goo blog サービス終了のお知らせ 

Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

色絵 牡丹孔雀文 大皿

2022年10月17日 19時08分06秒 | 古伊万里

 この「色絵 牡丹孔雀文 大皿」は、昨日、骨董市で買ったものです。

 

表面

 

 

表面の中央部分の拡大

中央部分に鳥が描かれていることはわかったのですが、一見したところでは、

何の鳥なのか分かりませんでしたけれども、拡大してみますと、孔雀が2羽描かれているようです。

 

 

高台内に「蔵春亭西畝造」の銘があります。

 

 

高台内銘の拡大

 

 

 ところで、上の写真からも分かりますように、この大皿の高台内には「蔵春亭西畝造」という銘が描かれています。

 「蔵春亭」銘のものにつきましては、私は既に1点所蔵していて、以前、それは2021年5月15日に紹介しているところです(「色絵 梅樹鳥文 ビールジョッキ」として紹介)。

 それで、この大皿を手に入れれば、「蔵春亭」のものは2点所蔵することになるな~と思って買い入れたわけです。

 もっとも、「色絵 梅樹鳥文 ビールジョッキ」の銘は「蔵春亭三保造」であり、この大皿の銘は「蔵春亭西畝造」ですから、両者の銘は厳密には異なりますが、いずれも「蔵春亭」銘であることには違いありません。

 なお、「蔵春亭」のことにつきましては、「色絵 梅樹鳥文 ビールジョッキ」の紹介のところでも紹介しましたが、「有田町歴史民俗資料館・有田焼参考館 研究紀要第1号(1991)」に詳しく書かれています。

 この研究紀要には、知北 万里氏の「蔵春亭ー歴代当主にみえる進取の気風ー」という論文が載せられているんです。

 その論文の詳細はここでは省略いたしますが、次に、その内のほんの一部分を紹介したいと思います。

 

「 蔵春亭の焼き物には「蔵春亭三保造」、「蔵春亭三保製」、「崎陽好三保造」、「日本三保」、「礫山隠士山畝」、「蔵春亭西畝造」など数種類の銘がみられる。昌保(注:3代目蔵春亭。明治11年没)の使用したこれらの銘は製作者を示すサインではなく、トレードマーク(商標)としての意味をもつ。・・・ (P.2~3) 」

「 昌保は山畝と号し、三保助と名乗ったことから「三保」の文字が使用された。一方、与平(注:3代目蔵春亭昌保の末弟で4代目蔵春亭。3代目が亡くなってから後を継いだのではなく、両者は同時期に活躍している。むしろ、4代目は3代目よりも早く亡くなっている。明治4年没)は西畝と号したことから「西畝」の文字が使用された。同時期に活躍した二人であるが、これらの銘からどちらが携わった製品であるかを知ることができる。伝世する「蔵春亭」の製品には、ほとんど「三保」の銘が用いられており「西畝」のものは少ない。これは与平が、蔵春亭の経営のほかにも事業を興していたこと、また長崎支店にいて製造以外の仕事を担当し、直接製造に関わることが少なかったためと考えられる。短命であったことも理由の一つであろう。 (P.3) 」

 

 

 以上のことから、この大皿は、肥前・有田で幕末~明治初めにかけて作られたものと思われます。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代末期~明治初め

サ イ ズ : 口径25.4cm  高さ3.7cm  底径15.0cm


御所の器

2022年10月08日 16時06分49秒 | 古伊万里

 最新の「陶説」(公益社団法人・日本陶磁協会発行 2022年10月号)を読んでいましたら、現在九州国立博物館で開催(2022年9月27日~11月20日)されている展覧会「特集展示 御所の器ー公家山科家伝来の古伊万里」についての解説記事を発見しました。

 その解説記事は、九州国立博物館の研究員の酒井田千明さんという方が書いておられます。

 禁裏御用品の古伊万里に関する資料は少なく、大変に貴重な資料と思われますので、次に、その解説記事の一部を紹介したいと思います。

 

 

