ゆったりと日記を描こう

dorucasuの意味はカモシカです。聖書に出てくる手作りの大好きな女性です。

NPO法人シオンのこと

2012-09-29 23:10:03 | シェア
サフラン・オープンカフェ



今日は姉と弟、私三人でサフランのオープンに行ってきました。
十数年前から精神障害の方たちを助けてきた働き(弟たちの教会)がNPO法人となり
そのオープンのイベントでした。

最初に長年の働きの紹介がされ、この動画はその時謳われた讃美歌です。
わたし達も賛助会員として助けられるとのことです。

暑い中買い物に・・・

2012-09-28 13:55:33 | 日記


暑い中自転車で、買い物に行ってきました。

最初の写真は母校の庭にある、同級生の作ったモニュメントです。
彼は今は関東で日本画家としてやっています。

 われらの美術クラブでは、画家が五人も出ました。
私は自信がなくなってしまい、描くことができなくなりました。
で、その時は一番苦手なクラブの会計係りをやりました。

行きかえりに写真を写し、さァムービーメーカーをと思いましたが、音楽の入れ方を忘れてしまいました。BGMを入れずに作りました。
やはり絶えずやらなくては忘れますね。


追記:  BGM を入れられました。ウンウン やりました!

竹島の問題について
興味のある方はお聞きください。

猫ちゃんたちは・・・

2012-09-28 09:45:12 | 日記


この頃は私の部屋で二匹の猫ちゃんは、仲良くねんねします。

 エステルは洋裁の押入れで、自分の寝床だと思っているようです。



娘のジェリーはソフアで・・私の場所を取ってしまいました。
朝になると、私の寝床へ来てゆっくりと寝ています。
娘の代わりを見つけたようですね。

 夫もようやく慣れて、自然に猫を受け入れたようです。
たまに怒鳴っていますが・・猫たちが私の代わりになってくれたようで・・・良かった!!

今日は猫たちの状況の紹介でした。

さァ  衣替え・・

2012-09-27 08:13:25 | 日記


いっぺんに秋が来ました。
さぁ、何を着ましょう・・・
今日の午前中は衣替えをいたしましよう。

 長い間に作り・・でも、もう着ていないものは処分しようと思います。
古布は何度も着ると裂けてくるのです。
「着ないのに置いておいてもな~」と・・・

で、まず夏物を思い切りましょう!

長じゅばんのワンピース(グレー)は今年の夏では普段着にしてスーパーに行くときに着ました。肌を隠し涼しいのがとても良かったです。
フレンチは浴衣生地以外はみな処分となるでしょう。

 私はとても雑な仕事をしていました。
これからはゆっくりと丁寧に作ろうと思います。
何枚も要らないのですから・・・

人生の困難は糧になる

2012-09-24 10:26:43 | 日記

今年のドライフラワーが完成いたしました。

図書館に行き「ゆうゆう」を借りてきて読んだ。
そこには”元気になれる 生き方の処方箋”の特集記事があり・・

 何人かのシニア女性が紹介されている。
ノンフィクション作家の沖藤典子さんの記事に惹かれました。

夫婦や家族、人間関係は年を経るごとに変化します。
あれほど怒りと葛藤のもとだった夫との関係も平和になりました


夫とは旅行友達になりました。老いは夫婦を近づけてくれるんです。
60代夫婦は諦め、70代夫婦は感謝、そうすると80代夫婦は、
望むらくは”助け合い”でしょうか。       (ゆうゆう6月号より) 

彼女は一度は離婚して復縁しています。離婚しても夫は家を出て行かなくて・・「もう仕方ないと思ったんですね。夫に憐みのようなものも感じていたかもしれません。それで復縁しました。書類上の問題だけですから」と書かれています。
そして言います。「人生の伴侶になれなくとも、生活の伴侶に・・」と

これを読んで、私は自分のことを思いました60前に家を出ましたが、夫の病気で帰りました。
離婚しようとは思いませんでした。大きな家も子供たちのこともあり「何で離婚したいものか・・彼がしたいなら慰謝料を取ってやるぞ」と思っていたからです。(笑)
彼女の記事にすべて「そうだ、そうだ」と思いました

