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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 草花文 小皿

2022年08月25日 13時09分53秒 | 古伊万里

 先日(8月21日)の骨董市で買ってきた「染付 草花文 小皿」の漂白作業が終わりましたので、それを紹介いたします。

 先日の骨董市で見かけた時には、全体に汚れが酷く、汚れでニューもクッキリとし、高台畳付き部のソゲ疵も汚らしく 汚さが目だっていました(~_~;)

 そんなこともあり、「昔は10,000円だったが、今は1,000円」ということでした。しかし、見れば、時代もしっかりとあり、最近では、なかなか見かけることの出来ないほどの物でしたので、1,000円で買ってきたわけです。

 

 

染付 草花文 小皿 (漂白前)

 

表面

全体に汚れてます。

全体に焼が甘くジカンが走り、ニューも目立ちます(~_~;)

 

 

表面の拡大

全体的にジカンが走り、ニューも目立ちます(~_~;)

 

 

裏面

高台内には、10,000と表示した古い値札が貼付けられていますので、昔は

「10,000円」で売られていたことが分ります。

全体に汚れが酷く、高台畳付き部の時計の針の9時の方角にはソゲ疵があり、

高台内には太いニューも見られます。

 

 

裏面の拡大

高台内には、10,000と表示した古い値札が貼付けられていますので、昔は

「10,000円」で売られていたことが分ります。

全体に汚れが酷く、高台畳付き部の時計の針の9時の方角にはソゲ疵があり、

高台内には太いニューも見られます。

 

 以上のように、汚れが酷かったのですが、漂白剤の中に2~3日浸けておけば、かなり綺麗になるだろうとの期待を込め、2~3日の間、漂白剤の中に浸けておきました。

 その結果の写真は次のとおりです。

 

 

染付 草花文 小皿 (漂白後)

 

表面

全体的に、だいぶ綺麗になりました(^_^)

全体的に走るジカンの筋は消えませんが、ニューはほとんど目立ちません。

 

 

表面の拡大

全体的に、だいぶ綺麗になりました(^_^)

全体的に走るジカンの筋は消えませんが、ニューはほとんど目立ちません。

 

 

裏面

全体の汚れも消え、高台畳付き部の時計の針の9時の方角のソゲ疵も殆ど分らなくなり、

高台内の濃くて太いニューの線もだいぶ薄らぎました(^_^)

 

 

裏面の拡大

全体の汚れも消え、高台畳付き部の時計の針の9時の方角のソゲ疵も殆ど分らなくなり、

高台内の濃くて太いニューの線もだいぶ薄らぎました(^_^)

 

 

 綺麗にした状態で改めてこの小皿を見てみますと、裏文様などから見ても、やはり、時代は古いものであることが分ります。また、造形的に見ても、全体はやや薄作りで、高台造りにも厳しいものがあり、製作年代は江戸時代前期に遡るのではないかと思われます。

 そのようなことを考えますと、「昔は10,000円だったが、今は1,000円」というのは、ちょっと、可哀想な気がします(^_^) 今でも4000円~5,000円はするのではないでしょうか、、、(笑)。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ イ ズ : 口径14.1cm  高さ2.2cm  底径9.6cm


色絵 鹿雲龍文 大皿

2022年08月08日 12時48分24秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 鹿雲龍文 大皿」の紹介です。

 これは、私が何時も行っている古美術品交換会で、平成25(2013)年に、今から9年前に、競り落としてきたものです。

 ただ、競り落とした当初から、これは「古伊万里」ではないので、「古伊万里」としては紹介しないものとして保管してきました。

 でも、前回、やはり、紹介しないものとして保管していた「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」を紹介してしまったところです(~_~;) しかも、この「色絵 鹿雲龍文 大皿」は前回紹介した「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」とは重ねて一緒に保管してあるものですから、この「色絵 鹿雲龍文 大皿」は、私の目には目障りで仕方がなくなりました(><)

 「さ~て、この色絵の大皿はどうしたものか」、「紹介すべきか、しないべきか、これは問題である」との心境に達しました(←大袈裟)。

 悩んだ結果、「既に、染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿を紹介してしまったのだから、ここは、もう、破れかぶれで、このブログのレベルを下げることになっても紹介せざるを得まい」という心境に達したわけです(←これまた大袈裟。そもそもこのブログは当初からレベルの高いものではありませんよね)。

