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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

金襴手 桜幔幕文 中皿

2021年12月01日 15時43分41秒 | 古伊万里

 今回は、「金襴手 桜幔幕文 中皿」の紹介です。

 なお、この「金襴手 桜幔幕文 中皿」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 そこで、その際の紹介文を、次に、再度掲載することをもちまして、この「金襴手 桜幔幕文 中皿」の紹介に代えさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー215  伊万里金襴手桜幔幕文中皿       (平成28年4月1日登載)

 

表面

 

  

裏面

 

 

 実に華やかである。

 満開の桜のもと、幔幕を張り巡らし、花見でもしているのだろうか。

 画面には大きな芭蕉まで描き込まれている。
 芭蕉の葉が大きく広がるのは夏頃からだから、桜と一緒にはならないはずだが、伊万里は、そんなことには頓着しないようである。
 画面に迫力と力強さを付与するために、また、画面の左右のバランスをとるために描き込んだのであろう。

 この皿は、かつて、遠くヨーロッパに輸出されたものであろうか。
 ヨーロッパの方たちは、この皿を見て、遠く離れた、まだ見ぬ東洋に憧れ、思いを馳せたことであろう。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ  イズ : 口径;21.3cm   底径;10.8cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌144  古伊万里との対話(桜幔幕文の中皿)(平成28年4月1日登載)(平成28年3月筆) 

 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  花 見 (伊万里金襴手桜幔幕文中皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 春爛漫の候である。主人は、もう、何十回となく春爛漫の候は体験しているわけではあるが、何度体験しても嬉しいようである。
 春爛漫といえば、やはり、桜であろう。主人は、その乏しい数のコレクションの中から桜を描いた古伊万里を捜しだし、対話を始めた。

 


 

主人: 桜も咲き、春爛漫だね。お前を眺めながら、また、お前と対話をしながら、チビリチビリとやりながら、一人花見と洒落込もうと思う(*^_^*)

花見: そうですか。でも、私には大きく芭蕉が描かれていますよね。芭蕉の新しい葉は、初めは堅く巻いたままで、やがてそれが解け、青々とした大きな葉に広がるのは夏の頃ですよね。今頃では、まだ、葉は大きく広がっていませんよ。
 私に描かれた芭蕉は、葉が大きく広がっていますから、季節的には夏から秋ですね。

主人: 細かいことを言うとそのようなことも言えるけどね。まぁまぁ、細かなことは抜きにして、大雑把にマクロ的に見れば、大きく桜と幔幕が描かれているから、花見の図と言えると思う(~_~;)
 だいたいにおいて伊万里は季節音痴で、「花」と「実」を同時に組み合わせて描くというようなことを平気でやるからね。この場合も、大きな葉の芭蕉を添えて、画面に迫力と力強さを与えようとしたんだろう。全体的に見れば、お前の主題は花見の図だろうね。

花見: そうですか。それを聞いて安心しました。私を眺めながら、チビリチビリとやり、花見を楽しんでください。

主人: 私は、お前を2年程前に骨董市で買ったんだが、既に15~16年前に或る古美術店で見ているんだよ。

花見: 以前古美術店に展示されていたものが骨董市に登場するというのは都落ちですね。格下げになったわけですね(涙)

主人: そういうことだね。そんなことはめったにないんじゃないかな。
 少なくとも私にとっては初めての体験だったね。逆に、骨董市で売られていたものが古美術店に登場するという例はよくあるけどね。

花見: そもそも私の実力はそんな程度だったんでしょうか。

主人: いや、そんなことはないと思うよ。私が15~16年前に或る古美術店でお前を見かけた時に買わなかったのは、お前が高かったからだよ。 「ちょっと高いな~。どうしようかな~」と考えているうちにそのお店は閉店になってしまったんだ。そんなことで、その後お前を見る機会は失われてしまったんだが、ず~っと、お前のことは頭の片隅に残っていたね。
 ところが、13~14年後になってヒョッコリと現れた。しかも、骨董市で! 安く! それで、即、買ったわけさ。

