このように、『レッツラゴン』には、そのドラマトゥルギーにおいて、明確な起承転結のフォーマットはない。
あるのは、ひたすら一気呵成のノリだけで迫り来るギャグの急進性だけで、他の赤塚ギャグに比しても、明らかに一線を画している。
そして、それらのギャグは、ナンセンスの猛爆性と作者の精神崩壊を思わせる紙一重の領域で、辛うじてエンターテイメントとして踏み留まっている極めて危ういものばかりなのだ。
しかしながら、連載後期になると、赤塚の個人的な関心事やディープな作家性に傾斜してゆき、標準的読者の存在をあからさまに無視したかのようなマニアックな作品も描かれるようになる。
その最たるエピソードが、1973年末、大御所歌手の美空ひばりが、実弟が引き起こした刑事事件を問題視され、それまで十七回の連続出場を果たしたNHKの紅白歌合戦を落選させられるというニュースがマスコミを騒がした際、自らの憤りを全てぶつけて、描かれたと言われる「芸道一代 トーフ一丁」(74年1号)であろう。
赤塚も武居も、大の美空ひばりファンであり、トビラページには、〝民族の歌手‼ 美空ひばり先生、NHK紅白落選哀悼号……嗚呼‼〟の見出しとともに、ゴンと親父の次のようなやり取りが綴られている。
「われらの尊敬するひばり先生が、日本の文化人とやらに落選させられたんだってね‼」
「文化人? あんなやつらにひばり大先生の歌がわかってたまるか‼ 美空ひばり三十六歳、きわめて健康‼」
本エピソードでは、『真っ赤な太陽』、『波止場だよ、おとっつあん』、『港町十三番地』、『柔』といった美空ひばりの往年の名曲の数々を歌劇コントとして構成。全編に渡り、ひばりへの愛情と讃歌に終始した、番外編的位置付けの作品だ。
トビラで放たれたゴンの親父の「美空ひばり三十六歳、きわめて健康‼」という台詞もまた、昭和を代表する名優・鶴田浩二が名曲『同期の桜』のエンディングで朗読する詩の一節を捩ったものであり、ひばりフィーチャーの本編も含め、歌謡曲ファン、懐メロファンには、思わずニヤリとさせられること請け合いの一編だが、『ゴン』の主要読者層である当時の小中学生にとって、これらのパロディーが、ギャグとしての有効性を持ち得ていたとは、今一思い難い。
余談だが、本作を発表した八年後、赤塚は美空ひばりと知遇を得ることになる。
ひばりの養子にして、愛息子である和也が、赤塚漫画の大ファンであり、そうした結び付きから、ひばりは、TBS系列放映の『悪友親友』(82年2月17日放映)という帯番組に出演した折、その対談相手に、赤塚を指名してきたのだ。
番組収録中、意気投合したひばりと赤塚は、プライベートでも交流を重ね、心を許し合う友人同士として、その後、ざっくばらんな関係を深めていったという。
(「卒業」といっても、親友・江利チエミが落選、そして紅白出場者が大幅に変わった2年前から女王は「卒業」を考えてたのだ)
これを「ゴン」のネタにするとは、さすが赤塚。でも女王とはあったんだろうかと思ったけど、赤塚はあったんですな。それも「いいとも」の「テレフォンショッキング」の元になったあの番組で!
(「卒業」といっても、親友・江利チエミが落選、そして紅白出場者が大幅に変わった2年前から女王は「卒業」を考えてたのだ)
これを「ゴン」のネタにするとは、さすが赤塚。でも女王とはあったんだろうかと思ったけど、赤塚はあったんですな。それも「いいとも」の「テレフォンショッキング」の元になったあの番組で!