「 江戸時代の宮中では、食事の際にどのような器が用いられていたのか。そんな秘められた宮中の世界を、少しだけ垣間見ることのできる特集展示「御所の器ー公家山科家伝来の古伊万里」を九州国立博物館で開催している。本展でいう「御所の器」とは、学術上、禁裏御用品と呼ばれている磁器のことである。江戸時代に、肥前(現佐賀県)・有田で、主に辻家により生産されたものである。染付磁器の皿がよく知られており、見込みの中央を円形の白抜きとし、その周囲に、十六花弁の菊御紋と有職文様、そして、1~2点の伝統的文様をあらわし、裏には、梅花唐草文を描いたものである。主に食膳具であるため、皿・碗が多く伝世するが、煙草盆、香炉、文房具、植木鉢などの生活の調度品も作られた。公家山科家には、200点近くの様々な種類の禁裏御用品が伝来しており、本展はその全貌を初公開するものである。しかし、御所の器がなぜ山科家に大規模な点数で遺っているのだろうか?

 『禁裏御膳式目』という文化5年(1808、写本)の、祝儀の際に天皇へ供膳された食事の記録がある。天皇の食膳具について、「右者弐重ぐりの御三宝、御茶碗ハいまり焼也」とあり、さらに「尤御茶碗一カ月限り 毎月遡日替申候」と記されている。つまり、天皇の食事には三宝に載せた伊万里焼の茶碗が使われ、毎月遡日(1日)に新調されていたことを伝える。幕末期の天皇の日常生活の一端が記された、『幕末の宮廷』(一條家の侍であった下林敬長による口述記録。大正11年刊行)には、これらの磁器が御所に仕える人々の手に渡っていたことが記されている。また、解説者の羽倉敬尚の注釈として、「お茶碗、御飯、お汁の器などは全部白地の陶器で、十六枚の菊の文様が青色の呉須であしらってあり・・・」と記されている。江戸時代には、御所周辺に公家屋敷が建ち並んでいたが、その公家町遺跡の発掘調査では、大量の禁裏御用品が出土しており、下賜品の規模は相当なものであったことが推察される。

 禁裏御用品の伝世品は、美術館・博物館に所蔵されるものはあるが、点数は多くはない。個人では、池修氏のコレクションが出版物で紹介されている(池修『御所の器』光村雅古書院 2012)。公家の伝来品では、冷泉家の所蔵品が纏まって展覧会に出陳されたことがあるが(『冷泉家展ー近世公家の生活と伝統文化ー』冷泉家時雨亭文庫・朝日新聞 1999)、他家の伝来品については個人所蔵ということもあり情報が少ない。本展で紹介する山科家の資料は、冷泉家の伝来品以来の纏まったコレクションの公開といえよう。

 山科家に伝来する禁裏御用品は、18世紀中葉から幕末まであり、さらに近現代に作られた同様のスタイルの製品も含まれる。その最大の特徴は、10枚、20枚といった組物がいくつも伝わっている点であり、これらの中には、同じ意匠で寸法の異なる皿や碗がセットになっているものがある。禁裏御用品でも、美術館等の所蔵品や、市場に流通するものの多くは1枚(口)単位であるため、組物の伝世品は非常に貴重な例である。山科家は代々、宮中において、金銀の管理や天皇家の装束などの調達を行う内蔵頭を世襲し、さらに天皇の食膳や宮中行事の酒肴の調進を行う、御厨子所別当も兼務した。おそらくこれらの職務に就いていたことから、御所の器を下賜される機会が多かった可能性が考えられる。数十枚単位で遺る器からは、宮中行事に用いられていた往時の様子が偲ばれる。本展に出陳する『旧儀式図画帖』(東京国立博物館蔵)という、宮中の儀式行事の記録絵図には、実際に染付磁器のようにみえる器が用いられている様子が描かれている。

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

染付菊御紋竹節文皿

有田 江戸時代(18世紀後半~19世紀前半) 高2.9cm 口径14.2cm 高台径8.8cm 山科有職研究所蔵

18枚揃いの、菊御紋に竹節文を組み合わせた皿。このように20枚近い枚数が揃って伝来した禁裏御用品は珍しい。公家町遺跡から同じ意匠の碗・皿が出土している。天明の大火(1788)以降の製品と考えられる。

 

染付菊御紋菊花繋文皿・碗

 

