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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 二股大根にネズミ文 中皿

2022年07月24日 17時05分50秒 | 古伊万里

 今では止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」では既に紹介していながら、このブログでは紹介していない伊万里がまだ5点ほど残っていることを記し、これまでにそのうちの3点までを紹介したところです。

 今回は、その残りのうちの1点、つまり、全5点のうちの4点目を紹介いたします。

 なお、今では止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」では既に紹介しているのに、どうしてこのブログでは紹介していなかったのかと言いますと、それは、どうも、それらが本歌の古伊万里ではなく、最近作られた「古伊万里写し」なのではないのかな~との疑念が湧いたためであったことも記したところです(~_~;)

 しかし、そうした疑念のある物も、そのまま、疑念のある物として紹介することにも、少しは意義があるのかなと考え直し、それらを、順次、紹介することにしたことも記したところです。

 そのようなわけで、さっそく、次に、その4点目の「染付 二股大根にネズミ文 中皿」を紹介いたします。

 

 

染付 二股大根にネズミ文 中皿

 

表面

 

 

ネズミ文部分の拡大

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

裏側面の繋ぎ唐草文部分の拡大

 

 

生 産 地 : 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 口径:22.6cm   高台径:13.6cm

 

 

 

 ところで、前述しましたのように、この「染付 二股大根にネズミ文 中皿」につきましては、今では止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」で既に紹介しているわけですが、その時の紹介文を、次に、参考までに再度掲載いたします。

 なお、その紹介文中では、この「染付 二股大根にネズミ文 中皿」につきまして、「生産地:肥前・有田」、「製作年代:江戸時代後期」としておりますことをお含みおきください。

 

 

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<古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー206  伊万里染付二股大根にネズミ文中皿 (平成27年7月1日登載)

 

表文様部分のアップ
 
 

 忌わしいネズミが、二股大根にかじりついている。しかも、3匹も、、、(><)

 現代人がこの皿の図柄を見た場合、決して、良い感情は抱かないであろう。

 しかし、この皿が作られた当時は、大根は豊かな実りと繁栄を象徴する吉祥文として好まれていたし、ネズミは五穀豊穣や子孫繁栄を象徴する吉祥文として好まれていたのである。

 また、ネズミが二股大根をかじっている図は、ネズミが大黒様のお使いであることから、大黒様が二股大根を食べて腹痛を治しているというありがたい場面を現している図なのである。

 つまり、この皿が作られた時点では、この皿には、大根、ネズミ、大黒様という吉祥文が描かれていたことになる。

 現代の感覚は、当時とは随分と乖離してしまっている(~_~;)

 

江戸時代後期       口径:22.6cm   高台径:13.6cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌135  古伊万里との対話(二股大根にネズミ文中皿) (平成27年7月1日登載)(平成27年6月筆)

 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  ネズミ (伊万里染付二股大根にネズミ文中皿)

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、例によって、主人のところにやってきた順番に従って対話をしようと思ったようで、「押入れ帳」をめくり、そこに記された押入れの場所等の表記に従って今回対話をすべき古伊万里を捜し出し、さっそく対話をはじめた。

 

 


 

 

主人: 「押入れ帳」の記載事項を読んで気付いたんだが、お前は、我が家に平成22年の7月に来ているんだね。ちょうど5年経つんだね。ほんの1~2年前に買ってきたような気がするんだが・・・・・。月日の経つのは早いものだね。

ネズミ: 光陰矢の如しですね。
 この調子でいきますと、私が古参の古伊万里の仲間入りをするのはもうすぐですね。

主人: それはないだろう。人間の過ごす歳月と陶磁器の過ごす歳月とではスパンが違うんじゃないかな。人間の百歳は相当の古参だけれど、陶磁器の百歳は古参とは言えないね。だいたいにおいて、百歳ぐらいじゃ古参の古伊万里どころか、古伊万里にもなれないよ。

ネズミ: ところで、私には大根が描かれていますが、何か意味があるんですか?