「・・・人生の納得を得るために私は、映画や芝居を観たり、本を読んだり、したいことは自分で行動して達成感を得る。気の合う仲間、友人と付き合う。それらを人生の伴侶として、今までもやってきたし、これからもやろうと思っています」


なんだか知らぬ間に私もそうしていました。でも心の底では「これでいいのだろうか。私は冷たいのでは・・・」と思っていましたが、「それが私かも・・」とも思うようになりました。

   

畑の草取り・・できました

2012-09-21 10:54:41 | 日記


千日紅の絵が仕上がりました。
今回は満足しました・・・
先生が云います「なんだか、井戸端会議をしているようだ・・」と(笑い)


   

昨日は、シルバーさんに来てもらい畑の草取りをしてもらいました。
 畑の半分だけ草取りをしてもらいました。イチジクもスッキリして・・まだ取れる事でしょう。ウレシイ!!

この開けた場所に、グロッコリー、大根などを植えましょう・・・
今年は夏が長いので、少し遅いけれど大丈夫でしょう。
菜っ葉として食すだけでもいいかな?


     

残ったのはピーマン、ネギだけです。今年はミニトマト、ブロッコリー、カボチャなどが摂れました。

Oさんの介護生活

2012-09-18 14:23:31 | 介護について


絵画教室の仲間のOさんの家に行ってきました。
彼女は四年八か月の間、ご主人の介護をなさいましたが、一週間前に亡くされたのです。

 しばらくの間、彼女の介護の話を仲間三人で聞きました。
ご主人は脳腫瘍のため手術をし、そのあと介護をなさいましたが、される人はとてもユーモアの分かる方で、Оさんは「とても介護は楽でした・・」と言われます。

動けなくとも口は聞けたし楽しく生活できたといいます。

私は彼女の話を聞きながら『アア、彼女は自分を持っておられるから・・・』と思いました。
日本画を習いに来ており、又退職してから人形作りを十数年しておられます。

教職をしておられましたが、ちなみにご主人も同じ職でした。
とても落ち着いた方で、絵の方もとても優しい絵です・・・
そして、家の中を見せて貰いました。介護用の部屋は姑さんの部屋として作られたそうです。

  

・・

そして、90坪の家の部屋はみな南向きだといいます。夏は涼しく冬は暖かいとか・・・
この部屋割りは彼女が考えたそうです。
とても田舎の地区で彼女は加賀からお嫁に来たのですが、あまり嫌がっておられません。

次は、彼女の作った人形です。

  

もっと沢山写したのですが、携帯のためボケましたのでUPできません。
又、遊びに行くと約束しましたのでその時にはデジカメで写しますね。




司馬遼太郎の本

2012-09-15 00:02:21 | 日記


私は40代のころに司馬遼太郎さんのエッセイにハマリ・・手に入れられる限りの著書を読んだ。

 私も当時日本の社会に絶望しており、でも希望を見出したかった。
司馬さんの書く言葉が励ましになっていたのかも知れない。

 この動画は「知ってるつもり」で取り上げられた司馬遼太郎である。
1~5まであり全部見ました。とても分かりやすく紹介してあり、ウンウンと頷いてしまいます。

「街道をゆく」「21世紀の君たちへ」など、司馬さんの本が本棚を飾っています。

3.11のことに出会っていたら、司馬さんはどう言っていたでしょか。

昭和の戦争の時代さえ書けなかった方です。「日本はどうなってしまうのか」と又言われるのでしょうか。でも、やはり子供たちに希望を持つのでしょうね。



次は千日紅を描きましょう

2012-09-14 00:31:33 | アート


次は千日紅を描きます。
まず写生して・・・  右横にあるのが作品です.なんだか同じですね~
この作品は色紙ですから、バックがなくとても楽です。たまには楽なのをして楽しみますね。



 このYoutubeはmomiさんの所のコメントの方の紹介で・・あまりにも面白かったのでシェアさせてもらいます。

どうにかなるもんだ!!

