結果として、大盛況に終わった『赤塚不二夫のステージ・ギャグゲリラ』であるが、70年代後半、漫画家としての枠をはみ出した赤塚が、タレント文化人化し、芸能マスコミ関係者との親睦を深めてゆく中、『ギャグゲリラ』の世界観は、更なる展開をもって立体化される。
既述の『11PM・赤塚不二夫のギャグテレビ』を担当した日本テレビの矢野義幸ディレクターより、その年に起きた重大ニュースを赤塚目線によりコント化出来ないかという打診を、放送作家で、赤塚とも昵懇の間柄である高平哲郎が受けたことがそもそもの始まりで、そのオファーを赤塚が二つ返事で引き受けたことにより、トントン拍子に企画が進んだそうな。
かくして、1979年の12月29日、『土曜スペシャル 爆笑!激笑!今年の笑いおさめだ`79重大ニュース』と題された特番がオンエアされ、キャストには、タモリ、由利徹、小松政夫、研ナオコ、所ジョージ、団しん也、たこ八郎、谷啓ら赤塚ゆかりの人気タレントが勢揃いする。
コントコーナーでは、「江川卓空白の一日」「大平正芳首相再選」「『銀河鉄道999』ブーム」「東京サミット開催」などのニュースを取り上げ、それらのニュースを『ベストテン』形式で、久米宏、黒柳徹子のそっくりさんによる司会進行で紹介するという、赤塚ならではの冷やかしと賑やかしが全編に渡り横溢した、絢爛豪華バラエティーショーだ。
これらのコント以外にも、口裂け女に扮した研ナオコがスタジオの爆笑をかっさらったほか、所ジョージが「三菱銀行人質事件」の犯人・梅川昭美のコスプレを披露。また、人気アイドル歌手の桜田淳子が、さだまさしの『関白宣言』を当て振りで歌い、目下東京漫才の注目株だったツービートのビートたけしが、「神野寺の虎脱走事件」をモチーフに、人気番組「家族そろって歌合戦」をパロディー化し、実際には存在しないトラさんチームを演じるといったタイムリーな笑いの目白押しで、戦後バラエティー史を紐解くうえでも、そのお宝度は頗る高い。
この時の番組視聴率は平均12%と、決して高いものではなかったものの、翌80年には『木曜スペシャル』枠で『発表!輝け!`80 爆笑ニュース大賞・笑いでつづるこの1年』と題され、12月25日にテレキャストされた。
前年同様、この年に起こった事件や話題の数々をコメディアン、歌手、漫画家達が演じるパロディーによって総括するという内容で、「山口百恵引退」や「一億円取得騒動」、「イエスの方舟事件」等、赤塚の『ギャグゲリラ』でも話材となったニュースがモチーフとなっている。
因みにこの年、CBS・ソニーより、期待の大型新人としてデビューしたアイドル歌手の松田聖子が出演し、体当りでコントを演じたのも、特筆すべきトピックと言えるだろう。
その他にも、加賀まりこ、木の葉のこといった、この時メディア露出が高かった女優らが彩りを加え、番組視聴率も前年を上回る17%と、まずまずの健闘を見せた。
翌81年こそ放映はなかったものの、82年には、前回と同じ『木曜スペシャル』枠で『ギャグゲリラ`82・明るい日本!重大ニュース』と銘打ち、シリーズ最後にして、初めてタイトルに「ギャグゲリラ」の文字が踊った。
「明るい日本・ドラマそれぞれの冬」なるサブタイトルが添えられ、「のぞき喫茶」に「校内暴力」、「東北新幹線の開通」「FBIのおとり捜査」等、82年に話題を集めたニュースの数々にシニカルな笑いを交え、これまでと同様コント仕立てにより紹介された。
ゲストも、映画監督の山本晋也、秋野暢子、児島美ゆき、松金よね子、高見恭子といった女優陣、内藤陳、斎藤晴彦、九十九一、東京ヴォードビルショーの面々など、やはり赤塚の交友関係から大挙出演。加えて、この前年に所ジョージの結婚式に出席した際、見知り合いになったと思われる植木等、今や伝説のイコンとして語り継がれる女優の夏目雅子といった瞠目のキャスティングがここに実現した。
尚、この番組がオンエアされた82年12月23日は、本家『ギャグゲリラ』の連載が終了した、まさに一週間後であり、その最終回の「週刊文春」掲載号もまた、82年12月23日号と、奇しき因縁を感じさせる。
『ステージ・ギャグゲリラ』は、舞台であったため、映像として残されることはなかったが、これらのテレビ版『ギャグゲリラ』に関しては、映像媒体であり、家庭用ビデオデッキが一般に広く普及し始めた頃のプログラムだ。
従って、オンエア当時、これらの番組を録画した殊勝な視聴者がいても、おかしくはない。
いつの日か、ユーチューブなどの動画サイトで、この三本のテレビ版『ギャグゲリラ』をフルで視聴出来る日が訪れることを、純粋な赤塚不二夫ディレッタントとして願わずにはいられない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます