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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

金銀彩 山水文 変形小皿

2021年11月17日 11時35分31秒 | 古伊万里

 今回は、「金銀彩 山水文 変形小皿」の紹介です。

 なお、この「金銀彩 山水文 変形小皿」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところですので、次に、その時の紹介文を再度掲載することをもちまして、この「金銀彩 山水文 変形小皿」の紹介とさせていただきます。

 

 

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         <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー235  伊万里金銀彩山水文変形小皿     (平成29年12月1日登載)

 

表面

 

 

裏面

 

 

 銀彩を施すことなく、染付に金彩と赤のみを施したものも「金銀彩」というようである。

 この小皿は、文様としては染付のみで十分に完成していると思われるのに、蛇足的に「金銀彩」を加えている。装飾過剰なのだが、当時は「金銀彩」がいかに人気が高かったかを立証する証拠品といえよう。

 また、この変形皿の形もよく見かけるものであり、当時は、この形も人気が高かったのであろう。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期(万治~寛文前期)

サ イ ズ : 長径;17.3cm 短径;12.3cm 高さ;3.1cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌163  古伊万里との対話(山水文の変形小皿)(平成29年12月1日登載)(平成29年11月筆)

登場人物
  主   人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  紅 溶 き 皿 (伊万里金銀彩山水文変形小皿)

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今回も、主人の所にやってきた古伊万里の順番にしたがって対話をするつもりなようである。
 そこで、さっそく、該当する古伊万里を押入れの中から引っ張り出してきて対話をはじめた。

 

 


 

 

主人: お前のことは、平成25年の10月に、或る骨董市から買ってきたんだ。少し前に買ってきたような気がするんだが、もう丸4年が経過したんだね。久しぶりだね。

紅溶き皿: ご主人の所に来てから、もう、4年が経過したんですね。お久しぶりです。
 ところで、私には銀彩は施されていないと思うんですが、それでも金銀彩と言うのですか。

主人: そうなんだ。染付のうえに赤と金彩だけを施したものも金銀彩と言っているようだね。また、金銀彩は、作られた年代が割りと限られているので、安心して買える古伊万里ではあるね。その辺のことについて、『[伊万里]誕生と展開─創成からその発展の跡をみる─』(小木一良・村上伸之著 創樹社美術出版 平成10年10月1日刊)には次のように書いてあるよ。

 

「 絵文様としては染付のみで十分完成されているのに、何故多量の金銀彩を加えたのか、その意図が判りにくいほど金銀過剰装飾品が多い。当時は金銀彩がよほど人気が高かったものと思われる。
 伝世品類、生産窯出土陶片、及び消費地遺跡出土品などからみる限り、金銀彩は明暦初期頃から始まっていると考えられ、その多くが万治、寛文前半期の頃に集中しているように思われる。      (同書232ページ) 」 

 

 この文章からも判るとおり、お前は、染付のみで十分に完成されているのに、その上に、更に、蛇足的に赤と金彩が施されているわけで、典型的な金銀彩と言えるだろうね。それに、お前のような形の変形皿は、その頃の作品によく見られるんだよ。当時は、お前のような形も大変に人気があったんだろうね。そんなところから、お前は、万治、寛文前半期の頃に作られた典型的な金銀彩と言えるわけで、安心して買えたわけだ。

紅溶き皿: でも、典型的なものであればある程、その特徴を掴むのが容易ですから、それに似せて作ることも容易と思われますので、最近作った偽物と言えないこともないですよね。ご主人は騙されたのではないですか。

主人: いたいや、それはないな。自信をもって本物と言えるね。それは、次のような理由からだ。

 幸か不幸か、お前は甘手で、全体にわたって細かな貫入が入っているよね。そして、見込み部分には、「紅」のようなものがその貫入の中に染み込んでしまっていて、ちょっと汚らしいよね。それで、私は、その、貫入に染み込んでしまった「紅」のような汚れを消そうと思って、お前を漂白剤の中に何日も浸けておいたんだ。でもね~、いくらやっても、その汚れは消えなかったよ。ついには諦めた。ということは、お前は最近作られたものではないという証拠だね。最近作られたもので、最近その貫入に染み込んだ汚れならば、漂白剤に浸けると簡単に消えるからね。お前の汚れは、長い年月をかけて深く貫入に染み込んだ汚れだということが分かったんだ。

紅溶き皿: なる程。そうでしたか。了解です。
 ところで、私の見込み部分に「紅」のようなものが染み込んでいるということは、私は「紅皿」だったんでしょうか。

主人: いや、お前は「紅皿」ではないようだね。
 「古伊万里再発見」(野田敏雄著 創樹社美術出版 平成2年12月25日発行)という本の中に、「第八章 江戸女性の化粧美を演出した化粧用具」という項目があるんだが、そこに、「紅皿」や「紅猪口」のことが書かれているんだ。そこには、

 

