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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

染付 白菜文 白菜形皿

2021年11月26日 16時34分59秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 白菜文 白菜形皿」の紹介です。

 

表面

 

 

側面

 

 

底面

 

生 産 地 : 肥前・平戸(三川内)

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 長径18.0cm 短径11.5cm 高台長径9.7cm 高台短径5.8cm 最大高さ3.7cm

 

 

 なお、この「染付 白菜文 白菜形皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 そこで、その際の紹介文を、次に再度掲載することをもちまして、この「染付 白菜文 白菜形皿」の紹介に代えさせていただきます。

 ただ、その紹介文中では、この「染付 白菜文 白菜形皿」の生産地につきましては、「有田」なのか「平戸(三川内)」なのかが曖昧になっておりますが、上に記しましたように、「平戸(三川内)」としたいと思います。また、製作年代につきましても曖昧な記述となっておりますが、これも、上に記しましたように、「江戸時代後期」としたいと思います。

 

 

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         <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー242  伊万里染付白菜文白菜形皿        (平成30年7月1日登載)

 

 

 やや薄手で、白菜の葉の部分をギザギザに表現するなど、かなりリアルであり、厳しい造りである。また、高台は高く作られている。

 高台が高く、厳しい造りであること等から、江戸前期の変形皿をほうふつとさせる。しかし、それほどの古格を感じさせない。

 江戸前期の有田産の変形皿を、平戸(三川内)で写したものなのだろうか。

 

江戸時代後期 長径18.0cm 短径11.5cm 高台長径9.7cm 高台短径5.8cm 最大高さ3.7cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌170  古伊万里との対話(白菜文白菜形皿)(平成30年7月1日登載)(平成30年6月筆) 

 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  白 菜 (伊万里染付白菜文白菜形皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、例によって、今回も、主人の所にやってきた古伊万里の順番に従って対話をしようと思ったようである。
 そこで、該当する古伊万里を押入れの中から引っ張り出してきて対話をはじめた。

 

 


 

 

主人: 今は「白菜」のシーズンではないが、お前に出てもらった。

白菜: どうして、急に、シーズンでもないのに登場することになったんですか。

主人: 特に理由はないね。 順番だからだよ。それに、最近では、我が家の古伊万里のストックも少なくなってきたので、アップするタイミングを季節に合わせるというようなことをやっていたら、何もアップ出来なくなってしまうからね。まっ、手当り次第にアップせざるをえない状況になってきているということかね(-_-;)
 それに、お前の場合は、製作年代がよくわからないんだ。古いのかな~と思えば古く見えるし、新しいのかな~と思えば新しく見えるしで、自信がないんだ。以前ならアップするのを見合わせるところだが、そんなことをしていたら、今言ったように、古伊万里のストックが少なくなってきているので、ますますアップする材料がなくなってしまうからね。

白菜: でも、そんな、自分でも自信の持てないようなものを堂々とアップしていては、世間に混乱を招きますし、世間に迷惑をおかけすることになるんではないですか。

主人: それはそうだが、だいたいにおいて、このホームページはそんな立派な、権威のあるようなものじゃないよ。世間様から注目などされていないから、いい加減なものをアップしたとしても、世間に迷惑をかけるという心配はないね。それに、誤りと気付いた時点で、すみやかに訂正すればいいんじゃないかな~と思ってるんだ。

白菜: そうですか。それもそうですね。わかりました。
 ところで、どうして私の製作年代がよくわからないんですか?

主人: 造形的に見ると、比較的に薄作りで厳しく作られていて高台も高く、いかにも江戸前期を思わせるんだ。しかし、白菜を表現している呉須の色は明る過ぎ、グラデーションも利かせていて、古格を感じさせないんだよ。全体から受ける感じは江戸後期というところなんだよね。

白菜: 製作年代は、そんないい加減な、感覚的なことで決めるんですか。

主人: そんなもんだよ。永年の経験と勘が大きく左右するね。もっとも、図録にでも載っていれば大きな参考にはなるけれど・・・。でも、お前の場合は、手持ちの図録には載っていないので、予測がつかないんだ。

白菜: 製作年代が分からないということですが、何処で作られたのかという産地も分からないということではないんですか?