 もっとも、紹介するにしても、どのジャンルで紹介すべきかということになるわけですが、「その他の古陶磁」で紹介するにしても、この「色絵 鹿雲龍文 大皿」は古陶磁には属しませんので、そのジャンルで紹介することも出来ませんから、結局は「古伊万里」のジャンルで紹介せざるを得まいとの結論にも達したわけです(~_~;) このブログの「古伊万里」のジャンルも、ますますレベルが下がり、雑多な陶磁器の紹介コーナーの様相を呈してきました(><)

 愚痴と言い訳はこのくらいにして、それでは、次に、その「色絵 鹿雲龍文 大皿」を紹介いたします。

 

 

色絵 鹿雲龍文 大皿

 

表面

濃い赤は、ベッタリとした、いわゆるペンキ赤を使用していています。

 

 

中心雲龍文部の拡大

 

 

周縁牡丹唐草文部の拡大

 

 

周縁鹿文部の拡大

 

 

 

周縁鹿文部の拡大写真の右側の雌鹿の拡大

左側の雄鹿に「遊ぼ~」と近寄っていきました(^_^)

 

 

 

周縁鹿文部の拡大写真の左側の雄鹿の拡大

右側の雌鹿が「遊ぼ~」と近寄ってきたところを、「うるさい、あっちへ行け!」

と追い返しているようです(笑)。

 

 

 

側面

 

 

裏面

濃い赤は、ベッタリとした、いわゆるペンキ赤を使用していています。

 

 

裏側面部の拡大

 

 

高台部の拡大

高台は丸みを帯びています。

 

 

 この大皿が、何処で、何時頃に作られたのかは定かではありませんが、明治前期~中期にかけて石川県旧江沼郡大聖寺町内で作られた、いわゆる、れっきとした「大聖寺伊万里」とは違うようです。その後の大聖寺町内で作られたものなのでしょうか、、、?

 

生 産  地 : 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 口径43.0cm  高さ7.5cm  底径24.7cm


染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿

2022年08月06日 15時45分17秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」の紹介です。

 先日(2022年8月1日)、「染付 鹿紅葉文 中皿」を紹介しましたが、この大皿は、先日紹介しました「染付 鹿紅葉文 中皿」の文様の周辺に花唐草文を巡らせたように作られています。つまり、今回紹介します「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」の中心部の文様と先日紹介しました「染付 鹿紅葉文 中皿」の文様はほとんど一致するわけです。

 そんなこともあり、この「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」の生産地と制作年代についても疑義がありましたので、ブログでの紹介は控えていたわけですが、「染付 鹿紅葉文 中皿」を紹介してしまいましたので、それに連動してこの「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」も紹介することといたしました(~_~;)

 

 

表面

中心部の文様は、先日(2022年8月1日)紹介した「染付 鹿紅葉文 中皿」と殆ど同じです。

その鹿紅葉文の周辺をグルリと花唐草文が取り巻いています。

 

 

中心部の文様の拡大

 

 

中心部の文様の更なる拡大

 

 

周辺部の拡大

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

裏側面の一部の拡大

 

 

生 産 地 : 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 口径31.2cm  高さ6.0cm  底径18.7cm


宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々

2022年08月03日 19時01分10秒 | 古伊万里

 「陶説」(公益社団法人 日本陶磁協会発行の月間機関誌)の№830号(令和4年8月号)を読んでいましたら、「著者が案内する、やきものブックガイド」というコーナーに面白い本が紹介されていることを発見しました。

 このコーナーは、やきものに関する本が発行された際、その著者が、自ら自著を紹介するコーナーとなっているわけですが、そこに、著者の八條忠基氏(有職故実研究家/綺陽装束研究所主宰)が、自著の「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」(平凡社 2021年11月12日刊行 2,420円(税込み) 126頁)という本の紹介をしているのを発見したからです。

 古伊万里を収集していますと、たまに、江戸時代に宮中で使用されたであろうと思われる食器に遭遇することがありますが、果たして、それらが本当に宮中で使用されたものなのかどうかが分りませんでした。古伊万里に関する本で、その辺を取り扱って書いた本は見当たらなかったのです。

 その点、この「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」という本は、ズバリ、江戸時代に宮中で使用された古伊万里について言及していますので、古伊万里の収集にも大変に参考になると思いましたので、次に、この本の紹介文の一部を転載して紹介したいと思います。

 

 

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八條忠基著「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」の表紙

(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)

 

 