「 古代での赤色顔料は、主に水銀朱=硫化水銀(辰砂)と鉄朱=酸化第二鉄(ベンガラ)が使用されたが、藤の木古墳(奈良県)の石棺内から赤色顔料として紅花が発見されたので、六世紀頃には紅花存在の裏付けがされた。そして爪紅化粧の赤色は、平安時代では鳳仙花の赤い汁、江戸時代では紅花(別名呉藍・燕脂)の花冠からとった紅で爪を染めたようである。この紅花は全国各地で栽培され、とくに良質紅の産地は山形県で、当時は紅花百匁から一匁しかとれないために「紅一匁・金一匁」といわれるほど高価なもので、紅餅(花びらを洗い発酵させて餅状にして干したもの)にして江戸や京都に出荷された。
             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 江戸時代になると、磁器製の紅皿が製作され、回船問屋の隆盛により西回り、東回りの航路が開発されて、全国の流通機構は円滑になった。その当時婦女の憧れの土産物であった「京紅」の代替りとして、船乗り達の使用した伊万里染付豆皿に塗ってもらった紅皿が北海道、東北地方の網元の物置から今も発見されるのである。
 紅餅から抽出した化粧紅は、磁製の皿に塗った紅皿、猪口に塗った紅猪口(紅碗)、薄い磁製・金属製・象牙製・蒔絵製蓋付容器に塗った紅板として売出され、指や筆を水でしめらせ、容器にぬりつけてある紅を唇につけたのである。     (前掲書204~205ページ) 」

 

と書かれているね。
 大きさについては、例えば、初期伊万里の白磁紅皿は、口径が1~7cm、高さ1.5cm前後の無文円形の小皿だったらしい。江戸中期以降の白磁紅皿になると、口径が5~6cm、高さ1~2cm前後で、平坦なものと浅い盃形のものが多いらしいね。お前のように大きく(長径:17.3cm、短径:12.3cm、高さ:3.1cm)、しかも変形の紅皿というものはなかったようだね。
 そうそう、「紅皿」、「紅皿」といっても、本物の紅皿というものがどんなものなのか分からなければ「紅皿」のイメージが湧かないだろうから、ここで、前掲書に載っている「紅皿群」の一部を紹介しておこう。

 

前掲書の「紅皿群」の一部の「図219」を転載

 

 なお、「紅皿」よりも深い盃形をした口径5~6cm、高さ3cm前後の磁器のことを紅猪口(紅碗)というようだけれど、これにも内側に紅を塗って販売されたようだね。
 また、紅猪口(紅碗)の中には、「高貴な方が使用したと思われる裾から直線的に開いた朝顔形の紅猪口は、内側面にのみ瀟洒な色絵模様が描かれ、外側面は無文である。勿論内面に紅は塗られず、必要ある毎に猪口内で紅を溶かし、指ではなく紅筆を用いて唇に紅を塗られたのであろう。(前掲書206ページ)」というような特殊な紅猪口もあるようだね。

 

前掲書の「図214」(右)、「図215」(左)を転載

 

 お前の場合は、この特殊な紅猪口(紅碗)とも違うが、用途としては、この特殊な紅猪口(紅碗)のような目的のために使われたんだろうね。紅皿や紅猪口(紅碗)に塗り付けられた紅を、水でしめらせた筆で少量こすり取り、それを一旦お前の見込み面で溶かし、それを紅筆を使って唇に塗ったんだろうね。
 お前の貫入に染み込んだ紅のシミは汚らしく、鑑賞にはマイナスではあるけれど、当時、どんな目的のために使用されたかを示す歴史資料としては貴重だね。

 

 


 

 

<追 記>(平成30年9月15日)

 上の紅皿群の画像にも見られますように、紅皿の裏面に染付で笹文が描かれている場合が多いようです。

 「肥前平戸焼読本」(野田敏雄著 創樹社美術出版 平成元年5月20日発行)にも、紅皿や紅碗の裏面に染付で笹文が描かれている写真が登場します。

 

 

 更に、この本には、紅碗の裏面に、染付で、「大坂新町於笹紅」とか「大坂新町玉笹紅」というような文字文が描かれている場合があることも紹介されています(下の画像の右側)。

 

 

 私は、これらの写真を見ていて、「大坂新町」は、江戸時代の三大遊郭であった「江戸・吉原」、「京都・島原」、「大坂・新町」のうちの一つだったので、紅皿や紅碗に「大坂新町」という文字を書き入れたことは納得できましたが、何故「笹文」を描いたのかな~、何故「笹紅」とか「玉笹紅」と書き入れたのかな~と、長いこと疑問に思っていました。

 ところが、先日、nokiさんのブログ「nokiのブログ~歴史好きnokiの骨董・資料コレクション~」の「紅板」という記事(平成30年9月8日の記事):現在、このブログは閉鎖されています)を読んで、長い間の疑問が氷解しました(^-^;

 そこには、次のような、「紅板」の写真と紅板についての解説があったからです。

 

写真:

 

解説紅というと、当然、赤だと思うのだが、紅を何層にも塗り重ねると、このような笹色(光を当てると玉虫色に光る)になる。これを水で溶くと、なんと、赤い紅になるのだ。

 

 

 紅を何層にも塗り重ねると笹色になるんですね!
 そして、そこに光を当てると玉虫色に光るんですね!