花見: どうしてそんなことになったんでしょうね。

主人: どうしてなのかね~。普通のケースじゃないものね。

 ここで、いろいろと、その原因を考えてみようか・・・・・。

 まず、第一に考えられるのは、或るコレクターの死だね。それは、以前お前を展示していた古美術店が或るコレクターに売り、そのコレクターが死んだため、遺族によって骨董屋に売られ、それが回り回って骨董市で売られるようになったというケースだね。コレクターが死ぬと、その遺族の悲しみなどそっちのけで、コレクターの死を嗅ぎ付けた骨董屋連中が、どっと禿鷹のように押し寄せ、骨董などに興味のない遺族から安く買いたたいてくるという話しはよく聞くからね。私が死んだ場合もそんなことになるのかな~と思うと、ちょっぴり寂しいよ。 

花見: そんなことがあるんですか。

主人: そうらしいね。それは、よく聞く話だよ。

 次に、第二に考えられることは、盗難に遭ったことだね。以前にお前を展示していた古美術店が盗難に遭ったとか、或いは、その古美術店からお前を買ったコレクターの家に賊が押し入り、お前を盗んでいき、公の市場を転々とし、最後に骨董市で売られることになったというケースだね。

花見: そんなケースは多いんですか?

主人: さあね。私には分からないな。ただ、国宝とか重文というような有名な物ならば、公の市場に登場したとたんに露顕してしまうだろうけれど、それほどでもない物は、公の市場を転々としても、盗品だということはなかなか露顕しないのではないだろうか・・・・・。

 次に、第三に考えられるのは、以前お前を展示していた古美術店からお前を買ったコレクターがお前に嫌気がさし、安く手離したというケースだね。
 これは意外とよくあるケースだよ。コレクターというのは、新しく手に入れた物を仲間に見せたがるものなんだ。それで、お前を手に入れたコレクターが仲間に自慢げに見せたが評価がよくない。 「あいつは目が見えないから、良い評価をしないんだろう」と思って別の仲間に見せたがまた同じ。そんなことを何回か繰り返しているうちに、だんだんとお前に嫌気がさし、遂にタタキ売ったというわけだね。 

花見: 見せられた仲間の方は、正しく評価できないんでしょうか。

主人: テレビの「開運なんでも鑑定団」などを見ててもわかるとおり、世の中には骨董などに明るい人は少ないからね。本を読んだり、美術館に行ったり、たまには、ちゃんとした古美術店からしっかりしたものを買ってきて勉強したりと、自分自身で骨董がわかるように努力しなければならないんじゃないかな。他人の評価に左右されるようじゃ駄目なんじゃないかな。

花見: そうですよね。そうすれば、もっと骨董が楽しくなるでしょうよね。

主人: 次に、第四に考えられるケースは、コレクターが金に困って売ったということだね。骨董は、結構、筋の良い物なら、売って金に換えられるんだよ。ガラクタでは駄目だけどね。ただ、値段は、その時々の需要と供給で決まるから、必ずしも買った値段以上で売れるとは限らないけどね。
 お前がこのケースに当てはまるとすれば、古伊万里も15~16年前は、まだ結構高かったが、最近ではめっきり安くなってしまっているので、お前を売ったコレクターはだいぶ損をしたということになるね。

 更に、考えられる第五のケースとしては、コレクターがその収集の対象を古伊万里から他の分野に切り替える際にお前を下取りに出したか、もっと良い古伊万里と交換するためにお前を下取りに出したという場合だね。

花見: いろんなケースが考えられるんですね。私は、このうちのどのケースにあてはまるのでしょうか。

主人: お前が最近になって骨董市に登場した原因については、以上の五つのケース以外にも考えられるので断定は出来ないが、五つのケースのうちで最も可能性の高いのは、最後の第五のケースかな・・・・・。

 

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後絵(?)の柿右衛門の皿(色絵 鶉文 中皿)

2021年11月30日 16時41分31秒 | 古伊万里

 今回は、趣向を変えて、「後絵(?)の柿右衛門の皿」(色絵 鶉文 中皿)の紹介です。

 

表面

 

 

表面の上方部分の拡大

 

 

表面の右方部分の拡大

 

 

表面の下方部分の拡大

 

 

表面の左方部分の拡大

 

 