主人: 古伊万里には、大根とか人参、蕪といった根菜類が描かれてることが多いね。それらは、豊かな実りとか繁栄を象徴する吉祥文として、古来より愛されきたからだろうね。

ネズミ: また、私にはネズミまで描いてありますよね。しかも、大根を食い荒らしている害獣のように描いてありますよね。いかにも、豊かな実りを象徴する大根を食い荒らす憎たらしい害獣のように描いてありますよね。それに、描写はかなりリアルですよね。こんな文様が描かれていたのでは、人は、私に嫌な感情を抱き、使用してくれなくなるのではないでしょうか・・・・・。

主人: 確かに、現代人の感覚からすればそうだろうね。ネズミは、食物を食い荒らす忌わしい存在としか捉えらえないだろうからね。
 でも、お前が作られた江戸時代には、ネズミは、両の頬に種を蓄え、あちこちに種をこぼすので、その様は、あたかも、種蒔きに似ているし、また多産であるため、むしろ、五穀豊穣や子孫繁栄を象徴する吉祥文として愛されていたようだね。また、ネズミは、豊穣を司る大黒様のお使いとされていたので、吉祥文として尊ばれたようだよ。

ネズミ: そうですか。文様は、時代とともに、その意味も変化するんですね。

主人: それに、お前に描かれている、二股大根をネズミがかじっている文様には、もっと面白い意味が隠されているようだね。

ネズミ: どんなことですか。 

主人: 「まんが日本昔ばなし」の中に、面白い話があったんだ。その概要は次のようなものだった。

「 昔々ある所に、大黒様という神様がいたそうな。毎年、12月は大根の収穫シーズンで、村人たちは12月9日に「耳あけの日」として、大黒様に豊作を祈願したんだとか。
 それを見ていた悪い神様が大黒様の人気に嫉妬し、二人で相談して大黒様を殺す計画をたてたという。
 その計画は、「大黒様の大好物の餅を大量に食べさせて腹をはじけさせよう」というものだった。悪い神様たちは、大黒様を自分たちの屋敷に呼び、大量の餅を一人で食べるように強要したとか。
 しかし、大黒様は、そんな悪いたくらみなどには気づかず、沢山の餅を一人で平らげ、大満足で帰路についたとのこと。しかし、帰る途中、さすがの大黒様のお腹も餅でパンパンに膨らんで歩けなくなってしまったとか。
 そこへ、大根を沢山持った娘が通りかかった。大黒様は「大根を食べれば治るから、少し分けてほしい」とお願いしたとか。しかし、娘は、いくら大黒様でも雇い主の大根を勝手にあげるわけにはいかず、大変に困ってしまった。
 ところが運よく、娘は、二股に分かれている「股ワレ大根」を見つけ、一つの股をポキンともぎって大黒様に渡した。これなら大根の数は減らないので、娘が雇い主から怒られる心配もないので・・・・・。
 大黒様も安心してもぎった大根を食べ、腹痛も治ったとか。こんなことがあってから、毎年の耳あけの日には、大黒様に「股大根」をお供えするようになったそうな。」

 このように、日本昔ばなしの題材になるくらいだから、古来より、二股大根と大黒様との結び付きは強かったんだね。ネズミは大黒様のお使いと言われているので、ネズミが二股大根をかじっている様子は、大黒様が二股大根を食べている様子を現しているわけだね。だから、ネズミが二股大根をかじっている様は、害獣が食物を食い荒らしているという忌わしい光景を描いたものではなく、大黒様が二股大根を食べて病気を治しているというありがたい光景を描いていることになるわけだね。