 これを読んで、何故「笹文」を描いたのか、何故「笹紅」とか「玉笹紅」と書き入れたのかが分かったわけです。 

 nokiさん、ありがとうございました(^-^;

 

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白磁 輪花形菓子鉢と小鉢

2021年11月15日 12時48分03秒 | 古伊万里

 今回は、「白磁 輪花形菓子鉢と小鉢」の紹介です。

 なお、この「白磁 輪花形菓子鉢と小鉢」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しているところです。

 つきましては、次に、その際の紹介文を再度掲載することをもちまして、この「白磁 輪花形菓子鉢と小鉢」の紹介とさせていただきます。

 

 

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         <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー233  伊万里白磁輪花形菓子鉢と小鉢    (平成29年10月1日登載)

 

白磁菓子鉢(表面)

 

 

白磁菓子鉢(裏面)

 

 

白磁小鉢(表面)(2個)

 

 

白磁小鉢(裏面)(2個)

 

 

白磁菓子鉢と小鉢

 

 

 なかなかに厳しい造形で、口縁の尖った部分に手を押し付けると、チクリと痛みを感じるほどである。

 小鉢の方はよく見かけるが、大きな菓子鉢の方はあまり見かけないので、珍しいかもしれない。

 ちょっと青味がかった白磁で、中国の青白磁を思わせる。
 中国の青白磁も、薄作りで厳しい造形のものが多く、私の好きなアイテムの一つなので、そのようなことも影響して、これ等の白磁を購入するに至ったのかもしれない。

 なお、これ等の白磁は、有田系の窯ではなく、平戸系(三川内系)の窯で作られたのかもしれない。

 私は、肥前地域一帯で作られた磁器を「伊万里」とし、それを収集の対象としてきたが、実体は、収集してきたものは、有田系の窯で作られたものがほとんどのようである。
 これからは、もっと、平戸系(三川内系)や波佐見系の窯で作られたものも収集の対象とする必要があると考えている。
 「伊万里」の収集も、まだまだ道遠しである(><)

 

生 産  地: 肥前・有田  or  肥前平戸(三川内)

製作年代: 一応、江戸時代後期とします。

サ イ ズ : 下記のとおりです。 

  製作年代 口径 (cm) 高さ (cm) 高台径 (cm)
菓子鉢 江戸時代後期 20.9 8.5 7.0
小鉢(1) 10.9 5.5 4.0
小鉢(2) 11.0 5.6 4.0

 

 


 

<追 記>(平成29年10月5日)

 この器の形について、当初、「桔梗形」としようと思っていたところですが、この記事をアップするにあたり、念のためネットで調べてみましたところ、桔梗は、花弁が5枚であることに気付きました。
 「あれっ、これまで間違って覚えていたかな~、桔梗形ではないんだ!」と焦りました(-_-;)
 それで、花としては、桔梗でないのならば朝顔に似ているので、急きょ、「朝顔」にしようと思い、「朝顔形」とすることにしたわけです(^-^;
 ところが、この記事をアップしてから、何人かの方が、やはりというか、当然というか、「桔梗形」としてコメントを寄せてくれました。
 そこで、ちょっと困りましたので、図録で確認することにしました。
 「柴田コレクション総目録」によりますと、この手の器の形を「輪花形」としているんですね。
 それで、私も、この器の形を「輪花形」と訂正することにしました。
 それなら、花弁が何枚であっても問題ないですものね! ただ、ロマンには欠けますが、、、(><)

 

 

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*古伊万里バカ日誌161  古伊万里との対話(輪花形の白磁)(平成29年10月1日登載)(平成29年9月筆)   

登場人物
  主   人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  白磁  A (伊万里白磁輪花形菓子鉢)
  白磁  B・C (伊万里白磁輪花形小鉢)

 

             白磁A                 白磁B・C

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、今回も、主人のところにやってきた順番に従って対話をしようと考えたようである。
 そこで、「押入れ帳」をめくって該当する古伊万里を選び出し、それを押入れから引っ張り出してきた対話を始めた。

 

 


 

 

主人: 白磁A、お前とは久しぶりだね。お前のことは、約4年前の平成25年の8月に、或る骨董市で買っているので、およそ4年ぶりということになるね。 

白磁A: ご主人のところに来てから、もう、4年が過ぎましたか。早いものですね。

主人: そういえば、お前を見て思い出した古伊万里があるんだ。それは、数か月前の今年の6月に買ってきたばかりのものなんだけれど、お前とは大きさが違うだけで、良く似ているんだよ。2個売られていたので、2個とも買ってきた。今日は、ついでに、お前と一緒に参加してもらって対話をしようと思っているんだ。

白磁A: それは賑やかになっていいですね(^-^;

白磁B・C: お話の仲間入りをさせていただき、ありがとうございます。

主人: 白磁Aも白磁B・Cも、共に、或る骨董市から買ってきたんだ。同じ骨董市だったけどね。ただ、売っていた業者は違っていた。

白磁A: どうして私を買う気になったんですか。

主人; そうね。最初に見た時、食指が動かなかったんだがね・・・・・。

白磁A: どうしてですか!