口縁の一部分の拡大

口縁に施した上絵の口紅がかなり剥落しています。

 

 

側面

 

 

底面

折り枝梅文が3か所に描かれています。

 

 

折り枝梅文の一部の拡大

 

 これを見た方は、「おおっ! 名品だ!!」と思われることでしょう(^_^)

 私も、これを見て、即座に気に入り、即、購入に至ったものです(^-^*)

 しかしね~、骨董の世界というのは因果な世界なんですよね。常に「真贋」という問題がつきまとうんです(~_~;)

 これを連れ帰ってから毎日のように眺めていましたら、だんだんと不安が募ってきたんです(~_~;) これは、もしかしたら、「後絵(あとえ)」ものではないだろうかと、、、。

 

<疑問点第1>

 まず、疑問点の第1点目ですが、それは、古いボデーに、後から色絵付けをしたのではないかということです。

 見込部分の周辺部に陽刻の如意頭文や松竹梅文などを施した白磁は、明暦(1655~57)頃から作られ始め、寛文(1661~72)・延宝(1673~80)頃に多くが作られているのに対しまして、この皿の絵付け文様は、延宝頃から元禄(1688~1703)の前半頃に盛んに行われているからです。つまり、ボデーの作られた時代と色絵が行われた時代がちょっと合わないのではないかということです。

 でも、この点につきましては、延宝頃には、このようなボデーが作られましたし、このような絵付もされていたわけですので、両者が一致する時点はあったわけですから、このような皿が作られた可能性はあったわけですね(^_^)

 

<疑問点第2>

 疑問点の第2点目は、この手の皿の場合、普通、口紅は、焦茶色の色絵ではなく、鉄錆を塗って本焼きしていることが多いと思われることです。そのため、この皿のように、色絵の口紅が剥げ落ちますと汚らしくなってしまいます。

 そのようなことを防ぐためもあってか、このようなケースの皿は作られることがなかったのかもしれません。それで、図録等にも載っていないのかもしれません。また、私も、まだ、このようなケースの皿を見たことがありません。

 

<疑問点第3

 3番目の疑問点は、この手のボデーは、「白磁 陽刻如意頭文 皿」等の名称で、白磁皿として完結した姿で図録等に登場していることです。このように、完結した白磁皿に、更に色絵を付加した例を、まだ、私は知らないからです。

 

 以上、私の感想としましては、このような皿は、他にこれまでに見たこともないですし、図録等でも見たことがないものですから、後絵なのかな~と思ったわけです。

 ボデーの白磁だけでも立派な古伊万里なのですが、そこに、このような素晴らしい柿右衛門の代表的な文様を付加したなら、さぞや名品となるであろうとの願望から、その意図は善意なのか悪意なのかはともかく、後絵を施したものであろうと判断したものです。

 

生 産 地 : 肥前・有田(ボデー部分に限る)

製作年代: 江戸時代前期(ボデー部分に限る)

サ イ ズ : 口径;20.8cm 高さ;3.5cm 底径;12.9cm


染付 草花文 中皿

2021年11月29日 16時14分53秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 草花文 中皿」の紹介です。

 ところで、この「染付 草花文 中皿」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しているところです。

 そこで、次に、その時の紹介文を再度掲載することをもちまして、この「染付 草花文 中皿」の紹介といたします。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー245  伊万里染付草花文中皿        (平成30年10月1日登載)              

 

表面

 

 

裏面

 

 

 なお、この中皿には石ハゼが見られる(表面の二重圏線内の時計の針の8時の方向)。

 その拡大写真は次のとおりである。

 

表面の二重圏線内の時計の針の8時の方向の拡大画像

 

 

 また、この石ハゼは裏面にまで突き抜けているようである(裏面高台内の時計の針の4時の方向)。

 

裏面高台内の時計の針の4時の方向の拡大画像

 

 

 更に、この中皿には、もう一か所、窯疵がある(裏面の口縁付近の時計の針の2時の方向)。この窯疵は、小さな石コロのような物が焼成中にはずれて出来たものと思われる。

 

裏面の口縁付近の時計の針の2時の方向の拡大画像

 

 

