「困った時はお互い様」    

NPO法人「ドネーションシップわかちあい」事務局ブログです

ひまわり感謝祭2016 ~助けてと言える社会へ~

2016-12-27 09:39:04 | ひまわりプロジェクト
※福島ひまわりプロジェクト↓
http://himawariproject.com/whats.html
今年もドネで応援してきました。
ひまわり感謝祭2016に参加した仲間からの報告です
Nさんまとめありがとうございます


◆ひまわり感謝祭
12月10日(土)、NPO法人シャローム主催「第6回ひまわり感謝祭」「第20回共に生きる仲間たちのコンサート」に行ってきました。福島駅東横にあるビルの4階A・O・Z(アオウゼ)にて。この階のフロアー全面での催しで広々していました。
ドネの「わかちあい祭り」が人通りのあるところでのとは違って、参加者はこの催しがあると知ってくる人たちで、催しの関係者や関心のある方、心を寄せている方が来られているようでした。

・奥田知志氏(NPO法人抱撲理事長)の基調講演(10時~12時)
 「いのちと向き合い生きるー『助けて』と言える社会へ」、
・共に生きる仲間たちのコンサート(13時~15時)
・NPO法人のパネル展示と交流スペース
・NPO・市民団体の展示と販売(東の似顔絵コーナーもここ)
・ひまわりプロジェクト協力団体活動報告展示
 (さきさん作成のドネの活動パネルもここに展示されてました。)
・子どもひまわり大使再会プログラム
(夏に京都で会った子どもたちも来てました、元気そうでした)
・シャロームの災害支援センター活動展示
・飯館村の今を考えるプログラム、

等々様々な本当に内容の深い多くの催しがありました。
似顔絵で参加した東は、会場全体のお客さんの出足がゆっくりだったこともありますが、ひまわり大使の子ども達4人、大人の方6人、を描き、いただいた代金をシャロームさんにカンパすることができました。

私は午前中に奥田氏の基調講演を聞き、午後は会場の展示や販売、催しを見ました。
広いフロアーで、複数の催しが同時間に各場所であって、内容が分かってなかったこともあり、全部見ようとして、結局うろうろしただけでじっくり落ち着いてみることができなかったのが残念でした。落ち着いて少しでいいからゆっくり見たほうが良かったなと思いました(反省)。

会場には障害のある方もない方も来られていて、世の中に障害のある人とない人とがいるということを意識しなくていい、ともに生きているというどこか和やかなあたたかい空気の中にいるようでした。楽しかったです。

10時~16時というのはあっという間に過ぎてしまって、
スタッフやボランティアの方々が鮮やかに片づけをされてました。
前日の9日に福島に行ったのですが、会の準備でお忙しい時に駅に迎えに来ていただいたり、近くのお店での食事会・反省会にも招待していただき良い親睦の機会にもなりました、理事(スタッフ)の方々に本当にあたたかく迎えていただきました。感謝です。

やっぱり今の福島の抱える原発問題の現状は日本の社会の縮図でもあると思いました。
ひまわり感謝祭はひまわりプロジェクトを広げていき、交流を広げていく催しと思いました。ここからわかちあい助け合いの輪が広がっていくこと、それがひまわりプロジェクトの目指しているものと肌で感じる機会になったと思います。


◆基調講演◆
ひまわり感謝祭での奥田知志氏の基調講演の報告(2016,12,10)
(配られたレジメと私のメモと記憶からなので不十分とは思いますが、聞けてとてもよかったので少しでもご紹介できたらと思います。)

~いのちと向き合い生きる 「助けて」と言える社会へ~

1、はじめに、相模原の事件が意味すること。
・2016年7月26日相模原事件(やまゆり園)、奥田さんは「いつかこういうことが起きると思っていた(1982年の事件から)」はっきりと訳・動機が分かるのが恐ろしい。犯人は「日本と世界の経済のために生きる意味のない命は殺す」と書いている。
(「生きるに値しないいのち」とは、ナチスT4作戦の言葉、障碍者のこと、優生思想)

・1982年横浜「浮浪者」殺人事件。(奥田さん18歳の時の衝撃、いったいこれからこの国はどうなっていくのだろう、と)。
加害者の少年たちは「横浜の地下街がきたないのは浮浪者がいるせいだ。俺たちは始末し、街の美化運動に協力してやったんだ、掃除してやったんだ。乞食なんて生きていたってしょうがないでしょ。乞食の見方をされるなんて考えもしなかった。なぜこんなに騒ぐんです?乞食が減って喜んでいるのに」(大人がしたくてできないことを代わりにやった。褒められてもいいことをした)と言った。

・どちらの事件も、犯人は確信犯(自分のやっていることが社会的にも道徳的にも意味があると思ってやっている)です。動機がはっきりしています。
・私たちは生産性の価値の呪縛の中で生きている
加害者の少年たちはそういう面で被害者と言える。学校で落ちこぼれていても街の美化をしたのだから誉めてもらえる、と。

・1980年代 バブル、国鉄→JR、派遣法の登場、
 1990年代 グローバル化、市場原理主義
本来は経済は人を幸福にするもの、今はお金の問題になっている。経済至上主義における生産性の価値は金儲けになっている。そこでは「価値のある出会い」と「価値のない出会い」が存在する。

・やまゆり園事件では被害者の名前が報道されなかった。障害者というくくりで個人が特定されない、属性(そのものがもっている性質)でみられる。
実際には個人しかいない。障害者ではなく、○○さん、と言う個人の物語に戻すことが大事。ホームレス支援ではなく、○○さん支援。そうでないと殺された人が重度障害者としてくくられた枠組みでしか語られない。