2012-09-13 03:09:27 | 介護について



なんだか眠れなくて更新しています。
ムービーメーカーで動画を作りました。
昨日はケアマネさんが来られてこれからの話をしました。

 夫は嘘のように元気になりました。きっと介護1になるのではという事でした。
私は人生の中で色々なことに出会いました。ある意味大変なことばかりでしたが・・・その中で守られ、イヤなことのあとで感謝なことが来たのです。

ですから、夫が動けなくなっても「きっとどうにかなるだろう」と思ってきたのです。

眠れないので、本を読みました。「賛美の力」という本です。
”すべてのことを感謝していったら愛の神は良くして下さる”という趣旨のことが書かれてあります。1970年代に出たアメリカの牧師が著者です。

アア 昔からこのことをしてきたな~と思います。

子供たちが難病になり、治らない病だと知った時・・・舅、姑が続いて寝たきりになった時・・・「信じよう!!」と泣きながら決断したものです。
今は夫が病となってもあまり大変だと思えません。以前と比べれば楽だとしか思えないのです。自分自身も弱くなりましたから、ケンカもしませんしね~(笑)

自転車で買い物に

2012-09-11 10:42:36 | 日記


  
 拡大して見て下さい

久しぶりに自転車で買い物に行ってきました。
20分ぐらいかかるスーパーへ、ついでにDVDも借りてきます。

 毎日の介護、大したことはしていないのに、心がクラークなるので・・
目が弱くなり本も読めなくなった私はDVD,動画などで楽しんでいます。
ボランティアは病院行とが重なって、今は休んでいます。

たまに行っていた本部教会も行けません。
こうなるのですね。でも、無い物ねだりはいたしません。

この広ーい空を見ると気持ちが良くなります。
そして若かりし頃を思い出します。

少し高い道から家を向かうときいつも逃げ出したかったな~
町から家からです。でも今では私はこの町の住人になっています。
良いも悪いも受け入れているのです。

二十歳の時の私は本の世界で夢を見ていただけの子供だったのです。
理想の世界しか認めませんでした。
夫も親たちも弱ったことでしょう!!

 これからも知らない境遇を体験することだろうと思います。
昼から、姉のご主人のお見舞いに行ってきます。

総括 part2

2012-09-09 08:26:43 | 日記
ブロ友さんの記事を読んで「夫婦の会話」について私も考えてみた。

この頃、夫は暴力をふるえなくなったこともあり・・
私はなんでも話せるようになった。
すると彼はなんでもないことでも怒鳴るようになり、私はその声を聞くととても心臓がひどくなる。
「アア、彼とはやはり仲良くできないのかも・・・」と思ってしまう。
彼は決して悪い人ではないが・・コミニケーションに問題があるのかも知れない。

 小さいころ(一歳十か月)に実母が家を出ていき、次に来た人。
はひどく怒鳴る人だったという。叔母である人から聞いたのだがよく苛められていたとも
 彼のトラウマがこういう話し方しかできないのかも知れない。
そして言葉が出ないと暴力に訴えるという・・・

 私は何しろ脳天気なため、すぐそのことを忘れてお喋りをしてしまい、彼のイヤなところを引き出してしまうのか?  私は何でもう少し賢くなれないのか、???と思う。
『可愛そうに・・』と思い普通に接すると十回に一度は彼を怒らせてしまうのである。

 私の姉に相談すると「○○さんは、甘えた子供のように、思うままにふるまい自分で制御できないのでは・・」という。「たまにはビシッと言ったらいいのでは」とも

アア、そうだ、前に二回ほどそうしたとき、彼は黙りこみ何もできなかったな~

 今は病気となり、なおのこと彼は苛立っている。私は優しく、厳しい母親代わりとなればよいのかも知れない。
何処かで『私は男の人を立てない、悪い妻だ・・』と思ってきた。
が、歳となり、老老介護になったのだから考えを変えなければいけないのではと思うのである。

 以上、夫婦生活の総括、part2でした。
どうぞ皆さんの考えもお聞かせくださいね。


追記:書いてみて、自分のことをまるで善人のように描いていることに気づきました。

 彼が怒鳴ると、私は間髪を入れずにグーの音も出ない言葉で言い返します。これがいけないのです・・知ってはいても止められないのです!!あきませんな~(突然関西弁!!)