主人: まず、大きさについてだが、白磁B・Cくらいの大きさのものはよく見かけるんだが、白磁A、お前のように大きなものはあまり見かけないんだよね。それに、大き過ぎて、おおざっぱで、繊細さに欠け、キリリとした鋭さを感じさせるところがなく、私の琴線に触れてこなかった。
 また、磁体についてだが、柿右衛門白磁のような乳白色の落着いた白磁ではなく、若干青味がかっていて、しかも、表面はテカテカしているんだよね。私の好きなタイプではなかったわけだ。
 更には、製作年代についてだが、売り主は「江戸中期はあるよ」と言っていたが、私としては、「そんなに古くはないだろう。せいぜい江戸後期だろう」と思ったんだ。
 そんなこんなで、当初は食指が動かなかったわけだよ。

白磁A: そのようないろいろな欠点を抱えている私を、どうして、最終的には買う気になったんですか。

主人: まず、大きさだが、この手の物の大きい物も珍しいから、1点ぐらいは所持していてもいいのかなと思い直したんだ。また、白磁については、いろんな種類があるのだから、コレクターとしては、好き嫌いにばかりこだわっていないで、たまには、好みでないタイプのものを購入するのも面白いのではないかなと考えたんだ。更には、製作年代については、江戸中期あれば申し分ないが、江戸後期もあれば、一応、古伊万里の仲間入りができるので、よしとしなければならないのかなと思ったんだ。
 そのような総合判断の結果、買ったんだよ。

白磁B・C: その点、私達の場合は、買うに際しての迷いはなかったでしょう。

主人: そうだね。白磁Aを買って3年程たってから、お前達白磁B・Cに巡り会ったわけだが、既に白磁Aを買っているからね。お前達白磁B・Cを買うに当たっては、それほどの迷いはなかったね。むしろ、白磁Aとお前達白磁B・Cを合わせると大・小の揃いになるし、特に、小が二つになるので、白磁Aの大の方にソウメンを入れ、白磁B・Cの小の方にツケ汁入れて夫婦二人でソウメンをたべるのにはちょうどいいかななんて思ったよ(笑)。
 ただ、1点だけ、気になることがあった・・・・・。

白磁B・C: どんなことですか?

主人: それはね、製作年代についてなんだ。
 売り主は、お前達白磁B・Cの製作年代は明治だと言うんだよ。それも自信たっぷりでね。それを聞いて、私は、かなり動揺したね。「あれっ! そうだとすると、白磁Aの製作年代も明治だったのか!」と・・・・・。
 だいたいにおいて、骨董屋なんていうものは、年代を古く言うもんだよ。少しでも古くして高く売ろうと思ってね。ところが、この業者は逆なんだよね。良心的なのか、或いは、知らないのか・・・・・。自信をもって逆なことを言われると、また、迷うもんだね。
 結局、私としては、売り主の言うことを信ぜず、自分を信じ、明治よりは古いんだろう、江戸後期くらいはあるんだろうと思うことにして買ったんだ。

白磁B・C: 製作年代の判定は難しいんですか。

主人: 典型的なものは比較的に容易に分かるんだが、あまり見かけない物となると難しいね。
 お前たちの磁肌が私の好きな柿右衛門白磁のような磁肌ならば、比較的に容易に判断できるんだけれど、青味がかってテカテカ光っている白磁については、私はあまり買わないのでよく分からないんだよ。お前達は、窯としては平戸系(三川内系)の窯で作られたのかな~。
 私は、肥前地域一帯で作られた磁器を「伊万里」と考え、それを収集の対象としているが、実体は有田系の窯で作られたものがそのほとんどなんだね。これからは、もっと、平戸系(三川内系)や波佐見系の窯で作られたものも蒐集の対象に加えて研究していかなければならないと思っているよ。

 


 

<追 記>(平成29年10月5日)

 この器の形について、当初、「桔梗形」としようと思っていたところですが、この記事をアップするにあたり、念のためネットで調べてみましたところ、桔梗は、花弁が5枚であることに気付きました。
 「あれっ、これまで間違って覚えていたかな~、桔梗形ではないんだ!」と焦りました(-_-;)
 それで、花としては、桔梗でないのならば朝顔に似ているので、急きょ、「朝顔」にしようと思い、「朝顔形」とすることにしたわけです(^-^;
 ところが、この記事をアップしてから、何人かの方が、やはりというか、当然というか、「桔梗形」としてコメントを寄せてくれました。
 そこで、ちょっと困りましたので、図録で確認することにしました。
 「柴田コレクション総目録」によりますと、この手の器の形を「輪花形」としているんですね。
 それで、私も、この器の形を「輪花形」と訂正することにしました。
 それなら、花弁が何枚であっても問題ないですものね! ただ、ロマンには欠けますが、、、(><)

 

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染付 壽字文 大皿

2021年11月14日 13時01分11秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 壽字文 大皿」の紹介です。

 なお、この「染付 壽字文 大皿」につきましては、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で、既に紹介しておりますので、次に、その時の紹介文を再度掲載することをもちまして、この「染付 壽字文 大皿」の紹介とさせていただきます。

 

 

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         <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー232  伊万里染付寿字文大皿            (平成29年9月1日登載)    

 

表面  口径:36.8~37.8cm(歪みがあるため)

                  

 

側面  高さ:6.3~7.5cm(歪みがあるため)

 

 

裏面

 

 

高台内の銘部分の拡大

 

 

