このように、自らの聖域である漫画家への回帰を模索する中、意欲的に取り組んだ連載があった。
青年誌「ビッグコミックオリジナル」で、赤塚にとっても、久方ぶりの長期連載となった『「大先生」を読む。』(86年21号~89年24号)である。
『「大先生」を読む。』は、かつて石ノ森章太郎主宰の「東日本漫画研究会」に所属し、大学時代は、トキワ荘で石ノ森のアシスタントを務めていた林洋一郎が、小学館入社後、同誌の編集長に就任した際、他社での雑誌連載が一本もなかった赤塚の窮状を察し、掲載スペースを用意したという、赤塚への陰徳によって生まれたシリーズだ。ストーリーは、自称・教養高き小説家の大先生が、毎回、対談企画のゲストとして連れて来られる有象無象の連中の妄言、愚行に翻弄されてゆく非常に皮肉めいたもので、博識広才を自認しつつも、最終的には、自身の感受力、洞察力の脆弱ぶりを露呈し、痛々しくも、馬脚を顕してゆくというのが、この作品のメインともなる概要である。
本作『「大先生」を読む。』を描くモチーフとなったのが、1970年代、当代きってのスーパーアイドル達に数々の楽曲を提供し、一躍時代の寵児となった、歌謡界のさる大物プロデューサーだと言われている。
人気絶頂の頃、そのプロデューサーは、歌手としても活躍していた某人気女優と結婚するも、名家の血筋を引くプライドからか、妻であるその女優に、教養の欠落や育ちの悪さを厳しく叱責するというモラルハラスメントを恒常的に繰り返し、結果、破局を迎えることになってしまった。
赤塚は、こうした偏狭なエリート意識による、画一的な枠組みへの押し付けや、自らが抱く似非知識階級特有の、自己欺瞞に歪められた権威主義への反骨感情を、簡便なアフォリズムに昇華し、新キャラクター・大先生をその被写体に迎えたに違いない。
また、零落したかつてのベストセラー作家という大先生のもう一方のキャラクターも、人気アンケート至上主義の漫画界において、現役作家としてではなく、戦後漫画史にのみその名を刻む大先生という、シニアプレイヤー的な立ち位置となってしまった自身の孤影悄然たる現状を、冷静なる自虐を込めて、投影させたものであることに、疑いの余地はないだろう。
知的スノッブへの諧謔に比類なき境地を拓いた本作は、キャラクター達の性格描写に倒錯性を持ち込みつつも、その視点は至って冷徹で、作品全体を通し、理知性に富んだアレゴリーを著しくテーマの中に宿している。
取り分け、それが鮮明化されるのが、知性や訓蒙における決定因と支配因とのズレと衝突が、超越論的なクエスチョンの出来とともに、唐突に無化される時であろう。
『大先生』では、作品のテーマとなる現実と虚構の認識的不協和が、一コマごと、流動的に組み換えられてゆく。
まさに、あらゆる世界の根本原理の追及を主とする形而上学の圏外にして、不毛なトートロジーに過ぎないこのような茶番劇こそが、本作の基本となるプロットだ。
また、この抽象的空間の中で、やり取りされる、大先生とゲストによる世俗的な寓意を孕んだ対話の数々は、アカデミズムや哲学的な命題を核としながらも、毎回、その事象に対し、明確なアンサーまで辿り着くことはない。
つまり赤塚は、道化の役割を担う大先生というキャラクターを媒介とし、観念の表象体系でしかない愚蒙な認識論的混乱こそが、似非知識階級の実態にして現実という悟性的な示唆を、読者に伝えたかったのかも知れない。
赤塚の金言の一つに、「頭のいいヤツは、わかりやすく話す、頭の悪いヤツほど、難しく話す」という言葉がある。
『「大先生」を読む。』を紐解く都度、私の脳裏には、この言葉が蘇る。
理屈ではなく、単に面白いことだけを探究してきた赤塚にとって、この言葉は、ナンセンスギャグ漫画を描き続けてゆく上で、その動機付けの一端を担う、重大なエッセンスだったのだろう。
決してメジャーとは言えないながらも、そんな硬骨の赤塚哲学がブレることなく、全てのエピソードにおいて結実した作品だからこそ、この『「大先生」を読む。』は、赤塚漫画史においても、ファンにとっても、頗る意義深いタイトルでもあるのだ。
因みに、毎度に渡り、大先生と雑輩の衆との橋渡し役を担う大先生番の記者は、皆、その時、掲載誌「ビッグコミックオリジナル」で、赤塚番を担当していた編集者をモデルにしており、林くん=林洋一郎といった例を出すまでもなく、そのまま実名を拝借している。
不気味でオカルティックな風貌、加えて念力も使えるという得難いキャラクターでもあった長崎くんもまた、シリーズ中盤から後期に掛け、『大先生』の世界観を盛り上げた編集者の一人だが、そのモデルは、後に「ビッグコミックスピリッツ」編集長に就任するも、小学館を退社し、漫画原作者、小説家として活躍する長崎尚志、その人だ。
『MASTERキートン』、『本格科学冒険漫画 20世紀少年』といった浦沢直樹とのコラボレーションでも令名高い長崎尚志だが、この時、浦沢と同時に赤塚も担当しており、赤塚自身、物見高く、良い意味でオタク気質に溢れた長崎のキャラクターを大層気に入っていたと見え、他の編集者キャラよりも、その登場頻度は至って高い。
『「大先生」を読む。』は、長らく単行本化されなかったが、連載終了から十二年を経た2001年、光進社から重量感ある装丁により、上製本として書籍化され、広く陽の目を見るようになった。
最晩年の赤塚史を語る上で欠かすことの出来ない、重要な位置付けの一作である。
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