 このように、この中皿は、十分に水簸されていない陶土を使って成形されたようである。

 それに、染付も黒っぽく発色しており、良質な呉須を使っていないことがわかる。

 ようするに、この中皿は、安い原材料を使って作られたことが分かるのであり、上手のものではないことを示している。

 ただ、鑑賞の点からすれば、むしろ、そこに、見所なりが存在することになり、趣きさえ感じさせるのである。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;17.4cm   底径;10.5cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌173  古伊万里との対話(石ハゼの中皿)(平成30年10月1日登載)(平成30年9月筆)   

  

登場人物
  主  人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  石ハゼ  (伊万里染付草花文中皿) 

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今回も、例によって、主人の所にやってきた古伊万里の順番に従って対話をしようと考えたようで、その古伊万里を押入れの中から引っ張り出してきて対話を始めた。

 

 


 

 

主人: お前は、平成26年の7月に我が家に来ているから、もう4年が経過しているんだね。月日の経つのは早いもんだね(遠い目)。

石ハゼ: そうですね。この調子で往ったら、百年や二百年はあっという間に過ぎ去って、私なんか、堂々たる「骨董品」になりますね。

主人: お前は、既に三百年近く経っているから、今でも、古格のある、堂々たる「骨董品」だが、あと更に二百年も経過すれば、益々、古格に磨きがかかるんだろうね。
 でも、それは、これから、無事に二百年生き延びればの話だよね。
 まず第一の関門は、私が亡くなってからどうなるかだね。私が亡くなって、誰もお前の引き取り手が現れなかったら、お前はゴミとして処分され、打ち捨てられてしまうわけで、お前の命運もそこで尽きてしまうんだよね。
 そして、その第一関門を無事通過しても、今度は、次の関門が待っているね。例えば地震だ。地震によって打ち壊されてしまうかもしれない。また、火災で罹災してしまうかもしれないよね。次々と新たな試練が打ち寄せてくるわけだ。
 一言で、百年、二百年と言うが、現実にこれから二百年生き延びるのは容易なことではないと思う。武運を祈るしかないな。もっとも、お前は既に三百年近く生き延びてきたんだから、運は強いのかもしれないね。

石ハゼ: 運を天に祈って頑張ります(^-^;

主人: ところで、お前は、雑に作られているよね。
 表面の二重圏線内の時計の針の8時の方向に石ハゼが見られるだろう。裏面だと、高台内の4時の方向だが・・・・・。

表面の二重圏線内の8時の方向の拡大画像 裏面高台内の4時の方向の拡大画像
 

 水簸の悪い材料を使って作られたんだろうね。中に石コロが入ったまま成形されているんだものね。普通、胎土の中に石コロなどが入っていると、焼いているうちに、そこから割れてしまい、無事に焼き上がらないと思うんだよね。特に、焼成温度が高い磁器の場合は。ところが、お前の場合は、無事、無疵で焼き上がっているんだから驚きだよ(骨董の場合は、石ハゼ等の窯疵は疵とは言わない)。そういう点でも、お前は、生まれながらに強運の持ち主だったんだね。

石ハゼ: 無事、割れずに、無疵で生まれてこれてよかったです(^-^;

主人: また、お前は、作りが雑なだけではなく、染付の原料の呉須の質も上等な物とは言えないようだし、絵付けだって雑だね。裏側面の唐草繋ぎ文など、簡略化され過ぎていて、先入観がないと、唐草を描いているとは思えないくらいだね。
 言うならば、お前は、上手の一級品として誕生したわけではないということだね。
 上手の一級品なら、大切に使用されてきたであろうから、残存率も高くなるだろうけれど、そうでもない場合は、それほど大切には扱われなかったろうから、残存率もそれほど高くはならないと思うんだよね。その点でも、お前のこれまでの所蔵者は、お前を大切に扱ってきてくれたわけで、お前は、所蔵者にも恵まれてきたんだね。生まれた後も運が良かったわけだね。

石ハゼ: 強運が続いてきたわけですね。

主人: そうだ。お前は強運の持ち主だ! その調子で、あと二百年は生き延びてくれ。

 

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染錦 福壽字草花文 小壺

2021年11月28日 16時09分28秒 | 古伊万里

 今回は、「染錦 福壽字草花文 小壺」の紹介です。

 なお、この「染錦 福壽字草花文 小壺」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しているところです。

