こんな事件が何度も起こっている。
3才の子供を両足が骨折していたのに、歩かせた。
それに、冬にも裸足で外を歩かせた。
日本は、こんな大人を作る教育をやっている。
中学生になっても、三角形の図形が書けない。
なのに、小学校では、英語とプログラミングを教えている。
小学生の時から、チーム競技では勝利至上主義。
それは、大人側の都合であって、子供が主体ではない。
結果、落ちこぼれだらけになり、それだけで敗北感を味わっている。
スポーツは、人間の遊びです。
だからこそ、とっかかりは、簡単で楽しくないと、やらなくなる。
誰もが楽しめるようにする為に、ハンディキャップをつける。
例えば柔道では、一人が、あんまり強すぎると、
誰も練習相手にもなってくれないし、なれない。
スポーツは、やっていて、強く、うまくなっていく過程が楽しいのです。
勝利の達成感は一瞬です。
考える動物だからこそ、考え続けてこそ生きがいが見つかる。
その訓練が、学校教育だと思います。
小学低学年から、落ちこぼれさせられ、そこから疎外感をずっと感じ続ける。
周りの大人は、それを知っていて放置です。
それでも、周りには、そんな仲間がいっぱいいるから、
どうにか尊厳を保たれる。
しかし、大人になって、責任を自分で取らなければならなくなったら、
疎外感、孤立感が覚醒してくる。
それのはけ口が、子供の虐待、体罰などに、つながっているように思えます。
積年の悔恨の念が強いほど弱い子供に強く当たり、
死ぬところまでやってしまう。
これだけ楽ちんに生活ができる日本で、そんな事が起こるのは、
物質的な事ではなく、精神的な充足感が無いんでしょう。
現在の満たされなさではなく、積年のものだけに、
その期間が長ければ長いほど、激しく出てくるのかもしれません。
殺された子供は当然の事ながら、殺した方も、不憫であり、
こんな悲しい事はない。
ウクライナ戦争でも、若い男性が妻、子供が死んだと無表情で言ってましたが
今だに続いているシリア内戦では、小学生ぐらいの子供が淡々と語っていた。
すぐ近くに爆弾が落ちて、一緒に遊んでいた友達がバラバラになったと、
語る無表情の顔が、それはただの日常であると伝えていました。