 やや深めの大皿である。

 高台内には「大清乾」の三文字が見える。

 これは、「大清乾隆年製」の六文字の半分の三文字を描いたのであろう。

 「大清乾隆年製」銘は、だいぶ好まれたようで、省略に省略を重ね、「乾」の一文字のみが描かれている場合も多い。

 ところで、染付の大皿は、私が古伊万里のコレクションを始めて間もない40年ほど前の頃は、高額であった。
 欲しいな~とは思ってはいたが、高額のために買う意欲が湧かず、疵物を数枚購入した程度で終わってしまい、大皿への興味はしだいに薄れてしまった。

 この大皿は、4年ほど前に購入したものである。40年ほど前に比べて、だいぶ安くなっていたからである。

 大皿は、現在は、更に安くなっているようではあるが、一度、興味が薄れたせいか、買いたいという強い意欲が湧いてこない(-_-;)

 それに、大皿は、飾るにしても保管するにしても、広いスペースを必要とするので、ついつい、買った後のことを考えると、ちゅうちょしてしまうのである。
 そのことは、他の人も同じように考えるようで、大皿に人気が出てこない理由の一つなのかもしれない。

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代後期(天保)

サ イ ズ : 口径:36.8~37.8cm   高さ:6.3~7.5cm   底径:18.5cm

 

 

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*古伊万里バカ日誌160  古伊万里との対話(寿字文の大皿)(平成29年9月1日登載)(平成29年8月筆)    

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  寿 皿 (伊万里染付寿字文大皿) 

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・ 

 主人は、前回、大皿と対話をしたところである。しかし、大皿とはいってもその口径が8寸程度だったものだから、それを大皿というのか、中皿というのか、ぎりぎりのサイズだったので、今回は文句なしの大皿と対話をしようと考えたようである。そこで、それに見合うものを押入れから引っ張り出してきて対話を始めた。

 

 


 

 

主人: 前回は、一応、大皿と対話をしたことになっているが、どうも、大皿というのか中皿というのかはっきりしなかったね。前回の皿は口径が8寸程度だったからね。

寿皿: 大皿というのは、どのくらいの大きさのものを言うんですか。 

主人: 文字通り、比較的に大きな皿のことを言うんだろうけれど、はっきり決まっているわけではないね。
 まっ、一般的には尺皿以上の物を言うんだろうね。私も、そのように思っていたけどね・・・・・。それで、前回の皿は口径が8寸程度だったから、尺皿以上にはなっていないので大手を振って大皿とは言えないし、かといって、中皿よりは大きく感じるわけで、一応、大皿としたわけだ。

寿皿: 大皿は、何時の頃から作られ始めたんですか?

主人: 食事の様子等を描いた絵巻物などから、何時頃から使われているかがわかるわけで、それによって、何時頃から作られるようになったかもわかるわけだね。それによると、中国も含めると、かなり古くから作られているようだね。でも、中国にまで広げて考えるとまとまりがなくなるし、また、私にそれだけの能力もないので、日本の、しかも、江戸時代からに限定して調べてみようと思う。

 最近刊行された「陶説」(公益社団法人日本陶磁協会発行の月刊誌)平成29年7月号・通巻第772号に、根津美術館の企画展の「やきもの勉強会 食を彩った大皿と小皿展」に関し、同館顧問の西田宏子氏が次のように書いている(同書24ページ)。

 

「 江戸時代になって、陶磁器の産地から見ると、差し渡し40センチくらいの大きな、やや深めの皿が肥前地方で作られています。初期伊万里の大皿や古武雄の大皿がそれです。伊万里の染付大皿や色絵古九谷様式の大皿類は、江戸をはじめとして大名屋敷跡から出土するので、大皿を使う食文化が生まれていたことがうかがわれます。また古武雄の陶器の頑丈そうな大皿は、大名屋敷でも身分の低い人々が住んでいた地区から出土することから、身分によって、食器も異なっていたことが推測されます。 」

 

 これによると、江戸時代の初めの頃は、伊万里の染付大皿や色絵古九谷様式の大皿類は大名達によって使われていたことがわかるね。

寿皿: 伊万里の染付大皿は、その後も、ず~っと、江戸時代を通じて作られていたんですか。

主人: いや、そうじゃなかったようだね。
 「世界をときめかした 伊万里焼」(矢部良明著 平成12年12月25日初版発行)には次のように書かれているよ。

 

「        幕末の染付大

 さて、18世紀における伊万里焼の低迷を打ち破る新風は、どこから吹いてくる可能性があったかというと、なにぶんにも鎖国の状態にあって、頼みの綱であったオランダが退潮していたのであるから、期待したいのは新しい国内の需要層の台頭であったろう。時代も降った19世紀、江戸末期になって、久しく待ち望んだ新風が吹いてきた。それは、時代をリードした支配層や富裕な階層ではなく、経済的な力をつけてきた大衆の庶民層であった。彼らが要請したのは華麗な金襴手に加えて、染付の大皿であったのである。慶弔の祭事にあたって、大皿は豪勢な振る舞いにふさわしい器と映ったのであろう。それを家に所蔵することは、欠くべからざる家格(ステータスシンボル)の表示と映ったかもしれない。
 大鉢といえば、日本では、14世紀の中国龍泉窯の天竜寺青磁の大盤、明末期の呉須赤絵の大盤が輸入された過去があり、伊万里焼も初期伊万里以来、古九谷様式も大鉢をつくって供給はしていた。しかし、伊万里焼のつくる大作はなんといっても、西欧の富裕層を相手とした輸出物の花形商品であり、18世紀前半には、そのサイズは最大まで達していたのである。これに対して、内需向けには大皿・大鉢の大作は、とくに18世紀になると、ぴたりと消息が聞こえなくなってしまう。特に染付の場合において・・・・・・・。そこに突如として鬨の声よろしく、天保年間(1830~44)には、再び染付大皿の時代が再来したのである。                                      (同書150ページ) 」