ネズミ: そうですか。それを聞いて嬉しくなりました。とかく、私達ネズミは、現代人からは忌み嫌われていますものね。

主人: 文様は、先程、お前が言ったように、時代とともに、その描かれた内容の意味は変遷するようだね。美人の基準が時代とともに変遷するようにね・・・・・。
 ところで、脱線はさておき、お前には、豊かな実りと繁栄を象徴する大根、五穀豊穣や子孫繁栄を象徴するネズミ、それに、大黒様が二股大根を食べ(ネズミが大黒様のお使いということなので、ネズミが二股大根をかじってるということは、大黒様が二股大根を食べていることを現しているため)、食べ過ぎによる腹痛を治しているというありがたい場面が描いてあるということになるね。
 そうであれば、江戸時代には、お前に美味しい料理を山盛りにして「お・も・て・な・し」をすることには、「あなた様の繁栄を祈っております。どうぞ沢山食べ、益々元気になってください。沢山食べても食べ過ぎによる腹痛など起きませんので、安心してめしあがってください。」という意味が隠されていることになるわけだね。

 

 

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染付 竹・燕文 中皿

2022年07月12日 19時23分33秒 | 古伊万里

 前回、今では止めてしまった拙ホームページの「古伊万里への誘い」では既に紹介していながら、このブログでは紹介していない伊万里がまだ5点ほど残っていることを記したところです。

 そして、どうして紹介していないかと言いますと、それは、どうも、それらが本歌の古伊万里ではなく、最近作られた「古伊万里写し」なのではないのかな~との疑念が湧いたためであることも記したところです。

 でも、そうした疑念のある物も、そのまま、疑念のある物として紹介することにも、少しは意義があるのかなと考え直し、紹介することにしたことも記したところです。

 それで、前回は、先ずは、その内の2点を紹介したところですが、今回は、その残りの3点の内の1点を紹介いたします。

 なお、前回、「伊万里 染付 鶉文 中皿」を紹介してすぐ、「故玩館」館主の遅生さんが、その「伊万里 染付 鶉文 中皿」とそっくりのものが今ヤフオクで売られているとの情報を寄せてくれまし(^_^) ネットの世界はありがたいですね(^-^*) 遅生さん、貴重な情報をありがとうございました(^-^*)

 そこで、その「伊万里 染付 鶉文 中皿」がヤフオクで幾らで落札されるのかを注視していたわけですが、1,000円スタートで始まり、5,850円での落札となりました。

 なんか、中途半端な値段ですね(~_~;)

 以前は、古伊万里の人気が高かった時は、5~6万円だったように思います。今では、古伊万里の人気が低くなり、古伊万里の値段も全般的に下がっているとはいえ、古伊万里全盛時代の1/10の値段ですものね(~_~;) 私が買ったのは12年前ですが、それでも、5~6万円はしませんでしたけれども、一応、5桁ではありました。

 このことは、何を意味するのでしょうか? 私が買った12年前よりも古伊万里の人気が更に落ちてきていることを示しているのでしょうか? それとも、やはり、この中皿は現代作ということを表わしているのでしょうか?

 ところで、その「伊万里 染付 鶉文 中皿」を出品していた業者さんは、同時に、これから紹介いたします「染付 竹・燕文 中皿」も出品していたのです。

 ところが、その「染付 竹・燕文 中皿」につきましては、終了直前に、ヤフオクの画面から消えてしまっていました(><) その「染付 竹・燕文 中皿」は1,500円スタートで数千円までの入札があったようですが、結局は、終了直前に、ヤフオクの画面から消えてしまいましたので、結果は分りません(><)

 そんなことで、これから紹介いたします「染付 竹・燕文 中皿」も、私は、「伊万里 染付 鶉文 中皿」を買った時と同じ頃に「伊万里 染付 鶉文 中皿」と同じような値段で買っているわけですが、いまだに、真贋についての自信がありません。

 古伊万里の真贋の判断というものには難しいものがありますね。疑い出すととめどなくグレーになります(~_~;)

 でも、まっ、「迷品に名品なし」と言われますから、これが、仮に真品であったにしても、たいしたものではないことは確かです。参考品というところでしょうか。

 そのようなことで、この「染付 竹・燕文 中皿」につきましても、生産地、製作年代は不明として紹介いたします。

 

 

染付 竹・燕文 中皿

 

表面

 

 

燕の頭部の拡大

 