・2004年、北九州にホームレス支援施設をつくるときに、住民反対運動があった。
反対陳情署名には「高価な地所に生産性の低い施設をつくるな、生産性の低い施設は人のいない場所に作れ」と言う内容があった。HPには「生産性のない人間が迫害を受けたり差別されるのは当然のことだ」という書き込みがあった。
ホームレスは歓迎されない→ホームレス支援施設は歓迎されない。
ホームレスは税金を食うだけと思われている。
そのホームレス支援施設では、12年間で、今1000人以上が自立している。6か月の自立支援プログラムで92%の自立達成率。これが生産性が低いと言えますか?(そうじゃないでしょう)と。

・目に見えてホームレスが減っていった→スタッフがホームレスを選別するようになった→良いホームレスと悪いホームレスと言う意識ができた→生産性の意識。
それで「人はいつか変わる」というテーマでしてきたことを、「人は変わらなくてもそれでも生きる」というテーマに変わった。

・どんな関係であったとしても人と人との出会いは別れの時「ありがとう」「また会おう」と言える関係。
・千代さんの例。施設の入所者もスタッフも千代さんに騙されお金を取られたりしていた。それでも千代さんが亡くなった別れの会で多くの人が涙を流しそう言っていた。「出会い」に意味がある。

2、はじめに―人間とは何か
・「神様はどうでもいい生命をお作りになられるほどお暇ではない。」(今年の抱幞の標語)
今私たちは言い切らないといけない「命に意味がある」と。そうしないと社会は分断される。
人を大切にする=人であることを大切にする。どんな人でも。

・ホームレス状態になると人間性が剥ぎ落されていく。(路上で立ちションや生活をせざるおえない状況)
あるホームレスの言葉、神を信じていないその人が毎日お祈りすると言う、「明日の朝、目が覚めませんように」「ああ、今日もまた生きてしまった」と。

・新学期が来るのが怖い、子どもたちの自殺のニュースが来るから。9月1日が突出して多い。
なぜ、子どもたちは「助けて」と言えないのか?
大人たちが子どもたちにそう思わせている。親に迷惑をかけられない。助けてと言うと怒られる。
大人が助けてと言わないから、子どもたちは立派な大人は助けてと言ってはいけないと思っているのかもしれない。「自己責任だろ、なぜ頑張らないの、助けてと言ったら負け」

・助けてと言えない社会は非人間的。子どもがある日突然死んでいく社会。
・子供の支援。子どもの貧困=世帯の貧困。世帯への支援。

≪人間とは何か≫
・サルが進化して人間になった(進化論)
・サルと人間の違いは(人間は二足歩行することで頭が大きくなり産道が複雑になったことで)できてきた。
 サル:赤ちゃんを一人で産める。赤ちゃんは笑わない。
 人間:赤ちゃんを一人では産めない、助けが要る、難産。赤ちゃんは笑う、人の助けが要るから。
・人間は出産の時も赤ちゃんの時も一人では生きられない、人の助けが要る。自己責任はとれない。
・サルは自己責任をとれる。
・1990年代から一人でやる、自己責任の風潮。=サル化している。
・依存=自立⇔孤立
 一人でいることができる人は人と居れる。一人でいることができない人は人と居れない。

≪天地創造における人間≫(奥田氏は牧師さんです)
・「また主なる神は言われた、『人が一人でいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう』」
・神は1週間かかってすべてをつくられ、最後に人間をつくられた。なぜ最後に人間をつくられたか、人間はすべてがそろっていないと生きられないから。(キリスト教文明は、勘違いしている、自然破壊してきた。)

5、ハウスレス(経済的困窮)とホームレス(家族が無い、社会的孤立、関係的困窮)、両方重なっている。
無縁死亡者3万人(6年前)
畳の上で死にたい→誰が看取ってくれるのか。
路上でポツンと一人いる、アパートの部屋でポツンと一人いる、どちらもホームレス
夜中にホームレスを襲うある中学生は居る場所のないホームレス(誰からも心配されない、居場所がない、家に住んでいるがホームレス状態)
人と人との出会い、この人に誰が必要か
きずな(本当の人と人との出会いは「きず」をふくむ)
ホームレスが進行している。福島では震災後に離婚・世帯分離が急増。

・「人は何のために働くのか?」
「幸せってなんですか?」もっと前から考えていくこと。危機的状況に来ている。


※レジメは10ページ、1~8番まであったのですが、内容が多くて時間切れのとこもありました。
18歳の時から(今53歳)考え悩み行動されてこられたであろう、2時間では語りきれない多くの様々なことの上にあると思いました。ご子息がいじめにあっていたこと、ご自身の親の介護のことも話されてました。
ホームレス支援施設に反対運動した人たちの反対理由は人の優劣はあるというもので、今の社会の問題が顕著に表れていると、本気でそう思っている人もまた生産性の価値の呪縛の中に、負の連鎖の中にあると思いました。

「乞食」「浮浪者」「野宿者」「ホームレス」、時代とともに呼び方は変わっても属性で見られている限り変わらない、一人の名前を持つ個人としては見てもらえない。老人、学生、会社員、病人、若者、ホームレス、障碍者、主婦、主夫、日本人、・・・・・、様々なくくり方があるけど、どんな人にもその人各々の物語がある、それぞれが個人として尊重されることの大切さを思いました。(現行の日本国憲法では「個人」を尊重している)。

帰ったら家があって、安心して暮らせる居場所がある、なんて幸せなことかと思いました。
誰も皆多かれ少なかれ不十分な人間同士、今の経済至上主義の呪縛から解かれて、困った時はお互い様、助けてと言える世の中になりますように。子どもたちが安心して暮らせる居場所があって希望を持って生きられる世の中になりますように。
私も世の中の大人の一人として考え行動していかないと、と思いました



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