主人: そうね。それは言えるかもしれないね。
 私は、江戸時代に肥前地域一帯で作られた磁器を「古伊万里」と総称し、それをコレクションの対象としてきたんだが、現実には、そのほとんどを「有田」で作られた磁器を対象としてきたようだね。「本」だって、そのほとんどを「有田」産の磁器を対象として書かれているものね。

白菜: 産地については、平戸焼(三川内焼)という可能性はないんですか?

主人: うん。その可能性はあるかな。
 平戸焼(三川内焼)については、これまでよく研究されていないし、本や図録等もあまり発行されてないからね。平戸焼(三川内焼)も私のコレクションの対象となるわけだけど、そんな事情もあって、私は、これまで、ほとんど、平戸焼(三川内焼)を勉強してこなかったからね。
 平戸焼(三川内焼)は細工物が得意だったようだから、お前は、江戸後期の平戸焼(三川内焼)なのかもしれないね。

 

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追 記 (令和4年6月15日)

 家庭菜園のことで、「白菜」についてネットで調べていましたら、次のような趣旨のことが書かれていることを発見しました。

 

「 白菜の日本への渡来は江戸時代後期で、不結球性の品種が輸入されていた。

 結球性の品種については、幕末に導入されて栽培が始まったが成功しなかった。

 結球性の品種の白菜は、やっと、明治末期から大正にかけてその栽培に成功し、主要野菜としての地位を占めるようになったのは昭和初期からである。」

 

 この記述によりますと、今、我々が目にしている結球性の品種の白菜が一般的になったのは昭和初期ということになりますよね。

 そうであれば、この「染付 白菜文 白菜形皿」が作られたのは、昭和初期以降ということになりますね、、、(~_~;)

 しかし、私としては、この「染付 白菜文 白菜形皿」が昭和初期以降に作られたものとは、到底思えません(~_~;) いくら新しくみても、明治はありそうに思えるんです(~_~;)

 そのようなことで、この「染付 白菜文 白菜形皿」の製作年代につきましては、一応、「江戸時代後期」としてはいますが、なお問題があることを付記しておきます。

 

 

追 記(2) (令和7年1月27日)

 つい2~3日前のこと、インスタグラムを眺めていましたら、izumiyama_sericiteさんが、伊万里の白菜形の染付の手塩皿を、次のように紹介していることを知りました。

 

「      < 藍九谷 白菜形手塩皿(江戸時代寛文期頃)>

 白菜のモチーフはあまり見かけないのではないでしょうか?

 このような、結球する品種は江戸時代の初めには栽培されていなかったみたいなので、古染付を写したのかもしれません。    」

 

 izumiyama_sericiteさんが紹介している白菜形の染付皿は、私がこのブログで紹介している皿よりも小さな手塩皿ではありますが、造形といい、文様といい、私がこのブログで紹介している皿に非常に似ています。

 izumiyama_sericiteさんも言われていますように、白菜のモチーフの伊万里はあまり見かけないですよね。珍しいと思います。

 ただ、それだけに、先例が無く、図録などにも載っていないので、その製作年代や生産地を特定することが困難になりますね(~_~;)

 特に、白菜をモチーフとしたものについては、現在、我々が目にしている結球種の白菜は、上の「追記」でも記しましたように、我が国では、江戸時代までは栽培されていなかったようですので、「はたして、江戸時代に結球種の白菜をモチーフとした古伊万里は作られたのだろうか? そんなものが存在し得るのだろうか?」という疑問が、その製作年代や生産地を特定することの困難さに拍車をかけます(~_~;)

 その点に関しまして、このizumiyama_sericiteさんの紹介文の中の「古染付を写したのかもしれません」との文言に、私は「ハット」させられました(゚◇゚) 大変に示唆に富む文言でした(^-^*)

 そうなんですよね。古染付を写したとすれば、古伊万里が古染付の模倣からスタートしていることに思いを致せば、十分に存在し得るし、また、納得いきますから、、、。それに、そうであれば、製作年代も江戸時代前期の寛文頃とすることにも抵抗を感じなくなります(^_^)

 ということで、このブログで紹介している「染付 白菜文 白菜形皿」の生産地と製作年代を、

「生 産 地 : 肥前・平戸(三川内)or 肥前・有田

 製作年代: 江戸時代後期      or 江戸時代前期」

に訂正したいと思います。


染錦 筍掘り図 中鉢

2021年11月25日 19時34分47秒 | 古伊万里

 今回は、「染錦 筍掘り図 中鉢」の紹介です。

 ところで、この「染錦 筍掘り図 中鉢」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しているところです。