有田 江戸時代 18世紀後半~19世紀前半

中皿:高3.1cm 口径13.3cm 高台径8.2cm  小皿:高3.0cm 口径12.4cm 高台径7.2cm

中碗:高5.6cm 口径10.8cm 高台径4.8cm  小碗:高5.3cm 口径10.0cm 高台径4.5cm

山科有職研究所蔵

菊御紋と菊花繋文を組み合わせた意匠の、中皿3枚、小皿5枚、中碗6口、小碗3口が揃う。禁裏御用品が、同様の意匠で様々な器種や寸法の異なる製品として作られたことを伝える貴重な作品。

 

染付光格天皇菊御紋散皿

有田 江戸時代 19世紀前半 高3.8cm 口径21.7cm 高台径14.0cm 山科有職研究所蔵

光格天皇(在位:1780~1817)の菊御紋をあしらった優美な皿。現在の皇族が用いられる「お印」の風習は、後桜町上皇(1740~1813)が仙洞(せんとう)菊紋を使用された頃から始まったともいわれる。  」

 

 

 「陶説」の中の解説記事の一部の紹介は以上のとおりですが、ついでに、ここで、現在九州国立博物館で実施されている「特集展示 御所の器ー公家山科家伝来の古伊万里」のポスター写真を、九州国立博物館のホームページから転載し、紹介したいと思います。

 

御所の器 - 公家山科家伝来の古伊万里

 

 

 ところで、このポスターの写真を見ていて気付いたのですが、私が、以前、このブログで紹介しました「染付 家紋文 小皿」(2021年3月8日紹介)の文様が、上のポスターの写真の右上の小皿の文様と非常によく似ていることです。

 「染付 家紋文 小皿」を紹介しました2021年3月8日の時点では、この小皿が禁裏御用品とは知らず、単に「染付 家紋文 小皿」として紹介したわけですが、この上のポスター写真に接し、この「染付 家紋文 小皿」は禁裏御用品であったということを確信した次第です。


染付 浮玉 (5個)

2022年09月20日 17時15分32秒 | 古伊万里

 一昨日、骨董市から買ってきた「染付 浮玉 (5個)」を紹介いたします。

 5個のうちの3個は同じ文様なのですが、それらの汚れが酷かったものですから、漂白剤に浸けて綺麗にしてから、紹介することにすることにしたわけです。それで、さっそく、漂白剤の中に、、、。

 

 

漂白前の3個の浮玉(染付 花文 浮玉)

          浮玉A            浮玉B       浮玉C

 

 

浮玉A (直径10.0cm)

 

 

浮玉B (直径7.8cm)

 

 

浮玉C (直径4.0cm)

 

 上の写真から分かりますように、中央付近に酷い汚れが付着していたわけです。これは、多分、水に浮かべて浮玉として実用に供されていたため、水との接触部分に汚れが付着したのでしょう。

 それで、このような汚れなら、漂白剤に浸けておけば、直ぐに綺麗になるだろうと思ったところです。

 それで、一昼夜以上が経過しましたので、先ほど、漂白剤の中から引き上げてみましたら、予想外で、いくらか綺麗になった程度で、ほとんど汚れは落ちていませんでした(><)

 これまでの、経験からすれば、この程度の汚れは、直ぐに綺麗に落ちるわけなのですが、、、。

 でも、これ以上浸けて置いても同じだろうと諦めることにしました。それとも、これは、よほど永らく汚い水の中に浮かべられていたのでしょうかね、、、?

 ということで、以下は、漂白後の浮玉を紹介となります。

 

 

漂白後の3個の浮玉(染付 花文 浮玉)

 

         浮玉A            浮玉B       浮玉C

 

 

浮玉A (直径10.0cm)

 

 

浮玉Aの空気孔部分の写真

空気孔は、上の方に、左右に2個、下のほうに縦に2個開けられたようです。

ただ、上の方の左右の2個の孔は、焼成中に塞がれて窯疵として残り、下のほうの

縦の2個は孔が開いた状態で焼きあがり、その後、その部分は、水に浮かべた時に

水が入り込まないように、接着剤のような物で塞がれたようです。

 