 そこで、次に、その際の紹介文を再度掲載することをもちまして、この「染錦 福壽字草花文 小壺」の紹介とさせていただきます。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー244  伊万里染錦福壽字草花文小壺      (平成30年9月1日登載)

 

正面(仮定)

 

 

正面から右に約120度回転させた面

 

 

正面から左に約120度回転させた面

 

 

壺の内面

ピントが合っていないので見ずらいが、かなりの墨跡が見られる。

 

 

底面

うっすらと墨跡が残っている。

 

 

 小さい割りには手抜きなくきちんと作られている。

 そこそこ上手と言える。

 元々は「茶入」として作られたのかもしれないが、底面や内面に墨跡があることから、前所有者は「文房具」として使っていたものと思われる。

 小さいながら、肩はぐっと張り、底の方に向かってはギュッと引き締まっていて、なかなかに魅力的なボデイラインである。 

 何故か身近に置いて時々は手に取って愛玩したくなるような存在であり、また、ボデーに「福」と「壽」の文字が描かれているためか、手に取って愛玩していると、何か良いことが起きそうな予感を与えてくれそうな存在でもある。

 前所有者がこの小壺を身近に置き、時々手に取って愛玩したいがために「文房具」として使用したのであろ気持ちを伺い知ることが出来る。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代中期

サ イ ズ : 口径;2.9cm  胴径;5.9cm  底径;2.5cm  高さ;5.0cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌172  古伊万里との対話(福壽字文の小壺)(平成30年9月1日登載)(平成30年8月筆)

 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  福 壽 (伊万里染錦福壽字草花文小壺)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今回は、例によって、主人のところにやってきた古伊万里の順番に従って対話をしようと考えたようで、該当する古伊万里を押入れから引っ張り出してきて対話を始めた。

 

 


 

 

主人: お前は、何時見ても相変わらず小さいな!

福壽: それはそうですよ。私は、生まれつき小さく作られたんです。それに、私たち陶磁器は、人間と違って成長しませからね。生まれた時からそのように運命付けられているんです。

主人: 生れによって運命付けられているか・・・・・。何やら、封建制下の身分制みたいだな。
 お前には、「福」と「壽」の文字が描かれているが、そうすると、永遠におめでたいようにとの意味を込めて作られたわけかな。

福壽: そうです。私は、永遠におめでたいように作られたんです。ですから、私を可愛がり、永遠に所蔵してくれれば、ご主人も、永遠におめでたく過ごすことが出来るんです(^-^;

主人:: こいつ、我が家から追い出されないためにゴマを擂る気か!

福壽: ・・・・・・・。

主人: ところで、お前は、何を入れるために作られたんだろうね。用途は何だったのかね・・・・・。

福壽: 「茶入」でしょうか。

主人: 「茶入」ね~~~。なるほど。日用雑器ではなさそうだね。小さいくせに、それなりにキチント作られていて、そこそこ上手だものね~。
 ただ、よく観察してみると、底部や内側に墨の跡があるんだよ。前の所有者は文房具として使っていたのかな。
 もっとも、「茶入」にしろ「文房具」にしろ、日用雑器ではないやね。お前が、それなりに上手の生れだったことを証明しているかな。

福壽: 私は、染付の他に赤と金彩のみで絵付けされていますよね。染付の他に赤と金彩だけを使って絵付けしたものの方が、その他の緑や黄、紫といった色も使って絵付けしたものよりも古いと聞いたことがあるんですが、本当ですか。

主人: うん。真偽のほどは分からないが、よくそんなことが言われているね。
 それはともかく、今、思い付いたんだけど、染付の他に赤と金彩だけを使って絵付けをするということには、合理的な理由があったんだと思う。
 というのは、華やかさを演出するには「赤」が一番だね。それにゴージャスさを加えるとすれば「金」を付加すればいいわけだ。「赤」と「金」だけで十分にゴージャスな華やかさを演出することが出来るわけだ。「赤」と「金」だけで十分にゴージャスな華やかさを演出出来るなら、最小の手段で最大の効果を上げることが出来るわけで、製作コストもそれなりに低くおさえられる。そんなわけで、染付の他に「赤」と「金」の二色のみを使った染錦がまず第一に登場してきたのではないかと考えることが出来るよね。
 ただ、消費者のほうは、だんだんとそれに慣れてきてしまって、より豪華で華やかなものを求めるようになり、それに応えて、赤と金の他に緑や黄や紫といった色も追加されるようになってきたのではないかと考えることが出来るわけだ。