 つきましては、その際の紹介文を再度次に掲載することをもちまして、この「染錦 筍掘り図 中鉢」の紹介とさせていただきます。

 

 

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         <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー239  伊万里染錦筍掘り図中鉢        (平成30年4月1日登載)      

 

表面

 

 

見込部分の拡大画像
筍掘りの文様の部分にも金彩が使用されているが、今では、ほとんど剥落している。

 

 

裏面(梅の枝が描かれた部分)

 

 

裏面(牡丹(?)が描かれた部分)

 

 

裏面(菊が描かれた部分)

 

 

高台内の「銘」部分の拡大画像
銘款 : 二重方形内に「冨」

 

 

 当初、見込みの文様は、中国の『二十四孝』の一人の「孟宗」の伝記を題材にした「雪中筍掘り図」なのかな~と思ったが、この鉢の見込みの筍掘りの場面図からは、厳しい冬景色を感じないので、冬ではなく、今頃の、筍掘りを表現したものなのかな~と思っている(^^;)

 それはともかく、この鉢は、相当に使用されていたようで、色絵部分にも相当な使用擦れがあり、色絵のかなりの部分に剥げ落ちがみられる。
 また、見込みの筍掘りの文様にも金彩が使われていたようであるが、それも、ほとんど剥げ落ちている。

 現在の状態でも、絢爛豪華という感じがするが、作られた当初は、更に絢爛豪華だったのであろう。むしろ、ケバケバシイほどに。

 裏面にも、梅枝文、牡丹(?)文、菊文を描き、決して手抜きはしていないところを見ると、そこそこ高級な器だったのだろう。

 高台内の銘款は、二重方形内に「冨」と書かれている。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代末期

サ イ ズ : 口径;15.6cm 高さ;4.8cm 底径;8.5cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌167  古伊万里との対話(筍掘り図の中鉢)(平成30年4月1日登載)(平成30年3月筆)

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  孟 宗 (伊万里染錦筍掘り図中鉢)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 今年は、例年よりも桜の開花が早いようで、今は満開である。
 そこで、主人は、この時節に合った古伊万里と対話をしたくなったようで、それ相応の古伊万里を押入れから引っ張り出してきた対話をはじめた。

 

 


 

 

主人: 今は桜が満開なんだ。そこで、本当は、満開の桜に合わせて、満開の桜を描いた古伊万里と対話をしたいところではあるが、それでは月並みで面白くもないので、ここは、趣向を変え、花より団子ということで、今頃の食べ物に関係する古伊万里であるお前に登場してもらったんだ。(真実は、満開の桜を描いた古伊万里を、もう、所持していないからではないの、との影の声あり)

孟宗: あの~、どうして、私は、この時節の食べ物と関係があるんですか? 

主人: お前の見込みには、蓑笠を着た人が筍を掘っているところが描かれているだろう。筍は今が旬だからね。だからだよ・・・・・。

孟宗: でも、筍を掘っている図では、「雪中筍掘り図」というのが有名なように、蓑笠を着た人が筍を掘っている場面は、だいたい、冬場と相場が決まっているんではないですか。

主人: そうね。中国の『二十四孝』の中の孟宗を題材とした「雪中筍掘り図」というのは有名だからね。蓑笠を着用し、筍掘り用の鍬を持ち、雪の中から生えてきた筍を掘っている孟宗の様子を描いた図は有名だものね。
 中国古来の代表的な孝子二十四人の伝記と詩とを記した教訓書である『二十四孝』は、日本にも伝来し、御伽草子や寺子屋の教材にも取り上げられていて有名だね。その二十四人のうちでは孟宗が特に有名かな。そんな関係で、古伊万里にも、よく、孟宗を題材とした「雪中筍掘り図」は登場するわけだ。
 だが、「雪中筍掘り図」には、「雪中・・・・・」とあるように、普通、その図の中に雪輪文が描かれていたり、竹の上に雪が積もっていたりするんだが、お前にはそれが無いんだよね。強いて言えば、お前の場合、竹の上に雪が積もっているようにも見えなくもないけれど、それはどうかなと思うんだよ。竹の上に雪を積もらせたのではなく、雲を描いたんじゃないかと思うんだ。
 のんびりと鳥が1羽飛んでいるところを描いたりしていて、とても厳しい雪景色を描いたとは思えないんだよね。
 孟宗の「雪中筍掘り図」というものが、あまりにも普遍的になってしまって、雪中での筍掘りの場面を表すだけでなく、季節に関係なく、一般的な筍掘りの場面の表現にも使われるようになったのではないかと思っているんだ。私の独断と偏見ではあるがね・・・・・。

