(A)の方は平成8年12月に、小皿(B)の方は平成9年1月に購入したが、それ以来、ず~っと、「この小皿は本物の古伊万里なのだろうか?」との思いが付きまとっていた。
というのは、この小皿の高台が、下に向かって広がっているからである。伊万里の皿の場合、普通、高台は下に行くに従って狭くなっているが、この小皿は、下に行くに従って広くなっているからである。
でも、最近、この小皿は、普通の皿ではなく、「台付」の皿なのではないかと思うようになった。発想の転換である\(^o^)/
皿の「高台」と見るのではなく、台付皿の「台」と見れば、皿の下の部分が下に行くに従って広がっているのは当然だからである。
積年の疑問が晴れたような気になり、この小皿達を広く公開する気持ちになったものである(*^_^*)
江戸時代前期 小皿(A)・・・長径:15.0cm 台長径:9.0cm 高さ:2.4cm
小皿(B)・・・長径:14.9cm 台長径:8.8cm 高さ:2.5cm
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*古伊万里随想41 伊万里台付皿愚考 (平成21年11月筆) (平成21年12月1日登載)
小皿(A) 小皿(B)
私がこの小皿(A)を買ったのが平成8年の12月で、小皿(B)を買ったのが平成9年の1月のことである。どちらも、田舎の骨董市に並べられていたものであり、売っていた業者さんも同一であった。
見てのとおり、小皿(A)の方が小皿(B)よりも染付の色合いも地味で、時代もありそうに見える。それで、業者さんは、まず、小皿(A)の方を陳列し、果たして売れるかどうか、客の反応を見ていたが、首尾よく売れたので、翌月、今度は、小皿(B)を持参してきて売りに出したわけである。
業者さんが、まず小皿(A)だけを陳列して客の反応を見たのには理由(わけ)があったと思う。というのは、まず、器形である。このような器形の皿は珍しいし、なによりも高台がバチ形に外に開いているのは致命的欠陥と思ったからであろう。普通、伊万里の皿の高台は内側に傾斜しているから・・・・・。
私も、その点は非常に疑問に感じたが、小皿(A)そのものには十分に時代もあり、「伊万里に間違いはないであろう。高台が外に開いている伊万里だって例外的には存在するのであろう。」と気楽に判断し、購入に及んだものである。
小皿(B)が出てきた時もは、「更に危険を冒す必要はないな~。こちらの方は買わないようにしようかな~!」とは思ったが、「小皿(A)と合わせてペアにしてやろうか!」との思いの方が強くなり、結局、小皿(B)の方も購入に及んでしまったわてである。
しかしながら、「例外もあるんだろう!」と思いながら、本などを見ていても、高台がこれほどまでに意識的に思い切ってバチ形に外に大きく開いている皿には遭遇しないのである。垂直の高台で、やや外に開きぎみ程度の皿は見かけるが、この小皿(A)・(B)のようなものは発見できなかったのである。危険負担は現実のものとなった。しかも2倍になって(~_~;)
「購入の際の判断を誤ったか! まっ、これも授業料!!」と思うことにはしたが、それ以来、ず~っと、「伊万里で高台が外に開いている皿はないのか!」と注意するようにしてきた。
でも、その後も、真剣に研究したり捜したりしなかったせいもあり、やはり、出会っていない。ところが、最近、ちょっとヒラメクものがあった。皿の「高台」と考えるのではなく、台付皿の「台」と考えたらどうかと・・・・・。
皿の「高台」と考えた場合、伊万里では、原材料から来る制約なのか、製作技術上の問題からなのかどうかはわからないが、内側に傾斜している場合が多く、たまに垂直に近く、極くまれには、やや外側に開きぎみのものが見られるにすぎない。「高台」の高い鍋島でさえ、「高台」のそれはやや内側に傾斜しているものがほとんどで、両手に持って、片方の手の人差し指を高台の内に差し込み、反対側の手を離しても引っ掛って落下しないのが本物の鍋島とする鑑定方法もあるくらいである。
ところが、台付皿の「台」と見た場合はどうだろう。「台」は円錐形になっているのが普通ではないか! それを上から見れば、思いっきりバチ形に大きく外側に開いているように見えるのは当然ではないか!
古代より、「高杯」(たかつき)と呼ばれる土器が作られ用いられている。その流れから、「鉢」に台を付けたものは「台付鉢」と呼ばれ、「皿」に台を付けたものは「台付皿」と呼ばれてきている。その延長線上から考えれば、「台付皿」の「台」に相当する部分は外に向かって開かれた形となるわけである。この小皿(A)・(B)も、その流れに沿って作られたものと考え、「台付小皿」と呼べば、皿の下部が下に向かって広がっていても不思議はない! 十余年の、積年の疑問が解けたような心境で、スッキリ、爽快な気分である(*^_^*)
ただ、「高杯」は、身分の高い人への捧げ物をする際に用いられたとか、祭壇に供する場合に用いられたとかと考えられているので、この「台付小皿」も、あるいはそういったような特殊な用途のために作られたものなのかもしれない。したがって遺例が少ないのかもしれない。
鍋島の場合も、「高台」は高く作られているが、それは、主として、将軍家使用の食膳具の献上品として作られてきたので、その過程で、高貴な方への献上という意識から、だんだんと高台も高く作られ、しかも、高台の側面までも文様で飾られ、華やかに作られるようになったのではないかと愚考している。ただ、鍋島の場合は、あくまでも、「台付皿」の「台」とは捉えず、「皿」の「高台」と捉えているので、皿の下の部分は下に向かって狭まっているのであろう。
以上は、何の学術的な根拠を有しない、全くの私の愚考である。それでも、個人的には、積年の疑問が氷解したような爽快な気分である。
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追 記 (令和3年5月30日)
或る方から、次のようなコメントを頂きました。
「 こちらのお皿ですが、中国のもので、清末~民国の「供盘」「貢盘」と呼ばれるものかと思います。
捧げ物や祭壇に置くための器というのはまさに正解で、寺や廟、または結婚式などのおめでたい時などに、果物を載せたりするための器です。」
やはり、ヒラメキとか発想の転換などと考えたのは誤りであったことを知りました。コメントの通りかと思います。
長年の疑問が氷解した思いです(^-^*) 貴重なコメントをありがとうございました。
従いまして、この小皿の生産地を「中国」に、製作年代を「清朝・光緒年代頃」と変更いたします。