葦田鶴文皿(あしたづもんさら) 江戸時代 高2.0cm 径10.8cm

(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)

 

 

亀甲合わせに群鶴文皿(きっこうあわせにぐんかくもんさら) 江戸時代 高3.6cm 径18.8cm

(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)

 

 

葦田鶴文皿(あしたづもんさら) 江戸時代 高2.5cm 径12.2cm

(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)

 

 

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自然を愛するデザイン

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  「宮中の食器には菊花御紋章があるだろう」そこまでは誰しもが想像できることなのですが、江戸時代の宮中食器はそれに加えて自由闊達、そして何よりも自然の風情を大切にしたデザインを施したのです。

 平安時代以来、天皇や公家たちは自然を愛し敬い、自然と同化すること、自然を身近に感じることを大切にし、生活の基本に置いてきました。食器のデザインもそうした感性から生まれたものでしょう。

 自然とはアシンメトリーなものです。ですからそれを模したデザインは規律性・統一性を無視したものとなり、手描きによる染付の技法によって、有田の辻家(辻常陸)をはじめとする上絵師たちが自由に描いたのです。類似はしても二つとして同じものはなく、そこがまた宮中食器の魅力でもあるのです。

 

細かい瑕疵を気にしない

 江戸時代の宮中食器を見ますと、近代以降の西洋食器では絶対に使用されないような窯疵のあるものが、わりと多いことに気がつきます。目跡は当然として、明らかに瑕疵となるであろう底割れ、ホツ、降りモノなども、さほど気にされることなく宮中で使用され、伝来しています。

 現在の宮中のイメージからすれば決して許されないであろうこうした瑕疵も、江戸時代は瑕疵としては扱われなかったこと、これもまた時代を感じさせてくれるものといえるでしょう。その大らかさには少々驚かされ、当時の宮中内の精神が自由だった様子が想像できます。またそうしたことの背景には、食器たちが「使い捨て」であったこともあるのでしょう。

 

毎月遡日に総取り替え

 江戸後期の宮中食膳を記した『禁裏御膳式目』に「御茶碗ハいまり焼也、尤御茶碗一ヶ月限毎月遡日ニ替り申候」とあるように、原則として食器の使用は一ヶ月限りで、毎月の一日にすべて新品に取り替えたのです。京都御苑の発掘調査でも大量の破棄された食器類が出土しますが、割れて使えなくなったというよりも、毎月割って処分したということです。いかにも勿体ない話に思えますが、今流行の「断捨離」とでも申せましょうか。伊勢の神宮の寝殿を二十年で建て替えるように、常に新鮮であることを大切にする「常若」の考え方も影響していたのでしょう。

 

食器の下賜

 そうしたことから宮中において食器に対する執着心は薄く、陪膳の公卿や配膳係の女官たちに食器が下賜されることもしばしばありました。下賜された品は、公家たちが世話になった人や出入りの商人に下げ与えることも多く、頂戴した者は桐箱を拵えて家宝として大切に保存し、伝来しました。このため京都市内には数多くの宮中食器が出回るようになります。

 近代の宮中祝宴においても、直接口を付ける酒盃はそのまま持ち帰ることが許されていました。これは他国には見られない風習で、明治二十年(1887)頃に宮中式部顧問をしていたドイツ人、O・V・モールは「ミカドの誕生日のすがすがしい思い出を家族一同の中に保持してゆくためにも、これは全く魅力的な風習であった」と語っています。この風習は現代においても受け継がれており、宮中諸行事で使用された酒盃は、宴席で食べ残した折り詰めと共に、持ち帰って良いことになっています。

 このように江戸時代から現代にいたるまで大量の宮中食器が下賜されたのです。陶磁器は割れ物ですが、大規模な本格的空襲被害を受けることがなかった京都では、比較的多数が現代に遺ることになりました。そうした品々をコレクションすることは日本の伝統文化の一ジャンルを守ることでもあり、散逸・海外流出を防ぐことが大切であると考えております。

 本書を制作する上で最も苦心したのは、いかに多様なデザインのバリエーションを確保するかということで、コレクションを心がける上での重要ポイントであったといえるでしょう。

 

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 以上が八條忠基著の「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」の紹介文の一部です。

 この紹介文の一部を読んで、これまで、全く五里霧中の存在だった江戸時代の宮中食器のことが、少し分るようになりました(^_^)