孟宗: そうですか。そう言われれば、そのように見えなくもないですね・・・・・。

主人: ところで、私はタケノコが好きなものだから、「花より団子」の連想から、お前を登場させたわけだけれど、まだ今年はタケノコを食べてはいないが、これからどんどん出てくるので楽しみだよ。 

孟宗: この辺で採れたタケノコは売ってないと聞いているんですけど、ご主人はどのようにして手に入れているんですか?

主人: そうなんだ。2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災が発生し、その際、東京電力福島第一原子力発電所が事故を起こしたわけだけれど、その時放出された放射能の影響がまだ残っていて、この辺では、タケノコは出荷禁止になっていたんだ。でも、最近になって、やっと、その影響が薄まったようで、出荷できるようになったらしいんだ。
 もっとも、これまでも、放射能の影響は受けているとはいっても、外観上からは全く異状は感じられないので、近所の農家からいただいたものを食べたりしてはいたがね(笑)。
 また、スーパーなどから買ってきて食べてもいたよ。ただ、スーパーなどで売っているものは、この辺のものではないし、掘ってから時間も経っているので、新鮮味には欠けるものね。
 タケノコは鮮度が命だからね。今年からは、近くのJA直売所などから、朝掘りの新鮮なタケノコを手に入れることが出来ると思うと嬉しいよ(^-^;

孟宗: タケノコは美味しいですし、随分と身近な存在になっていますよね。

主人: そだネ~~(北海道ナマリ)(笑)。
 タケノコは、日本人にとっては随分と身近な存在だよね。日本語の中にも、いくつかのタケノコに関する「ことわざ」とか「比喩表現」があるくらいだものね。
 例えば、

<雨後のタケノコ>
 雨が降った後はタケノコが生えやすいことから、何かをきっかけとして、ある物事が続々と発生すること。

<タケノコ生活>
 タケノコの皮を1枚ずつ剥ぐように、身の回りの衣類や家財などを少しずつ売って食いつないで生活していくこと。

<タケノコ医者>
 タケノコはやがて竹になり藪になっていくことから、技術が下手で未熟な藪医者にも至らない医師のこと。

などがあるよね。
 お前にあやかって、我が家の古伊万里コレクションも、「雨後のタケノコ」のように続々と増大することを願いたいね。しかも、古伊万里の名品で我が家が埋もれるほどにね(笑)。

 

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 なお、この「染錦 筍掘り図 中鉢」を、上に記しましたように、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で紹介したわけですが、その際、或る方から、

「最近の研究によりますと、この手の物は、愛媛県の御荘焼(みしょうやき)と言われるようです。その決め手は、窯の経営者であった富岡喜内の苗字からとった「富」の窯印であるとのことです。」

とのアドバイスをいただいたところです。

 しかし、「近現代肥前陶磁銘款集」(佐賀県立九州陶磁文化館 平成18(2006)年発行)によりますと、有田にも「冨」銘のものは存在しますので、やはり、この「染錦 筍掘り図 中鉢」の生産地は肥前・有田であって、製作年代は江戸時代末期ではないかと思っているところです。

 

 

「近現代肥前陶磁銘款集」のP.61から抜粋

 

 上の抜粋から、天保5年に瀬戸口冨右衛門によって創業された「瀬戸口冨右衛門」窯では、「冨」の銘を使用していたことが分かるからです。


染錦 花園に少女文 中皿

2021年11月24日 19時07分55秒 | 古伊万里

 今回は、「染錦 花園に少女文 中皿」の紹介です。

 なお、この「染錦 花園に少女文 中皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介していますので、次に、その際の紹介文を再度掲載することをもちまして、この「染錦 花園に少女文 中皿」の紹介とさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー236  伊万里染錦花園に少女文中皿      (平成30年1月1日登載)