 

 大皿は、大名達の需要に応じて作られていたので、それ程の需要もないし、どうせ大物を作るなら、西欧の富裕層向けの輸出物の大作を作ったほうが需要も多く儲かるので、だんだんと国内需要向けの大皿は作られなくなったんだね。特に染付の大皿はね。

寿皿: どうして、幕末になって、急に、染付大皿が作られるようになったんでしょうか?

主人: それは、今、「世界をときめかした 伊万里焼」で見てきたように、そのような大皿を所蔵することは、一種のステータスシンボルの表示でもあっただろうから、そのような需要を満たすために多く作られるようになったんだろうけれど、それ以外にも、日本人の食生活の変化も影響していると言われているね。前掲の「陶説」で、西田宏子氏は、次のように言っているよ。

 

「江戸時代後期に伊万里の大皿が様々な意匠で作られたのは、日本人の食生活の変化を物語るものと考えられます。江戸図屏風に見えるように、人々は座敷で大皿に盛られた料理を囲むか、大きな卓の周りに座り、大皿から料理を取り分けています。これは江戸時代後期に日本へ紹介された卓袱(しっぽく)料理の影響ではないかと言われます。中国の食事の文化が、そのまま日本へ紹介されたのです。大皿の流行もそのような新しい文化によるもので、その意匠には中国の影響を受けて吉祥の文様が多くみられます。                               (前掲「陶説」24~25ページ) 」

 

寿皿: なるほど。江戸時代後期に作られた大皿には吉祥文が多いんですか。
 私には、真ん中に「寿」と書いてありますものね。吉祥文そのものですね。

 

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染付 (桜花文)梅花文 6寸皿(一対)

2021年11月13日 11時32分36秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 (桜花文)梅花文 6寸皿(一対)」の紹介です。

 

 

表面

 

 

裏面

 

 

代表の1枚の表面

 

 

代表の1枚の側面

 

 

代表の1枚の裏面

高台内の銘:大化年製

 

 これは、骨董市で買ったものです。

 最初、これを見たとき、「あれっ、これは何だろう・・・」と思いました。

 「これは、このままで完成品なのだろうか? それとも、これは半製品の色絵素地であって、これに色絵を付加したのだろうか?」と思ったからです。

 物そのものとしては特に優れた物とは言えませんが、「?」に興味をそそられ、ついつい、買ってしまったものです(~_~;)

 今回、ブログで紹介するにあたり、再度、見て考えましたが、「?」についての回答は得られませんでした(><)

 これは、染付のままでも完成品として売られたのかな~、また、これに色絵を付加して付加価値を付けて色絵製品として売られたこともあったのかな~、と考えたのが、今の私の結論です(~_~;)

 私、個人としては、珍しいものではないかと思い、紹介する次第です。

 

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代後期

サ イ ズ : 口径;18.0cm 底径;9.2cm 高さ;3.9cm

 

 

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追 記(令和3年11月14日)

  この6寸皿を紹介するために写真を撮り、それをそのままその辺に置いておきましたら、妻がそれに目を留めたようです。そして、

 「あらっ、これ素敵じゃない! 梅が描かれているのですか? 私はこのようなものは好きですね。でも、2枚しかないのですか?」

とのたまわりました(~_~;)

 アブナイ、危ない! 普段使いの食器用に召し上げられるところでした(~_~;) 幸い、2枚しかなかったので、難を逃れたようです(^_^) どうも、この手は、食器用にむいているようですね。

 ところで、妻の発した、これには「梅が描かれているのですか?」の一言が気になりました。

 私も、ず~と、これは、「桜花文」なのかな~、それとも「梅花文」なのかな~と迷っていました。

 でも、今回、この6寸皿を紹介するに当り、「梅」よりは「桜」のほうが華やかに感じられるから「桜」にしようと考え、「桜花文」として紹介したものです(~_~;)

 でも、普通、「桜」の場合は、花びらの先端に切れ込みがあるんですよね。これにはそれがありませんので、ここは素直に「梅」とすべきなのだろうと考えを改めたところです。

 それで、この6寸皿の名称を、「桜花文」から「梅花文」に訂正したいと思います。


染付 花籠文 大皿

2021年11月12日 16時30分59秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 花籠文 大皿」の紹介です。

 

表面

釉薬の色の調子が、ちょっと「古伊万里」ではないような気がします。

 

 

側面

かなりの歪みがみられます。

 

 