福壽: なるほどです。そう考えれば、染付の他に赤と金の二色のみを使ったものの方が、染付の他に赤と金のみならず緑や黄や紫といった色も使ったものよりも古いということの説明理由になりますね。

主人: まっ、ね。でもね、これは、たった今、思い付いた「思い付き」にすぎないから、あまり信用しないほうがいいよ。

 

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色絵 芭蕉に朝顔文小皿

2021年11月27日 17時29分51秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 芭蕉に朝顔文小皿」の紹介です。

 なお、この「色絵 芭蕉に朝顔文小皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。

 つきましては、その時の紹介文を次に再度掲載し、この「色絵 芭蕉に朝顔文小皿」の紹介とさせていただきます。

 

 

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                  <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー219  伊万里古九谷様式色絵芭蕉に朝顔文小皿 (平成28年8月1日登載)

 

表面

 

 

裏面

 

   

 この小皿も、前の「218 伊万里柿右衛門様式色絵竹に雀文小碗」(このブログでは、2021年10月24日紹介の「色絵 竹に雀文小碗」)の時と同じように、柿右衛門様式に区分すべきか古九谷様式に区分すべきかで悩むところである。

 文様を一点一点つぶさに見てみると、特に朝顔の文様など、柿右衛門の針描きといえるほどの繊細な描き方である。

 しかし、生地は純白色ではなく、余白も柿右衛門様式のようには多くはない。また、赤色も柿右衛門様式の赤のように明るい赤ではなく、黒ずんでいる。青や緑の絵具も厚く盛り上がっている。全体としては、柿右衛門様式というよりは古九谷様式であろうと感じ、今度は、前の「218 伊万里柿右衛門様式色絵竹に雀文小碗」(このブログでは、2021年10月24日紹介の「色絵 竹に雀文小碗」)の時とは逆に、古九谷様式に区分したものである。
 かように、この、右衛門様式か古九谷様式かの区分は、多分に感覚的なものである。

 造形にはそれほどの厳しさと鋭さは見られないが、薄作りで、五つの輪花としている。裏面には、画像ではよくわからないが、あちこちと角度を変えて光にかざして見ると、高台の直ぐ上、腰の辺りに、一つの輪花部分に三つづつ、計15の陽刻した花弁のような形のものがうっすらと浮き出て見える。このように、結構気を使って作っていることが見て取れる。

 全体に甘手で、高台内には鳥足が見られるが、その鳥足のヒビは表にまでは達していないので、鑑賞には支障がない。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期

サ イ ズ : 口径;13.7cm  底径;8.3cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌148  古伊万里との対話(芭蕉に朝顔文の小皿)(平成28年8月1日登載)(平成28年7月筆)

 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  朝 顔 (伊万里古九谷様式色絵芭蕉に朝顔文小皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今日はどの古伊万里と対話をしようかと若干思案していたようであるが、「そうだ、これにしよう!」と、まだ押入れに入れずにその辺に置いてあった古伊万里に白羽の矢をたて、それと対話を始めた。

 

 


 

 

主人: 今日はどの古伊万里と対話をしようかと「押入れ帳」を開いて対話の相手を捜し始めたんだが、急に、まだ押入れに入れずにその辺に置いてあったお前に目が留まった。
 お前には朝顔が描いてあるものね。この時期にはピッタリだものね。

朝顔: そうですね。大きな芭蕉の葉っぱまで描いてありますものね。ちょうどタイミングがいいですね。

主人: そうだろう。それで対話の順番を変えたんだ。私は、原則として買ってきた順番に対話をしているんだが、このようなことがあると急に変更するんだよ。お前よりも前に購入した古伊万里がまだかなりの数残っているんだけれどね。まっ、気まぐれなんだな(^^;)

朝顔: ところで、ご主人のところには、押入れに入っている古伊万里と押入れに入っていない古伊万里とがあるようですが、押入れ入りとそうでない場合とについての何か基準みたいなものがあるんですか・・・? 

