文化遺産としての赤塚不二夫論 今明かされる赤塚ワールドの全貌

赤塚不二夫を文化遺産として遺すべく、赤塚ワールド全般について論及したブログです。主著「赤塚不二夫大先生を読む」ほか多数。

『大日本プータロー一家』『MR.マサシ』赤塚ギャグの新シリーズと90年代のコミック文化の最前線

2021-12-22 00:20:31 | 第8章

また、この頃は往年の人気漫画のリメイク作だけではなく、やはりホームグラウンドである「コミックボンボン」誌上においてだが、新作ギャグ漫画の連載もスタートさせている。

『平成天才バカボン』とのジョイントで発表された『大日本プータロー一家』(90年10月号~91年8月号)、『MR.マサシ』(91年9月号~92年6月号)という二つの作品だ。

『大日本プータロー一家』は、父・プー吉、母・プー子、一人息子のプー太郎、飼い犬のプージョンの三人と一匹の宿無し一家が、「家(イエ)、家(イエ)、オーッ!」の掛け声を揃え、街から街へと渡り歩きながら、様々なバイトや起業に精を出し、デラックスな一軒家建設を目指して、ハッスルしてゆくという、放浪型のファミリー喜劇である。

泥棒のアシスタントであったり、幽霊専門の芸能プロダクションを設立したりと、プータロー一家の就く仕事は、どれも曰く付きの風変わりなものばかりで、そこで繰り広げられる突飛な体験譚とその失敗譚が、大人社会における理不尽極まりない矛盾をテーマとしながら、毎回プー太郎目線によって綴られてゆく……。

最終回は、アメリカの一〇億円宝くじが当たり、その金を元にドーム型のマイホームならぬマイシティを建設するという内容で、そのラストは、シニカルな寓意を込めた逆転劇によって、唐突に締め括られている。

一家総出で金を稼ぎながら、マイホーム購入を夢見るというプロットは、かつて牛次郎の原作を得て描いたハウジング漫画『建師ケン作』の連載開始にあたり、赤塚が牛次郎に提案したアイデアをベースにしたものだ。

だが、牛次郎は、赤塚の発案を無視し、前述の通り、ハウジング対決という、素材選びに何処かチグハグ感を禁じ得ない一種異様な原作を提供する。

そんな心許ない原作に、赤塚自身「完全にやる気を失った」と述懐するだけあって、『建師ケン作』は不完全燃焼のまま、連載終了を余儀なくされる結果となった。

従って、その時の忸怩たる想いが、時を経て、本作を執筆する原動力になったという可能性も充分考えられる。

『大日本プータロー一家』に引き続きスタートしたのが、『MR.マサシ』である。 

『MR.マサシ』は、高齢人口が相対的に増加傾向にある中、労働人口を一〇歳からの若年層が支えてゆく〝こどな法案〟が衆参両院によって可決されるという仮想世界で、主人公・マサシら〝こどな〟達が社会で八面六臂の活躍をしてゆく姿を描きつつ、現在の超高齢社会の歪みを笑いで染め上げた意欲的なシリーズだ。

だが、意欲とは裏腹に、この作品が読者の反響を呼ぶことはなかった。

マサシが就職した会社のビルが、『ガンダム』を彷彿させる巨大ロボットに変形したり、〝こどな〟を認めないジジババ集団によって形成されたウエストサイドさながらの街で、大人バーサス子供の大戦争が勃発したりと、子供の潜在意識に潜む大人への変身願望を、エンターテイメントに特化したアイデアが、此処彼処に散りばめられているものの、それを絵の力でアピールし、新生面を拓いてゆくまでには至らなかったのだ。

赤塚が老境に差し掛かる段階で描かれたこの作品で、気に掛かった点を二、三挙げるとするならば、益々平板化してゆくネームや作劇術に加え、前近代に埋没した古めかしいタッチが、際立って目立つようになった所だ。

新連載でありながらも、進化の系譜が途絶えた、こうしたマイナス的状況を脱し得なければ、本来なら、読者の目を奪うかのような着想さえも、その輝きを減衰させてしまうことは必至である。

時は1990年代。    

様々な若手作家の台頭により、漫画の表顕方法は、無限の増殖を続け、取り分けビジュアル面においては、見せゴマの多用も含め、漫画界全般が更なる技術革新を余儀なくされてゆく。

息を飲むような視覚的効果によって生まれる立体感を重視したエンターテイメントが、大ヒット漫画の主流を占めるようになったのだ。

当時、『ドラゴンボール』や『SLAM DUNK』、『幽☆遊☆白書』、『ジョジョの奇妙な冒険』等を主力連載として擁立していた「週刊少年ジャンプ」が、91年発売の3・4合併号で、全国紙をも追い抜く六〇二万部という、驚異的な発行部数を樹立したニュースは、まさにそうした漫画界のドラスティックな変質を象徴的に示した〝事件〟と言えなくもないだろう。

新た刺激を貪欲に渇望する子供達にとって、ベテラン作家の練達した手際で描かれた新作など、娯楽でもなければ、アートでもない。

この時、赤塚に必要だったのは、ファッション(絵柄)を刷新させることにより、パタナイズされた世界観にダイナミズムを注入してゆく、従来とは別種のイメージ喚起力の創出だった。

 


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