 燕の目の部分を見ますと、目を開けているのか瞑っているのか、はっきりしませんね。古伊万里の場合、江戸時代初期頃に作られたものは、目がはっきり描かれている場合が多く、鳥には表情がみられる場合が多いようです。従いまして、これは、少なくとも、江戸時代初期頃に作られたものではないと思われるわけです。

 

 

裏面

 

 

裏面の拡大

裏面文様は、輪郭線を描かず、付立て風の一筆描きです。

 

生 産 地 : 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 口径;22.3cm  底径;13.3cm

 

 

 なお、この「染付 竹・燕文 中皿」につきましても、先述しましたように、今では止めてしまっている拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中では紹介したところです。

 次に、その時の紹介文を参考までに掲載いたしますが、その紹介文の中では、この「染付 竹・燕文 中皿」につきましては、江戸時代後期に作られた古伊万里として扱っていますことを御承知ください。

 

 

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<古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー210 伊万里染付竹・燕文中皿  (平成27年11月1日登載)


 
表面
 

 

裏面

 

 

 特に特色もない平凡な皿である。

 「竹」に「燕」の組み合わせは、「古伊万里バカ日誌139」で書いたように、「竹取物語」に由来するのだろうか、、、?

 江戸も後期になってくると、この皿や、前に紹介した(:このブログでは、次回に紹介)「古伊万里ギャラリー206 伊万里 染付 二股大根にネズミ文 中皿」のように、何かの物語のようなものからヒントを得た図柄の皿がよく登場してくるようである。

 ただ、鳥の描き方をみると、江戸初期の頃は、鳥に表情が見られるが、この皿にはそれが見られない。
 目など、ただ黒く塗り潰しただけである。

 そのようなところから、私は、江戸後期のものよりも江戸初期の頃のものに惹かれるのである。

 

江戸時代後期      口径:22.3cm  高台径:13.3cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌139 古伊万里との対話(竹燕文の中皿) (平成27年11月1日登載)(平成27年10月筆)    

 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
  ツバメ (伊万里染付竹・燕文中皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 押入れの中をガサゴソと探していたら、「竹に燕」を描いた古伊万里の皿が主人の目に留まったようである。
 主人は、「そういえば、近くの池に白鳥が来るような時季になったが、逆に、ツバメはいなくなったな~。ツバメは、越冬のため、秋風とともに生まれ故郷を離れ、南に旅立つというから、今は、もういないんだな~」と、しみじみとそのことをかみしめたようである。
 もう、現実には身近な所にツバメはいなくなってしまったので、主人は、せめて、皿の中のツバメと対話をしたくなったようで、くだんの皿を押入れから引っ張り出してきて対話を始めた。 

 

 


 

 

主人: お前たちツバメは、秋風とともに南の国に旅立って行ってしまったんだね。今では、お前たちの仲間は、無事、南の国に着いているんだろうね。
 我が家の近くの池には、もう、白鳥が北の国から越冬のために何羽かがやってきているよ。
 白鳥の行動とお前たちツバメの行動とではずいぶんと違っているね。白鳥は北の国で生まれ、越冬のためにこちらに来るが、お前たちツバメはここで生まれて、越冬のために南の国に行ってしまうんだものね。ちょっと寂しくなるな~。まっ、その寂しさを白鳥が埋め合わせてくれることになるのかな~。

ツバメ: 私達が去った寂しさを白鳥さん達が埋め合わせてくれるんですね。

主人: そうだね。自然はうまい具合に出来てるんだね~。

ツバメ: ところで、私には「竹」と「燕」が組み合わされて描かれていますが、その組み合わせには何か意味があるんでしょうか。 

主人: そうね。「竹」に「雀」の組み合わせならピンとくるんだが、「竹」に「燕」の組み合わせとなるとピンとこないね~。

ツバメ: 「竹」に「雀」の組み合わせにはどんな意味があるんですか。

主人: 「舌切り雀」という「昔話」というか「おとぎ話」を知ってるだろう。
 ジイさんが一羽の雀を可愛がっていたが、ある日、ジイさまが留守の間に、バアさんが障子貼り用に作った糊を食べてしまったので、怒ったバアさんはその雀の舌をハサミでチョン切って空に投げ捨ててしまった。家に帰ってきて、その話をバアさんから聞いたジイさんは、雀が可愛そうになり、野を越え山を越えて捜しまわり、やっと大きな竹やぶの中の「雀のお宿」の中でその雀と再開した。そして、ジイさんは多くの雀たちに歓待され、帰りには金・銀・財宝の入ったツズラをお土産にもらい、背負って帰ってきたという内容の話だ。