 また、これを読んで、私も、ささやかではありますが、宮中食器を、これまでに2点ほどコレクションしていたのではないかと思うようになりました。そして、それは、このブログでも既に紹介しているところです。1点は「染付 菊花帆掛舟図 中皿」で、もう1点は「染付 家紋文 小皿」です。

 これら2点が宮中食器であるならば、私も、ささやかではありますが、「日本の伝統文化の一ジャンルを守ること」に貢献し、また、「散逸・海外流出を防ぐこと」にも貢献しているのではないかと自負しております(^-^*)


染付 鹿紅葉文 中皿

2022年08月01日 14時11分15秒 | 古伊万里

 今では止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」では既に紹介しているのに、このブログではまだ紹介していない伊万里がまだ5点ほど残っていることを記してきているところです。

 そして、これまでに、そのうちの「伊万里 染付 鶉文 中皿」の2点、「伊万里 染付 竹・燕文 中皿」の1点及び「伊万里 染付 二股大根にネズミ文 中皿」の1点の計4点を紹介したところです。

 なお、今では止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」では既に紹介しているのに、どうしてこのブログでは紹介しなかったのかにつきましては、それは、それらが本歌の古伊万里ではなく、最近作られた「古伊万里写し」なのではないだろうかとの疑念が湧いたためであったことも記したところです(~_~;)

 しかし、そうした疑念のある物でも、そのまま、疑念のある物として紹介することにも、少しは意義があるのではなかろうかと考え直し、順次、それらを紹介してきたところです。

 そのようなことで、今回は、残りの1点の「伊万里 染付 鹿紅葉文 中皿」を紹介いたします。

 

 

伊万里 染付 鹿紅葉文 中皿

 

表面

 

 

表面の一部の拡大(その1)

 

 

表面の一部の拡大(その1)の下側左の雌鹿の拡大

躍動感がなく、寝そべっているよに見えます(笑)

本来は、雄たちと共に躍動している様子を描いたのだろうと思いますが、表情からみますと、後ろ側の雄の接近にビックリして立ち上がろうとしているところを描いたようのも見えます(~_~;)

 

 

表面の一部の拡大(その1)の下側の真ん中の雄鹿の拡大

喜んで躍動しているようにみえますので、動きや表情の描き方はまぁまぁというところでしょうか。

 

 

表面の一部の拡大(その1)の下側右の雄鹿の拡大

この雄鹿も、気持ちよさそうに躍動しているようにみえますので、動きや表情の描き方はまぁまぁというところでしょう。

 

 

 以上、この中皿に描かれた5頭の鹿のうちの3頭について拡大して見てみましたが、それぞれの鹿には、それなりの動きや表情が見られるようです。

 伊万里も、江戸前期の頃のものには動きや表情が鋭く描かれているものが多いようですが、江戸も後期となりますとそれほどの鋭さが無くなるようです。

 これらの鹿の描き方から判断しますと、この中皿は、江戸後期の本歌の古伊万里なのかなとも思えるわけですが、造りや素地、その他の文様の描き方などの全体から判断しますと、何となく腑に落ちないものを感じるわけで、やはり、最近作られた「古伊万里写し」なのではないだろうかとの疑念が湧いてしまうわけです(~_~;)

 

 

表面の一部の拡大(その2)

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

裏面の一部の拡大

 

 

生 産 地 : 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 口径:20.7cm  高台径:13.1cm

 

 

 追って、前述しましたのように、この「染付 鹿紅葉文 中皿」につきましては、今では止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」で既に紹介しているわけですが、その時の紹介文を、次に、参考までに再度掲載いたします。

 なお、その紹介文の中では、この「染付 鹿紅葉文 中皿」につきまして、「生産地:肥前・有田」、「製作年代:江戸時代後期」としておりますことをお含みおきください。

 

 

 

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<古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー209  伊万里染付鹿紅葉文中皿  (平成27年10月1日登載)

 

 

 

 

 鹿と紅葉の取り合わせは陳腐な取り合わせである。

 しかし、この皿は染付にすぎないのに、これを見ていると、秋を美しく彩った「紅葉」が地面いっぱいに広がり、赤や黄色の絨毯を敷き詰めたような中を、まばらな木々の間をすり抜けるように駈ける鹿の茶色という色感が鮮やかに目に浮かんでくる。

