文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

レレレのおじさんの衝撃の過去 キャラクターのバラエティー性

2021-04-19 15:57:39 | 第5章

レレレのおじさんはいつも竹ぼうきで、土煙を巻き上げ、路上清掃をしているため、一般的にも暇を持て余している横丁の御隠居さんといったイメージしか持たれず、またそれ以上の身の上においても、本編中、全くと言っていいほど、明かされていなかったが、連載後期に発表された「はじめてあかす おでかけのおじさんの意外な過去なのだ‼」(「月刊少年マガジン」75年11月号) で、その謎に包まれた過去が、本人の口から赤裸々に語られている。

レレレのおじさんは、この頃から遡ること昭和初期の時代、新婚生活を送っており、新婚一年目にして五人、結婚後五年目にして二十五人の子宝に恵まれるという、今でいうビッグダディさえも凌ぐ子沢山ぶりだった。

しかし、その生活は想像を絶する程の過酷さで、子供達が全員ご飯を食べ終えるのに、七時間近くも要し、学校への送り出しも、やっと最後の一人を送り出した頃には、下校時間となって、他の兄弟達が帰途に就くという、てんやわんやの毎日だった。

そんな生活に業を煮やしたレレレのおじさんは、ある時、子供達をほうきで掃いて、敏速に行動させることを思い付く。

このほうきを使った子育ては、予想以上の効力を発揮し、学校での遅刻もゼロになる。

そして、その後も子供達はスクスクと育ち、立派な成人へと成長を遂げてゆく。

だが、子供達が全員独立したある日、レレレのおじさんは妻に先立たれ、遂に一人孤独の身となってしまう。

そうした寂寥感がもたらす悲哀なのか、ほうきで掃く習慣は抜けず、いつしか街に出ては、舞い落ちる枯れ葉に我が子の姿を重ね合わせ、ボランティアで落ち葉掃きをするようになったのだ。

尚、本作が描かれるずっと以前に、「龍宮カメちゃん わしのものなのだ」(71年39号)というエピソードで、一緒に掃き掃除をしている自身にそっくりな小学校低学年くらいの男の子を我が子としてパパに紹介するシーンがあるが、この身の上話から察するに、レレレのおじさんの孫の間違いなのかも知れない。

また、前述のエピソードの「20年後のお話なのだ」(前編)(72年6号)で、レレレのおじさんは、レレレ電気商会なる大手家電メーカーを設立することになるが、それでも、「やっぱり ソウジはこれにかぎるのでごじゃーい‼」と、相も変わらず見事なほうきさばきを披露しており、やはり竹ぼうきこそがレレレのおじさんにとって、ある種のステータスシンボルだということが、こうした振る舞いからも安易に理解出来よう。

さて、こうした様々なドラマを過去や未来に持つレレレのおじさんであるが、その性格類型を分類すれば、クールさを内に秘めた達観者であり、もっと突き詰めていえば、パシフィストのそれそのものと言っても過言ではないだろう。

パパに掃除を邪魔されたり、殴られたり、足蹴にされたりと、常に散々な目に遭わされても、決して取り乱すこともなく、無抵抗主義を貫き通すあたりに、その本質的性格が現れているようにも思える。

しかしながら、「地球をきれいにそうじするのだ‼」(「月刊少年マガジン」76年1月号)という挿話では、道端に林檎の芯を捨てたバカボンを、ほうきで叩いて叱るといった、荒々しい一面を見せたり、便意を催した際には、地球を汚してはいけないという、強迫観念にも似た使命感から、パパと二人、エジプトの砂漠までひたすら走り続けたりと、度を越えた環境保全を普及啓発する偏執狂ぶりも覗かせており、チョイ役ながらも、一筋縄ではいかないバラエティー性を纏ったキャラクターでもあるのだ。

余談だが、『バカボン』の世界観そのものが仏教をバックボーンにして描かれているという異説から、レレレのおじさんもまた、掃除をすることで悟りを開いたとされる、釈迦の弟子にして十六羅漢の一人、周利槃特をモデルにしていると言われているが、やはり、生前赤塚及び当時のフジオ・プロのスタッフから、そのような証言がなされたことは一切ない。


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