主人: 特に基準みたいなものはないね。買ってきてから、暫くは身近に置いといて時々手に取って眺めているんだけれど、そのうち新しい古伊万里を買ってきた場合には選手交代で、前のものは押入れに入ってもらうことにしているんだ。ただ、新しく買ってきた古伊万里であっても、「まぁまぁな、ありきたりのもの」、「特に気に入ったものではないが、安いから買っておくかというような動機で買い求めたもの」などは身近に置いて眺めることもなく、直ちに押入れ入りになるから、その辺が基準といえば基準かな。

朝顔: 私の場合は直ちに押入れ入りになったわけではないんですね。

主人: そうだね。お前のことは2年程前に買ってきたわけだから、2年程、時々手に取って眺めていたことになるね。我が家では最近では長いほうかな、押入れ入りをしないで身近に置かれている期間が長いものでは・・・・・。
 以前は、ず~っと押入れ入りをしないで頑張っていたものがいたけど、2011年3月11日の東日本大震災以降は、なるべく外に置かないようにしているので、そのようなものはいなくなったね。
 特に気に入ったものは被害に遭わないように、なるべく押入れに入れるようにしているので、身近に置かれる期間は短くなったんだ。そういう意味では、お前は、特に気に入ったものではないが、ありきたりなものでもないということで身近に置かれる期間が長くなったのだろう。

朝顔: 端的に言いますと、私は名品というほどのものではないということですね。

主人: まっ、そういうことだね。名品なら地震の被害に遭わせたくないが、ほどほどの物なら地震の被害に遭っても諦めもつくからね・・・・・。
 それはそうとして、お前には、ビッシリといろいろと細かに描き込まれているな~。小さな面積の中によくもこんなに描き込んだものだ、と感心するよ。それでいて、それほど煩雑には感じさせないものね。よほど腕のいい陶画工が描いたんだろうね。

朝顔: それはそれは、お褒めに預かり恐縮です。

主人: 朝顔の蔓なんか、細く繊細なのに、いかにものびやかで、生き生きとしているね。相当に手馴れていないとこうは描けないだろう。一幅の絵を見ているようだよ。

朝顔: 私は食器として使用されていたのでしょうか。

主人: う~ん。あまり使用擦れが見られないところをみると、それほど食器としては使用されなかったのかもしれないな。皿立てに立てて飾り皿として使用されたのかもしれないね。皿立てに立てて飾り皿として、部屋のインテリアとして使用されるようになったのは何時頃から始まったのか、その歴史については知らないが、お前はその要素を十分に備えていると思うよ。

朝顔: 描かれた文様も、季節的に統一されていますね。

主人: そうだね。古伊万里の場合は、案外、季節音痴とでもいうのかな、季節には鈍感で、平気で、春の草花と夏の草花を同時に描いてみたり、春の花と秋の実とを同時に描いてみたりするものね。
 その点、お前には夏の朝顔と大きな青々とした芭蕉の葉っぱが描かれているものね。芭蕉の葉っぱが青々とした大きなものになるのは夏だから、夏に統一されているわけだよね。
 それに、なかなか写実的だね。朝顔も芭蕉もその他の草花も写実的でリアルだよ。これなら、皿立てに立てて飾っても違和感がないし、十分に鑑賞に堪えられるな。

朝顔: そうですよね。ここまで緻密にビッシリと描かれていますと、食器として使用することにはちゅうちょしますよね。

主人: まっ、お前が作られた当時、お前のような高級なものを食器として使用できた者は、高級武士とか富裕層だったろうから、現代の我々のような貧乏人の感覚とは違ったろうし、その点は何ともいえないね。
 やはり、主な用途としては食器として作られたんだろうけれど、鑑賞にも十分に堪えられるので、皿立てに立てて飾られる場合もあった、というところかな。お前はその実例の一つというところなのかな。もっとも、これは、何の根拠もない、私の独断と偏見ではあるがね。

 

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