底面

高台は、断面が三角山のような形に削られています。

 

 

 これは、平成22年に(今から11年前に)、骨董市で買ったものです。

 骨董市では「古染付」として売られていたものですが、私としては、「古染付なのかな~、古伊万里なのかな~? どちらなのかな~」と迷いました。

 ちょと迷ったわけですが、「まっ、後でよく調べることにして、とりあえず買っとくか」ということで買ったものです。

 その後、少しは調べましたが、よくは分かりませんでした(~_~;)

 それでも、コレクション・ノートの記録を見ますと、買った時点では「古染付」に分類していましたが、買ってから3年後の平成25年には「古伊万里」に分類変えしていることがわかります。

 そして、更にその4年後の平成29年には、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中では、「古伊万里」として紹介しています。

 ところが、更にその4年後の令和3年の現在、このブログで紹介するにあたり、この「染付 花籠文 大皿」をよく見てみましたら、今度は、「古伊万里」ではないような気がしてきました(><)

 釉薬の色の調子、高台の作りが、ちょっと、「古伊万里」とは違うのではないかと思うようになってきたからです(><) 高台の断面など三角山のようになっていますものね。

 それで、今回は、この「染付 花籠文 大皿」につきましては、

 

生  産  地: 中国・景徳鎮

製作年代: 清朝の始め頃

サ イ ズ : 口径24.4~24.8cm(歪みがあるため均一ではない) 底径12.9cm

 

として紹介したいと思います(~_~;)

 陶磁器の鑑定には、なかなか難しいものがありますね(><)

 なお、参考までに、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中でこの「染付 花籠文 大皿」を「古伊万里」として紹介した紹介文を、次に再度掲載いたしますので、ご笑覧いただければ幸いです。

 

 

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         <古伊万里への誘い>

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*古伊万里ギャラリー231  伊万里染付花籠文大皿          (平成29年8月1日登載)

 

 

 この皿は、或る骨董市で買ったものである。

 売り主は、「古染付」として売っていた。

 私としては、「古染付」ではないんじゃないかな~、「古伊万里」じゃないのかな~とは思ったが、古さは感じられたので、「古染付」でも「古伊万里」でも、どちらでもいいや、後でよく調べようと思い、とりあえず、購入することにしたものである。

 でも、やはり、売り主が「古染付」として売っていただけのことはあり、これを「古伊万里」と認定するまでには時間がかかった(-_-;)

 売り主も、この皿は古いので、一時は、「初期伊万里」ではないのかと思ったことと思う。
 しかし、「初期伊万里」なら1/3高台という特徴があるのに、これにはないので、その推測は否定したのだと思う。
 それで、口縁に釉剥げのような、いわゆる「虫食い」の様なものが見られるので、「古染付」ということにしたのだと思う。

 しかし、良く見てみると、この皿の口縁の釉剥げのように見える所は、それは虫食いではないことがわかる。
 口縁の処理が雑なので、所どころに、ザラザラしたり、欠けたように見える所があるが、それらの部分にも、ちゃんと釉薬が張り付いていることが分かるのである。
 虫食いは、素地と釉薬の収縮率の違いから、焼き上がった時に釉薬が素地に張り付かない部分が生じてしまい、ちょうど、その部分が、虫が食べたように見えることから言われることであって、この皿のように、ちゃんと、口縁全面に素地と釉薬が張り付いている場合は虫食いとは言わないからである。

 とにかく、この皿は、古いことは古いが、造形的に見ても、厚ぼったい作りで、手にすると、ズシリと感じるほどであって、厳しさが足りないし、口縁の処理も雑なために虫食いのような状態が生じてしまい、また、側面の写真からも分かる通り、かなりの歪みが出てしまうほどにラフな作りである。

 要するに、全体的に雑な作りで、下手(ゲテ)の部類に属するものであろう。

 「初期伊万里」とまでは言えないが、時代としては、「初期伊万里」の時代から、それほど離れた時代に作られたものではなさそうである。

 

江戸時代前期   口径24.4~24.8cm(歪みがあるため均一ではない)  高台径12.9cm 

 

 

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*古伊万里バカ日誌159  古伊万里との対話(花籠文の大皿)(平成29年8月1日登載)(平成29年7月筆) 

登場人物
  主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
  花 籠 (伊万里染付花籠文大皿) 

 

 

・・・・・プロローグ・・・・・

 主人は、「さて、今日は、どの古伊万里と対話をしようか」と、書棚から「押入れ帳」を取り出し、例によって、「押入れ帳」の記載内容順に眺めていって、適当な古伊万里を選び出した。
 もっとも、「押入れ帳」には、主人が買い込んできた駄物のたぐいまでが記載されているが、主人には、一応、プライドもあるようで、アップには耐えられないような駄物は飛ばして選んでいるようである。

 

 


 

 

花籠: お久しぶりです。およそ7年ぶりでしょうか。

主人: うん。そうだね。久しぶりだね。でも、7年ぶりではないようだね。

花籠: ・・・・・・・・・・?

