ドンマックのつらつら日記

離職してからの毎日の生活や愛犬モコ助のことを気楽につらつらと書き綴ってみようと思うオジサンなのであります。

社会人1日目の呆然、青年Aの場合

2022-04-03 23:52:00 | 思い出


 春の音連れと共に街中でピカピカのスーツを着た若者たちが目に付くようになりました。
 このコロナ禍を無事卒業して社会人になった新人さんたちなんだろうな。
 自分にもこういう時があったなあと思いだすと、あの社会人1日目の大変な思い出が蘇ります。

 もう40年以上前の事、なんとか就職できたオジサンは他の新人と共に鹿児島市のいわゆる本社で一堂に会し、ありがたいトップの御言葉を頂いた後にそれぞれが「どこどこ勤務を命ずる」という大事な辞令なるものを頂戴して、そのまま初任地に向かう事になりました。
 現地に着任するなり午後からは偉い人に連れられて各部署で辞令を見せながら挨拶回りをしなければならないわけです。

 丈夫で大きな手提げ袋に大事な辞令を入れて駅へと向かいました。
 まだ車なんて持っていなかったので、JR(当時の国鉄)で職場に向かったわけであります。
 思ったより早く着きそうだし、向こうの駅に着いたらゆっくり昼ご飯でも食べようかなんて呑気な事を考えながら車窓から田舎を走る景色を眺めていたら、なんだか緊張がほぐれてウトウトしちゃたんですね。

 そして、目的の駅に着いた時のアナウンスでハッとしてホームに飛び降りた青年A。
「はあ、良かったあ、寝過ごしたら次の駅はずっと先だったよ、へへ・・」と笑いながらも「ヘヘ・・」の途中で一瞬にして青ざめた。

 そうです、皆さん、お察しの通り
「ない、ない、無いよ・・俺の辞令!」
 両手を代わる代わる何回も見たところで無い物は無いのである。
 ふと我に返り、「あ、網棚・・だ!」
 列車の席に着くなり、落とさないようにと網棚の上に乗せたのを思い出したのでありました。
 私の大事な辞令を乗せたまま、だんだん小さくなっていくオレンジ色のディーゼルカーを見つめて呆然とホームに立ち尽くす青年A。

 トボトボと改札口に進み、駅員さんに「すみませ~ん、今の列車に忘れ物をしたんですが・・」
 この時、たぶん泣きそうな顔で訴えていたと思います。
 駅員さんは落ち着いた様子で何やらちょっと機械の表示板を確認して、「今の列車は次の栗野駅でしばらく止まって、その後に折り返し運転だね。」
「帰ってくるんですか?」
「うん、でも夕方の5時過ぎになるよ。」
「え~・・」とうなだれる哀れな青年Aを見て、「向こうに連絡して駅に置いといてもらうからすぐタクシーで走りなさいよ。」と。

 うなだれたままお礼を言うと止まっていたタクシーに乗り込み、事情を説明すると勢いよく飛ばしてくれました。
 何しろ現在11時過ぎ、あっちの駅までタクシーで飛ばしても片道40分くらいなので挨拶まわりが始まる午後1時まではギリギリなのであります。
 駅に着くとちゃんと駅員さんが保管してくれており、ニッコリ笑いながら手渡してくれました。
 そして直ぐに引き返して私の職場まで急いでくれた運転手さん、本当はもっとしたと思うのですが「5,000円で良いよ」と言ってくれました。

 昼食は無しでしたが、なんとか時間前に職場にたどり着き、何事も無かったように挨拶まわりも終わり、どっと疲れた社会人1日目の夜。
 寮の小さな部屋の裸電球を消しながら、「タクシー代で減った分の生活費をどうやって給料日までもたせるかなあ?」と新たに心配を始める青年Aでありました。

クリスマスの夜に・・

2021-12-25 23:50:33 | 思い出


 メリークリスマス・・
 と言っても子供たちが皆家を出て行きそれぞれが家庭をもってしまうと、残された二人のオジサンとオバサンの家にはクリスマスもなかなか向こうからはやってこない。

 という訳で昨日はこちらから迎えに行こうと思い、自転車でキコキコとスーパーに向かいました。
 ズラッと並んでいた惣菜と小さなショートケーキ、梅酒やビールを買って帰り、いそいそとテーブルに並べて奥さまの帰りを待ちます。
 二人でささやかに乾杯をして祝うクリスマスイブでした。