ツバメ: あぁ、思い出しました。そんな「昔話」がありましたね。
 それで、「竹」に「雀」の組み合わせというと、「舌切り雀」という「昔話」の中に出てくる「雀のお宿」から題材をとったということがわかるんですね。

主人: そうだね。「竹林に雀」というと「雀のお宿」を思い出すし、「雀のお宿」というと「竹林に雀」を連想するんだよ。今でも、「雀のお宿」は旅館の名称として使用されたり、居酒屋の名称として使用されたりしていて、かなり我々にとって身近な存在だものね。街を歩いていると、「雀のお宿○○」という看板や、「居酒屋雀のお宿」というノレンを見かけるものね。

ツバメ: 「竹林に雀」の意味はわかりました。それでは「竹」に「燕」の意味は何なのですか?

主人: まっ、はっきりしたことはわからないが、私は、こんなことではないかと思ってるんだ。私の独断と偏見ではあるがね。

ツバメ: どんなことですか。

主人: 日本最古の物語と伝えられる「竹取物語」というのを知っているよね。「竹取物語」は「かぐや姫の物語」とも呼ばれるようだけれども・・・・・。

ツバメ: はい、概略は知っています。でも、「竹取物語」といえば、「竹」が登場することはわかりますが、なぜそこに「燕」が登場するんですか?

主人: 「竹取物語」の概略は知ってるようだけれど、再度、概略を復習してみると、

 

「竹取の翁によって光輝く竹の中から見出され、その翁夫妻に育てられたかぐや姫を巡る物語。
 美しく成長したかぐや姫は5人の貴公子から求婚されるが、これを退け、また、帝からのお召しにも応じず、8月の満月の夜に「月の都」に帰ってゆく。」

 

という話しだったよね。

ツバメ: そうですよね。でも、そこには「燕」は登場してきませんよね。

主人: 確かに、「あらすじ」には登場してこないようだけれども、もう少し掘り下げてゆくと「燕」が登場してくるんだよ。
 かぐや姫は5人の貴公子から求婚されるわけだが、かぐや姫はその5人に結婚を承諾する条件を出すわけだけれど、その条件の中に出てくるんだよ。
 一人目の貴公子に対しては、「仏の御石の鉢」を持って来れば結婚してあげるというものだった。「仏の御石の鉢」は、実在するとすれば天竺まで行かなければならず、当時海外へ行くのは命がけだった。
 二人目の貴公子に対しては、蓬莱の宝(根が銀・茎が金・実が真珠の木の枝)を持って来れば結婚に同意するというものだった。
 三人目の貴公子に対しては、焼いても燃えない布を持って来れば結婚に同意するというものだった。
 四人目の貴公子に対しては、龍の首の珠を持ってくるようにとの条件だった。
 五人目の貴公子に対しては、燕の生んだ子安貝を持ってくるようにとのことだった。
 そのどれもが、話にしか聞いたことのない珍しい宝物ばかりで、手に入れるのは困難だったわけで、結局は、結婚を断る口実だったんだろうね。
 そうそう、ちょっと脱線したが、5人目の貴公子に対して出した条件の中に「燕」が登場してくるよね。

