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NPO法人「ドネーションシップわかちあい」事務局ブログです

背負って歩いてる荷物を降ろせる場所を

2011-06-10 09:03:33 | 会員日記
※会員ページより、日記を転載させてもらいます。
二人のお子さん(兄TEくん,弟TAくん)のお母さんです。


◆思うこと

先日、TEたち特別支援教室に在籍する小中学校の連合体育会があった。
中学になるとさすがに見に来ている父兄は少ない。
私を含め5人だった。
TAも中2。
高校進学の話になった。
と言っても学力は小学生の3~4年程度なのだから
特別支援校の高等部にほとんどが進学する。
「高校ぐらいは出ていないと。」とよく耳にする言葉が聞こえる。

それぞれ子供は2~3人で兄弟の中で障害を持つ子はこの子たち。
うちは上も外してる子だけど、
他の兄弟たちは勉強がよく出来る子ばかりでびっくりした。
「ここで話を(このメンバーで)してるとほっとする。」
と言っていた。
子供の障害を受け入れていくことから、今までの葛藤など、
辿ってきた道はみんな同じなんだと思う。

TAは小学4年生の時にADHDと診断された。
注意欠陥多動性障害。
ショックだった。
それまでの子育ては本当に大変だった。
診断名がつき「そうだったのか。」と納得もした。
この障害を理解しようといろんな本も読んだ。
地元の専門医にかかった。
そこで親の会らしきものがあって、
でもそれは多分医者の研究材料でしかなかったと思う。
こちらの気持ちに寄り添うなんて気持ちは微塵も感じられなかった。

私はそこで出会ったお母さんたち一人一人に
「時々皆で会っていろんな話しをしませんか?」と声をかけた。
一人で悩まず皆で支えあいたいと思った。
何度かランチをしただけで終わってしまった。
日記にしたら本音でいいたい事を書きあえるんじゃないか?
と日記の交換もしてみた。
でも長くは続かなかった。

そのうち専門医に行くのをやめた。
医者の言動は常に自分の名誉や利益ばかりを求めていたから。

大学病院に変わった。
ここの医者は私は好きだった。
一人で悩み背負っている人達と交流の場を持ちたい、と相談すると
「待ってました。」といろいろ協力もしてくれた。
待合室にポスターも貼り出してくれたり。
でも、なんの反応もなく終わった。

そして私は、TEの診断名でTE自身から逃げていたことに気が付いた。
どうであろうと、TEはTE。
障害があろうが無かろうが、子育てのあり方は健常者と同じだ。
といった気持ちに変わっていた。

TAが生まれ、TAの言葉があまりにも遅い。
難聴と診断された。
小学校の特別支援教室に在籍。
私はもっと父兄同士のコミュニケーションをとりたいと思った。
担任と父兄の繋がりももっと深くしながら
皆で子供を育てられたらいいのに、と。
学級通信を書かせてほしいと担任に頼んだ。

1度目は校長から「だめ」と言われた。
意味が分からなかった。
校長が変わって、もう1度頼んでみたら
「OK」が出て年に4回のペースで書かせてもらった。
それと、時々学校の図書室を借りて担任との懇親会も開いた。
会費制にして珈琲、紅茶、クッキーなんか用意して。
それも、TAが小学校を卒業して終わった。
私にも「継続する!」といった強い気持ちが足りなかった。

本当はみんな、ほっとする場所、癒される場所を求めているんだと思う。
時々頑張って背負って歩いてる荷物を降ろせる場所を探してるんだと思う。
私もう1度やってみようと思ってる。
そんな場所を提供できるように。


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ドネーションシップより
◆お知らせとお誘い◆

~フィリピンの小さな診療所から~
 冨田江里子さん<お話会>

日 時:2011年7月10日(日)
  午後2時より(1時半開場)~4時半
場 所:京都・呉竹文化センター 
http://www.kyoto-ongeibun.jp/kuretake/map.php
(京阪本線、近鉄電車「丹波橋」駅、下車すぐ前)

詳しくはこちらを↓↓ご覧下さい
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