 

表面

 

 

裏面

 

       

 一見、中国産のように見えるが、日本・有田産である。

 高台内に目跡があり、それが日本・有田産であることを雄弁に物語っている。

 染付の他に、赤、金、緑、青、紫が使われていて、賑やかであり、華やかである。
 赤も、濃い赤一色だけではなく、薄い赤も使用されている。また、赤の種類も一色だけではないようである。

 蛸唐草文も、逆蛸唐草文とし、しかも、蛸唐草文の周囲を金彩で縁取りしている。

 造形的にも、輪花形としている。

 よく観察してみると、かなり手の込んだ作りであることが分かる。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;24.3cm 底径;12.5cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌164  古伊万里との対話(花園に少女文の中皿) (平成30年1月1日登載)(平成29年12月筆)  

 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  少 女 (伊万里染錦花園に少女文中皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今日は元旦であるため、正月にふさわしい古伊万里と対話をしたくなったようである。
 そうはいっても、主人のところは貧庫ゆえ、それにふさわしい物は見つかりそうもないと思われる。
 しかしながら、なんとか、正月にふさわしいとまでは言えないけれども、普段よりはいくらか華やかさを漂わせる古伊万里を見つけ出してきて対話を始めた、、、。

 

 


 

 

主人: 今日は元旦だね。まずは挨拶からといこう。
 新年おめでとう。

少女: はい。新年おめでとうございます。
 新年のおめでたい日に取り上げていただき光栄です(^-^;

主人: まあね。お前は華やかだものね。正月に登場させるのにふさわしいと思ったんだ。

少女: ところで、私には何が描かれているんでしょうか?

主人: 絵文様には何か意味があるのかもしれないね。何かの物語の一場面を描いたとか・・・・・。
 しかし、私は不勉強で、何か意味がある絵文様なのかどうかは知らないんだ。単に、花園に少女が立っているところを描いたんだと思っているんだ。

少女: それはそうですね。そのものズバリですものね。

主人: 私は、絵文様を観るとき、その背景などは考えないことにしているんだ。絵そのものが、「華やかだな~」とか「奇麗だな~」とか「美しいな~」と思えば、それだけの魅力で買ってきてしまうんだ。単純なんだね・・・・・。

少女: ところで、私は中国人の少女のように見えますよね。

主人: そうだね。冠をいただき、長い袖の服を着ていて、いかにも、中国の貴族の少女という感じだね。

少女: 人物だけでなく、全体的にも中国風の感じが漂いますね。

主人: そうね。そもそも、伊万里焼がモデルとしたヨーロッパ輸出用の磁器は、中国の磁器を原形としているからね。
 知ってのとおり、明王朝に替わって清王朝となったが、明王朝の残党の抵抗が根強かったので、清王朝は遷界令と呼ばれる強力な鎖国政策をとったわけで、そのあおりを受けて、オランダ東インド会社は中国とは自由な貿易が出来なくなってしまったんだよね。
 それで、困ったオランダ東インド会社は、陶業界の巨人ともいうべき景徳鎮への注文に替え、誕生して日も浅く、陶技も未熟な伊万里に大量の注文を出したんだよね。
 そんなことで、伊万里焼は、中国の景徳鎮磁器のピンチヒッター役を務めることになったわけで、中国様式の物を大量に作るようになったわけだよね。その後、伊万里焼は急速に和様化はしてくるけれども、中国様式の残影は色濃く残っているわけで、中には、お前のように、中国景徳鎮産そのものと思えるようなものも長い間作られていたんじゃないかな。

少女: でも、かなり中国風ですよ。
 ご主人は、日本・有田産と判定するようですけれど、実際には、中国・景徳鎮産ではないんですか?