ツバメ: なるほど。「燕」が登場してきますね。それで、「竹」と「燕」の組み合わせになりますね。

主人: そうだろう。だから、私は、「竹」と「燕」の組み合わせは「竹取物語(かぐや姫の物語)」から題材をとったのではないかと思ってるんだよ。
 その推論が正しいとすれば、「竹と燕」の組み合わせの他に、「竹と仏の御石の鉢」、「竹と蓬莱の宝」、「竹と焼いても燃えない布」、「竹と龍の首の珠」の組み合わせの皿もあって、絵替わりの5枚セットで作られたのではないかと思ってるんだ。

ツバメ: いろいろと妄想・迷想を巡らせるのも楽しいですね(笑)。
 あとの4枚も頑張って集めてください(爆)。

 

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染付 鶉文 中皿

2022年07月07日 16時48分33秒 | 古伊万里

 今のところ、紹介すべき伊万里の手持ち品はないのですが、今では止めてしまった拙ホームページ「古伊万里への誘い」では既に紹介しているものの、このブログでは紹介していない伊万里がまだ5点ほど残っています。

 それは、どうも、それらが本歌の古伊万里ではなく、最近作られた「古伊万里写し」なのかな~との疑念が湧き、このブログでの紹介をためらっていて、紹介に至っていないからです。

 でも、そうした疑念のある物も、そのまま、疑念のある物として紹介することにも、少しは意義があるのかなと考え直し、紹介することにいたしました。

 先ずは、その内の2点を紹介いたします。

 

 

伊万里 染付 鶉文 中皿(A)

 

表面

 

 

裏面

 

 

裏面の拡大画像

裏面文様は、輪郭線を描き、その中をダミ染めしています。

 

 

 

伊万里 染付 鶉文 中皿(B)

 

表面

 

 

裏面

 

 

裏面の拡大画像

裏面文様は、輪郭線を描かず、付立て風に描いています。

 

 

 中皿(A)と中皿(B)とでは、中皿(A)の口径が20.7cmであるのに対し、中皿(B)の口径が22.7cmですから、中皿(B)のほうが中皿(A)よりも少し大きいですけれど、表面の文様はほとんど同じです。

 ただ、裏面の文様が、中皿(A)では、染付で輪郭線を描き、その輪郭線の中をダミ染めしているのに対し、中皿(B)では、輪郭線は描かないで、直接、付立て風に文様を描いています。裏面の文様からみれば、中皿(A)のほうが中皿(B)よりも丁寧な作りであると言えます。

 しかし、私には、どうも、この両者は、最近になって、古伊万里を写して作ったものではないのだろかとの疑念が消えないのです(~_~;) つまり、偽物ではないかと思えてきてしまうわけです(~_~;)

 古伊万里のコレクションを始めて半世紀近くになりますが、真贋の判断に迷うことがあります。典型的な古伊万里の場合の真贋の判断はさほど難しいものではありませんが、中には、判断に迷う場合があるわけです。

 この2点もそれに該当いたします。ということで、この中皿(A)と中皿(B)の生産地及び製作年代は「不明」ということにいたします。

 

生 産  地: 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 中皿(A)・・・口径:20.7cm 底径:13.2cm

      中皿(B)・・・口径:22.7cm 底径:13.2cm

 

 

 なお、この中皿(A)と中皿(B)につきましては、先述しましたように、今では止めてしまっている拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中では紹介したところです。

 次に、その時の紹介文を参考までに載せてみたいと思いますが、その紹介文の中では、この中皿(A)と中皿(B)につきましては、江戸時代後期に作られた古伊万里として扱っていますことを御了知ください。

 

 

 

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<古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー203 伊万里染付鶉文中皿   (平成27年4月1日登載)

中皿(A)の表面
 
中皿(A)の裏面

 

 

中皿(B)の表面

 

 

中皿(B)の裏面

 

 

 伊万里ではおなじみの鶉文の中皿である。

 (A)と(B)は、ほとんど同じにみえるが、(A)の口径が20.7cmであるのに対し、(B)の口径は22.7cmである。(B)は(A)よりもひと回り大きい。

 また、表の文様も、(A)と(B)は、ほとんど同じにみえるが、よ~く見ると、(A)と(B)との間には、細部では、微妙に異なっているところが見られる。

 裏文様は、(A)が、まず輪郭線を描き、その中をダミ染めしていて丁寧であるのに対し、(B)は、付け立て風で一筆描きである。その点に着目すれば、(A)の方が(B)よりも少し早く作られたのであろうか。