主人: 今、「押入れ帳」を見ていて、「あれっ?」と思ったんだ。
 「押入れ帳」の記載内容に依ると、お前のことは平成22年に「古染付」として買っているんだね。それが、3年後の平成25年には「古伊万里」に分類変えをしているんだ。ということは、平成22年から平成25年までの3年間に、私は、お前のことを何度か見ているということになるね。まっ、平成25年からは見ていないようなので、その時からでも4年が経過しているから、久しぶりといえば久しぶりだよね。

花籠: ご主人は、私のことを、当初は「古染付」として買って、その3年後には「古伊万里」に分類変えしているんですか。購入する際の鑑定眼が疑われますね。

主人: そう言われると面目ない(><)  先方の売り主が「古染付」と言っていたので、ついついそれを鵜呑みにしてしまったんだ(><)
 言い訳がましくなるが、私は、ここのところ、ほとんど「古伊万里」しか買わないけれど、「古染付」は「古伊万里」の先輩でもあるので、たまには、気に入った「古染付」に出会うと、それを買う場合があるんだよ。そんなこともあって、お前を見て、「先方は「古染付」と言っているが、本当かな~。「古伊万里」じゃないのかな~」とも思ったが、その場では、「どちらでもいいや。後でじっくり判断しよう」と決断し、お前を連れ帰ったわけだ。 

花籠: そんなことは、よくあることなんですか。

主人: いや、私の場合は、めったにないことだね。先方が、「これは中国物だよ」とか「これは朝鮮物だよ」と言っていても、「いや、これは古伊万里にちがいない」と思えば、それを「古伊万里」として買うし、逆に、「これは古伊万里だよ」と言っていても、「これは中国物じゃないのかな~」とか「これは朝鮮物じゃないのかな~」と思えば買わないものね。まっ、先方の言うことを信用せず、自分で判断して買っているということだね。
 だいたいにおいて、骨董なんてものは、売る方は、なるべく高く売りたいので、高く売れそうに分類して売ってくるし、また、よく分からなくとも高く売れる分類にして売ってくるからね。油断も隙もないから、自分で判断して決めて買うしかないんだよ。

花籠: わかりました。で、どうして、私の場合は間違ってしまったんですか。

主人: うん。その物に、初期伊万里様式とか古九谷等式、或いは柿右衛門様式というような典型的な様式を備えている場合は簡単なんだよね。そのような物は、値段も高いが安心して買えるね。でも、それでは、コレクターにとっては面白味に欠けるんだよね。 ありきたりの物に感じるというか、コレクターにとっては新鮮味に欠けるんだよね。
 ところが、お前のように、典型的な様式の特徴を備えていない物に出会うと、コレクターは迷い、買うべきか見過ごすべきかと逡巡するんだ。物は古いし、あまり見かけない物で新鮮なんだが、いったい、何処で何時頃作られたものなのだろうかと迷ってね。
 だが、私は、そのような、自分の目に留まり、自分の心の琴線に触れたものは、一応、買うことにしているんだ。当座は、何時、何処で作られたものか分からなくとも、後で調べれば分かるだろうと思ってね。いわば授業料というか教材料と思ってね。

花籠: では、私は、授業料といいますか教材料ということで買われたんですか。

主人: まっ、そんなところかな。勿論、私の手に負えないような値段なら買わなかった、というか買えなかったけれどね。
 だから、お前を買った時点では、正確に言うと、「古伊万里」を「古染付」と間違って買ったんではなく、「古伊万里」なのか「古染付」なのかの判断がつきかねて、一応、どちらでもいいからということで買ったというところかな。 

花籠: 結局、私は、「古染付」ではなく「古伊万里」に属すると判断されたようですが、何時頃作られたものでしょうか。

主人: 正直言って、よくわからないんだ(><)
 初期伊万里の特徴を備えたり、藍九谷の特徴を備えているのなら、それなりにはっきり分かるんだけどね。
 造形的にみても、初期伊万里なら1/3高台とか、藍九谷ならもっと薄作りで厳しい作りであるとかの特徴を備えているんだけれど、お前にはそれがないものね。ただ古いという感じは受けとれるんだけれども、様式的な特徴がないから、よく分からないんだ。

花籠: 様式的な特徴を備えていない「古伊万里」というものも存在するんですか?

主人: それは存在するんじゃないかな。むしろ、そのほうが多いんじゃないかと思う。
 本や図録には、典型的な様式を備えているものを、その様式毎に並べて登載していることが多いので、それらの様式を備えていないものは存在しないかのように思いがちだが、そんなことはないと思う。

花籠: はい、わかりました。
 でも、 何の様式的な特徴も備えておらず、本や図録にもその類似品が載ってもいないものを、ご主人の独善的な判断で「古伊万里」に分類し、製作年代も決めていっては、あまりにも主観的なことではないですか。そのようにして集められた物が多くなると、ご主人のコレクションも主観的になり、客観性の担保されない、ひとりよがりなコレクションになってしまうのではないですか。

主人:: それは痛いところを突いてくるね。確かに、それは言えるかも、、、、、。 まっ、そうならないように気をつけることにしようと思う。でも、コレクターというものは、へんなもので、だんだんと、ありきたりな物には満足しなくなり、本や図録には載ってないような物に興味を示すようになるんだよね・・・・・(><)  そうはいっても、お前の意見はもっともなので、他山の石として心に留めておくよ。

 

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