主人: いや、日本・有田産に間違いないね。
 確かに、文様的には、中国風が色濃いが、全体的に、じっと見ていると、和風な感じも受け取れるんだよね。
 造形的には、中国・景徳鎮のもののほうが、もう少し薄作りで、鋭いかな。カキッとした硬い感じを受けるんだよね。その点、お前は柔らかかな。高台削りなんか、丸味を帯びていて、和らぐね。
 釉薬だって、景徳鎮のものは、もう少し白っぽく、また、薄く掛かっていてカサカサした感じかな。その点、お前には、比較的に厚く掛かっているし、若干青味を帯びていて、シットリとした感じを受けるものね。
 それに、何といっても、お前を、有田産とする決定的な証拠は、高台内にある目跡だね。
 有田の原料は耐火度が低いため、高温で焼いていると、底の方が下にぶら下がってしまうんだよね。それを防止するために、高台内に針支えをして焼いているんだ。焼き上がったあと、その針支えをはずすわけだが、その際、高台内に傷跡が残るんだ。それが目跡というやつだね。
 その点、景徳鎮で使用している原料は耐火度が高いために針支えなど必要としないんだよね。したがって、景徳鎮産のものには目跡というものが存在しないんだ。
 この目跡の有無は、有田産か景徳鎮産かを見分ける大きなポイントになるんだよ。
 幸い、お前には、目跡があったから、自信をもって有田産と判断できたわけだけれど、もし、お前に目跡がなかったならば、有田産なのか景徳鎮産なのかの判断に迷ったかもしれないね。

少女: なるほど、そういう理由から、私を有田産と判断したんですか。

主人: そうだよ。私は、単に感覚的な理由だけで判断しているわけではないんだよ。ちゃんと、科学的な理由も根拠にして判断しているんだ。(「自己満足じゃないの!」との影の声あり。)

 

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色絵 花鳥文 遊環耳付瓶

2021年11月22日 14時47分34秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 花鳥文 遊環耳付瓶」の紹介です。

 

正面(仮定)(その1)

補修した遊環(右側)のオリジナル部分が上側

 

 

正面(仮定)(その2)

補修した遊環(右側)のオリジナル部分が下側

 

 

正面から左に約90度回転させた面

 

 

正面の裏側面(その1)

補修した遊環(左側)のオリジナル部分が上側

 

 

正面の裏側面(その2)

補修した遊環(左側)のオリジナル部分が下側

 

 

正面から右に約90度回転させた面(その1)

補修した遊環のオリジナル部分が上側

 

 

正面から右に約90度回転させた面(その2)

補修した遊環のオリジナル部分が下側

 

 

正面から右に約90度回転させた面の遊環耳付近の拡大(その1)

補修した遊環のオリジナル部分が上側

遊環の半分ほどが欠落していましたが、私が補修しました。

 

 

正面から右に約90度回転させた面の遊環耳付近の拡大(その2)

補修した遊環のオリジナル部分が下側

遊環の半分ほどが欠落していましたが、私が補修しました。

 

 

 

上から見た面

 

 

底面

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 高さ37.3cm 口径7.7cm 耳と耳との間の径18.0cm 肩部径13.8cm 底径11.1cm

 

 

 これは、平成25年に(今から8年前に)古美術品交換会で競り落としてきたものです。いわゆる、「里帰り伊万里」というものでしょう。

 ただ、上の写真から分かりますように、片方の耳の遊環の半分ほどが欠落していました(><)

 そのため、安く競り落とすことが出来たわけですではありますが、競り落としたのはいいけれど、どうしたものかなと悩みました(~_~;)

 と言いますのも、これを競り落とした直後、周りから、「こんなもの買ってどうするの!」とか、「どうせなら、もう一方の遊環も壊してしまったら、、、」という声が聞こえてきたからです(><)

 でも、これを競りに出した者は、「紙粘土で欠けた遊環部分を作り、それを接着剤で貼付け、そこに金色の色を染めればなんとか様になるのでは、、、」と言ってくれました。

 それで、私もその気になり、早速、紙粘土と接着剤と金色の水彩絵具を買ってきました(^-^*)

 しかしね~、「言うは易し、行うは難し」で、補修用の材料を買ってはきたものの、どうも、この方法では上手くゆきそうな気がしないんです(><)

 それで、ついつい、実行に移さず、今日に至ってしまいました(><)

 そうはいっても、そろそろ、いよいよ補修をして紹介しなければならないな~と思うようになり、4~5日前にやっと重い腰を上げたわけです。

 ところが、いよいよその作業に取り掛かろうと思いましたら、もう8年も経過していますので、補修用に買ってきた紙粘土も接着剤も使いものにならなくなっていました(><) そのため、先ずは、紙粘土と接着剤の買い直しに走りました(~_~;)