 今日も今日とて我が奥さまは職場の同僚女性とランチ会があるとかで、家で一人と一匹でお留守番をするというクリスマスです。
 仕事を辞めて一人で家にいると、こういうシーズンは何か一人だけ無人島に流されてしまったような感じを覚えることがありますね。シクシク・・

 子どもたちが小さかった頃は毎年クリスマスが近づくとサンタさんへのお手紙を冷蔵庫に貼って、24日が来るのを指折り数えていました。
 「言うことをきかないとサンタさんは来てくれないよ」というだけで、期間限定で良い子になっていたあの頃。
 サンタさん代理としてはこっそり手紙を開いてみて、結構な予算オーバーだった場合は、「あのね、サンタさんは世界中の子供にプレゼントをあげないといけないからあまり高いものは買えないそうだよ。」とか耳打ちして交渉したり・・。
 イブの日は妻も腕まくりをして手料理を頑張ったり、小さなツリーを押入れから出してみんなで飾ったり、賑やかな一日でしたね。

 サンタさんのプレゼントも最初は枕元に置いていましたが、それでは面白くないので年を追うごとにベランダだったり、タンスの引き出しの奥だったりとだんだんレベルアップして、見つけた瞬間をビデオで撮ったりなんかしてました。
 仕舞いには誰ひとり見つけられなくて「今年はサンタさんが来なかったあ・・」と大泣きする子供たちを隣の部屋からニヤニヤしながら撮影するサンタさん代理とそれをたしなめる妻。
 でもうちのサンタさん代理はかなり優秀だったようで、子供たちが中学生になってもサンタさんを信じており、友達にからかわれて初めて衝撃の真実を知ったという可愛そうな事件もありました。

 まあ、それはそれで各家庭でいろんな思い出があるであろうクリスマス。
 何年たってもこのイベントだけは良い思い出として受け継がれて行くのでしょうね。 




ゴールデンレトリバー

2021-12-15 21:56:46 | 思い出


 先日、息子No.2一家が久々に泊まりでやってきました。
 孫のそー君とひなちゃんはアニメを見たり、部屋中を元気に走り回っていましたが、それに飽きてしまうと残念ながら家の周りに喜ぶような遊び場所がない。
 結局は昼下がりに皆で連れ立って近所の散歩に出かけて川の魚を見たり特急電車に手を振ったりして過ごしました。

 住宅街の路地角を曲がったところで、突然「ワウ、ワウ、ワウ!」と大型犬が金網越しに吠えかかってきました。
 皆びっくりして立ちすくみ、ひなちゃんは泣き出して転びそうになる・・

 なんと犬界の中で最も優しくて大人しいと言われているゴールデンレトリバーでした。
 前にも同じように鎖に繋がれて吠えてばかりいる犬を見ましたが、このゴールデンも庭先に置かれた小さな鉄格子の中で昼夜を問わず、ずっと番犬代わりに飼われているようで相当なストレスが溜まっているのでしょう。

 うちでモコ助の前に飼っていたゴールデンのマックはそれはそれは優しすぎるくらいの犬で近所の猫に威嚇されても逃げ回っていたくらいです。
 マックと兄弟のように育った息子もひなちゃんを抱き上げながら「へぇ?ゴールデンもこんな怖いのがいるんだね」とつぶやきました。

 結局は生きとし生けるもの どんな風に生まれてきたとしても、それぞれが育った環境により良くも悪くも変化していくのだなあ・・。

 わが身を振り返ると子供たちに対して親という立場から自分のやり方や考えを押し付けてしまったことで、いろいろな可能性のある芽を摘んでしまっていたのかも知れません。
 もう今となっては後悔しか残りませんが・・

あの頃確かに家族だったマック・・






身動きできない洞窟の先に・・

2021-08-23 00:41:13 | 思い出
 うちのモコ助は退屈すると私が座っている椅子をガジガジして「遊んでアピール」をしてくるのですが、60を過ぎたオジサンではなかなか要求にお応えすることもできずについつい放置しがちです。
 そうすると奴はソファの上でしばらく恨めしそうに私を見ていますが、ついにあきらめるとおもむろにソファの下の狭い隙間に太り気味の体を一生懸命ズリズリしながら潜っていき、そのまま動かなくなります。