 

  製作年代 口径 高台径
中皿(A)  江戸時代後期 20.7cm 13.2cm
中皿(B)  江戸時代後期 22.7cm 13.2cm

 

 

 

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*古伊万里バカ日誌132  古伊万里との対話(鶉文の中皿)(平成27年4月1日登載)(平成27年3月筆)

  

登場人物
  主   人    (田舎の平凡なサラリーマン)
  中皿(A) (伊万里染付鶉文中皿)
  中皿(B) (    〃    ) 

 

      中皿(A)の表面              中皿(A)の裏面

 

 

 

       中皿(B)の表面             中皿(B)の裏面

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今回も、主人の所にやってきた順番に従って対話をしようと思ったようで、「押入れ帳」をペラペラとめくっていたが、「オヤッ?」と思うものを発見したようで、中皿2枚を押入れから引っ張り出してきて対話を始めた。

 

 


  

主人: 前回は、大きさも文様もほとんど等しい総蛸唐草文の鶴首徳利3本と対話をしたところだが、今回は、文様が非常に似ている中皿2枚を発見したので出てもらった。

中皿(A)・(B): こんにちは。お久しぶりです。春爛漫となってきましたね。

主人: そうだね。桜も咲き出し、春爛漫というところだね。この陽気に合わせて、桜文の古伊万里に登場してもらおうかなとも思ったんだが、前回同様、同じような古伊万里に、複数、同時に登場してもらうのも一興と思い、お前達に登場してもらった。

中皿(A)・(B): それは、それは、ご配慮ありがとうございます。(「本当は、気の利いた桜文の古伊万里を所持していないからだろう」と独白)

主人: もっとも、前回は、3本の鶴首徳利は、大きさも文様もほとんど同じだったんだけれど、お前達は、文様はほとんど同じだけれど、大きさがちょっと違うけれどね。
 中皿(A)の口径が20.7cmなのに対して、中皿(B)の口径は22.7cmあるので、中皿(B)の方が中皿(A)よりもひと回り大きいものね。

中皿(A)・(B): ご主人は、私達を同時に買ってきたんですか?

主人: いや、別々に買ってきたんだよ。まず、中皿(A)を買ったんだ。 その後、暫くしてから、中皿(B)が登場してきた。 「あれっ、中皿(A)と同じだ! 中皿(A)と合わせればペアになるな~」と思って中皿Bを買ったわけだが、家に帰ってから中皿(A)と比べてみたら、大きさが違うことがわかったんだ。
 こんなに文様が類似していると、身近な所で対比してよ~く見ているわけではないので、大きさも同じではないかと錯覚するよね~。 

中皿(A)・(B): ホント。私達は、よく似ていますよね。離れて、別々に見たら、誰でも、大きさも含めて、ほぼ同じものと思いますね。

主人: そうだろう。ちょっと間違うよね(~_~;)
 でも、中皿(A)と中皿(B)を身近に並べてよ~く見ると、両者の間には微妙な文様の差異があることがわかるんだ。もちろん、両者とも手描きだから、両者には、手描きによる多少のブレは生ずるだろうけれど、手描きによる多少のブレ以上の差異があることがわかるね。特に草花の文様については、文様そのものに多少の差異があることがわかる。

中皿(A)・(B): 私達は同じ頃に作られたんでしょうか?