 だがですよ、だが、、、! 案の定、これまで思っていましたとおり、紙粘土での欠けた遊環部分作りは上手くいきません(><) 予想どおり、スタートからつまずきました(><)

 この欠けた遊環部分は木材を削って作ればいいことに気付きましたが、それには、工具が必要です。しかし、そのためには、工作用のナイフ等もありませんので、先ず、それらの工具を買ってくるところから始めなければなりません、、、。

 ちょっと、途方に暮れましたが、もっと他に簡単な良い方法はないものかと、物置の中をいろいろと物色しながら思案しました。

 そうしましたら、閃くものがありました! それは、網戸張り替え用の「網押えゴム」を使用することです!!

 

物置内にあった使い残しの「網押えゴム」

 

 この「網押えゴム」を適当な長さに切り、たわめ、両端を接着剤で接着し、そこに金色の水彩絵具を塗ればいいのではないかと、、、\(^O^)/

 そこで、さっそく実行です!

 なんとか、まぁまぁ、見られるような状態に補修することが出来ました(^-^*)

 その結果が上の写真なわけです。見苦しい状態ではありますが、片方の耳の遊環が欠けた状態よりはマシかなと思っております(~_~;)

 そんな、不十分な状態のままで紹介することをお許しください(~_~;)


牡丹唐草文 金蒔絵 中皿

2021年11月18日 11時47分26秒 | 古伊万里

 今回は、「牡丹唐草文 金蒔絵 中皿」の紹介です。

 この「牡丹唐草文 金蒔絵 中皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しているところです。

 つきましては、次に、その時の紹介文を再度掲載することをもちまして、この「牡丹唐草文 金蒔絵 中皿」の紹介とさせていただきます。

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー234  伊万里牡丹唐草文金蒔絵中皿       (平成29年11月1日登載)

 

表面

 

 

裏面

 

 

花の部分の拡大(花が開いた状態)

 

 

花の部分の拡大(花が蕾に近い状態)

 

 

花の部分の拡大(花が半開きの状態)

 

 

 一見、「これ何?」と思うことだろう。表を見ると「漆器」に見えるし、裏を見れば「磁器」であることが分かるからである。

 しかし、これが「磁器」であることを知っても、次に、「これはいったい何処で焼かれた焼物」と思うことであろう。

 これを、古伊万里の白磁に漆の金蒔絵を施したものであることが分かる人は、古伊万里について、かなり明るい方である。

 そう、伊万里では、いろんな物を作っていて、こんな物も作っているのである。

 このような、磁器に漆を施したものは、輸出伊万里にたまに見られるが、この皿は、国内向けに作られたものであろうか?
 しかも、国内向けでも、一般向けのものではなく、寺院からの特注品だったのだろうか?
 私の、独断と偏見によるものではあるが・・・・・。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;22.8cm 底径;12.2cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌162  古伊万里との対話(金蒔絵の皿)(平成29年11月1日登載)(平成29年10月筆)  

登場人物
  主  人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  蒔絵皿  (伊万里牡丹唐草文金蒔絵中皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今月も、主人のところにやってきた古伊万里の順番に従って対話をしようと思ったようで、それに該当する古伊万里を押入れの中から引っ張り出してきて対話をはじめた。

 

 


 

 

主人: お前のことは、或る古美術品交換会で競り落としたんだけれど、それは、「押入れ帳」の記載内容によると、平成25年の10月のことだったんだね。あれから、ちょうど4年なんだ。もっともっと前に競り落としてきたような気がしたが、まだ4年しか経っていなかったんだね。

蒔絵皿: 私は、一見、陶磁器にはみえませんね。漆器のお皿みたいですね。

主人: そうだよね。裏を見ないで、表だけを見ているぶんには、陶磁器には見えないね。漆器そのものだね。
 そうそう、漆器に見えるといえば、お前を競り落とした際に、面白いことがあったな。

蒔絵皿: どんなことですか。

主人: お前を競り落とした直後、ある方が私の所に近寄ってきてこう言ったんだ。

 「これ、何焼だか知ってるの?」ってね。

 言葉としては簡単だが、その意味するところは、「何焼だか知っていて競り落としたのかい! 見たところ、何処で焼かれたものか分からないじゃないの。そんな物に結構な値段を出して競り落としているようじゃ、よほど目が見えないね! かわいそうに!」という内容のものだった。
 その方は、長いこと骨董をやっていて、目利き自慢をする方で、口達者なんだ。