 ふて寝なのか、あるいはただ落ち着くだけなのかは分かりませんが、簡単に身動きできないこんな隙間に挟まっている姿を見ているとあの日の思い出が蘇ります。

 あれは小学生の夏休みが終わろうかという頃。
 近所の山には戦争中の防空壕がまだ埋められることなく残っていました。

 当時は面白い遊びもそれほどなく、ガキ大将の呼びかけで肝試しの洞穴探検をすることになりました。
 懐中電灯やらスコップやらを持ち、補欠に自転車のライトで入口を照らさせながら恐る恐る入っていきます。

 穴は中でいくつかに分かれており、恐らく何処かで間違ったのか穴はだんだん狭く小さくなり、ついには子供でも這って進むのがやっとの状態になりました。
 体の向きも変えられないほどなのでもうこうなったら後戻りはできそうもなく、天井にはゲジゲジがガサガサと這いまわっており、今思えばインディジョーンズに出てくる一場面みたいな感じでしたね。
 とにかく後で泣き虫とは言われたくないので、ひたすら前の子の足を見ながら這っていくしかありませんでした。

 鹿児島のシラス台地に掘られた古い洞穴なんていつ崩れてもおかしくないはずで、本当に危険なことをやってたんだなと今思うとゾッとします。
 その先がどうなっているのか分からないのに前に進むしかないわけですから・・

 ここで短い人生が終わるかも・・?と思い始めた頃に突然、視界が開けて3畳間くらいの空間に出ました。
 そこには人が暮らしていたような痕跡もあり、直ぐ先には大きな穴が開いておりその下を清水が流れていたのです。

 帰りは腰まで浸かって川沿いを伝い帰ることができました。
 恐らくは住んでいた人もこの川の方から出入りしていたのだと思います。

 今の子供たちには決してさせられないけれど、昔は結構、親に内緒で命がけの冒険をしながらいろんな経験を積んでいったのだなと思います。
 もし、その経験が良い感じで影響していれば少しは偉くなれたんだろうになあと思うオジサンでした。








生かされているという思い

2021-06-29 22:29:14 | 思い出

 自分が療養中のこともあり、他の方のブログを拝見しながらもついつい闘病記に目が留まります。
 皆さん、私なんかよりずっと深刻な状況でありながら冷静に自分を見つめて、しっかり病と対峙しようという姿勢にはいつも頭が下がります。

 いくら10年先、20年先の自分を心配しながら暮らしても、最終的には誰だって死亡率100%ですもの。
 もういつまで生きるかより、どう生きたかに緩やかにギアを切り替えていくべき年齢なのでしょう。

 60年も生きているとこれまで、特に何も考えず元気に野山を駆け回っていた子供時代は、今思えば「死んでいたかも」と思うようなことがいろいろありました。

 ひとつは完全に溺れたこと、しかも2回も。
 1回目は5,6歳?の頃に家族で海水浴に行った時の事。
 昔の田舎の海水浴場で泳いでいる人はまばらで、当然、監視員なんかいない時代でした。
 水着に着替えて兄たちの後を一目散に海まで追いかけたのは良いのですが、突然ズボッと深みにはまり全身が水中に沈みました。 
 手足をバタつかせると一瞬だけ顔が水面に出たので声を出そうと口を開けるとその瞬間にまたブクブクと沈んでいくことの繰り返し。
 恐らく先に海に入った兄たちは気づかずに遊んでいたと思います。

 そうこうしているうち徐々に気が遠くなるような感じになり、海中の音の無い世界から見える青い空と黄色い太陽の光が波間にゆらゆらと揺れている光景が何だか綺麗に見えて、子供心に「あぁ、これで死んじゃうのかなあ・・」と思いながら沈んでいったのを覚えています。

 その時に脇の下を急に強い力で掴まれて、そのままザバーンと勢いよく水面まで抱え上げられました。
 全く知らない真っ黒に日焼けしたお兄さんが遠くから泳いできて引き上げてくれたようです。

 波打ち際の流木の上に座り込んでがぶ飲みした海水を吐いていると両親が血相を変えて走って来るのが見えて、安心すると同時に急に怖くなり泣き出してしまいました。

 2回目は小学生になったばかりの時に近くの川で・・。
 鉄橋の柱の上で友達とふざけている時に後から突き飛ばされて2m下の濁った川の中にダイブ。
 柱周りは水の流れでえぐられてかなり深くなっており、この時もたまたま近くで釣りをしていたお兄さんがいたので命拾いしました。

 今までも両親、良き妻や子供たち、一緒に仕事をしてきた仲間たちに恵まれて有難い人生でしたが、これからも生かされていることに感謝しながらなるべく朗らかに、そして少しでも恩返ししながら生きていければいいなあと思うオジサンです。