 ところで、陶磁器の浮玉は、中を中空にして作るわけですが、それを、そのまま窯の中に入れて焼成すると、中の空気が熱で膨張し、破裂してしまいますので、必ず、空気孔を作って窯入れするようです。そのため、浮玉には、空気孔が、必ず1個以上は開けられているようです。

 

 

浮玉B (直径7.8cm)

 

 

浮玉Bの空気孔部分の写真

空気孔は、上の方に、横一列に3個、下のほうに1個開けられたようです。

ただ、下の方の1個の孔は、焼成中に塞がれて窯疵として残り、上のほうの

横一列の3個は孔が開いた状態で焼きあがり、その後、その部分は、水に浮かべた時に

水が入り込まないように、接着剤のような物で塞がれたようです。

 

 

浮玉C (直径4.0cm)

 

 

浮玉Cの空気孔部分の写真(その1)

空気孔は、真ん中に1個開けられたようです。

焼成後に出来た孔の部分には、水に浮かべた時に水が入り込まないように、

接着剤のような物が詰め込まれたようです。

 

 

浮玉Cの空気孔部分の写真(その2)

空気孔の部分に詰められた接着剤のような物を爪楊枝で押してみましたら、

詰められた物が浮玉の中に落下し、穴が開いてしまいました(~_~;)

 

 

 一昨日は、浮玉を5個買ってきたわけですが、その内の3個は、以上で紹介しましたように、同じ文様でした。それに反し、他の2個は、以上の3個とは全く文様も異なりますし、それに、それぞれ1個ずつなものですから、特に欲しいとは思わなかったものです。しかし、売主が、是非、5個全部をまとめて買って欲しいと言いますし、全部まとめて買ってくれるなら勉強するということでもありましたので、たいした金額でもありませんでしたから、オマケのつもりで買ってきたものです。

 

 

他の2個の浮玉(染付花唐草文浮玉と染付花文浮玉)

 

            浮玉D             浮玉E

 

 

浮玉D(染付 花唐草文 浮玉)(直径5.0cm) (その1)

 

 

浮玉D(染付 花唐草文 浮玉)(直径5.0cm) (その2)

 

 

浮玉Dの空気孔部分の写真

空気孔は、真ん中に1個開けられています。

焼成後に出来た孔の部分には、水に浮かべた時に水が入り込まないように、

接着剤のような物が詰め込まれています。

 

 

浮玉E(染付 花文 浮玉)(直径4.0cm) (その1)

 

 

浮玉E(染付 花文 浮玉)(直径4.0cm) (その2)

 

 

浮玉Eの空気孔部分の写真

空気孔は、真ん中に1個開けられています。

焼成後に出来た孔の部分には、水に浮かべた時に水が入り込まないように、

接着剤のような物が詰め込まれています。

 

 

 以上で、5個の紹介は終りです。

 最後に、5個全部を並べた、全員集合の写真を次に掲載しておきます(^-^*)

 

 

5個全部の浮玉

        浮玉A        浮玉B    浮玉C   浮玉D  浮玉E

 

 

 なお、これを最初に見たときは、浮玉Eを除いては、生産地は有田で、制作年代は幕末~明治くらいはあるかなと思ったところです。つまり、浮玉A~浮玉Dは、ギリギリ「古伊万里」ではないかと思ったのです。

 しかし、どのような用途のために作られたものか分かりませんし、古伊万里関係の本にはこのようなものは載ってないんですよね(~_~;) 

 でも、古伊万里にはこのようなものもあるのかもしれないな~、伊万里ではいろんなものを作っているようだから、ということで、勉強のために買ってきたものです。

 そのうち、どうも、これは「浮玉」らしいということが分かり、ネットで調べてみました。

 そうしましたら、アマゾンなどで沢山売られているんですよね。しかも、新しいものが、安く、、、(~_~;)

 また、漂白剤に入れておきましたら、空気孔に充填されていたものは、どうも、現代の接着剤のようなものらしいことが判明しました。私は、漆喰のようなものが詰められていることを期待したのですが、、。漆喰のようなものが詰められていたのなら、制作年代が幕末~明治ということも考えられますが、接着剤のようなものではね~。やはり、最近作られたものと考えるのが無難ですよね(><) もっとも、空気孔に詰められたものは、現代になって詰め直されたと考えることも出来ますけれど、、、。