蒔絵皿: それで、その時、ご主人は黙っていたんですか。

主人: 私は、普段は、その場では、競り落とした物の評価をしたり、コメントをすることは差し控えているんだけれど、さすがに、その時は、ちょっと、むっとして、反論したよ。私だって、長い間、古伊万里のコレクションをしているのだし、古伊万里コレクターとしての沽券にもかかわるからね。それで、次のように言ってやった。

 「何焼」かと言えば、本体は幕末くらいの伊万里焼ですね。幕末頃に焼かれた伊万里の白磁に漆の蒔絵を施したものでしょう。このような物は、美術館にも展示されていますし、本などにも載っていますよ。時代はそんなに古くはないですけど、今、現在、作るとしたら、とてもとても、さっき競り落としたような額などでは作れませんから、決して高く競り落としたとは思っていませんよ、とね。

蒔絵皿: そのように言ったら、その方はどんな態度をとったんですか。

主人: すごすごと退散していったね。痛快だった。
 人を見くびったような発言はすべきではないね。逆に、自分の能力の無さをさらけだすことになるからね。

 ところで、そこまでは良かったんだが、その後がいけなかった(><)

蒔絵皿: その後に何かあったんですか。

主人: そうなんだ。その後、お前を傷付けてしまったんだ(><)

蒔絵皿: どんな傷を付けたんですか? 見たところ、傷らしいものが見当たりませんが・・・・・。  

主人: それはね、漆の部分を擦ってしまって、一部に色剥げを生じさせてしまったんだ(><) 申し訳ない(><)

 私は、古伊万里を買ってくると、すぐに洗ったりしてきれいにするクセがあるんだよ。汚れがそれほどでもない場合は、水に漬けて、スポンジタワシでゴシゴシ洗う程度だけれど、汚れが酷い時は漂白剤に漬けてから洗っているんだ。
 お前の場合は、それほど酷い汚れではなかったので、いつものとおり、気楽に、水に漬けてスポンジタワシでゴシゴシ洗い始めたんだ。ところが、暫くして、異常に気付いたんだ! 「あれっ! 変だな! 漆の部分の色が薄くなってる(><)」って・・・・・。それで、あわてて作業を中止した。

 でもね、時すでに遅し、というやつだね(><) 最初の漆の色の状態を良く見ていなかったから、正確にはどのくらいの色剥げを生じさせてしまったのかは分からないが、たぶん、少なくとも、口縁の金色の部分の色剥げは私が生じさせてしまったのだと思う(><) また、それ以外の色の薄くなっている部分もそうだと思う(><)

 陶磁器の場合は、色絵は、焼付けて作られているわけなので、水に漬けてスポンジタワシでゴシゴシ洗った程度で色落ちなどするわけがないから、お前の場合も、それと同じと思い込んでしまい、ゴシゴシとやってしまったのが悪かった。不用意だった(><)

 しかしね~、言い訳がましくなるが、漆だって、お碗など、水に漬けてゴシゴシ洗うよね。それだって、色落ちしないよね。

蒔絵皿: それなのに、どうして色落ちしたんですか?

主人: たぶん、漆の部分が経年劣化していたんだと思う。お前の場合は、保管状態も悪かったため、経年劣化もより進行していたんだろうね。
 しかし、こんなことを体験し、こんなに漆の部分が経年劣化しているのであれば、お前は、私が思っていたよりも古いのではないかと思うようになったんだ。
 先程も言ったように、お前は、競り落とした時点では、幕末の頃に作られたものだろうと思ったわけではあるが、こんなに漆の経年劣化が酷いのであれば、もっと前に作られたのではないだろうか、江戸中期ぐらいはあるのではないかと思うようになったんだ。
 まっ、保管状況の如何によって漆の経年劣化の状況も変わるのではあろうけれど、少なくとも幕末よりは古いんじゃないかと思うようにはなってきたよ。

蒔絵皿: 怪我の功名というやつでしょうか。

主人: そうかもしれないね(^-^;  お前が、そう言ってくれると、私の心の傷も少しは癒されるよ。

 

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