 「鹿と紅葉」というと、もう、脳がそのように記憶しているからであろう。これは、陳腐さの効能でもあろうか、、、。

 また、この皿からは、急に雷鳴が轟いたため、それに驚いた鹿が飛び上がっている躍動感まで伝わってくる。

 染付であるのに、色彩豊かな「静」と「動」とが伝わってくる皿である。

 

江戸時代後期    口径:20.7cm   高台径:13.1cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌138  古伊万里との対話(鹿紅葉文の皿) (平成27年10月1日登載)(平成27年9月筆)   

 

登場人物
  主  人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  鹿紅葉  (伊万里染付鹿紅葉文中皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 暑さ寒さも彼岸までと言われるが、彼岸を過ぎたらめっきり涼しくなってきた。
 そこで、主人は、秋を感じさせる古伊万里と対話をしたくなったようで、押入れから1枚の古伊万里を引っ張り出してきて対話をはじめた。

 

 


 

 

主人: まだ秋真っ盛りという状況ではないんだが、ちょっと季節を先取りした感じでお前に登場してもらった。

鹿紅葉: まだ、ちょっと、私の出番には早いんじゃないですか。来月でもよかったのでは・・・・・。

主人: なにごとも早いにこしたことはないからな。すべからく、時代を先取りしたものに注目が集まるし、季節を先取りしたものにこそ「粋」という言葉が付加されるにふさわしいだろうよ。
 だいたい、お前のように「鹿に紅葉文」は陳腐な文様の代名詞みたいなものだからな。来月に登場したのでは、陳腐さを絵に描いたようなもので、誰も注目しないだろうよ。

鹿紅葉: それもそうですね。
 ところで、どうして、「鹿」といえば「紅葉」と結び付き、「紅葉」といえば「鹿」に結び付くんでしょうか。

主人: どうしてなのかね・・・・・。「花札」にも「「鹿と紅葉」という取り合わせが登場してくるしね・・・・・。
 ちょっとネットで調べてみるか。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

      
 いろいろと出てくるね。まず、次のようなのが出てきたな。

 

「奈良の興福寺の小僧さん達が大勢でお堂で習字をしていたところ、ある日、一匹の鹿が庭に入り込み、小僧さん達が書いた紙を食べようとしたんだそうな。小僧の一人の三作という少年が、鹿を追い払おうとして近くにあった文鎮を投げたところ、運悪く、その文鎮が鹿の急所に当たってしまい、鹿は死んでしまったそうな。
 当時、鹿は神の遣いの神鹿とされていたので、鹿を殺せば死罪となる定めだったそうな。まだ子供だった三作少年も例外ではなく、鹿殺しの罪で石子詰の刑に処せられることになったとのこと。
 三作少年は、その年齢(13歳)にちなんで、1丈3尺の穴に、死んだ鹿と共に入れられ、十三鐘の鐘が鳴る時刻に石と瓦で生き埋めにされてしまったそうな。
 三作少年の死を悲しんだ母親は、供養のために、三作少年が石子詰にされたすぐ側に紅葉の木を植えたんだとか。」

 

 この鹿殺しの罪で、鹿と一緒に生き埋めにされた息子の霊を供養するために母親が紅葉の木を植えたという伝説が、「鹿と紅葉」の取り合わせの由来の一つのように言ってるね。

鹿紅葉: 「鹿と紅葉」の取り合わせの由来にはそんな悲しい伝説があるんですか(><)

主人: うん。
 また、百人一首には、

奥山に  紅葉踏みわけ  鳴く鹿の
   声きく時ぞ  秋は悲しき

というのもあるね。
 前の伝説では、鹿殺しの「鹿」と、母親が植えた「紅葉」を無理に取り合わせて「鹿と紅葉」を創出したような感があるが、この百人一首では、最初から「鹿」そのものと「紅葉」そのものが存在し、それらが自然に結び付いて「鹿と紅葉」という取り合わせになったように感じるよね。

鹿紅葉: 「鹿と紅葉」の取り合わせの由来としては、この百人一首のほうが説得力があるような気がしますね。それに、私個人としましては、悲しい話は嫌ですから・・・・・。

主人: まっ、伝説になったり、百人一首に歌われたりするように、昔から、人々は「鹿」と「紅葉」を取り合わせてきたんだろうね。何が本当の取り合わせの由来なのかよくわからないね・・・・・。

鹿紅葉: そうかもしれませんね。何が本当の取り合わせの由来なのかなどを詮索するのは野暮というものでしょうか・・・・・。

 

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