 ただ、一昼夜以上も漂白剤に浸けておいても汚れが落ちないということは、かなり長い間、水に浸っていた、つまり、作られてからかなりの年月を経ているとも考えられるわけではありますが、、、。

 いろいろと考えましたが、やはり、これらの浮玉は「古伊万里」ではないと考えるのが無難なようです。従いまして、これらの浮玉の生産地、制作年代は不明ということにいたします。

 

生 産 地 : 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 上記のとおり 


染付 山水文 盃 (一対)

2022年08月29日 12時28分06秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 山水文 盃  (一対)」の紹介です。

 これは、前日(8月21日)の古美術品交換会で競り落としてきたものです。

 題名が「染付 山水文 盃  (一対)」などと、麗々しくなってはいますが、何のことはありません、1個が疵物で、その疵物だけでは売り物にならないので、無疵のものにオマケとしてくっつけて「一対」として競りに掛けられたものです(~_~;) つまり、実態は、1個の値段として落札してきたものです(^_^)

 

 

染付 山水文 盃  (一対)

正面(仮定)

右側が疵物(口縁に2箇所の疵)

 

 

正面の裏側面

 

 

底面

 

 

 

染付 山水文 盃  (一対)の内の無疵の物

 

正面(仮定)

 

 

正面から右に約90度回転させた面

 

 

正面の裏側面

 

 

正面から左に約90度回転させた面

 

 

見込み面

 

 

底面

 

 

生 産  地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ :  無疵---口径5.6cm 高さ4.7cm 底径3.1cm

       疵物---口径5.5cm 高さ4.7cm 底径3.1cm


染付 松岩波文 小皿

2022年08月27日 12時57分51秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 松岩波文 小皿」の紹介です。

 これも、先日(8月21日)の骨董市で買たものです。前回紹介しました「染付 草花文 小皿」も、同日に同骨董市で買ったものですが、売っていた業者さんは異なります。

 この小皿は、前回紹介しました「染付 草花文 小皿」とは異なり、疵も無く、綺麗な状態で売られていました。

 従いまして、前回紹介の「染付 草花文 小皿」とは異なり、小さな皿なのに、値段が可愛らしくありません(><) 前回紹介の「染付 草花文 小皿」が、「昔10,000円、今1,000円」であったのに対し、これは、一人前の値段で売られていました(><) もっとも、時代もありそうですし、業者さんも、「藍九谷ですよ」と言っていましたので、まっ、穏当な値段かもしれません、、、。

 それで、値段が可愛らしくありませんので、「どうしたものかな~」と迷いましたが、「最近では、この手の物は、なかなか市場(しじょう)に出てこないからな~」と思い、買うことにしたわけです。

 

 

染付 松岩波文 小皿

 

表面

 

 

 骨董市で見たときは、文様は、上から順に、「松」「岩」「流水」が描かれているように見えましたので、文様としては、「松岩流水文」と表示しようと思ったのですが、どうも、一番下の文様は、「流水」というよりは「波」に近いと思いましたので、「松岩波文」と表示することにしました。

 

 

裏面

 

 

裏面の拡大

 

 

 上の写真からも分りますように、この小皿は、前回紹介しました「染付 草花文 小皿」よりは全体がやや厚ぼったい造りで、高台造りにも薄く鋭いキレがありません(><) また、裏文様も江戸中期によく見られる文様に近くなっています。

 そんなことから、この小皿の製作年代は、骨董市で見たときは、「江戸時代前期」はあるかなと思ったのですが、「江戸時代前期」の終り頃から「江戸時代中期」の始め頃のものであろうと思うようになりました。従いまして、「江戸時代中期」とするのが無難のように感じています。

 表の文様は、いかにも「藍九谷」風ですが、「藍九谷」の特徴をまだ残している作風のものと見るのが妥当なように思われますので、やはり、この点からも、製作年代は「江戸時代前期」の終り頃から「江戸時代中期」の始め頃のものであろうと思うようになったわけです。従いまして、この点からも、「江戸時代中期」とするのが無難のように思います。

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 13.8cm 高さ2.6cm 底径9.0cm

 

付記2023年1月16日に紹介した「染付 岩松波文 小皿」と同手