主人: 裏文様を比較してみると、中皿(A)の方は、つなぎ唐草文を描くのに、まず輪郭線を描き、その中をダミ染めして描いていて丁寧だし、手間もかかっているね。それに対して、中皿(B)の方のつなぎ唐草文は付け立て風で、一筆描きで描いてあり、いかにも手抜きという感じだね。このような描き方の場合、輪郭線を描いてその中をダミ染めしている方が古いと言われている。その見解に従えば、中皿(B)よりは中皿(A)の方が古いということになるね。つまり、中皿(A)と中皿(B)は、それぞれ別の時代に作られたということになるわけだ。

中皿(A)・(B): でも、中皿(A)も中皿(B)も、表の文様は同じ陶画工が描いたのではないかと思うほど良く似ていますよ。裏文様の違いだけから判断して、中皿(A)と中皿(B)とは作られた時代が違うと判断するのも、なんか、理解しがたいですね・・・・・。

主人: まぁね。そう言われると反論に窮するがね。
 屁理屈を言えば、当時も、陶画は分業で行っていたようだから、表の文様を描く陶画工と裏の文様を描く陶画工は異なっていたとも考えられるので、中皿(A)と中皿(B)とは、裏文様が違っていても、同じ時代に作られたと言えないこともないね。なかなかに、陶磁器の時代判定というものは難しいね・・・・・。

中皿(A)・(B): 古伊万里に「鶉文」はよく登場するんですか?

主人: 「鶉文」は、よほど皆さんに愛されたのか、よく登場してくるね。特に、柿右衛門様式のものの中に登場してくるのが有名だね。

 

 

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色絵 花丸散文 唐草陽刻 隅切小角皿

2022年03月24日 15時44分09秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 花丸散文 唐草陽刻 隅切小角皿」の紹介です。

 小皿の半分には陽刻で唐草文を施すなど、造形には厳しさがみられます。

 そこに、染付と赤、緑、黄の三色の色絵を使った花丸文を三つ散らしています。その三つの花丸文が散らされた位置も絶妙の配置です(^-^*)

 また、裏面も、手を抜くことなく、しっかりと文様が描かれています。

 いかに高級な食器であったかが伺われます。

 今では、食器として用いる存在ではなく、鑑賞すべき存在でしょう(^_^)

 とくとご覧いただければ幸いです(^-^*)

 

 

表面

 

 

表面の陽刻部分の拡大

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

 

斜め上から見た裏面

 

 

生  産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期(寛文期(1661~72)前後)

サ イ ズ : 口径;12.1cm  高さ;2.4~2.6cm(歪みがあるため) 底径;7.1cm


染付 鳳凰文 中皿

2022年02月24日 16時28分47秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 鳳凰文 中皿」の紹介です。

 先日、といっても4日前の2月20日のことですが、骨董市で「伊万里 染付 唐人竹文 中皿」を買い、それは既に紹介したところです。

 ただ、その「伊万里 染付 唐人竹文 中皿」はたまたま安く手に入りましたので、軍資金にまだ余裕が残りましたから、まだ何か買えそうだな~と、その後、ネットショップを覗いていましたところ、この「染付 鳳凰文 中皿」が売られていることを発見してしまったわけです(~_~;)

 売値を見ますと、残りの軍資金で買える値段なものでしたから、さっそく一昨日に注文をし、今日、届いたものです。

 この「染付 鳳凰文 中皿」は、ご覧のように、よく図録等に登場してくる名品です。ただし、無疵ならば、、、(笑)。

 本来なら、このような皿の無疵のものは、私の乏しい軍資金の残額程度では買えるわけがないのですが、幸いにも、盛大な補修がありましたので買えたわけですね(笑)。

 もっとも、その盛大な補修(金継ぎと鎹留め)も、ここまで大胆に盛大に行われますと、一つの見所と言えなくもありません(笑)。

 その見事なまでの金継ぎと鎹留めの技法も鑑賞いただければ幸いです(^_^)

 

 

表面

口縁部は鍔縁状になっていて、口縁には鉄釉が塗られています。

 

 

表面の左上部の拡大

 

 

表面の右下部の拡大

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

やや斜め上から見た裏面

 

 

裏面の上部の拡大

 

 

裏面の高台内部の拡大

銘: 古人(いにしえびと)銘

 

 

裏面の下部の拡大

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期(元禄期(1688~1703)前後)

サ イ ズ : 口径;18.8cm 底径;11.5cm